マームとジプシーの過去作品3作を同時上演する藤田貴大が、マームの作品と蜷川幸雄について語る
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藤田貴大 (C)篠山紀信
マームとジプシー主宰の藤田貴大が蜷川幸雄の半生を描いた『蜷の綿-Nina’s Cotton-』。この2月より蜷川幸雄演出版と藤田貴大演出版が同時上演される予定だったが、蜷川氏の体調不良により延期となった。それに伴い、2月18日からマームとジプシーの過去作品『夜、さよなら』『夜が明けないまま、朝』『Kと真夜中のほとりで』が同時上演されることに。2012年に26歳の若さで岸田國士戯曲賞を受賞後、数々の話題作を発表し、若手演劇人のトップとして走り続けている藤田貴大。彼は今、自身の過去作品とどのように向き合い、どのように再構築するのか。また、『蜷の綿』、そして蜷川幸雄に寄せる想いとは?
──まず、『夜、さよなら』『夜が明けないまま、朝』『Kと真夜中のほとりで』の過去作品3作を上演しようと思った理由をお聞かせください。
『蜷の綿』の代替公演をやることになったときに、なにをやろうか役者たちに相談したんです。『蜷の綿』が延期になったからといって「蜷川さんのことを考える」というミッションが変わったわけではないよねという話をみんなでして。今は蜷川さんのことを「待っている」時間なんだよねと。僕らだけじゃなく、ネクスト・シアターやゴールド・シアターのみなさん、劇場のみなさんも、蜷川さんが復帰されるのを待っているんだろうなと。その「待っている」というキーワードが『Kと真夜中のほとりで』につながっていると思ったんです。この作品では、登場人物たちが彼らにとって特別な時間である「夜」に誰かを待っている。今、みんなで蜷川さんを待っている時間は、この作品で描いた「夜」のようにすごく特別で大切なものだと思うんです。初演で描いた「夜」とは違うニュアンスを、今のこの時間のなかに刻み込めるんじゃないかなと思っています。
──初演とはまったく違う意味を持った作品になりそうですね。
そうですね。初演の『Kと真夜中のほとりで』は、当時のマームとジプシーのひとつの完成形だったと思っています。旗揚げ当初は現代口語演劇をやっていたけど、公演を重ねるにつれ「身体」というものに気づいていった。そして「リフレイン」という手法を編み出してからは、繰り返される身体に刻み込まれるエモーション、ということを考えながらやり続けてきました。『Kと真夜中のほとりで』でそれをやり遂げられたという思いがあって。ある意味、最終地点だったんです。だからそれ以降は、違うフェーズに行こうという意識を持って作品を作ってきました。いろいろな方々とコラボレーションさせていただいたり、『小指の思い出』や『書を捨てよ町へ出よう』などの外部公演をやらせていただきながら、音楽や身体の使い方のモードを変えていった。その流れがあるので、初演よりも上質なものを見せることができると思う。たとえば初演では役者たちがものすごく走ってたんですけど、その走り方、身体の見せ方も、初演のときより細やかにできると思います。
──同時上演される『夜、さよなら』と『夜が明けないまま、朝』もタイトルに「夜」がついています。やはり『Kと真夜中のほとりで』とつながりのある作品なんでしょうか。
はい。違う作品ですが、役者は3作とも同じキャラクターを演じています。同じ人物が登場する3作を、連作短篇のように見せたいですね。
──『夜、さよなら』は2006年、『夜が明けないまま、朝』は2009年の作品です。マームのファンのお客さんでも、そのころから観ている方は少ないのでは?
マジでいないです(笑)。僕の知っている限りでは一人しかいないですね。『夜、さよなら』は学生時代にやっていた「荒縄ジャガー」という劇団で上演した作品です。亡くなった祖父のことをモチーフにしていて、僕が初めて一本通してきちんと書いた作品なんです。全体の質感や言葉の抽出の仕方などは、今のマームでやっていることとあまり変わっていないかもしれない。『夜が明けないまま、朝』は、タイトル通りの作品。この作品を書いた23歳のころは、演劇をやりながらアルバイトもしていて。演劇続けるのきついな、このままだと自分はやばいな、という状況だった。全然夜が明けないのに、それでも朝は無機質にやってくる、みたいな。だけど2本とも昔の作品だから、記録映像も残ってないし、僕も正直なにをやっていたのかよく覚えてなくて(笑)。台本は一応あるので、そのなかから言葉を抽出して再編集するという形になりますね。
『Kと真夜中のほとりで』(2011) (C)飯田浩一
──ファンにとっては、マームの原点ともいえる作品を観ることができるのは嬉しいですね。今回はマームのファンだけでなく、蜷川さんの作品が好きで観に来られるお客さんも多いと思います。マームを初めて観るお客さんにはどのようにアプローチしようと?
それはほんとに緊張しますね。マームは今まで役者とお客さんの距離がすごく近い小さな空間でやることが多かったけど、蜷川さんの作品が好きなお客さんは大劇場でやるお芝居を観ている方が多いと思うんです。そういう方たちにも楽しんでいただけるよう、空間を俯瞰して観たときに「美しい」と感じられる作品にしたいと思っています。蜷川さんの作品とは身体の切り口も言葉の切り口も違うけど、初めてのお客さんにちゃんと受け入れてもらえるような上品なものにしたいなと。小さな空間でやっていたころの良さも残しながら、バランスを取ってやっていきたいですね。
──彩の国さいたま芸術劇場で蜷川チームと一緒に公演するということに対してはどのように思われますか?
蜷川さんからオファーを受けて『蜷の綿』を書き上げるということが最初のミッションだったので、アウェイ感は全然なくて。蜷川チームのなかに自分もいるという意識が最初からありました。だから、世界のニナガワから指名されたとか、そういうプレッシャーは全然ないです。彩の国さいたま芸術劇場って独特な雰囲気があるんですよ。蜷川さんという芸術監督が中心にいて、蜷川さんの作品を上演するためにスタッフや劇場の方々が様々な準備をされていて。みんなで徹底的に蜷川さんをバックアップしているんです。それはすごく美しいことだなと。そこに僕も入らせていただいて、みなさんと想いを共有しているという感覚がすごくあります。
──藤田さんから見て、蜷川さんはどんな方ですか。
パブリックイメージでは「世界のニナガワ」という巨大なアーティストなんだけど、実は謙虚な方だと思うんです。自分にないものを持っている人に対してすごく敬意を示しているんですよね。自分で脚本を書かないから劇作家をリスペクトして、戯曲に書かれていることをまったく変えずにやったりとか。劇作家だけじゃなく、役者やスタッフのこともリスペクトしているし、お客さんのこともきちんと考えている。学生時代に初めて蜷川さんの舞台を観たときにそれを感じて、感動しました。芸能人が出ているような、いわゆる商業演劇だったんですが、俳優をきれいに見せるためにものすごく丁寧に照明を当てていて。それは商業演劇だからということではなくて、蜷川さんの役者に対する思いやりだなと思いました。同時に、好きな役者を見るために来ているお客さんの満足度にも応えている。すべての人が満足できるように、すべてがよく見えるように丁寧に作品を作っている方だなと。
『Kと真夜中のほとりで』(2011) (C)飯田浩一
──藤田さんが作品を作る上で蜷川さんから影響を受けたことはなにかありますか?
僕もいろいろな方々とコラボレーションさせていただいていますが、相手をリスペクトして作品を作っていくというやり方は影響を受けていると思います。たとえば『書を捨てよ町へ出よう』ではミナ ペルホネンさんに衣裳を担当していただいたんですが、ただミナの服を使う、というのではなく、ミナの服を舞台の上でできるだけきれいに見せよう、という意識でやっていました。そうした感覚は蜷川さんから教わった部分もありますね。
──『蜷の綿』で蜷川さんの半生を描きたいと思った理由は?
自分より何十歳も年下でキャリアも浅い人間と話すときって、説教したり上から目線になったりしがちじゃないですか。でも蜷川さんは全然違っていた。僕のことを最初から「同業者」として見てくれたんです。蜷川さんに最初にお会いしたのは『cocoon』をやったときなんですが、「(稽古中に)怒鳴ったでしょう」みたいなことを言ってくれて。それがすごく嬉しかったし、蜷川さんってどういう人なんだろう、と興味が湧きました。二回目に会ったときなんて、僕が雑誌に連載しているエッセイまで取り寄せて読んでくださっていたんですよ。そういうことができる方なんだなと。良い意味でプライドがなくて、自分にない新しいものを発見していこうという意識を持っているんですよね。そんな彼のことを書いてみたい、と強く思いました。
──『蜷の綿』を書くために蜷川さんに何度もインタビューをされたそうですが、実際に話を聞いて感じたことは?
いろんな危機感に苛まれている方だなと思いました。「自分の表現は今のままじゃダメだ」という想いを常に抱いている。この「自己否定」の積み重ねは、60年代のころから蜷川さんのなかにあるんだろうなと思います。だからこそ表現に対してどこまでも貪欲なんです。年を取るといろんな物事に疎くなってくると思うんですが、蜷川さんはそこに対しても危機感を持っていて。新しいものに対して敏感ですね。
──蜷川さんとは現在、どんな関係を築けていると思いますか。
すごく仲良しですよ。もしかしたら演出家のなかで蜷川さんと一番仲が良いかも(笑)。いろんなことをラフに話せるんです。音楽の話とかも。蜷川さんはバトルズとかシガー・ロスとかのCDをいっぱい持ってるし。同業者として、そしてライバルとして、僕は蜷川さんからいろいろ教わりたいし、逆に蜷川さんも僕からなにかを盗みたいと思っているのかもしれない。
──最後に、公演を楽しみにしているお客さんにメッセージをお願いします。
『蜷の綿』は延期になったけど、僕らがみんなで蜷川さんを待っているというスペシャルな時間を、お客さんにも劇場で感じていただきたいです。マームの公演だけでなく『リチャード二世』もぜひ観ていただきたい。関連企画として、『蜷の綿』の戯曲を完成させるまでの時間を空間として展示しているので、そちらにも足を運んでいただけると嬉しいです。
(取材・文:渡辺敏恵)