巨匠たちとベルリン・フィル 「ベルリン・フィルと指揮者たち」 4

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2015.8.27

最高の「客演指揮者」として

さてシリーズ「ベルリン・フィルと指揮者たち」、今回はもはや大御所、大マエストロとして扱われている面々について考察する。「ラトルと同世代、また彼より上の指揮者が選ばれることはないだろう」と考えていたものだから、いくつかのうわさ話は意外にすら思えたのだけれど。

という懐疑的なスタンスで始まるこの考察は「ヴェテラン軽視」といった話ではないことを、まずはじめにお断りさせていただきたい。指揮者に対して持ち前の才能と同じくらい、もしかするとそれ以上に経験による積みあげが求められることは疑いもないことだ。選出されたキリル・ペトレンコ以外の、世界の一線で活躍を続けるマエストロたちが今回選ばれなかった理由は、根本的なところではタイミングなど含めた「めぐりあわせ」に起因するものと理解している。それは前回、前々回に「本命」として紹介したティーレマンネルソンスの場合と同じである。

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では何人かの指揮者たちについて、具体的に現在とこれからを見ていこう。

まずマリス・ヤンソンス(1943-)。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とバイエルン放送交響楽団という名オーケストラ二つを率いてきた実績も実力も十分、彼を本命視する声も少なからずあった。しかしながら昨シーズンでコンセルトヘボウ管を健康上の理由から退任したばかりでは、ベルリンでなくとも新しいポストを引き受ける可能性は低かったように思う。

これは完全に個人的な予想だが、彼はウィーンのニューイヤー・コンサートに複数回登場している数少ない指揮者なのだから、彼は今後ウィーン・フィルとの活動が増える、のではだろうか。そこから「オペラの活動を増やしたい」と望んでいた彼が国立歌劇場で何かをするかも、などともう少し踏み込んで妄想してもバチは当たるまい。



ラトル(1955-)と同世代の指揮者も候補とされた、たとえば近年ベルリン・フィルとの共演回数が増えたリッカルド・シャイー(1953-)。バッハから現代までとレパートリーは偏りなく広い、そしてオペラもできて実績もある。

しかし彼の場合、これまでの大量のレコーディングが結果としてマイナスの要素とみなされた可能性がある。あれだけの録音を残しているシャイーの場合、就任後に行われる活動において主要レパートリーすべてが「再録音」になってしまい、せっかくの新しいシェフの録音があたかも二番煎じに思われかねない、というのはオーケストラにとってはデメリットだっただろう。

そして現実には、リッカルド・シャイーはライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団、ミラノのスカラ座に加えて、既報の通りルツェルン音楽祭の祝祭管弦楽団をも率いることになった。彼がいま以上にこのオーケストラと縁を深める可能性は低いだろう。


前回の選任時、ラトルとともに最終候補となったひとりであり、ベルリンを舞台に八面六臂に活躍するマエストロ、ということもあってダニエル・バレンボイム(1942-)も有力ではないかと囁かれた。シュターツカペレ・ベルリンでのオペラ、オーケストラでの活躍、そしてピアニストとしての活動と、ベルリンで賞賛を集める彼の最後の大仕事としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のシェフに、という想いは理解できる。

しかし彼はあまりに多忙だ……おそらくはその点が前回もマイナス要素になっていたのではないだろうか?それに来年2月の来日公演で予定されているブルックナー交響曲チクルスのように、これからも彼は自らの企画で輝き続けるだろう、そのパートナーはベルリン・フィルではないとしても。個人的には、中東の平和に寄与するため彼自身が設立したウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団との活動に注目している。併せて現代を代表する世界的知識人の一人としての発信にも期待したい。


ちなみに、この三人は現在発売中の「レコード芸術」誌の特集「現代の名指揮者ランキング2015 ~30人の評論家が選んだ現役指揮者トップ10~」でも上位にランク付けされている。興味のある方はぜひ雑誌をご覧いただきたい。

この三人の他にも、願望希望の類いを含めればまだまだ多くの名前がベルリン・フィルと絡めて取り沙汰された。伊達にラトル退任の発表から二年半もの時間があったわけではない、というべきか。

たとえばベルナルト・ハイティンク(1929-)を挙げる声もあったのだが、さすがに彼では高齢に過ぎよう。昔話なら、80代のピエール・モントゥーがロンドン交響楽団と「25年契約」を結んだ伝説があるけれど……

ハイティンクは待望のロンドン交響楽団との来日公演ももうまもなくだ。これからも世界中の名門と、充実した円熟期を少しでも長く続けていただきたいものである。


なお、ここまでの文中に挟んだ動画はYouTubeで提供されている、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が自ら行っているライヴ配信サーヴィス「デジタル・コンサートホール」からの抜粋を使用した。有料のサーヴィスだが、このオーケストラのファンであれば登録して損することはないといえよう。

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さて、ここまで何人かの「候補」について見てきたが、少しベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者という存在、そのものについて考えてみたい。

20世紀からこのオーケストラに選ばれた首席指揮者たちはヴィルヘルム・フルトヴェングラー(36歳)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(47歳)、サー・サイモン・ラトル(47歳)と、皆その当時まだ若手指揮者と扱われる年齢だった。第二次世界大戦後の緊急対応としてこのオーケストラを率いたレオ・ボルヒャルト(46歳)、セルジュ・チェリビダッケ(33歳)のふたりを加えてみてもいい。思うに、この常に貪欲に高みを目指すオーケストラの指揮者で在り続けるためには才能はもちろん、ある程度の若さが、そこに由来する力が必要なのだ。年に数回の演奏会程度のつきあいならまだしも、年間を通じてこのオーケストラとつきあうのだ、相当のエネルギーが求められもしよう。

なお、ラトルの前任であるクラウディオ・アバド(57歳)は60歳を前にしての就任だったが、これは「終身指揮者の逝去」という緊急事態を受けての例外的判断とみなせるだろう、危機の時にはより堅実な選択がなされるべきなのだから。それにしても、カラヤンの逝去とアバドのベルリン・フィル首席指揮者就任という音楽界の一大事が、このオーケストラを特別な存在とした要因のひとつである冷戦の終了とまったく重なる時期に起こったことは、今から考えればあまりに象徴的な変化で、出来すぎとさえ思えてくる。 ※()内は就任当時の年齢

また、ベルリン・フィルはこれまで折にふれて自分たちを「過去の展示物を示すだけの博物館のような存在にしたくない」という意志を示してきた。これはもちろん巨匠たちとの共演を拒むという意味ではない。現在のベルリン・フィルはすでにできあがっている何かよりも、「自分たちだから、これから創り出せるだろう何ものか」を強く求める、より未来志向のオーケストラでありたい、という自己認識であり、理想像の表明なのだ。

そのヴィジョンにおいてベルリン・フィルと、たとえばウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は根本的に異なる存在だ。20世紀にベーム、カラヤンやバーンスタインら、ウィーン・フィルと長年共演を重ねた「仲間たち」の晩年を美しく飾ったようなケースは、いまのベルリン・フィルの首席指揮者選択にはまったく当てはまらない。この点において、世界で最も人気のある二つのオーケストラは違うのだ。もっとも、ウィーン・フィルにそのようなポストは存在しないけれど(お断りさせていただくが本稿ではこれ以上この話はしない、思うところはあるけれど)。

こういった要因を踏まえれば、今回ベルリン・フィルの首席指揮者が共演を重ねてきたマエストロたちからは選ばれなかったのは自然なことに思える。今年5月にオーケストラがひとりを選びかねたあの日以降に「ヴェテラン勢を中継ぎ的に迎えれば」といった意見もよく見かけたが、現実的にはそのような対応もまた考えにくい。もしほんとうに「空位は困るがまだ適任者を選びかねる」ということならばサー・サイモン・ラトルに「あと一年時間をくれないか」とお願いすれば済む、それになにより中継ぎなんて「不明瞭で不安定なポスト、のようなもの」を信頼の置ける指揮者に差し出すオーケストラは相当に不誠実に思えるが如何だろう?「すでに実績のある年配のマエストロをなにかしらの役に」と団内で現実的に議論された可能性はない、と言いきってしまってもいいように個人的には思う。

しかしこの結論は、繰り返しになるが選ばれなかった彼らの価値や、今後の共演を否定するものではない。それどころか2018年からキリル・ペトレンコとの仕事が進む中で、彼とはまた違った個性を持つ客演指揮者たちがより強く求められるだろう。思い返してみよう、アバドのオーケストラにヴァントやブーレーズが、ラトルのオーケストラにアバドやアーノンクールが登場して、ときの首席指揮者とはまた違う音楽でオーケストラの魅力を引き出してみせたことを。ベルリン・フィルがペトレンコの時代を迎えたそのときにも、文中で言及した彼らやここでは触れられなかったムーティや小澤など常連の指揮者たち、そして近年評価を高める一方のブロムシュテット、もしかすると未だ知られていない巨匠たち、そういった面々がペトレンコとはまた別の魅力でこのオーケストラを輝かせてくれることだろう。

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さて、長く続いたシリーズ「ベルリン・フィルと指揮者たち」は次回が最終回、なんとかシーズン開幕前にはお届けする予定だ。最終回は今回とは逆にペトレンコに近い世代、そしてより若い世代の指揮者たちについて考察する。「ペトレンコの次」の指揮者はそこにいる、のかもしれない。

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