激しくも美しい革命のドラマとして ~新国立劇場「アンドレア・シェニエ」鑑賞レポ
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激変する革命のドラマが鮮やかな舞台で展開された 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
4月14日夜、新国立劇場のオペラ初日が開幕した。演目は「アンドレア・シェニエ」、フランス革命期を題材としたウンベルト・ジョルダーノの代表作である。2005年に初演された新国立劇場オリジナルのプロダクションはフィリップ・アルローによる演出、照明、美術が鮮烈に「その時代」を描き出す、象徴で満たされた舞台だ。
今回の上演ではメインキャストに人を得て、指揮にはイタリアの若き才能を迎えての再演となった。そのリハーサルについては以前お伝えしたところだが、ここにその初日のレポートをお届けする。
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実在の詩人アンドレ・シェニエの生涯を題材としたこのオペラは、革命の時代に翻弄された個人たちのドラマだ。このオペラでは、革命詩人ながら事態の進行の中で処刑されるシェニエ、革命前は貴族の娘だが没落しシェニエとの愛のため別人として死んでいくマッダレーナ、従僕の地位に満足せず革命に身を投じるも自他の欺瞞に直面してしまうジェラール、この三人に焦点が当てられている。
フィリップ・アルローの舞台は、このオペラを彼らと彼女、個々人の悲劇として描くだけではなく、彼の時代認識を視覚的に映し出したものだ。たとえば、ジェラールの老親が難儀して運びこむプランターが壊れて斜めになったまま据え置かれる冒頭の出来事以降、舞台にある全てのセットは斜めに傾いている。第一幕冒頭の時点ではまだ革命は起きていないけれど、時代は既に身分制に安住した社会を許していない、彼はそう見ているのだ。
また、主人公たちのドラマ以外の、社会の出来事はいつも舞台奥に用意された回り舞台の上で展開される。これは革命の時代の不安定さ、そしてその目まぐるしい転変の中ではルーレットのように誰もが主役になりえ、また誰彼なく処刑されうるものである、という認識も示しているだろう。プログラムでも言及されているとおり、シェニエが処刑されてすぐに革命の中心人物ロベスピエールも失脚した、当時はそんな時代なのだ。
視覚的には、自ら手がけた照明、そしてアンドレア・ウーマンによる衣装で歩調を揃え、第一幕はフランス王家を示す白、そして二幕以降ではトリコロールを象徴的に用いている。革命の勃発以降、衣装に小道具にと散りばめられたトリコロールの三色がそれぞれ「青は自由、白は平等、赤は友愛を示す」という説で読み解けるかもしれない、たとえば”市民が革命に求めたはずの自由(=青)の印象が薄いことからこの革命は自由を殺した、という逆説を示唆している”というように(もっとも、この三色の意味付けは俗説らしいのだが)。
第一幕の舞台は全体に白く輝いている、しかしそこには「革命」の影が射す… 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
こうした観客の読みをさらに強く誘うのは、第一&第二、第三&第四と二つの幕を続けて上演することによる時間の経過の強調、そしてその幕間に映写されるCGによる映像、加えて舞台装置と効果音で意識させられ続けるギロチンだ。この認識と、主人公たちの哀しい愛のドラマが共存することで、この舞台はヴェリズモ・オペラの感情的な側面に加えて、歴史に対する思考を促すものとなっている。たとえば第一幕から第二幕にかけて映しだされる「増殖するギロチン」はシンプルなCGながら、のちに子どもが小さいギロチンを弄ぶ場面を示すことでより強くこの革命の「稚さ」ゆえの恐怖を強く伝えるように思う。
その恐怖に対して、全幕の終わりで示される死にゆく大人たちと生き残る子どもたちの対比、そして第四幕でのみ鳴らないギロチンは、この作品の世界が現在まで続く過去の物語として、”未来”を持った舞台として示される。主人公たちは死ぬが、世界は現在にまで続いているし、きっと遠い未来へも続いていく。悲劇の先にはそれでも希望は残る、そんなメッセージを受け取ったように感じている。このような演出は好悪が別れるかとは思うが、私はこういった読みを刺激してくれる演出を歓迎したい。
革命に散った人びとが再登場するフィナーレは心に迫る 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
さて音楽面に話を移そう。リハーサルの時点でも相当に期待できるものと感じていたが、初日の時点でここまで力強い音楽が楽しめたことには賞賛を贈るしかない。音楽面での評価はそう分れないのではないだろうか。
真実主義と訳されるヴェリズモ・オペラは、登場人物たちの率直な感情を声で直接的に表現する必要があり、それはすなわち歌手に「力」をどこまでも要求するものだ。その厳しい要求を受けて、メインキャストの三名はその重責に応えきった。もちろん、初日ゆえ、ペース配分などに手探りの面があっただろう、アリアや重唱に若干の仕上がりのムラのようなものは散見されたけれど、それぞれの声の特性を活かして場内を魅了してくれた。
特にも、出ずっぱりで舞台を最後まで引っ張らなければいけないアンドレア・シェニエ役は最後の最後まで、力強くかつ美しい歌唱が求められる。自分ひとりでペースを作れるアリアだけならまだしも、ヒロインとの二重唱を最後の瞬間に聴かせなければならない大変な役どころを担いきったカルロ・ヴェントレには喝采を贈りたい。一幕のアリアでその声量を示し、また中盤から最後までのドラマを見事に牽引してくれた。新国立劇場来シーズンの「オテロ」にタイトルロールで再登場するヴェントレだが、きっと彼ならこの難役もやり遂げてくれることだろう。
シェニエの抗弁ではヴェントレの迫力ある歌唱が光った 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
シェニエが中盤以降に大きくお話を動かす役どころであるのに対し、ドラマの前半を牽引したのはジェラール役のヴィットリオ・ヴィテッリだ。革命を先導/扇動して英雄となるも、その旗印である「正義」自体がゆらぎ…と、この舞台が描き出す「革命」を体現する存在として冒頭の登場から最後まで芝居、歌とも実に見事だった。
ジェラールを魅力的に歌い、演じたヴィットリオ・ヴィテッリ 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
その二人がともに慕う哀しいヒロイン、マッダレーナ役のマリア・ホセ・シーリは、第一幕の少女らしい振舞いから二幕以降の流浪を強いられる没落貴族への転変を、役に没入するかのような演技と歌唱で示し、特にも第三幕の、シェニエのために自らを捧げようとする場面は大いに魅せた。
二人の愛は死によってのみ叶えられる…… 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
日本人キャストでは、このプロダクションの最初から印象的な歌を聴かせているマデロンの竹本節子が、今回も強い印象を残した。そしていつも強力な新国立劇場合唱団は、この合唱の出番の多い作品でその実力をいかんなく示した。
そして開幕前に予想したとおり、指揮のヤデル・ビニャミーニは見事にその実力を示した。力強いアレグロの輝き、歌手の呼吸に寄り添いながら時折見せるデフォルメも印象的だが、随所で引用される「ラ・マルセイエーズ」のさり気なくも確実な提示などにその力量のほどが伺えた。若き指揮者とともに、東京フィルハーモニー交響楽団は力強い演奏を聴かせた。
若くしてこれだけの演奏を聴かせるビニャミーニは、この先世界各地での活躍が約束されているわけだが、ぜひとも新国立劇場の常連指揮者になっていただきたいものだ。個人的には彼の音でヴェルディ、プッチーニを聴いてみたく思うので、2017年以降の再登場を期待したい。
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最後にひとつ申し添えたい。この日、第三幕の上演中に東京地方で地震が発生している。開演前のアナウンスでもご存知のとおり新国立劇場の建物は震度7程度の地震に耐えうる構造を有しているので、声なきどよめきが場内に走るような瞬間はあったものの、演奏も止まることなく上演は無事終了した。地震によって緩むどころか、一瞬気が逸れた我々聴衆を、歌で演奏でオペラに引き戻してくれた舞台の熱演には感謝する他ない。
けれど、終演後に会場を出た私も含むこの日の聴衆は、そこでやっと熊本地方で起きた大地震を知ることとなった。熊本、大分を中心とした地震が今も続く中、九州各地にお住まいの皆様の困難は相当のものとお見受けします。少しでも早く捜索、復旧が進んで被災された皆さまの生活が回復されますよう、心よりお見舞い申し上げます。
新国立劇場
ウンベルト・ジョルダーノ作曲 歌劇「アンドレア・シェニエ」
全四幕 イタリア語上演・字幕付き
■日時:
2016年4月14日(木)、20日(水) 19:00開演
2016年4月17日(日)、23日(土) 14:00開演
■会場:新国立劇場 オペラパレス
■指揮:ヤデル・ビニャミーニ
■演出・美術・照明:フィリップ・アルロー(再演演出 澤田康子)
■衣裳:アンドレア・ウーマン
■照明:立田雄士
■振付:上田遙
■舞台監督:斉藤美穂
■キャスト:
アンドレア・シェニエ:カルロ・ヴェントレ
マッダレーナ:マリア・ホセ・シーリ
ジェラール:ヴィットリオ・ヴィテッリ
ルーシェ:上江隼人
密偵:松浦健
コワニー伯爵夫人:森山京子
ベルシ:清水華澄
マデロン:竹本節子
マテュー:大久保眞
フレヴィル:駒田敏章
修道院長:加茂下稔
フーキエ・タンヴィル:須藤慎吾
デュマ:大森いちえい
家令/シュミット:大久保光哉