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瓦礫の街の演劇事情 ~熊本地震からひと月たって~

2016.5.30
レポート
舞台

筆者の家の近くのガソリンスタンドにて(以下撮影はすべてu1729)

 

熊本地震から6週間。震源である益城町や南阿蘇を除く地域では、ライフラインもほぼ回復し、人々の暮らしに日常が戻りつつある。
しかし、震度7が2回と言う未曾有の大地震である。その破壊の爪痕はすさまじく、倒壊した家々はいまだほとんど手つかずのまま街の中で瓦礫と化している。
そうした被災地での文化活動、特に演劇活動はどうなっているのだろうか?
どの程度被害を受け、どの程度復旧しているのか?
熊本での演劇再興はあり得るのか?
それらを熊本在住で、自らも被災したu1729記者がリポートした。


震度7と言う記録的な揺れで、2度に渡り我々の生活をひっくり返した熊本地震からひと月以上が経過した。
この震災は筆者の中の“現実感(リアリティ)”をものの見事に粉砕した。
ひとつには、こうした未曾有の災害とはどこか遠くの土地で起こるもので、決して自分の身に起こるものではない、と決めつけていた現実認識が吹き飛ばされたこと。
これほどの災害が我が身にも降りかかってくるのだということを、万が一の可能性でなく事実として押しつけられたことは、精神的にかなりの修正を強いられることになった。
もうひとつは、見慣れた街が一瞬にして破壊されたことである。

熊本城の石垣

400年も前から街の中心部に厳然としてあり、不動不変と思われた熊本城の石垣が、まるで映画『ピクセル』のビルのようにバラバラに崩壊した光景。それを目にした衝撃は、熊本市民でなくては判るまい。
とは言え、熊本城は象徴のひとつであって、震災は我々の生活そのものを破壊した。

この写真は、地震後2週間たって震源地で最も被害の大きかった益城町をクルマで通った時のもので、車窓にはこんな風景が延々と続く。
益城町は筆者の住む熊本市東区に隣接しているのだが、わずか数キロの差ながら被害の程度は大違いで、ひと足益城町に入ったとたんに全体が爆撃を受けたかのような光景に変わる。
東日本大震災の時にテレビで観た、漁村のビルの上に大きな船が乗っかっている光景。アレに似た非現実感に襲われる。
筆者の家の回りも、ここほどではないが、ほとんどの家で瓦は落ち、塀は倒れ、壁にはヒビが走っている。倒壊した家屋も皆無ではない。
毎日見ていた風景がたったひと晩でこれほど変貌する違和感。普段の道を歩きながら、“危険”と書かれた貼り紙を見る度、その建物がいつ崩壊し自分に倒れ込んでくるか判らない恐怖。

世界はこれまで信じていたような堅く不偏なものではなく、砂上の楼閣のようなもので、常に形を変えていくものなのだ。
これを日常として受け入れるには、1~2週間では無理だと悟った。
また、それを活字という形で県外の人に伝える心境になるには、さらに多くの時間が必要だった。報告が遅れた言い訳になってしまうが、どうかご理解いただきたい。

だからと言って後ろ向きに生きている訳ではなく、感覚的に現実感が伴わないと言うだけであって、理性では理解しているから、被災直後から生きるための戦いはみな始めているのである。
県民全員アホになった訳ではないのでご安心いただきたい。

と言うことで、身の回りを見渡してみると、熊本の演劇関係者や施設もみんな被害を受けている。
県内45市町村の内、実に25市町村の文化・スポーツ施設が何らかの被害を受けており、中でも演劇関係者が集中している熊本市の被害が最も大きい。
Spiceの誌上でも、毎年雨傘屋に招かれている天野天街氏が被災したこと、その雨傘屋が今年の公演を延期したこと、またその経緯について詳しく報道されている。
合わせてお読みいただければ、雰囲気を判っていただけると思う。
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これ以外にも、熊本市内の劇場やイベントスペースがほぼ壊滅的な状況で、熊本の演劇復興には大きな時間が掛かりそうである。
合間を縫って取材してみた被災状況をご報告しよう。


●熊本県立劇場

まず、熊本の演劇を代表する小屋と言えば演劇専用に建てられた県立劇場であるが、今のところ無期限に休館している。
当初は、館内の被害が(見た目では)そう酷くなく、6月20日を目処に通常業務に戻すとしていたが、その後建築診断士や施工業者の現場確認により、建物自体の構造つまり柱や壁にひび割れなどの損傷が見られ、極めて危険なこと、さらに続発する余震によってさらに被害が進行する可能性もあるとして、4月27日にはすべての公演をキャンセルした。
館内の事務所では職員が余震の恐怖に耐えながらの払い戻しや利用者への説明に対応している。

●市民会館シアーズホーム夢ホール(熊本市民会館)

演劇専用ではないが、市内最大のイベントホール“市民会館シアーズホーム夢ホール”はさらに甚大な被害を受けた。もちろん、営業は中止している。
外観からは判らないが、1600人収容の大ホールの天井や壁が崩落し、客席の床が沈下して、大変危険な状態だという。
震災後1ヶ月たってその内部がマスコミに公開されたので、新聞などのHPで確認することが出来る。まさに目を覆うような惨状である。
天井の壁材、吊り下げられた照明器具や音響器具がいつ落下してきてもおかしくない。元々古い建物でもあり、開業までには相当な時間が掛かりそうである。

●熊本市男女共同参画センターはあもにい

熊本市の多目的センターで、370人程度収容のメインホールと、200人程度収容の多目的ホールがある。
この内、円形の客席を持つ多目的ホールは、空間を自由にレイアウトできることや適度な客席の容量から、多くのアマチュア劇団の公演が行われてきた。
こちらは建物自体の被害は軽微だったらしいが、やはりホールには壁などに損傷がみられ、修復に時間が掛かるという。会議室やホールの貸し出しは現在行われていない。
なにより市の機関なので、ホールの貸し出し以前に、避難所として近隣の被災者の受け入れに注力しなくてはならないのが現状である。
筆者が訪れた時は、ボランティア団体が被災者に足湯のサービスを行っていたが、一見のんびりした光景の中に、やはり被災地ならではの非日常が覗える。

●早川倉庫

「岡崎酒類醸造場」として明治10年に建てられた木造の建築物で、戦後貸倉庫となった。
近年は熊本の文化発信基地として、倉庫2階をギャラリーや演劇舞台、ライブ会場として貸し出すケースが増えている。
2014年と15年には上述した雨傘屋が公演を行った場所でもある。
ここは外観にほとんど被害が見られない。
ご主人に伺ったところ、内部の壁が剥がれ落ちはしたが、建物自体は歪んだり傾いたりはしていないと言う。
元々醸造タンクや大量の穀物を支えるように作られているため、部材も太く頑丈なようである。
ただし、現在内部を修復中なのは他の施設と同様で、まだ営業再開の見通しは立っていないとのこと。

●熊本市現代美術館(CAMK)

繁華街のど真ん中に位置するCAMKには、90人収容のアートロフトと呼ばれるイベントスペースがあり、ここもアマチュア劇団が公演に利用している。
CAMKは震災後、復旧のため臨時休館していたが、5月11日より無料施設部分を再オープンした。
震災前から開催していた人気の『エッシャー展』も、展示内容を一部変更して無料で再開しており、以前のような活気ある姿を取り戻しつつある。
が、有料施設となるアートロフトは以前閉鎖中のままで、営業再開も未定とのこと。そこまではまだ手が回らないのかもしれない。

●ギャラリーADO

旧ギャラリーADO

早川倉庫と同様に、民間のイベントスペースとして小規模劇団を受け入れ、数多くの公演を実現してきたのが繁華街にほど近い場所にあったギャラリーADOである。
1階が喫茶店で2階がギャラリー(イベントスペース)となっていた。雨傘屋も早川倉庫に移る以前はここで公演を行っていた。
そのギャラリーADOが今年の春、東区にある商店街に引っ越しをした。東区は震源の益城町に隣接し、市内でも被害の大きかった所である。運の悪いことにギャラリーADOも無事では済まなかった。

健軍商店街と倒壊したスーパーマーケット

これがその商店街の震災後の様子だが、中心的な存在であった3階建ての大きなスーパーマーケットが完全に倒壊している。
筆者も少年期から毎日通い、遊んだ商店街だが、見るも無惨な状況となってしまった。
ギャラリーADOはその2件隣のビルにあり、外壁が剥がれ、窓ガラスが割れている。

ADOはその2軒となりだった

現在では周辺区画全体が立ち入り禁止となっている。もちろん営業どころではない。
倒壊したスーパーは安全の為にとりあえず解体することにしたが、再建再開については、するしないも含めてまったく未定だという。
そう言った状況なので、隣接するビル群もまったく計画の立てようがなく、ギャラリーADOの将来も宙に浮いたままというのが現状のようだ。

●熊本市健軍文化ホール

その商店街のすぐ隣にあるのが熊本市健軍文化ホールだが、ここもまたコンサートホールに大きな被害が出て、再開の目処が立っていないと言うことだ。
基本的に市内の公営ホールはほぼすべて使用不能とのことで、わずかに北区にある植木文化ホールのみが被害を免れて営業しているそうである。
ただし、こちらも被災者の受け入れなどが優先されているはずで、実際に稼働しているかは判らない。
そもそも、市の中心部から結構離れたこの場所で公演を希望する劇団は多くないだろうと思われる。

●水前寺成趣園(水前寺公園)

崩落した鳥居

バラバラの石の灯籠

ここは演劇施設と直接の関係はないが、以前ご紹介した金春流の演能が行われている能楽殿があるので、合わせて状況をお伝えしよう。
写真のように参道入り口の石造りの鳥居は崩落、公園入り口の灯籠も粉々になってしまった。
さらに二度目の地震(本震)の後、これまで懇々と湧いていた地下水が止まり、水量が1/3にまで激減した。

ご覧のように、あれほどの水をたたえていた名園が、まるで月面か枯山水かという景色になってしまっている。
最新の調査で、これまで知られていなかった活断層が公園の真下を横切っており、それが水脈を断ち切ったのではないかと見られている。
この新たな断層は、東区に位置し高校野球甲子園大会出場の常連としても知られる県立熊本工業高校の下から水前寺公園を通り、市内の中央を流れる白川沿いに海まで達している。
新説の正しさを証明するように、市内の大きな被害はこの新たな断層に沿って発生している。
つまり、これからは自分の家が既知の断層に乗っていないからと安心していられない訳で、これも熊本地震が災害対策機関に突きつけた新たな研究課題のひとつと言えよう。
地震後ひと月が経過した5月16日に、公園が一般開放を再開したので、早速訪れてみた。
池の水は少しずつ増えつつあるが、湧水が増えたためではなく、雨水が溜まったものと考えられている。
園内は観光客の数倍ものボランティアが全国から集まり、池の浚渫やらごみ掃除などを行っている。

気持ちはありがたいが、景観は台無しだし、観光客はないがしろにされるし、正直言って邪魔と言う気もする。
そもそも、この程度の作業、重機を入れればものの数日で済むような気もするし、プロの作業員の方が周囲に気を使えるのではないか?。
まぁ、それは筆者がどうこう言う問題ではないが、幹線道路のボランティア渋滞など、みなさまの善意の裏でさまざまな望ましくない現象が起きていることは確かで、災害復興の難しさをひしひしと感じる。

最後に、金春流松融会が春の会を行った能楽堂だが、瓦が多少落ちた程度でほぼ無傷であった。
とは言え、今の状況でこの施設を利用する団体がいるとは思えないので、健気に建っている姿を見ると、逆に寂しさを感じたりもする。
また、あれほど上空を待っていた食欲旺盛な鳩たちの姿もめっきり減っていて、やはり尋常ではない雰囲気が公園全体に漂っているのである。


施設被害を見てきたが、演劇関係者も個人的に被害を受けた人が多く、今のところ演劇活動よりまずは自分の面倒見に追われている人がほとんどである。
その意味でも熊本の演劇界が再起動するには、まだまだ時間がかかりそうだ。
また、訃報もある。
結成以来55年を数える老舗で、県内最大規模のアマチュア劇団である劇団市民舞台の代表、後藤和幸氏が本震から間もない4月23日に亡くなったのである。享年60歳。
関係者の話では、亡くなる直前まで元気で地震の後始末などを行われていたそうで、23日朝、家族が見つけた時には、既に自室で亡くなっていたそうである。
急性心不全と言う診断で、やはり地震によるストレスが何らかの原因ではないかと団員たちは語り合っている。
後藤氏は最近まで熊本県立劇場の職員を務められており、市民舞台のみならず熊本の演劇界全体の大きな支えであった方だったので、関係者のショックは相当大きかった。
市民舞台は、没後ひと月を経て、新たな代表を選出し再出発したが、秋に予定していた55周年記念公演は一旦白紙に戻し、新たなコンセプトで一からやり直すことに決めたという。
一刻も早い再生を祈りたいが、事情が事情だけに、無責任にそう言う訳にもいかないのが辛いところだ。

そうした中、すでに前を向き、精力的に公演をこなしている劇団もある。
以前紹介させていただいたミュージカル劇団in.k Musical Studioである。
 関連記事
 熊本からミュージカルを発信! ~in.K. Musical Studioの挑戦~

 

Stadio in.K 外観

練習風景(4月29日)

水前寺公園にほど近いin.K. Musical Studioの事務所兼練習場兼劇場のあるビルは、入り口のガラスが割れた程度で、奇跡的にほぼ無傷だったという。
が、団員の中には家が半壊したり、住めなくなった者もいる。
なにより代表の小松野希海さんの家が本震で全壊している。
上の関連記事では“熊本市近郊の町に生まれ育ち”としているが、実はその町こそ震源の益城町であり、町内の多くの家屋と同様壊滅的なダメージを受けたそうである。
しかし、そこで呆然と時間を無駄にすることもなく、その週のうちに熊本市内に家族で住めるマンションを見付けて移り住んだと言うからすごい。
普通は数日オロオロとして避難所泊か車内泊を繰り返し、不動産屋に出かけた時にはすでに長蛇の列が出来ていて、それなりの物件が見つかるまで時間が掛かると言うのがありがちなパターンなのだ。
小松野さんの行動力には毎度驚かされる。
その彼女に引っ張られるように、団員たちもすぐに行動を始め、震災前に予定していた練習生による発表会を“Studio in.K 再始動のための小作品集”として早くも5月7~8日の両日行っている。
さらに翌週の14~15日には4回にわたり、“2016春季公演”を開催したという。
小松野さんによると非常に盛況で、特に春季公演にはどの回も満員のお客さんが来てくれたという。
「お客さんがとても喜んでくれて、ミュージカルを観て元気になったと言ってくれたのがなにより嬉しかった」と小松野さん。
「これまでやってきたことが間違ってなかったと確信しました。これからもみんなに元気を与えられる、笑えるミュージカルをやっていきたい」
劇団と観客とが支え合う理想的な関係がそこから覗える。
近くの居酒屋で杯を交わす姿は、普段以上に明るく活気に溢れ、やや塞ぎ気味の筆者も元気をいただき、笑顔になった。
演劇界の復興へ道はまだ長く、完全に元通りにはいかないかも知れないが、生来明るく前向きなのが熊本人気質である。
施設も人も、よその土地があまり体験していない今回の災害さえバネにして、いずれは不死鳥のように立ち上がると思いたい。

熊本の未来に乾杯!