「何回やっても、また振り返ってしまう」鈴木優人が三度目の『オルフェオ』へ――BCJと描く、愛と音楽の物語

インタビュー
クラシック
2026.10.14
鈴木優人プロデュース/BCJオペラシリーズ Vol.4 グルック:歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』

鈴木優人プロデュース/BCJオペラシリーズ Vol.4 グルック:歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』

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愛する妻を取り戻すため、冥界へと降りていく音楽家オルフェオ。ただし、地上へ戻るまでは決して妻の姿を振り返ってはならない――。

ギリシャ神話に由来するこの物語は、古くから多くの芸術家を魅了してきた。中でもグルックが1762年に発表した歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』(以下『オルフェオ』)は、バロック・オペラの伝統を受け継ぎながら、新たな時代を切り拓いた傑作として知られる。

「オペラは難しそう」と感じる人にも、『オルフェオ』の物語はいたってシンプルだ。主要な登場人物は、妻を追って冥界へ向かうオルフェオ、亡き妻エウリディーチェ、そして二人の運命を導く愛の神アモーレの3人。愛する人を失った男が、その人を取り戻すために冥界へ向かう――。神話の知識がなくても追うことのできる、まっすぐな愛の物語である。

2026年11月、鈴木優人プロデュース/バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)オペラシリーズ Vol.4として、この『オルフェオとエウリディーチェ』が名古屋・しらかわホールと東京オペラシティ コンサートホールで上演される。

オルフェオ役に、男性でありながら高音域を歌うカウンターテナーの世界的名手、ティム・ミード。エウリディーチェ役にハナ・ブラシコヴァ、愛の神アモーレ役にジョネ・マルティネス。鈴木優人の指揮のもと、BCJの合唱と、作曲当時の楽器やその復元楽器を中心としたピリオド楽器による管弦楽で、全3幕を演奏会形式で届ける。

森鷗外から始まった、鈴木優人と『オルフェオ』

鈴木と『オルフェオ』との最初の出会いは2012年。森鷗外生誕150周年を記念した公演だった。実は森鷗外は、『オルフェオ』を『オルフエウス』として日本語に翻訳している。鈴木はこの公演で長岡京室内アンサンブルを指揮した。

それから10年後の2022年、新国立劇場で再び『オルフェオ』を指揮。勅使川原三郎の演出・振付・美術による舞台で、コロナ禍のさまざまな制約の中で作り上げた公演だった。

「2022年の新国立劇場での公演は大変な状況でしたが、ものすごくいい思い出になっています。その時の気持ちが今へとつながっています」と鈴木は振り返る。 (C)Marco Borggreve

「2022年の新国立劇場での公演は大変な状況でしたが、ものすごくいい思い出になっています。その時の気持ちが今へとつながっています」と鈴木は振り返る。 (C)Marco Borggreve

そして2026年、BCJとともに三度目の『オルフェオ』に向き合う。なぜ、それほど『オルフェオ』に惹かれるのだろう。鈴木が語るのは、音楽的な魅力だけではない。「振り返ってはならない」という物語そのものが、人間の根源に触れているという。

「『振り返ってはならない』というのは、古来からある人間の、欲求や衝動にいかに人間が抗えない存在であるかというような、根源的な弱みのようなところを突きつけてくるテーマです」。

鈴木は旧約聖書に登場する「ロトの妻の塩柱」にも触れる。滅びゆく街を振り返ってはいけないと告げられながら、振り返ってしまう――。洋の東西を問わず、人は「見るな」と言われれば見たくなり、「振り返るな」と言われても振り返ってしまう。

そして鈴木は、自分自身と『オルフェオ』との関係をこう表現する。

「私も弱い人間なのでつい振り返ってしまうのか、特に『オルフェオ』は何回やっても、またやりたくなってしまいます(笑)。​この曲に込められた、テーマが大好きなのです。BCJで取り組んでいる宗教音楽とはまた違う、神話ならではの文学的な魅力にも惹かれます」。

愛する人を失う悲しみ、取り戻したいという願い、そして自らの衝動に抗えない人間の弱さ。神話の知識がなくても理解できる、極めてシンプルで普遍的な物語だからこそ、250年以上を経ても私たちの心を揺さぶるのだろう。

「演奏会形式」だからこそ、音楽そのものが見えてくる

今回の『オルフェオ』は「演奏会形式」で上演される。舞台装置や衣裳を備えた通常のオペラに比べて簡易的なもの、と考える人もいるかもしれない。しかし鈴木が目指しているのは、オペラを“簡略化”することではない。

「音楽に集中して聴くことで、より作曲家の意図したものが聞こえてくる。音楽そのものにフォーカスして作品を鑑賞できるという点で、今回の演奏会形式は分かりやすいと思います」。

もちろん、歌手はただ立って歌うわけではない。身振りや動きもあり、そこにはドラマが生まれる。むしろ豪華な舞台装置に目を奪われることなく、歌手の声、オーケストラ、合唱によって物語が立ち上がっていく過程を間近に感じられる。オペラ初心者にとっても、音楽から物語へ入っていきやすい上演になるはずだ。

名曲「精霊の踊り」だけではない。一瞬も緩まない音楽

『オルフェオ』の中でも、とりわけ有名な曲が「精霊の踊り」だ。その美しい旋律は、クラシックに詳しくなくても、一度は耳にしたことがあるかもしれない。しかし、この曲は単独で聴くのと、オペラの中で聴くのとでは印象が大きく変わる。愛する妻を求めて冥界へ入ったオルフェオは、行く手を阻む復讐の女神たちと対峙する。その激しい世界から一転して、穏やかな楽園へ――。その鮮やかな場面転換の中で「精霊の踊り」が現れる。そして鈴木がぜひ感じてほしいと語るのが、作品全体を貫く緊張感だ。

「音楽が緊張感を持ってつながっていく感覚になります。すべての幕、シーンが片時も緩むことのない雰囲気を味わっていただきたいですね」。

言葉、歌、オーケストラ、合唱が密接につながり、音楽そのものが次々と物語を動かしていく。それこそが、『オルフェオ』がオペラ史を大きく変えた作品とされる理由の一つだ。そして終盤には、オルフェオの有名なアリア「エウリディーチェを失って」が待っている。再び愛する人を失った絶望の場面でありながら、音楽は意外なほど明るい。その相反する感情がどう表現されるのかも、大きな聴きどころとなる。

世界の第一線で活躍する三人の歌手が集結

ティム・ミード、ハナ・ブラシコヴァ、ジョネ・マルティネス

ティム・ミード、ハナ・ブラシコヴァ、ジョネ・マルティネス

今回、オルフェオを歌うのがティム・ミードだ。世界の第一線で活躍するカウンターテナーであり、BCJとも共演を重ねてきた。鈴木は「歌の技術という点では、傑出したカウンターテナーだと私は思っています」と絶大な信頼を寄せる。そして何より、その声と存在そのものがオルフェオにふさわしいという。

「彼の歌声は少し妖しい魅力があり、佇まいもオルフェオそのものです。音楽の才能に溢れているけれども、妻を失った悲しい想いまでも表現してくれるでしょう」。

エウリディーチェを歌うハナ・ブラシコヴァもまた、若い頃から、BCJのカンタータの録音を一緒に作ってきた一員であり、BCJファンにはおなじみの存在だ。

そして愛の神アモーレを歌うジョネ・マルティネスは、新進気鋭のソプラノ。BCJとはすでにメンデルスゾーン作品でも共演している。オルフェオの運命に介入するアモーレは、神話の世界と観客をつなぎながら、物語を動かしていく重要な役割を担う。

三人のソリストと同じくらい耳を傾けてほしいのが、BCJの合唱だ。『オルフェオ』では合唱が、エウリディーチェを悼む人々となり、冥界ではオルフェオの行く手を阻む存在となり、さらに精霊となる。つまり、背景で歌うだけではなく、合唱そのものが物語を動かしていく。

「BCJの合唱は、世界に誇る合唱団だと思っています。合唱団というよりも、ソリストの集まりのような感じです」(鈴木優人)  (C)K.Miura

「BCJの合唱は、世界に誇る合唱団だと思っています。合唱団というよりも、ソリストの集まりのような感じです」(鈴木優人) (C)K.Miura

さらに鈴木は、今回の三人のソリストとBCJとの関係にも注目して欲しいと言う。

「この三人のソリストがBCJの合唱団もみんな自分たちの仲間だと思って、一つの舞台を作り上げてくれるのです」。

スター歌手を招き、BCJが単に伴奏をするのではない。ソリスト、合唱、オーケストラが一つの“座組”となって、『オルフェオ』の世界を立ち上げる。それが今回の公演の大きな魅力だ。

そして、2022年の新国立劇場公演以来、鈴木が抱き続けてきた思いがある。

「オリジナル楽器でこれをやりたいなっていう思いがずっと強くあったので、それが実現するのもとても嬉しいです」。

BCJは、作曲された時代の楽器、あるいはそれを再現した楽器と、当時の奏法について研究しながら演奏してきたスペシャリスト集団だ。現代のオーケストラとは異なる響きによって、グルックが音楽に織り込んだ色彩やドラマがどのように立ち現れるのかにも注目したい。

「ベートーヴェンへの道」へとつながる『オルフェオ』

今回の『オルフェオ』には、もう一つ重要な意味がある。BCJは現在、2027年のベートーヴェン没後200年に向けて「ベートーヴェンへの道」シリーズを進めている。バッハをはじめとするバロック音楽を長年追究してきたBCJが、ベートーヴェンへ至る音楽の変化をたどっていくプロジェクトだ。

一見すると、グルックのオペラとベートーヴェンは別の話に思える。しかし鈴木は、今回の『オルフェオ』をその道の途中に位置づけている。

「今回の公演は、BCJとして、今、まさに邁進しているベートーヴェンシリーズの番外編のような存在。ベートーヴェンに至る重要な道のりの一つでもあります。と言いますのも、グルックのオペラ作品はベートーヴェンにも多大な影響を及ぼしています。ベートーヴェンがいかにしてできたのか、あの時代に彼一人が突出していたわけではなく、作曲家それぞれが影響し合っていたんですね。それを確認できる、という点でも、このオペラ公演は大事なピースと言えます」。

つまり、『オルフェオ』はBCJにとってオペラシリーズの一公演であると同時に、バッハからグルック、そしてベートーヴェンへと続く音楽の歴史を体感する公演でもあるのだ。

オペラを知らない人にこそ聴いてほしい

とはいえ、この公演を楽しむために、グルックやベートーヴェンの音楽史を勉強しておく必要はない。『オルフェオ』の物語は、とてもシンプルだ。愛する人を失う。もう一度会いたいと願う。そのために冥界へ向かう。そして「振り返ってはいけない」と言われながら、振り返ってしまう。

そこにあるのは、250年以上前の遠い物語ではなく、誰にでも理解できる人間の感情だ。その物語を、ティム・ミード、ハナ・ブラシコヴァ、ジョネ・マルティネスという三人の歌手とBCJの合唱、そしてピリオド楽器のオーケストラが一つになって描き出す。

オペラを初めて聴く人なら、まずは「精霊の踊り」の美しい旋律から入ってもいい。BCJを長く聴いてきた人なら、「ベートーヴェンへの道」の途中にあるグルックという新たな発見もあるだろう。

鈴木優人が三度目にして、初めてBCJと作り上げる『オルフェオ』。
彼を何度も「振り返らせる」ものは何なのか。その答えを、ぜひ会場で聴いてほしい。 

公演情報

鈴木優人プロデュース/BCJオペラシリーズ Vol.4
グルック:歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』
全3幕/演奏会形式/イタリア語上演・日本語字幕付

 
指揮:鈴木優人
 
オルフェオ:ティム・ミード(カウンターテナー)
エウリディーチェ:ハナ・ブラシコヴァ(ソプラノ)
アモーレ:ジョネ・マルティネス(ソプラノ)
合唱・管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン
 
名古屋公演
2026年11月21日(土)15:00開演(14:15開場)
しらかわホール
SS席19,000円/S席16,000円/A席13,000円/B席10,000円

東京公演
2026年11月23日(月・祝)15:00開演(14:15開場)
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル
SS席21,000円/S席18,000円/A席15,000円/B席12,000円/C席9,000円/D席6,000円/E席4,000円
問い合わせ:バッハ・コレギウム・ジャパン センター 03-5301-0950(平日10:00~18:00)

《PROFILE》
・鈴木優人(指揮)

東京藝術大学卒業、オランダ・ハーグ王立音楽院を修了し、アムステルダム音楽院にも学ぶ。指揮者、鍵盤楽器奏者、作曲家、プロデューサーとして幅広く活動。バッハ・コレギウム・ジャパン首席指揮者、関西フィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者、アンサンブル・ジェネシス音楽監督。国内外のオーケストラへの客演に加え、オペラにも積極的に取り組んでいる。
 
・ティム・ミード(オルフェオ/カウンターテナー)
英国を代表するカウンターテナーの一人。ケンブリッジ大学キングス・カレッジ、英国王立音楽大学で学び、古楽から現代作品まで幅広いレパートリーを持つ。グラインドボーンやパリ・オペラ座など世界の主要舞台で活躍し、とりわけヘンデル作品で高い評価を得る。BCJとは2023年《ジュリオ・チェーザレ》などで共演。
 
・ハナ・ブラシコヴァ(エウリディーチェ/ソプラノ)
プラハ生まれ。バロック、ルネサンス、中世音楽を得意とし、透明感に満ちた歌声で国際的に活躍。BCJとは長年にわたって共演を重ね、カンタータ録音やヨーロッパ公演にも参加している。ゴシック・ハープ奏者としても活動する。
 
・ジョネ・マルティネス(アモーレ/ソプラノ)
スペイン・バスク自治州出身。国内外の主要オーケストラ、古楽アンサンブル、音楽祭に出演する新進気鋭のソプラノ。《オルフェオとエウリディーチェ》をはじめ、バッハ《ヨハネ受難曲》、ベートーヴェン《第九》など幅広い作品で活躍している。
 
・バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ/合唱・管弦楽)
1990年、鈴木雅明により創設。音楽監督・鈴木雅明、首席指揮者・鈴木優人のもと、世界各国の古楽のスペシャリストとともにオリジナル楽器を用いた演奏を追究する合唱・管弦楽団。BBCプロムスやカーネギーホールをはじめ世界各地で演奏し、18年をかけて完成した「バッハ:教会カンタータ全曲シリーズ」など、数多くの録音でも国際的に高い評価を得ている。
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