しりあがり寿×天野天街が語るKUDAN Project『真夜中の弥次さん喜多さん』~三都市ツアー直前、「わかんなさ」を表現する愉楽
(左から)天野天街、しりあがり寿。天野のコラージュ作品の展覧会「揚輝荘天街展」を開催中の「揚輝荘 聴松閣」にて。 [撮影]吉永美和子(人物すべて)
ゲイのカップル・弥次さんと喜多さんが、お伊勢参りに出かけた東海道の各宿場町で、奇々怪々な出来事に遭遇しまくる珍道中を描いた、しりあがり寿の傑作漫画『真夜中の弥次さん喜多さん(以下弥次喜多)』。小説や映画などのメディアミックスも盛んな本作を、いち早く演劇にしたのが、天野天街(少年王者舘)が作・演出を務める名古屋のユニット「KUDAN Project」だ。漫画だからこそ可能な描写と展開に満ちた原作に対し、ワンシチュエーションの二人芝居という、これ以上はないほどシンプルな構造で舞台化。原作が本質的に持つ哲学と酩酊感を、見事に違うカタチで表現してみせて、国内外各地で絶賛されている。
この作品が4年半ぶりに再演されるのを目前に、しりあがり寿と天野天街の対談が実現。『弥次喜多』についてはもちろん、お互いのワークの共通点や共感点、さらに毎年タッグを組んでいるロックフェス「さるハゲロックフェスティバル」など、多岐にわたって語ってもらった。
■「複雑で曖昧な人間の意識を、丸ごとちゃんと表現したいんです」
──しりあがりさんの作品の舞台化は、この作品が初めてだったんですか?
しりあがり:それまでなかったんじゃないですかね?
天野:しりあがりさん自身は、演劇をやってたそうですけど。
しりあがり:そうそう。安齋肇(イラストレーター)さんとなんきん(WAHAHA本舗)さんと「NAS(なす)」って劇団を。そもそも「打ち上げが楽しい」というのが、演劇を始めた動機だったの(一同笑)。いろんな打ち上げに参加してたんだけど、人の打ち上げでもこんなに楽しいんだから、自分たちで作った芝居だったらもっと楽しいだろう、と思ってさ。
天野:しりあがりさんが(脚本を)書いてたんですか?
しりあがり:俺が書いてたけど、あまり思い出したくない(笑)。何かすごく混沌としたものでしたね。だから実際の打ち上げでは、ちゃんと演劇をやってる人に叱られました。「こんなお芝居やっちゃダメ」って(一同笑)。
天野:反省会が(笑)。楽しくない打ち上げですね。
──しりあがりさんは「長編をやりたい」というのがきっかけで『弥次喜多』を描いたと、KUDAN ProjectのHP内のインタビューで語ってましたが。
しりあがり:会社勤めを辞めたところだったから「長い話が描けるかな」と思ったんです。でも最初、この弥次喜多のアイディアは読み切りで、しかも面倒くさいから奥さん(漫画家の西家ヒバリ)に描いてもらおうって。
天野:「やっと長いの描けるぞ」と思ってたのに、面倒くさくなるって(笑)。
しりあがり:でも断られちゃった、西家さんに。それでしょうがないから自分で描いたら、すごくデタラメなことができる構造だから、案外面白くなるかもって思い始めたんです。
しりあがり寿。
天野:最初の方は、ほぼ一話読み切りでしたよね。
しりあがり:宿(一話)ごとに割と完結してたけど、だんだん一話でオチを付けるのが面倒くさくなってきて。いろんな人に聞いても「長編にした方が楽だし、物語が走り出してすごい連載になるかもよ」と言われたから、だったらそうしようかなと。でも実際は、そっちの方が大変だった(笑)。
天野:楽しようとしたのに(笑)。
しりあがり:最初のペースで踏みとどまってたらよかったなあって、今でも思う。しかも連載してた雑誌が潰れたから、最後急にまとめざるを得なくなったし。
──『弥次喜多in DEEP』という続編もありますが、こっちの方がタイトル通り、よりディープですよね。
天野:『真夜中』も面白かったけど、『DEEP』は絵画的にもすごい所まで行っちゃってましたね。後半は神とか何かもう、ものすごいことになってました。
しりあがり:でもそっちの方は、編集の人から「どうも読者がついて来ていないようです」と言われて、夢オチで終わらせちゃった。今でも覚えてるけど、手塚治虫先生の漫画の描き方か何かで、悪いオチの例として、ライオンに追われて崖から落ちたら夢でした、っていう4コマ漫画があって(一同笑)。
天野:漫画の神様に、厳しく戒められてる。十戒みたいに(笑)。
しりあがり:でも天野さんと僕で共通してる感じとして、夢の重要さってあると思うんです。普通夢ってありえないことで、そこに逃げるのはズルいことだと思われてるけど、じゃあ現実がそんなに偉いのか? っていうと、そんなことはない。夢と現(うつつ)の比重って、そんなに変わらないんじゃないかなあ。
天野:本当にそうですよね。境界線なんてものは……『弥次喜多』がまさにそうだけど、夢と現の「現」の方を、あんまり感じない。
しりあがり:ほぼ夢だ、っていう。
天野:そもそも夢と現の二元論みたいな感じが、全然しないんですよ。夢も現も、もうはなから一緒くたな感覚。
しりあがり:いわゆる現実的なドラマのような、平坦なものじゃない。この世界のとらえ方がね。人間の意識って、複雑で曖昧でよくわかんないものだけど、それが実はすごくダイナミックだったりするじゃないですか? それを表現したかったし、今もやりたいと思ってる。
天野天街。
──曖昧な意識をビジュアル化するという。
しりあがり:そうそうそう。皆さん誰もがそうだと思うけど、この世界をとらえる時って、そんなにキレイに因果関係が進んでいくわけがないんだよね。主役も脇役も、嘘も本当もわかんない。そんなとっ散らかった情報を、人って勝手に都合よくお話に組み立てるけど、本当はもっとカオスなはずじゃないですか? よく満天の星を見て「なんとか座だ!」とか言うけど、あんなのはデタラメに並んでるだけじゃないかって。
天野:つなげて喜んでるのはいいんだけど。
しりあがり:勝手に整理すんなよ、って思う。僕はその満天の星を、満天の星のままで表現したいんでしょうね。何かそれでいいじゃん! って。
天野:「リアルじゃねえなあ」って思いながら?(笑)いわゆる「リアル」を「漫画」や「演劇」に求めても、それらは元々「リアルの写し」であるわけだから、どんなに作り込んだってそれ自体「リアル」ということにはならない。むしろ求めれば求めるほど、そっちの方が夢っぽく見えたりする。だから、いわゆる「リアリズム演劇」とかを観てると「ああ、夢っぽいなあ」って思ったりします。
しりあがり:どんどん加工してる感じなんですよね。「上手に嘘をついている」というのに過ぎないというか。曖昧なこととか、よくわかんないことに対しては、下手に整理とか加工とかをせず、丸ごとちゃんと表現できたらいいなと思う。
天野:夢を描いてるんじゃなくて、描いてること自体が夢なんだなあ、とか。夢を描くんじゃなくて、夢が描く。
「揚輝荘天街展」の作品を共に鑑賞するしりあがりと天野。
■「主観がブレるとかズレるとかなくなるとか、そういうのが楽しい」
──初演を観た時の感想って覚えていらっしゃいますか?
しりあがり:「上手だなあ」と(一同笑)。よくもまあ、まとめたなあというかね。イメージの百花繚乱みたいな内容から、よくもあれだけ削ぎ落として、エッセンスだけをちゃんと取り出してみせたものだと感心しました。
天野:おっしゃられたように、原作は何かの表現の百科全書みたいな、本当にあらゆるものが詰まってるわけですよ。それを1時間半かそこらの二人芝居にするなんて! めくるめくイメージの原形質や塊が、そこいら中ゴロゴロ転がってるんだけど、それを全部取り入れるなんて所詮無理だし、きっと演劇としては面白くならないんじゃないかなと思ったんです。
──それで取った手段が、どんどん場所が変わっていくロードムービー風の原作に対して、逆に一つの場所から一切動かないワンシチュエーションものだったと。
天野:この面白さを演劇に置き換えるのに、利用できる装置はないか? と考えてたら『弥次喜多in DEEP』の中の「振り出しの畳」が浮かんだんです。畳のある部分を踏むと、踏む前の時間に戻ってしまう……というエピソード。時間が繰り返し、振り出しに戻ったりするネタは大好きだし。さらに「振り出し」と「雨が“降り出し”た」を掛ければ、雨で足止めされてしまって、進みたくとも進めない状態が表せるかな、とか。そういう連想を、どんどん重ねて作っていきました。
しりあがり:雨の降り出しと振り出しを掛けてるの、今初めて知ったかもしれない(笑)。
天野:とにかく「進まない」ってことにしておかないと、あのものすごいビジュアルには太刀打ちできないな、と。あとは、2人がカマボコみたいに一緒くたに、混ざったり溶け合っているイメージ……たとえば弥次さんと喜多さんの右手と左手が、うどんのようにくっついて伸びていく、とかの絵は使えそうだなとか。演劇でそれを表現するのは難しいけど、だからこそやる気が出る、できるかも、っていう所を残していくという作業でした。
まさに「2人が一緒くた」なビジュアルを使用した、KUDAN Project『真夜中の弥次さん喜多さん』公演チラシ。
──一応原作の物語をなぞっているのに、原作とは程遠い印象の演劇や映画もあったりしますが、ほとんどオリジナルストーリーなのに、ものすごく「原作通り」と思えるのが、KUDAN版『弥次喜多』の面白い所ですよね。
しりあがり:もともと『弥次喜多』は、さっき言った「わかんなさ」が描きたかったんだよね。あの連載を始めた頃は、オウム真理教の事件があったり、ゲームが流行っていたりと、リアリティーに対する疑念みたいなことが世の中を覆ってた。自分たちの住んでいる世界と架空の世界が、何となく曖昧になってきているという。その「何がリアルかわかんない」っていうのが一番大切で、それをどう乗り越えるかということを描こうとした作品なんです。だからその感覚が出ていれば、ディティールはどうだっていい……よくないか(笑)。それぞれのやり方に任せたらいいと思うんですよね。
天野:わかんなさと、わかりにくさは違うから、わかりやすく、わかんなさをしないとね。
──その「わかんなさ」さえ大切にしてくれれば、何でもアリだと。
しりあがり:そうそう。わかんなさって、不安とエクスタシーの両方が入ってるじゃない? 溶けていくような官能の喜びがありつつも不安、という。そこがすごく出ていると思います。
天野:しりあがりさんの作品はすべてそうなんだけど、主観のブレ……弥次さんと喜多さんのどっちの主観なのか、どっちが主体でどっちが客体なのか、どっちがリアルなのか、どっちもリアルじゃないのか、とかがキチンと描かれてあるんです。それが一緒くたになって、溶けて混じって、それがまた世界と混じっていく。もう本当に何でもどうでもいいぐらい、溶け合って混じり合っているような感触。これがグッと来るし、そういうのは芝居にすると面白い。あと『弥次喜多』の天才的なところは、2人をゲイのカップルにしたことですよね。
しりあがり:男と女だと、どうしてもその間にドラマが生まれるからね。
KUDAN Project『真夜中の弥次さん喜多さん』2014年再演より。(左から)小熊ヒデジ、寺十吾。
天野:それが男同士だと、2人とも同じ側だから「1人」と同じに近い。なおかつ一方をシャブ中の幻覚持ちにすることで、どっちが観ている幻かがわからなくなったり、2人の間での五感の反転や、存在の取り替えっこのようなこともできる。
しりあがり:結局弥次喜多コンビって、あれは独り言を言って歩いてるのと同じなんです(一同笑)。1人の人間が、自分で自分にツッコんだりしたらああなる。
天野:引いては「自分も居ないんじゃねえか?」っていうぐらいの虚無感が、ちゃんと。
──天野さんの世界も、主観をどんどんズラして「これは誰が見ている風景だ?」ってなるようなものが、すごく多いですよね。
天野:そういうのが一番面白いというか、楽しい。特に演劇は、役者という有機生命体がやってるから、いっそう生々しく、面白いことになるんです。主観がブレるとか、ズレるとか、なくなっちゃうとか。そういうことを自分では楽しいなあと思ってやっています。
しりあがり:僕も王者舘を観てて、それが面白いんですよ。ただ役の名前が、全然覚えられなくてねえ(笑)。
天野:役の名前なんてどうでもいいんですよ。王者舘にしても、いっぱい人が出てきますけど、全部独り言を言ってるだけだから(一同笑)。
(左から)しりあがり寿、天野天街。
■「『弥次喜多』は、もう一つ“宿”があってもいいんじゃない?」
──お2人は漫画と演劇という違うフィールドで活躍してらっしゃいますが、たとえば「演劇のここにはかなわない」とか「漫画のここだけは表現できない」とか、そういう思いを感じたりするんでしょうか?
しりあがり:でも案外、漫画とお芝居って似てるんですよ。約束事がハッキリしていて、観る側もその約束事に則って観てくれるという。たとえば演劇で、同じ人が違う役で出てきても、みんな「違う役で出てたのにおかしい!」って、プンプン怒んないじゃん?(笑)
天野:「おかしい」と思う、そのこと自体が面白かったりもしますよね。
しりあがり:確かに案外変な表現ではあるけど、漫画もそれに近い約束事があるから、そういう意味じゃあ似ている所があると思う。ただやっぱりね、漫画は時間の流れを作る側がコントロールできないんだよなあ、お芝居みたく。
天野:約束事の上でしか、コントロールができないってことですよね。
しりあがり:そうそう。ビックリさせたい時は、ただコマを大きくすりゃいいっていう便利な所もあるけど(笑)、基本的に時間をコントロールすることはできない。
──時間の操作って、読む側が勝手に物語を中断できるとか、そういうことですか?
しりあがり:そういうこと。物語の途中で、別のことをしたりできるってね。それは読者にとっては便利なんだろうけど、そこが寂しい。どこで止められるかわからないというのが。じっくり観てもらおうと思ったら、何コマも同じシーンを描くしかない(一同笑)。
天野:登場人物に、ページをめくる速度を強要するセリフ吐かせたり(笑)。漫画ならではのいろいろな縛りの中で、しりあがりさんのアイディアがどんどん満ちあふれた結果が、今の状態ですよね。もうやることをやり尽くしている。
しりあがり:でも、そういう約束事を裏切るみたいなのは、天野さんなんかも。
天野:まあ、同じことですね。プンプン怒る人の側に立って(笑)、後ろめたくもメタな所にどうしても行きたくなるという、ウシロメタフィクションです。
「揚輝荘天街展」のイベントとして行われた、しりあがりと天野のトーク。「揚輝荘天街展」は11/30まで、名古屋の「揚輝荘 聴松閣」で開催中。
──舞台版『弥次喜多』は、そんなウシロメタな仕掛けが百花繚乱な所も見どころですよね。また天野さんは、しりあがりさんだけでなく鈴木翁二さんの作品も舞台化したりと、漫画とは相性のいい演出家ではありますが。
天野:その2人は全然違うし、一緒くたにはできないんだけど、やっぱり共通項としてあるのは、どう考えても漫画でしかできないニュアンスっていうものを、とことん追求しているんだな、と。だから安易に演劇に置き換えることができないし、置き換えたらフワッとはかなく消えてしまうような、何か大切なものをはらんでいる。だから「安易に置き換える」のではなく、別口の切り込みみたいなのが必要になってくるんです。それは当然で、自明のことではあるんですけど。
──あとお二人のワークとして、毎年しりあがりさんが企画して、天野さんが演出で参加している「さるハゲロックフェスティバル」もありますよね。
しりあがり:うちの会社(有限会社さるやまハゲの助)の社内ロックフェスで、それ以前にも二回ぐらいやってたんです。でももっとカオスにしたくなったし、このままじゃあフジロックには勝てないなあと(笑)。それで「何か演劇的なものを入れたい」と考えた時に、ロックフェスに一番親和性があるのは天野さんだと思ったんです。
天野:でも誘われた時は「楽しい宴会を一緒にやりませんか?」って(一同笑)。それこそ最初に話した、打ち上げの話と通底してるんですよね。何かの考え間違いから出発してる。
しりあがり:そもそも何で天野さんかって言うと、王者舘って音の力が強いじゃないですか? 前後の因果関係がわからなくても、音や絵がしっかりしてるから、その場面しか観ていないお客さんにとっても有効なんです。そういう意味ではロックフェス向きだし、天野さんしかいないなあと思って、総合演出をお願いしました。
天野:でも僕、「幻演師」なんて御大層な名を付けられてるけど、何もやってないんですよ、いまだに。「演劇的なものを入れる」と言われたけど、演劇的なもの自体が自分の中で壊れちゃってるんで、それも無理だし。そもそも厳密に、始めがあって終わりがある、という演し物ではないから、その点では向いてるのかもしれないけど。
しりあがり:いやでも、やっぱり天野さんが来てくれたことで、ちゃんと全体に不思議な色が付いてきてるんですよ。普通のロックフェスじゃないっていうか、ロックじゃない感じが(一同笑)。それは狙ったわけじゃなくて、自然とそう育ってきたんです、本当にね。
天野:結局「混沌」ということが、一番したいんですよね。飲み会においての混沌と同じような質感のもの。まだいろいろ悔しい部分はあるんだけど、しりあがりさんと一緒にいろいろ考えたり、やるってことは、もう楽しくてしょうがない。
しりあがり:まあ来年は「平成最後の新年会」ってことで、また結構楽しいものになると思います。僕なんかが気づかない所で、まだ可能性を秘めている気がするから。
今年1月の『しりあがり寿presents 新春! (有)さるハゲロックフェスティバル'18』フィナーレ。中央で歌ってるのがしりあがり寿。 [撮影]吉永美和子
──その前に『弥次喜多』があるわけですが、しりあがりさんはこれまで何度か観ていく中で、初演とは印象が変わったとか、新たな気付きがあった所はありますか?
天野:でも、そんなに何回も観てないですよね。
しりあがり:初演と静岡(2014年再演)ぐらい。静岡で観た時「結構変えましたよね」って言ったかもしれないんだけど……。
天野:脚本レベルでは、初演とは何も変えてないですね。演出は、役者に何か面白い変化が生まれたら、そこに注目して変えていく、また自然に変わっていく、っていうことはあるんだけど。
しりあがり:要するにね、観る方も変わっていくってことだよね。
天野:それもあるし、観客というものは……実は自分もそうだけど、意外とそんなに舞台全部を観れていない(笑)。だから何回か観ると「あんなシーンあったっけ?」みたいな発見は、絶対にあるんです。
しりあがり:そうそう、前回は気づいてないという。「あれ、ピザじゃなくてうどんだったかなあ?」とか。(注:ピザが出てくるのは、KUDAN Projectの別作品『くだんの件』)
天野:もういろいろ混じっちゃってる(笑)。でも全然いいと思うんです、それで。
──久々の再演に向けて、しりあがりさんからKUDAN Projectに向けて、エールみたいなものがあればお願いします。
しりあがり:本当に、もっともっとやってほしい舞台ですね。もう一つぐらいどうですか? 宿。「振り出しの畳」だけじゃなくて。
天野:そうしましょう! 演目を決めるのは僕じゃなくて小熊(ヒデジ)さんだから、(伊丹公演の)トークの時にそれを言うと、小熊さんはピキーン! って来ると思いますよ。もうイチコロ(笑)。
しりあがり:俺だけじゃなくてお客さんも「もう一つぐらい宿があっていいんじゃないか」って、思ってるんじゃないかなあ。今ある話の中から探してもいいんだけど、新しくアイディアを提供したり、何なら作品を描き下ろしてもいいかなあと思うんです。原作は静岡辺りで終わってるから、「尾張(オワリ)の宿」を新しく作るっていうのでどうでしょう?
天野:是非! 今の言葉、忘れないでくださいね。
(左から)しりあがり寿、天野天街。
取材・文=吉永美和子<
公演情報
■原作:しりあがり寿
■脚本・演出:天野天街(少年王者舘)
■出演:小熊ヒデジ(てんぷくプロ)、寺十吾(tsumazuki no ishi)
〈名古屋公演〉
■日程:2018年11月29日(木)~12月2日(日)
■会場:ナビロフト
※1日夜公演終演後、ポストパフォーマンストーク開催。ゲスト:諏訪哲史(作家)
〈伊丹公演〉
■日程:2018年12月7日(金)~9日(日)
※8日夜公演終演後、ポストパフォーマンストークを開催。ゲスト:しりあがり寿(漫画家・原作者)
■会場:AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)
■日程:2018年12月15日(土)・16日(日)
※15日公演終演後、ポストパフォーマンストークを開催。ゲスト:土田英生(MONO主宰・劇作家・演出家)
■会場:四日市地域総合会館あさけプラザ
イベント情報
名古屋市民芸術祭2018主催事業
『揚輝荘天街展(ヨウキソウテンガイテン)』
■開催日時:開催中~11月30日(金) 9:30~16:30
■会場:揚輝荘南園 聴松閣
■入場料:一般300円、名古屋市内在住の65歳以上100円、中学生以下無料
■問い合わせ:名古屋市文化振興事業団ガイド 052-249-9387(平日9:00~17:00)
■公式サイト:https://www.yokiso.jp/event/20181115.html
イベント情報
■奇画(きかく):しりあがり寿(有限会社さるやまハゲの助)
■幻演師(げんえんし):天野天街(少年王者舘)
■出演:あんじゃいはぢめ(安齋肇)、小野瀬雅生、顔田顔彦、川村亘平斎、キュリアス、こまっちゃハンパ(梅津和時)、出張◎娯楽百貨、入船亭小辰、サイモンガー・モバイル、Scientissimo(菊池誠 with みねことこみね)、下八、親戚(しりあがり寿)、ザ・スリーメン、たけみごはんにホット“グリグリ”ケーキ DX、知久寿焼、剛連合、ねこと花かんむり、恥御殿、パスカルズ、バナナシスターズ、パンチの効いたブルース、まじまんが、まつもとかなみ、三浦カズー、宮崎吐夢+東葛スポーツ(金山寿甲)、魅惑の深海パーティー with W・H・M's、無辺のデデ、妖精達、ロミハリマリー、ほか
※出演者五十音順。随時追加・変更あり。
■日時:2019年1月26日(土) 16:00~翌朝3:00頃終演予定
■会場:新宿LOFT
■公式サイト:http://www.saruhage.com/sarufes/sarufes19/