次世代のフラメンコギターを担う徳永兄弟が生み出す『NEO FLAMENCO』とは~デビューアルバム記念インタビュー

インタビュー
クラシック
2022.9.28
徳永兄弟(徳永健太郎、徳永康次郎)

徳永兄弟(徳永健太郎、徳永康次郎)

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次世代のフラメンコギターを担う徳永兄弟が、メジャーデビューアルバムをリリースする。『NEO FLAMENCO』と題し、伝統的なフラメンコを受け継ぐオリジナル曲をはじめ、クラシック、ラテン、ロックなどさまざまなジャンルの音楽をフラメンコアレンジした楽曲など、挑戦的な1枚となっている。2022年11月からはツアーも開催される彼らに、フラメンコの魅力など話を聞いた。

――お2人はお父さまがフラメンコギタリスト、お母さまがフラメンコダンサーで、小さい時からフラメンコに触れられるご家庭だったそうですね。

健太郎:そうですね。フラメンコが何なのかもわからないくらい小さいころから、ライブなどに連れて行ってもらいました。両親の舞台をみたり、練習しているところを聞いたりして、車の中でもずっとフラメンコのCDが流れていましたから。常に音楽が鳴っている家でしたよ。

康次郎:下手なCD屋に行くよりも、家にあるCDやレコードのほうが多いくらいなんです(笑)。今でも携帯にはフラメンコの音楽しか入っていないかも。

健太郎:そこはもちろん、勉強のためとかそういう部分もありますけど……でも小さい時からずっと、フラメンコはカッコいいって思っていましたし、そこは今も変わっていないですね。

――そうなるとレッスンも厳しかったのでは?

康次郎:そこはあんまりなんですよ。やりなさい!って強制されたことはないし、父はやりたくなったらやればいい、っていうスタンスでした。

健太郎:小さい時はうまく弾けたらシールがもらえる、みたいな感じで、シール欲しさにやってました。

康次郎:でも人前で演奏するのは気持ちよかったので、そのために集中して練習する、っていう感じでした。老人ホームとか保育園とかで演奏させてもらえていたので。僕は少しでも難しいことをやらせようとすると怒っちゃうから、ずっと簡単なことばかりやらせてたと、最近になって聞きました(笑)。とにかく、楽しく弾いて欲しかったんだ思います。

――プロになろうと思ったのはいつごろでしょうか。

健太郎:中学を卒業するときですね。周りは高校に行くし、一応、音楽で高校に行こうと思ってピアノとかもやったんですけど、僕にとって音楽=フラメンコだったので、何か違っていて。調べていたら、スペインにフラメンコ専門の学校があると知って、そこに行くことを決めました。ほかに特技もなかったし、崖っぷちだったので、必死になりましたね。

康次郎:僕の場合は、小学校はサッカー部、中学は卓球部で、けっこう頑張っていたんですよ。卓球で推薦がもらえそうだったので、それで高校は行こうかと思っていたんですが、兄がスペインから帰省したときに見違えるように上手くなっていたんです。正直、中学の頃は部活ばかりでギターはやっていなかったんですが、僕が日本の高校に行ったら、その間に兄はスペインでギター上手くなって、ものすごく差がつく。それがなんだか悔しくて、そこで僕もスペインに行きたいと思うようになりました。

――高校進学を卓球の推薦で、ということは、卓球もかなり本格的にやられていたと思います。それでもフラメンコギターを選んだのはなぜでしょうか。

康次郎:正直、中学のころはギターも一切弾いていなくて。卓球の練習はまったく苦じゃなくて、毎日練習に行きたくて、家にも卓球台を買って。父も元卓球部だったので、家でも父が一緒に練習してくれていました。でも、ある一定のところで全然勝てなくなったんです。僕は中学から卓球を始めたんですが、もっと小さいころから始めている相手には、まったく勝てなくなった。すごく大きな壁を感じたんです。高校に行ってもプロにはなれない気がしました。そこで、自分が小さいころからやっているものは何だろうか、って考えたら、フラメンコギターしかない、って思ったんです。そっちのほうに、可能性を感じました。……あと、卓球で高校に行ったら坊主にしなきゃいけなくて、それも嫌だったんですよね(笑)。

――スペインでの生活はいかがでしたか?

健太郎:もう、すべてがカルチャーショックですよ。学校での学びだけじゃなく、生活の中にあふれている人としての生き方がすごく刺激になりました。こういう生き方をしているから、こんな曲が生まれたんだ、と実感できましたね。やっぱり、話す言葉から食事、文化、すべてが違いましたから。

康次郎:学校もすごいんです。朝9時から4時間半、月曜から金曜までみっちりと時間割があって、授業には歌の本場の人やギタープロが教えてくれるし、踊り伴奏には自分のためにダンサーの方が踊ってくれる。それを続けていたら、いつの間にか上手くなっていました。最初は、親から支援してもらって学費も払ってもらっているんだから……みたいな気持ちでしたけど、実際にライブにでて”これって1年目のアレだ”とかを感じるたびに、すごい環境だったんだな、と思います。

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