【THE MUSICAL LOVERS】『レ・ミゼラブル』~第一章:中身の偉大さ編~[連載第二回]
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パーソナルな観劇歴の紹介にお付き合いいただいた序章に続き、いよいよ本題に入る。ミュージカル『レ・ミゼラブル』がなぜ30年以上にわたって世界中で上演され続けているのか、まだ観たことのない人にも伝わるように語る。という目標を掲げた以上、まずは基本情報として、軽くストーリー紹介から始めてみたい。
普遍的なストーリーと、その語られ方
些細な罪で19年間も投獄されていたジャン・バルジャンは、仮釈放後、司教に諭され正しい人になることを誓う。8年後、名を変え市長となっていた彼の工場で、女工ファンテーヌが宿屋に預けた一人娘コゼットを心配しながら命を落とす。娘を託されたバルジャンは、自分の過去に気づいた刑事ジャベールの追跡を振り切って宿屋へ。テナルディエ夫妻にこき使われていたコゼットを救い出し、娘として育て始める。10年後、大人になったコゼットは革命に燃える学生たちの一人、マリウスと恋に落ちる。だがそこにジャベールの足跡が忍び寄り、バルジャンはコゼットを連れて遠くに逃れることを決意する。
マリウスはコゼットを想いながら、アンジョルラス率いる学生軍の一員として砦で戦っていた。エポニーヌもまたマリウスに想いを寄せているが、彼はそれに気づかず、コゼットへのラブレターを彼女に託す。その手紙で娘の恋を知ったバルジャンは、マリウスを救うため砦へ。そこにはスパイ容疑で捕えられたジャベールがいたが、バルジャンは彼を解放。悪人と信じてきた男に命を救われ、ジャベールは混乱する。そして砦では、ついに最後の戦いが勃発。ケガを負ったマリウスを担いでコゼットの元に運んだバルジャンは、二人の将来を思って姿をくらまし、一人静かに死を迎えようとするのだが…。
「軽く」と言った割に長いな、と思ったむきもあろうが、これでも精一杯コンパクトにまとめようと試みた結果である。もちろん例えば文字数制限などがあれば、「神の存在に触れて改心した男の物語」とか、「異なる正義を持った二人の男の対立もの」とか、あるいは「激動の19世紀フランスを生きた人々の群像劇」などとすることはできるのだが、まだ観たことのない人にはやはり、同時に「母の愛」「疑似父娘の絆」「革命に命を燃やした若者たち」「三角関係の恋模様」を描いた物語であることも伝えたい。ちなみにこれは、太字で示した主要9役に的を絞った場合のまとめ方であって、実際はさらに多彩だ。
つまり、フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの長編小説を原作とする『レ・ミゼラブル』は、愛すること、闘うこと、赦すことといった、人間の普遍的な営みが多角的に描かれた、実に複雑で濃密な物語。そしてこの舞台の偉大さを簡潔に表すならば、「それだけの内容が、たった3時間の中で、完璧な形で語られていること」、この一言に尽きる。筆者などはもう、完璧な形で語られた内容以上に──いやその素晴らしさこそ偉大さの始まりなのだが──、完璧な形で語られているという事実そのものの尊さにクラクラしてしまうほどである。
雄弁で周到で、ズルい音楽
(左上から時計回りに)原型となったフランス版のCD、ロンドン版とブロードウェイ版のカセット、1988年に録音されたインターナショナルキャスト盤、1994年日本版のCD
この「完璧な形」の構成要素をひも解いていくと、まず音楽がある。通常ミュージカルにおける要といえば脚本と音楽だが、セリフが一切なく歌のみによって進行する『レ・ミゼラブル』においては、この二つは同義。ミュージカル初心者や未経験者からはよく、喋っている人が急に歌い出すことに馴染めないという声が聞かれるが、そもそも喋っている人が存在せず、始まった瞬間から囚人たちがもう歌っているのでその心配はご無用だ。
急かどうかではなく、囚人が歌うこと自体に疑問を覚えるというむきには、音楽の“ズルさ”を説いておきたい。試しに騙されたと思って、感動したドラマや映画のクライマックスシーンを、バックに流れる音楽を消して見てみてほしい。感動は間違いなく半減、もしくはどこかに飛んでいき、「なんだよ音楽のせいだったのか」とちょっとガッカリするはずだ。音楽には人間の琴線を直撃する力があり、ゆえに歌われることで、歌詞は言葉以上の意味を持つ。ミュージカルというのはそもそも、そのズルさを利用した表現形態だ。
そしてこの「人間の琴線を直撃する」楽曲作りにおいて、『レ・ミゼラブル』のアラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルクの能力は絶大である。ひと口にミュージカルのソングライターといってもタイプは様々で、例えばキャッチーさが信条の人もいれば、ポップさや洒脱さなどの全体的な雰囲気で引き付ける人、妙にクセになるメロディーで攻めてくる人もいる。その中で彼らの楽曲の特徴は、とにかく雄弁であること。時代の空気も感情のヒダも抽象的なメッセージも、何もかもを音楽で語ってしまうのだ。
例えば、ミュージカル俳優がテレビに出た時に歌いがちな《民衆の歌》。学生たちが戦いへの決意を漲らせる際に歌われるナンバーだが、無条件に高揚感が湧いて血がたぎる曲調であることは、単体で聴いてもお分かりいただけると思う。また例えば、ファンテーヌが絶望を吐露する《夢やぶれて》。スーザン・ボイルや華原朋美ら、多くのアーティストによってカバーされ今やスタンダードに近い存在となっているのは、涙腺を刺激するエモーショナルなメロディーゆえだろう。こうした琴線直撃型の楽曲が次々と登場する上に、同じモチーフが繰り返される仕掛けなどもあり、聴けば聴くほど周到な音楽である。
『レ・ミゼラブル』は、総合芸術!
「完璧な形」の構成要素をさらにひも解いていくと、そこには装置がある。照明がある。衣裳がある。観る者を19世紀フランスへと連れて行き、場面が次々と移り変わるストーリー展開に無理なく付いてこさせ、登場人物たちの心の動きに巻き込むのは、そうした視覚的な要素だ。そしてさらに、全てをまとめるものとして、演出と製作の力がある。各要素がどんなに素晴らしくても、それらが有機的に溶け合っていなければ素晴らしい作品にはならないわけだが、そして世の中には溶け合っていないミュージカルがあふれているわけだが、『レ・ミゼラブル』では見事なまでに全てが溶け合って一つになっているのだ。尊い。
その見事さにおいて、特に一幕と二幕、それぞれのラストシーンは著しい。一幕ラストの《ワン・デイ・モア》は、全く異なる状況にある登場人物たちの思いが一つの楽曲で表された、奇跡のようなナンバー。バルジャンはコゼットを連れて旅立つことを、学生たちは砦で戦うことを、ジャベールは砦に偵察に乗り込むことを、テナルディエ夫妻は戦いに乗じてひと儲けすることを決意し、それぞれが異なる「明日」を思って歌う。彼らがやがてある一つのフォーメーションを成し、そして歌声も一つに「明日がくれば…!」と歌い上げた瞬間に幕を下ろされたらもう、観客としてはそのあり得ない迫力に息を呑むよりほかない。『レ・ミゼラブル』の休憩時間が、常にどよめきから始まるのはそのためである。
二幕の《フィナーレ》も然りで、愛し合う若い二人の後ろに死者たちが並び立ち、美しい照明を浴びながら「明日は~!」と高らかに歌い上げた瞬間に電気を消されたらもう、立ち上がって拍手し、もう一度その瞬間を味わいたい中毒患者のように
ユゴーの名作のもとに集った多くの才能が、良いものを創るという崇高な意志を持って存分に力を出し合い、神が最後の仕上げを施した総合芸術。それが偉大なるミュージカル『レ・ミゼラブル』の真の姿だと、筆者は思っている。
(次回につづく)
第2回(第一章:中身の偉大さ編)
第3回(第二章:キャメロン・マッキントッシュ伝説)
第4回(第三章:日本版のココがスゴイ)
第5回(第四章:古今東西混合ベストキャストを考える)
第6回(最終章:間もなく開幕!今年の公演の見どころ)
■原作:ヴィクトル・ユゴー
■作詞:ハーバート・クレッツマー
■オリジナル・プロダクション製作:キャメロン・マッキントッシュ
■演出:ローレンス・コナー/ジェームズ・パウエル
■翻訳:酒井洋子
■訳詞:岩谷時子
■プロデューサー:田口豪孝/坂本義和
■製作:東宝
■公式サイト:http://www.tohostage.com/lesmiserables/
■配役:
ジャン・バルジャン:福井晶一/ヤン・ジュンモ/吉原光夫
ジャベール:川口竜也/吉原光夫/岸祐二
エポニーヌ:昆夏美/唯月ふうか/松原凜子
ファンテーヌ:知念里奈/和音美桜/二宮愛
コゼット:生田絵梨花/清水彩花/小南満佑子
マリウス:海宝直人/内藤大希/田村良太
テナルディエ:駒田一/橋本じゅん/KENTARO
マダム・テナルディエ:森公美子/鈴木ほのか/谷口ゆうな
アンジョルラス:上原理生/上山竜治/相葉裕樹
ほか
■会場:帝国劇場
■日程:2017年5月25日(木)初日~7月17日(月・祝)千穐楽
■会場:博多座
■日程:2017年8月
■会場:フェスティバルホール
■日程:2017年9月
■会場:中日劇場
■日程:2017年9月~10月
■『レ・ミゼラブル』日本公式サイト http://www.tohostage.com/lesmiserables/