まさにパーフェクトな音楽家ハインツ・ホリガーの凄み
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ハインツ・ホリガー
楽器奏者、作曲家、指揮者……その全てにおいて第一級の評価を勝ち得た類まれなる音楽家ハインツ・ホリガー。とりわけオーボエ奏者としては、この楽器が成立してから200年余りにわたる歴史のなかでトップクラスに君臨する存在なのは疑いようがない。彼は、5月に東京オペラシティのコンポージアム2017に迎えられ、さらに6月にはオーボエ・トリオによるリサイタルを開催する。そもそもホリガーとはいかなる音楽家なのか? いま改めて振り返ってみよう。
そもそもオーボエという楽器は、見た目が似ているクラリネットに比べると、著しく機動力が落ちるため、あくまでもメロディーを朗々と演奏するのに最適な楽器であり、あまり複雑なことは得意ではない――長らくそう思われてきた。しかし、ホリガーは違ったのだ。200年前のバロック音楽から、今まさに書かれたばかりの現代音楽まで、オーボエという楽器のために書かれた音楽であれば、どんなものでも困難さを感じさせることなく、やすやすと演奏してしまう。ホリガーはオーボエ奏者がここまでなら出来るという領域を、格段に広げてしまったのだ。
友人のオーボエ吹きからはこんな話を聞いたことがある。ホリガーは、オーボエ奏者にとっては難易度が高いとされるダブルタンギングを、シングルタンギングとまったく変わらぬクオリティで平然と吹いてしまうのだと(※タンギング=舌を使って空気の流れを制し、音の区切りや立ち上がりを明瞭とする管楽器の演奏技法。ダブルタンギングは倍速に対応する舌のテクニック)。また、循環呼吸(※呼吸の間も絶え間なく口から空気を吐き出すことによって息継ぎの無音時間をなくす管楽器の演奏技法)をしていると同業者にはバレてしまうようだが、まるで分からぬようにこなしてしまうと。更には、加齢から顎周りの筋肉が衰えてしまい、一流のオーケストラの首席奏者を務めたオーボエ吹きであっても、還暦を過ぎれば演奏クオリティを維持するのは他の楽器以上に困難であるにもかかわらず、ホリガーは70代半ばを越した現在も、演奏技術に全く衰えを見せていないのだと……。オーボエ奏者にとってホリガーは尊敬の対象というよりも、同じ人間なのか疑われているほど畏敬の念を抱かれている存在なのだ。
では作曲家としてはどうなのか? まず生まれ育ったスイスでシャーンドル・ヴェレシュから基礎となる部分を勉強している。その頃、書かれたのが1957年に作曲された《無伴奏オーボエソナタ》だ。
しかし、その後に“あの”ピエール・ブーレーズに作曲を師事したことで、大きな転機を迎える。現代音楽の支持者として、自らも前衛的な作品を手がけるようになったのだ。現在から彼の作品を概観すれば、次の2点に彼の作曲家としての主たる興味があるといえるだろう。
1)超絶技巧と、楽器の新たな可能性の追求
2)音色(ソノリティ)への強いこだわり
平たくいってしまえば、ホリガー作品を演奏するためには、大胆不敵な超絶技巧が必要なのと同時に、楽器を繊細にコントロール出来る技術も要求されている。だから、メロディーがなかったり、小難しそうな響きに聴こえてしまっても、奏者がなんだか分からないけれど凄いことをしていると伝わってくるので圧倒されてしまうのだ。自らのオーボエ以外でも楽器の新たな可能性を切り開いていくのが、ホリガーの流儀である。
指揮者としては、例えば、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団といった名だたる世界トップクラスのオーケストラに客演している。専業ではないため指揮者としての活動に割ける時間が多いわけではないし、決してバトンテクニックが巧みなわけではない。だが、奏者としても作曲家としても一級の能力をもっているので、リハーサルでのひとつひとつの指示に説得力があることは容易に想像できるだろう。とりわけベルリン・フィルには芸術監督のサイモン・ラトルたっての願いで客演し、シューマンを中心としたプログラムで客席を沸かせたのが記憶に新しい。
20世紀以降、分業制が進んできたクラシック音楽界においてホリガーほど、「ミスターパーフェクト」という呼称が相応しい音楽家もいまい。あのブーレーズでさえ、作曲家/指揮者としては超一流であっても、ピアニストとしては活動したのが自作などを演奏していた若い頃だけだったのだから。
そもそも今回の来日は、5月に東京オペラシティで開催される武満徹作曲賞の審査員を務めるのがきっかけだ。賞に応募した知人から譜面審査の講評をみせてもらったのだが、端的ながらシニカルなコメントからは、ホリガーが毒舌という以前から耳にしていた噂が本当だということが伝わってきた。
そんな自分にも他人にも厳しいホリガーが、今回のオーボエ・トリオによる公演で20代前半の日本人オーボエ奏者の荒木奏美を共演相手として指定したというのだからただ事ではない。荒木はまだ学生だった2015年6月に東京交響楽団の首席オーボエ奏者に就任し、その4ヶ月後には国際オーボエコンクール・軽井沢にて日本人初の第1位を獲得した。日本で行われているコンクールにもかかわらず第10回目までは日本人による第1位がでなかったこともあり、大きな話題を呼んだのは記憶に新しい。
荒木奏美
ホリガーは、このコンクール優勝が理由で荒木との共演を望んだわけでは、もちろんない。2015年にホリガーは東京交響楽団を指揮し、実際に彼女と共演しているのだ。ホリガーのお眼鏡にかなったのは、ある意味ではコンクールの優勝以上にすごいことかもしれない。
マリー=リーゼ・シュプバッハ
加えて、作品を献呈するほど信頼を寄せているイングリッシュホルンのスペシャリスト、マリー=リーゼ・シュプバッハをこのために日本へ呼び、実際に彼女に献呈されたホリガー作品が演奏される。更にスペシャルゲスト的に世界的に活躍する笙奏者の宮田まゆみも出演し、武満徹がホリガーと宮田の師匠のために書いた名作《ディスタンス》を共演。名実ともに日本の笙という楽器の第一人者となった宮田は、これまでに武満本人の前を含め、何十回と本作を演奏しているようだが、初演者ホリガーとの共演は初めてとのことで、こちらも期待が高鳴るばかり。
宮田まゆみ
もちろん、演奏されるのは現代音楽ばかりではない。プログラムの最初と最後に配置されたのがベートーヴェンであることからも分かるように、ホリガーは古典を大事なものとして尊重する音楽家である。オーボエという楽器の魅力、更にいえば笙を含めたリード楽器の魅力と可能性をこれほどストイックに聴かせてくれる機会もなかなかないだろう。いくらホリガーが70代後半でも衰えを感じさせぬとはいえ、まもなく80歳という年齢を鑑みれば何か健康上のトラブルがあればいつ引退するか分からない。自分に厳しい人であるだけに、クオリティが担保できなくなれば、作曲と指揮に専念してもおかしくないのだ。
70代後半に入っても第一線で輝き続ける「ミスターパーフェクト」ことホリガーの姿を、是非ホールに拝みにいこう。きっと生涯忘れられぬ体験となることだろう。
文:小室敬幸
■日時:2017/6/11(日)14:00
■出演:
ハインツ・ホリガー(オーボエ)
荒木奏美(オーボエ)
マリー=リーゼ・シュプバッハ(オーボエ)
宮田まゆみ(笙)
■曲目:
ベートーヴェン:ラ・チ・ダレム変奏曲(モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』より「お手をどうぞ」による変奏曲) [1st ob:ホリガー/2nd ob:荒木/E.Hr:シュプバッハ]
武満徹:ディスタンス (ホリガーに献呈) [ob:ホリガー/笙:宮田]
細川俊夫:さくら-オットー・トーメック博士の80歳の誕生日に-[笙:宮田]
ホリガー:“エール”-フィリップ・ジャコテの7篇の詩に基づくオーボエとコーラングレのためのレクチュールより I II III IV (シュプバッハに献呈)[ob:ホリガー/E.Hr:シュプバッハ]
クロンマー:プレイエルの主題による変奏曲 [1st ob:ホリガー/2nd ob:荒木/E.Hr:シュプバッハ]
ホリガー:“エール”-フィリップ・ジャコテの7篇の詩に基づくオーボエとコーラングレのためのレクチュールより V VI VII (シュプバッハに献呈) [ob:ホリガー/E.Hr:シュプバッハ]
雅楽古典曲 盤渉調調子(ばんしきちょうのちょうし) [笙:宮田]
ベートーヴェン:三重奏曲 ハ長調 op.87 [1st ob:ホリガー/2nd ob:荒木/E.Hr:シュプバッハ]
■公式サイト:http://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/event/2017/06/event750.html
コンポージアム2017「ハインツ・ホリガーを迎えて」 ハインツ・ホリガーの音楽《スカルダネッリ・ツィクルス》
■日時:2017/5/25(木)19:00
■出演:
ハインツ・ホリガー(指揮)
フェリックス・レングリ(フルート)
ラトヴィア放送合唱団(合唱指揮:カスパルス・プトニンシュ)
アンサンブル・ノマド
■曲目:
ハインツ・ホリガー:スカルダネッリ・ツィクルス(1975-91)[日本初演]
上演予定時間:2時間半 休憩なし。
■公式サイト:http://www.operacity.jp/concert/compo/2017/
■日時:2017/5/28(日)15:00
■出演:
ハインツ・ホリガー(審査員)
カチュン・ウォン(指揮)/東京フィルハーモニー交響楽団指揮:カスパルス・プトニンシュ)
■予定曲目:
アンナキアーラ・ゲッダ(イタリア):NOWHERE
ジフア・タン(マレーシア):at the still point
坂田直樹(日本):組み合わされた風景
シュテファン・バイヤー(ドイツ):私はかつて人肉を口にしたことはない
■公式サイト:http://www.operacity.jp/concert/compo/2017/