【THE MUSICAL LOVERS】『レ・ミゼラブル』~第三章:日本版のココがスゴイ~[連載第四回]

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2017.4.17


いきなり身もフタもないことを言うが、西洋で生まれたミュージカルを最も自然に演じられるのは西洋人である。そもそも西洋人のほうが概して歌が上手いし、当たり前だが西洋人の役がすんなりハマるし、作詞作曲家が想定した意味と響きの通りに楽曲を歌えるというアドバンテージまである。それが重々分かっていても尚、筆者が日本版にこだわるのは、「自分の作品」として観たいから。いくらブロードウェイ詣でを20年続けていても、所詮アメリカの劇場における自分は客人で、尊敬や憧れは抱いても愛着を覚えることは少ない。『レ・ミゼラブル』との出会いはロンドンで、ブロードウェイ初演版にも並々ならぬ思い入れがあるが、それも日本版を経て「自分の作品」になったからこそだと思っている。

名実ともに非・赤毛物

そうは言っても、もし日本版『レ・ミゼラブル』が諸々のディスアドバンテージを乗り越えられていなかったら、愛着は持てるけどやっぱりブロードウェイ版とロンドン版に比べると見劣りはするよね、ということになっていただろう。そうなっていない理由について、冒頭に挙げた三つの要素を軸に考えてみたい。まず、「概して歌が下手」について。

これが乗り越えられているのはもう、日本版キャストが日本語詞に芝居の力で感情を乗せているから、という一言に尽きる。「感情が音に乗って飛んでくる」というミュージカルの醍醐味は、飛んできたのがどんな感情かが分かっていたほうがより味わい深く、ゆえに母国語で飛ばしてくれて、しかもそこに日本語ならではの繊細な機微を乗せてくれる日本版キャストは、たとえ声量や音程に物足りなさがあっても尊い。バルジャンのソロ《彼を帰して》は随所で超高音を擁する難曲で、歌ウマ西洋人バルジャンが音程を見事にコントロールしながら聴かせるそれはもちろん素晴らしいが、筆者などは時に、高音には少々難アリだが抜群の芝居心を持った日本人バルジャンが「月日の波に追われてやがて私は死ぬでしょう」と苦しげに吐露する歌声に、よりバルジャンを感じて心打たれたりするのである。

歌ウマ西洋人バルジャン代表、アルフィー・ボーの《彼を帰して》
 

次に、「西洋人の役がすんなりハマらない」について。かつて西洋劇が日本に流れ込んできた時、役者がカツラや、時に付け鼻まで施して演じた翻訳劇は「赤毛物」と呼ばれて揶揄されたと言う。最近ではそこまで極端な翻訳劇はあまり見かけなくなったが、不自然なカツラ姿の役者が殊更に西洋人っぽい身振りで「こいつぁゴキゲンな部屋だな!」とか言う姿に気分がシラけてしまった経験は筆者にもある。翻って『レ・ミゼラブル』日本版では、誰一人赤毛や金髪のカツラを着けていないことにお気づきだろうか。ミュージカル『レ・ミゼラブル』の登場人物はみな西洋人である前に人間であり、役者は一西洋人ではなくそれぞれの役を自分らしく演じる。カツラにも表れているその基本姿勢が、この作品を翻訳ミュージカルにありがちな違和感や気恥ずかしさとは無縁のものとしているのだろう。

正確かつ美しい、岩谷時子の日本語詞

最後に「作詞作曲家が想定した意味と響きの通りに楽曲を歌えない」問題だが、これについては故・岩谷時子の名訳がほぼパーフェクトに解決済みだ。よく言われているように、日本語は英語と語順が逆で、しかも母音を基調とした言語。「I LOVE YOU」は「私は 愛する あなたを」を意味する、英語なら3音で歌い切れるフレーズだが、「私はあなたを愛する」と直訳すれば実に12もの音を要する。そこで訳詞は大抵「愛してる」となるわけだが、そこでは誰が誰をという意味が抜け落ちている上に、作曲家が「LOVE」を際立たせようとして力点を置いたであろう2音目には、「愛し」ではなく「て」がきてしまうのだ。

翻訳ミュージカルがそもそも持つこうしたハンデに、音楽としての響きが損なわれることを許さない『レ・ミゼラブル』の作詞家と作曲家はさらに、「一音につき一語で、なおかつできるだけ英語と同じ母音を当てる」というとてつもない難題を課した。岩谷氏はこれをクリアしただけでなく、1曲全体の中で大意を伝えるやり方──例えば《民衆の歌》を、なんとなく闘志を感じさせる言葉を羅列しただけの歌にするような──に逃げることなく一つひとつのフレーズ内できちんと意味を伝え、さらにはリフレインや日本語としての美しさなど、趣きも捨てることなく仕上げている。これはもう、偉業としか言いようがない。

言葉だけでは伝わりづらいと思ったので具体例を挙げるべく、英語版と日本語版の歌詞を改めて見比べていたら、1曲目の《囚人の歌》にしていきなり名訳にぶちあたった。最初の数行こそ、筆者でもものすごく頑張れば思いつくかなぐらいの割と直訳に近い日本語詞が並んでいるのだが、囚人5の「How long, O Lord, Before you let me die?」、直訳すると「どれくらい長いですか神よ あなたが私を死なせてくれるまで」が「主よ主よ 殺してくれ」となっているのだ。前半を「主よ」としたのは明らかに、「long」「Lord」と同じ「O」の母音を当てるため。しかしそこで繰り返しを用いたために「一音一語」の貴重な「一音」を四つも使ってしまい、後半で使える音がわずか六つになってしまった。6音の中で同じ意味を表現するために、一体どれだけの可能性と選択肢の間をさまよったことだろうか。

歌詞引用のために参照させていただいた、1988年録音のインターナショナルキャスト盤(左)と1994年の日本人キャスト盤(右)のCDブックレット

歌詞引用のために参照させていただいた、1988年録音のインターナショナルキャスト盤(左)と1994年の日本人キャスト盤(右)のCDブックレット

大意に逃げない訳詞の成果

3時間超の舞台が全編こうした英知に彩られており、いちいち挙げていたら文字通りキリがないため、ここでは特にシビれる例をあと二つだけ紹介させていただく。一つは、バルジャンが元囚人であることを告白する《裁き》の「If I speak, I am condemned. If I stay silent, I am damned!(直訳:もし私が喋れば有罪判決を受け、もし私が沈黙を保てば永遠に罰せられる)」。これが「名乗れば牢獄 黙っていても地獄」と、母音こそ異なるが韻を踏むという点が踏襲された上に、「黙っていれば」ではなく「いても」と日本語ならではのニュアンスを加えて訳されている周到さにはもう、何度だってシビれられる。また、この曲の最後をはじめ何度か登場するバルジャンの囚人番号が、日本語では原作の「24601」ではなく、「01(オーワン)」の母音に合わせて「24653」となっているのはあまりにも有名だ。

もう一つは、エポニーヌがマリウスの腕の中で息絶える《恵みの雨》。前半ではエポニーヌが「マリウス、これでいいの」と一人で歌うフレーズを、後半ではマリウスが「ポニーヌ」と呼びかけ、それに応える形でエポニーヌが「これでいいの」と歌い継ぐ、その展開が涙を誘うナンバーだが、英語詞に二人の名前は出てこない。前半がエポニーヌの「You’re here.(あなたはここにいる)That’s all I need to know.(それが私が知るべき全て)」で、後半がマリウスの「I’m here.(僕はここにいる)」からのエポニーヌの「That’s all I need to know.」なのだ。「誰それはここにいる」ということを、たった2音で表現するのは不可能で、ここはさすがに大意に逃げても止むなしと思われるところ。名前で代用するというのは、感動ポイントを保持するための、まさに起死回生のアイデアだったと思えてならない。

英語版の《裁き》
 

だが、いかなる名訳をもってしても、当然だが原詞と全く同じにはなり得ない。訳詞の過程で抜け落ちた意味を補うのに必要なのもまた、歌唱力のカバーと同じくキャストの芝居力で、それがマリウス3人衆がインタビューで言っていた「訳との摺り合わせ」に当たる部分なのだろう。もしも『レ・ミゼラブル』の日本語詞が全体的に大意に逃げたものであったなら、日本語の分からない演出家にはどのフレーズでどんな感情を込めるべきかが全く分からず、その摺り合わせ作業は果てしなかったに違いない。音楽、ひいては作品の魅力を余すところなく伝えるだけでなく、連載第二章で述べたようなアソシエイト・ディレクターの活躍を可能にする地盤作りをも果たした岩谷氏に、改めて敬意を表したい。

次回につづく)

 
【THE MUSICAL LOVERS】 Season.1『レ・ミゼラブル』
第1回(序章:オタク歴編)
第2回(第一章:中身の偉大さ編)
第3回(第二章:キャメロン・マッキントッシュ伝説)
第4回(第三章:日本版のココがスゴイ)
第5回(第四章:古今東西混合ベストキャストを考える)
​第6回(最終章:間もなく開幕!今年の公演の見どころ)
 
 
公演情報
ミュージカル『レ・ミゼラブル』
 
■作:アラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルク
■原作:ヴィクトル・ユゴー
■作詞:ハーバート・クレッツマー
■オリジナル・プロダクション製作:キャメロン・マッキントッシュ
■演出:ローレンス・コナー/ジェームズ・パウエル
■翻訳:酒井洋子
■訳詞:岩谷時子
■プロデューサー:田口豪孝/坂本義和
■製作:東宝
■公式サイト:http://www.tohostage.com/lesmiserables/

■配役:
ジャン・バルジャン:福井晶一/ヤン・ジュンモ/吉原光夫
ジャベール:川口竜也/吉原光夫/岸祐二
エポニーヌ:昆夏美/唯月ふうか/松原凜子
ファンテーヌ:知念里奈/和音美桜/二宮愛
コゼット:生田絵梨花/清水彩花/小南満佑子
マリウス:海宝直人/内藤大希/田村良太
テナルディエ:駒田一/橋本じゅん/KENTARO
マダム・テナルディエ:森公美子/鈴木ほのか/谷口ゆうな
アンジョルラス:上原理生/上山竜治/相葉裕樹
ほか
 
<東京公演>
■会場:帝国劇場
■日程:2017年5月25日(木)初日~7月17日(月・祝)千穐楽
*プレビュー公演 5月21日(日)~5月24日(水)

 
<福岡公演>
■会場:博多座
■日程:2017年8月1日(火)初日~8月26日(土)千穐楽

 
<大阪公演>
■会場:フェスティバルホール
■日程:2017年9月2日(土)初日~9月15日(金)千穐楽

 
<名古屋公演>
■会場:中日劇場
■日程:2017年9月25日(
)初日~10月16日(月)千穐楽

■『レ・ミゼラブル』日本公式サイト http://www.tohostage.com/lesmiserables/

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