小野寺修二の変わりゆく遺伝子の行方は?
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小野寺修二
白い劇場シリーズ第二弾『椿姫』を自分の物語として見てほしい
カンパニーデラシネラの小野寺修二−−大型舞台のステージングや振付、最近は俳優として舞台に立つことも増え、地域のホールなどでのワークショップ&作品製作、さらにはアジア諸国でも長い期間かけてプロジェクトを展開中。そんな精力的な活動の中、再び“集団”としてのありようを模索している。チームになるかもしれないし、ならないかもしれない、とりあえず3年はがんばってみようと。その第二弾、白い劇場シリーズ『椿姫』稽古中の小野寺に聞いた。
小野寺 積み上げる作業をちゃんとやってみようと思ったんです。ここ数年、作品ごとにいろんな人と初めましてと出会ってはその公演が終わるとおしまいということが続いていたんですけど、初めての人と何かを作るときは、その人のいいところ、面白いところをチョイスするわけです。その連続ではなくて時間をかけて、身体訓練から生まれてくる何かとか、人と対峙するとはどういうことかとか、改めてそういう作業が必要だろうと。やってみると意外に面白いし、むちゃくちゃ勉強になったんです。それに僕自身知らず知らずに冒険しなくなってしまうところがあって。たとえば以前より体力も落ちているから、同世代で作るとつい無意識に効率を考えてしまう。でも若い人たちとなら多少無茶しても思い切ったことを課すことで、そこにもっと即した動きが見つかりそうな気がするんです。そうすると意外に忘れていたものが思い出されるんですよ、水と油時代にこんなことやってたなって。
今のファンは水と油を知っているのかね、と二人で話す。おのでらん、じゅんじゅん、ももこん、すがぽんという日本マイム研究所で出会った4人が、演劇、ダンス、音楽、お笑いなどそれぞれの個性をぶつけ合い、それまでどこにもなかったスタイルを築きあげた。いつきしみ、ゆがみ始めるかわからない微妙なバランスで均衡が保たれている日常らしき風景を身体表現で描いていた。2006年に活動を休止し、小野寺修二、藤田桃子が立ち上げたのがカンパニーデラシネラだ。僕は小野寺修二、勝手に第三期を迎えたと思うが、同時にその遺伝子を残してほしいとも思っていた。
小野寺 昨年の『分身』(ドストエフスキーの小説)では13人が出演してくれましたが、今年は9人、前回組は6人です。僕らとしてはカンパニーとして固定するのはまだ怖いんですよ。あまり作風が好きでなくても出たいという人もいて、カンパニーとして縛るときつくなってしまう。そうじゃなくて互いに気持ちを探す時間とか、選ぶ権利があってもいいのかなと。だからこの3年は1年ごと解体して、作品ごとに改めてオーディションするやり方にしています。
手法や考え方を共有していくのは大変だけど、2回目にして、久しぶりにルーティンにはまって苦しんでいるんですよ(苦笑)。第1回目のメンバーのうちの何人かをよその振付の現場などに連れていくんですけど、彼らは僕の手法を知っているので1年中時間を共有する中でどれだけ飽きられないかを考えています。彼らとはベースがあったうえでどうするかの話ができる。水と油時代と似ているけど、また違うところで悩んでいる気がします。今の僕は仕組みとか手法に飽きていて、起きている状態に興味があるんですが、それを体現してもらうにはどうしたらいいかを考えるようになりました。
『椿姫』の稽古場より 撮影:伊藤華織
『椿姫』の稽古場より 撮影:伊藤華織
急いで幸せになろうとした。
永遠に幸せが続くことなどあり得ないと、知っていたかのように。
オペラで有名な『椿姫』は、恋に落ちた高級娼婦と青年が、青年の父親の懇願によって引き裂かれていく物語だ。
小野寺 物語はやっぱりディテールが大事なんだと思いましたね。2013年に『カルメン』(神戸アートビレッジセンタープロデュース)を上演したのですが、『椿姫』も解体していくとストーリーの流れはほぼ一緒なんです。ジプシーを高級娼婦に置き換えて、恋する男性が現れ、引き裂かれ、最終的に死ぬという大きな枠組みが。それを言葉を使わずに身体表現で見せようとすると、『カルメン』でやったことをそのまま置き換えても『椿姫』に見えてしまう。今まではその人そのものとして舞台に立ってもらうことが多かったのですが、キャラクターを演じるということについてようやく目が向いてきました。ストーリーの流れとは別に、『椿姫』のマルグリットとカルメンでは、出来事における反応が全然違うはずだし、それこそ言葉を介さず身体で見せていくものだろうと。また、世間と個人、群のあり方などを考えると動きも変わるし、単純な恋愛ものではなくなる。幸せとはなにかを考えると、いろんな答えがあって、また違った振りになりますよね。エンターテイメントとして、最後に抱き合うといった場面よりも、もしかしたら一緒にゆっくりしている時間が一番幸せと思う女性かもしれない。ですから悲劇的なものから一回解放されてもいいかなと。僕らは切り取った絵を見せるのが仕事だから、その数秒の点をもっともっと拡大すれば、作り方がかわってきているかもしれませんね。結果的には、『カルメン』と『椿姫』は全然違う女性像となりました。
『カルメン』
もちろん、カンパニーデラシネラの作品はストーリーを追っていくわけではなく、原作のエッセンスを身体表現を置き換えていく。そんな作業のなかで、小野寺にはまた、こんな発見もあったようだ。
小野寺 ある象徴として主役に女性が置かれていたとしても、語っているのが男性だと、こうあってほしいという視点が入ってきて、どうしても女性のキャラクターが引き寄せられると思うんです。先日、稽古場見学にきてくれた人が、これは、もしかすると娼婦の話というより、男性が女性をどう見ているかという話だねと。娼婦とは一体何なのかを探して、いわゆる娼婦ではないものを置けないかなと今回は思っているんです。観ている人に、自分の話として見てもらいたい。勝手につくっている見えない境界線とか記号とか、この人にならこういうことやっちゃっても良いと考える不条理なんかを考えると、単に女性の物語ですらなくなるかもしれない。美しくいてほしい、癒しであってほしいとか、他者が他者に勝手に求める役割という根本的な考え方は大きくは変わっていないんだなって。そういう作業を通して、ちょっとだけど視野が広くなったというか。これまでは、ごく個人的な問題、自身の存在の不確かさなんかが興味でしたが、社会や世間、世界を描くことに目が向いてきた気がする。今すごく大変ですけど、面白いですね。
白い劇場シリーズ第二回公演『椿姫』
◇日程:2016年3月24日(木)〜31日(木)※24日はプレビュー
◇会場:両国 シアターX(カイ)
◇原作:アレクサンドル・デュマ・フィス
◇演出:小野寺修二
◇出演:王下貴司 大庭裕介 野坂弘 斉藤悠 崎山莉奈 仁科幸 増井友紀子 菅彩美 鈴木奈菜
◇小野寺修二公式サイト http://www.onoderan.jp/