【SPICE対談】ラジオの中の人 第一回 J-WAVE「TOKYO REAL-EYES」ナビゲーター藤田琢己×ディレクター野村大輔(前編)
皆さんの生活の中に今「ラジオ」は存在するだろうか?
スマホやPCでもラジオが聴けるradikoの登場や東日本大震災をきっかけに、それ以前よりは身近に感じるようになったかもしれないけれど、今私たちはテレビやラジオよりも、日々タイムラインを流れていくニュースに一喜一憂することに多くの時間を費やしている。でも五年後十年後、そのタイムラインはあなたの人生に何か影響を与えているだろうか?
いま目まぐるしくメディアの形が変わっていく世の中に於いて、よくも悪くもオールド・スクールなフォーマットを貫いてきたラジオという媒体に、私は改めてフォーカスしてみたいと思った。ことFM放送に於いては、その歴史は音楽と共にある。
今なお彼らが惹かれ続けるラジオと音楽について、番組を作る人・伝える人のお二人に話を聞いてみることにした。
ラジオで“ロックフェス”を合言葉に、毎週金曜24:30~27:00に藤田琢己がナビゲート。
メジャー、インディー問わず、新しい音楽を求めて全国各地から情報をリサーチ!多くのアーティストを紹介していく音楽プログラム。これからブレイクするであろうアーティストが出演する番組発のライブイベント「LIVE SUPERNOVA」は、すでに100回以上開催している。
番組を作る人:ディレクター 野村大輔さん
伝える人:ナビゲーター 藤田琢己さん
藤田:僕ら元々洋楽のインタビュー番組やってましたもんね。15年前くらい?デビュー2、3年くらいだから。 就職するのと同じくらいのタイミングで僕もデビューしてたんで。
(野村さんとは)同い年なんで、同じ年代で、職種は違えどたぶん同じようにキャリアアップしてきた感じ。
あの時と今で、洋楽、ラジオ、それからコミュニケーションする手段が全部変わってるんで。番組とリスナーを繋ぐ手段がまだFAXで、ブログがブログなんて呼ばれる前の時代で。
野村:BBSとか。掲示板ね(笑)
藤田:そういう時代に洋楽が結構盛り上がってて、普通に洋楽専門番組もテレビにもラジオにもあったっていう時代でしたね。
サカナクションのデビューのきっかけにもなった?!番組のイベント「LIVE SUPERNOVA」
──TOKYO REAL-EYESが他のラジオ番組と違う大きなポイントのひとつとして、番組で定期的にライブ・イベント「LIVE SUPERNOVA」を開催していることが挙げられると思います。
番組が12年目で、イベントももう111回も開催されていますが、過去にはどんなアーティストが出演されていたのでしょうか?
藤田:番組がはじまった次の月に、もう始まりました。
野村:3回めはYUIがオープニングアクトで。Superflyもそうだし、秦基博さんもそうだし、それこそスペアザ(SPECIAL OTHERS)なんてまだ駆け出しの頃から。あとはflumpoolも。
藤田:flumpoolはその時すでにジワジワ来てたんで、nestがパンパンだったね。
野村:あとはサカナクションとか。
藤田:サカナクションは、このLIVE SUPERNOVAのライブ終わりで、(O-nestの)下のコンビニの前で、「俺たち上京しよう、東京で勝負しよう」って決めたらしいです。
野村:(MUSICAの)鹿野さんがサカナクションを初めて見に来たのもこの日で。ある意味、業界内コンベンションになったっていう。
──特に印象に残ってるライブって何ですか?
藤田:拡大版としてO-EASTでやった時のNICO Touches The Wallsは印象的だな~。
その時は彼らをメインステージじゃなくて、あのO-EASTの小さいサブステージの方にオープニングアクトで出てもらって。今じゃ考えられないけど(笑)
そしたら案の定本人たちすごく悔しがってたんですよね「メイン出してくださいよ!」って。その時「僕らもうここから上がっていくしかねえ」みたいな空気になってて。
気づいたら今や、最終的には武道館の常連さんになってるんですけど(笑)
野村:NICOがサブステージ。でも、すごいギラギラな感じなんだよね(笑)
藤田:ごめんなさいって思ったよね。こっち(サブステージ)でごめんなさい(笑)
拡大版のオープニングアクトは掘り出し物あったよね。凛として時雨とかもそうだし、9mm Parabellum Bulletもそうだし。
野村:ライブ自体は毎月やってるんですけど、売れて欲しい・新しいアーティストを発見しに来て欲しい、ここを出会いにして欲しいっていうので無料招待を貫いています。年一回やる拡大版のみ券売して。(アーティストを)知ってても知らなくても見に来て欲しい、っていうところから、20回目くらいからは応募数がちょっと増えるようになった。
──番組でイベントをやる意義はなんだったんですか?
藤田:それを十分に伝えようとしてやっているわけではないけど、単純に、リスナーの人たちに(新しい音楽と)出会って欲しい。
面白いもので、長くやってるとアーティスト同士が初対バンとか、けっこう近くにいるけど実はそれほど会ってなかったっていうマッチングもあって。それで自分の企画に呼んでもらうきっかけになったり。アジカンと髭とか。
野村:だから意義っていうと『フレッシュなアーティストに出会おう』なんですけど、僕らはマネジメントの人間じゃないし、メディアでもあるわけで。
だからイベントに関しては自分たちが面白いと思ったものを(選んでいる)。「ハードロックの日」「シンガーソングライターの日」っていうカラーも決めたことはなくて、蓋を開けてみたらなんとなくいびつだったけど面白かったねって。
初期衝動の固まりみたいな人たちってすごくやっぱりエネルギーがあるじゃないですか。だから、それを番組で伝えられるっていうのがライフワークになってきたっていうのは多分あると思いますね。
色んな面白いと思ったものを入れよう、で、とりあえずやってみる。それでダメだったねってことは一回もないよね、ほんとに。
藤田:ないね。 みんな真剣だからね。
野村:だからすごくみんないい時期に出てくれるっていうのもあって、俺がこれから世の中に出てくんだ!とか、音楽でひっくり返してやる!みたいなギラギラな人たちしか出てこないから、それが伝えられるっていうのが番組の一番のメリットっていうか。
──お二人も真剣にその衝動を受け止められたから、111回も続けられてきたんでしょうね。
そういう意味では、番組は毎週一回しかやってないけど、番組以外のところで水面下で行われてるフィールドワークみたいなものが、凄く僕らの中でもアーティストをどう紹介するか・どう表現するかっていうところに全部繋がっていく。
なにかをテーマにひとつ掲げて順番にキレイに並べてる番組のグルーヴ感とは違って、(リアライズは)良くも悪くもそのアーティストを聴いたり知ったり観たりして生まれた、マグマみたいなごちゃごちゃしたものを一生懸命並べてみたような、いびつだけどすっごい熱を持ったものをやってるんだなっていう。「こいつはなんとかしてやりたい」みたいな親心みたいなのももちろんあるし。
アーティストに近づけば近づくほど、TOKYO REAL-EYESをやればやるほど、そういう風に思うようになって来たのはあるかもしれないですけどね。
──愛ですね。
藤田:愛を持ってアーティストに接しようっていうテーマではないんですけどね。勝手に芽生えてしまうっていう、お互い(笑)
そうやってくうちに、たぶん誰もやってないことに気づくんですよね。お互い他の番組を担当してたりとか、色んな他の仕事をやってみた上で、この番組は多分特殊だなと。
それはやりがいであり、もしかしたらどっかしら意義になってるのかもしれないです。
今、金曜の深夜という場所にピッと旗を立てていることによって、アーティストたちがその旗のもとにというか、光のもとにというか(集まってくる)。
あそこ目指してなんかやってたら、愛のある2人が、番組第一回目からやってるあの2人が、いいフックアップをしててくれるんじゃないかっていうのが伝わってるんじゃないですか。
生放送の時間を共有するからには、何か影響を受けてもらいたい
藤田:リアライズを聴いてる子たちは比較的音楽にアンテナを張ってる子たちだと思うんですよ。そもそも知らなかった音楽を知ろうとしてくれる子。
野村:ラジオを選んで夜中に聴いてる子ってそもそも意識高いというか。遊び行かないの?飲み行かないの?デートしないの?っていう時間ですよ、金曜日の深夜なんて(笑)
藤田:だからベースにある生活習慣としてのラジオよりも、検索してたらすげーことやってるのがTOKYO REAL-EYESで、たまたまラジオだからって聴いてくれるのも、(ラジオを聴く)新しい入り方としてアリかなって思いますね。ラジオを好きで聴いてる人ももちろんいっぱいいるけど。
Youtubeなんていつなんどき再生してもいいわけじゃないですか。
だけど、何かをしながらでもそうやって(生放送の)時間を共有して、リアルタイムでそこで聴いてくれてるっていうのは、相当価値があるなあとは思ってるので、それは物凄い大事にしたいラジオの文化ではありますね。
今ここで繋がって、お互い温度感のあることをシェアしてるっていう意味は、やっぱ僕ずーっと生放送に関わってるので、そこは共通して大事なんだと思いますね、生放送であるってことは、生放送じゃないものとは違う!ってことを(笑)
──生放送“風”ではなく、生放送であるってことは大事ですよね。ただラジオでそんなに熱量のあることをやってるっていうことが、熱いものを求めている人に正しく伝わってるんでしょうか?
野村:たとえばオンエアする曲でも、必ずしも全部100点のものをかけてるつもりはないんです。音源はイマイチと思ってたとしても、たとえばそのアーティストの背景を知ったり、ここでできたこういう歌詞の曲だからかけてみようっていう選び方をしていることもある。
それは受け取る人次第ってところも、たぶんTOKYO REAL-EYESってあると思ってて。
別に品評会ではないわけだから、とにかくラジオで発信することによって、誰か拾う人とか感じる人に出会うきっかけになればいいなと。
それでもし、好きだったらライブに行けばいいし、買えばいい。今まで興味が無いものに引っかかったら、もっと掘り下げて聞けばいいし。そこからもし、ラジオ番組ってここまでしてこんな現場行ってこんな大変なことやってるけど、(できた番組が)おもしろいから自分もラジオ作ってみたい!って人が出てきたらそれはそれで嬉しい。
だから全部きっかけっていうか、「熱いことをやってるから熱い人が聴いて!」ってわけじゃなくて。
藤田:そうだね。
野村:たまたま聴いた人に何か引っかかるものがあればいいなぁとは思って放送してますけどね。50歳のおじさんでもいいし、10歳の子供でもいいし。この時間に、見えないけどラジオの奥で人が今喋ってるんだって思ってくれるだけでもいいかもしれないし。
やっぱりラジオ番組って始まったからにはいつか終わるから、必ず。
だからロックを伝える人(藤田さん)がいて、その裏側を伝える役目のディレクターがいてっていうよりは、(藤田さんが)しゃべって、曲を流して、番組を作ってるんだったら、そこになにか影響を受けてもらいたいなってのは根底にはある。
「ボサノヴァで、お日柄もよく」なFM放送にロックで切り込んでいく
──そういういいハブになれる人が旗立ててくれてると、いいラジオ番組が生まれると思うんですよ。でも、実際ラジオ業界にはそういうことができる人が正直、少ないと思うんです。
藤田:僕らはラジオ聴いて、ラジオの仕事してる最後の世代ですよ、もしかしたら。
野村:でも、「ラジオだからこうしよう」っていう感じが最初から通用しない番組でもあったんですよ。
ライブハウスで邦楽ロックが盛り上がって、ROCK IN JAPAN FES.が立ち上がって二年目あたりに番組が編成されたんですけど、それまでのFMラジオって「ボサノヴァで、お日柄もよく、うららかな」みたいな感じで。ロックがかかっても、民生さん、ユニコーンみたいなスーパーどメジャーな感じで、新人のロックをやろうなんていう番組はやっぱりなくて。
前こういう番組があったからこうしましょうっていうお手本がない中で、ほぼ同時にLIVE SUPERNOVAが始まったんですよ。だから、放送もやんなきゃいけない、ライブもやんなきゃいけない、ライフワークとしてライブも見に行く、いろんなアーティストとの関係性を作っていく、自分で色々見聞広げるみたいなところが全部同時(進行)だったんですよね。
だから最初どうしていいかわかんないっていうのが正直あって。
さらに、放送時間の四時間って深夜だとCMの枠ってほとんどないんですよ。けっこうマラソンしなきゃいけなくて。
お昼の番組ってCMがあるとなんとなくセグメントができて、なんとなく進めていけるけど。
でもその四時間を埋めるためには、ただCDで選曲してても“熱”って絶対伝わらなくて、現場でとった声とかアーティストの喋ってる声とか、ライブ音源とか、現場の音源を出していかないといけない。
どんなに熱いこと言っててもそこにそぐう素材がないと説得力がないだろうし、それで四時間埋める作業ってもう結構大変で、それに疲弊してたっていうか、一週間でやったことを全部四時間に吐き出してまた来週が始まる。
野村:普通楽屋にインタビューに行くと、コンコンコンってノックして「今からインタビューさせてもらいます。台本こちらです。10分くらいでよろしくお願いします」みたいなくだりから入るんですね。
でも作る人間からいうと、リアルなところを伝えたいんだったらそうじゃなくて、コンコンコンって楽屋に入るところからレコーダー回しちゃおうよと。
ライブ終わりでイエーお疲れー!みたいな一番盛り上がるあの熱気を出したいねって。だからそういう風に、ライブ終わったばかりのアーティストに会う瞬間からレコーダー回してオンエアしたりとか。
あと、机があると話が盛り上がんないから機材車の中でインタビューしたりとか、自宅に行けるんだったら(インタビューできる)って、かまってちゃんのの子の自宅の洗濯まみれのクッサイ部屋で猫歩きまわってる中、こたつでインタビューしたりとか。
藤田:あれはキョーレツだったね(笑)
野村:色んな場所で。でもそれがやっぱ心を開いてくれるというか、たぶん喋り手の信頼にすごい影響でかいと思って。
「ちょっと図々しい人かなと思ったけど、ここまで俺らのことを聴いてくれてんだ」ってのは、たぶん今リアライズっていうのをやってるから出てきたことで。
藤田:こういうの言えば言うほど、たぶんラジオ番組としてはすげー異端なんですよ。誰に言ってもちょっと引かれるんですけど。僕らがこういう取材して、こういうとこ行ってきて、っていうことを他の番組の人たちに言うと「すげーなお前、よくそこまでやるね」とか。「ゲストって、放送局に来てスタジオでトークするもんだと思ってた」って。ほとんどなかったもんね。番組にゲストが来たこと(笑)
野村:うん。
藤田:ほとんど現地調達みたいな日あったよね。めちゃくちゃ行ったもんね、この2人(笑)
ライブ観に行って、 そこで番組のオープニング録って、帰って速攻編集して、すぐオープニングでオンエアする。ライブに来てたお客さんは、さっきまでやってたあのライブの現場で録ってたものを帰ってくる途中に聞けたみたいな。
──めちゃくちゃ臨場感ありますね。
野村:だから、敢えて、収録行くときは台本とか用意しない。
嘉陽田:琢己さん次第。
野村:次第だし、無いほうが絶対、わーっていける。そういうのを放送にするときにどうやって出してくのかっていうのでたぶんすごく自分自身勉強になったし、四時間真っ白なものを熱で埋めるにはどうしたらいいかっていう単純なことと、喋ってる人が熱を持ってることを、じゃあどうやって音声として表現するかっていうことは、今他の番組で全然生きてる。
アーティストとも繰り返しコミュニケーションを取ってると、このまえ喋ってたことが次の作品にこう活きてて、次のライブではこう成長して、その間にメンバーが辞めたり事務所が変わったり、っていろんなドラマがあったりして。
そうするとその後の収録のオフトークで、アーティストから自分の悩み事を話してくれるとか、ちょっと飲みに付き合ってくれませんかって言われたりして信頼が生まれてくるみたいなこととか。たぶんその積み重ねで、番組が終わらなかった。
藤田:そんなレベルだよ、本当に。ラッキーなことに。
野村:だって夜中の番組なんて振り向かれてないし聴かれてないし。
こんな番組夜中にやってます、っていうのをしらしめるために局でやってるフリーマーケットのイベントに進んで出たりとか、社内プロモーションですよ(笑)
もうとにかく、番組のこと言えるんだったらどこでも行く。
藤田:喋り手としても、リスナーに向けて発信するだけではなくて、(インタビューが)録れるもんなら録るしライブに来いって言うなら行くし、番組のことを喋れるんなら喋るっていうのを全方位でやってたんでしょうね。
だから、(番組の)枠があるからそこに入っていくって言うよりは、やっぱり、もうなんだかわからないこの日本のロックシーンとTOKYO REAL-EYESみたいなものを自分たちで形作って行った感じだと思いますね。
「こういうコンセプトで、こういうスタッフで、こういう原稿書いてもらって、こういう番組です。」それはそれですっごくキレイな番組ができると思うんですよね、思った通りの。
リアライズはそうじゃない。放送時間だけわかってるけど、どこが枠かもわからないところに僕らで喧々諤々やりながらやってきた。それが逆に、番組を作る上での試行錯誤のノウハウを育てていったんじゃないかな。
野村:逆にそういう裏側っていうか、(アーティスト側から)いわゆる「リアライズさんの取材時間です」って充てがわれた時間じゃないところで、一緒に観させてもらったり居させてもらったりすることですごくわかることもある。
思った以上にシビアにやってんだとか、意外とプロ意識すごいんだなとか、っていうのが垣間見えるとこっちが鍛えられるし。
アーティストの本当の意味の信頼っていうのは、やっぱりいろんな現場に行って本当に教えられたよね。
特にインディーズの人たちとかと付き合ってると、やっぱりインタビューに来たっていうと構える人もいたし、当時、ELLEGARDENとか活動休止直前まで密着みたいなこともやらせてもらったんですけど、行ってインタビュー断られたこともあったし。
藤田:ふふふ(笑)
断られたからと言って、そう簡単に引き下がる二人だと思うだろうか?
この続きは近日公開予定。
●伝える人:ナビゲーター 藤田琢己さん
1976年5月20日生まれ。中学時代を米カリフォルニア州バークレーで過ごす。2000年にラジオDJデビュー。現在はテレビナレーターとしてのキャリアを積みながら、年間100本以上のライブに足を運び、音楽現場の生の声を伝えるラジオ番組のナビゲーターとして活躍。特に日本のロックシーンのアーティストからの信頼は絶大で、ご指名での単独インタビューやライヴイベントMCを数多く担当。
●番組を作る人:ディレクター 野村大輔さん
1976年8月8日生まれ。1999年に明治大学卒業後、番組制作会社を経て2012年からフリーランスとして活動。主に音楽番組を中心にラジオ番組の演出やテレビ番組の構成に携わる。J-WAVE「TOKYO REAL-EYES」は2005年4月の立ち上げ当初よりディレクターを務めている。