『追悼水木しげる ゲゲゲの人生展』 漫画家・妖怪研究家の水木しげるが追い求めた「本当の幸福」とは何か?
-
ポスト -
シェア - 送る
『追悼水木しげる ゲゲゲの人生展』
2015年11月30日、水木しげるが「あの世」へ旅立った。水木は、『ゲゲゲの鬼太郎』などのヒット作を生んだ漫画家であり、妖怪文化を広めた妖怪研究家でもあった。2017年3月20日(月)まで松屋銀座で開催されている『追悼水木しげる ゲゲゲの人生展』では、漫画や妖怪画の原稿、水木の私物など、総出品数約350点を通じて水木の人生に迫る。会期初日の3月8日に開催された内覧会から、その様子を紹介する。
戦争と貧困を経て売れっ子漫画家に
水木しげるのヘソの緒 大正11年(1922年) ⓒ水木プロダクション
左 小学生時代の通知表 昭和4年~11年(1929年~1936年) 中 新聞図案集(一集) 昭和6年(1931年)頃 右 地理解説 巻一 昭和9年(1934年) ⓒ水木プロダクション
全6章で構成される同展は、水木しげるのヘソの緒から始まる。第1章では青少年時代の習作や自作の絵本、小学校の通知表なども展示され、水木の原点を辿ることができる。
『総員玉砕せよ! 聖ジョージ岬・哀歌』 昭和48年(1973年) ⓒ水木プロダクション
「娘に語るお父さんの戦記」原稿 昭和50年(1975年) ⓒ水木プロダクション
左 トペトロとの出会い 『昭和史』第8巻 平成元年(1989年) 右 トライ族から果物をもらう 『昭和史』第6巻 平成元年(1989年) ⓒ水木プロダクション
第2章は、水木の戦争体験に迫る章だ。パプアニューギニアの都市・ラバウルへ派遣された水木は、敵の奇襲やマラリヤに命を脅かされ、多くの戦友と自身の左腕を失う。一方で、その頃の水木は原住民のトライ族と交流を深め、楽しいひとときを過ごした。戦争を通して見た地獄と天国。その体験をもとにした作品からは、「生きること」に対する水木の思いが伝わってくる。
物の怪の宿 平成3年(1991年) ⓒ水木プロダクション
背広・シャツ 茶碗セット ⓒ水木プロダクション
第3章と第4章は戦後の章だ。復員後の水木は紙芝居作家や貸本漫画家として働くが、生活は苦しかった。布枝と結婚した後も赤貧生活が続いたという。転機が訪れたのは、43歳のときだった。『テレビくん』が講談社児童まんが賞を受賞したのである。水木は一躍有名になるが、『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』などの雑誌連載を抱え、“妖怪いそがし”に急き立てられる日々を送った。
左 「ゲゲゲの鬼太郎」(しゅつげき! ゲゲゲの鬼太郎) 『月刊テレビマガジン』 昭和60年(1985年) 右 三大スター夢の競演 妖怪総進撃 『宇宙船』昭和60年(1985年) ⓒ水木プロダクション
左 怪物マチコミ 『漫画天国』 昭和41年(1966年) 右 錬金術 『月刊漫画ガロ』 昭和42年(1967年) ⓒ水木プロダクション
水木の漫画は単に面白いだけでなく、「本当の幸福とは何か?」という疑問をも投げかける。風刺漫画の『錬金術』では、世の中の価値を「すべてがまやかしじゃないか」とねずみ男が喝破。戦争と貧困、そして売れっ子漫画家生活を経験した水木は、地獄と天国が紙一重であることを実感し、幸福について考え抜いた。そこから得た人生訓は、作品にも、また、「のん氣にくらしなさい」などの格言にも表れている。
左3点 直筆格言色紙 平成20年(2008年)頃 右 直筆格言画「のん氣にくらしなさい」 平成20年(2008年)頃 ⓒ水木プロダクション
妖怪を信じることで得られる「本当の幸福」
のんのんばあとオレ 『こんなに楽しい! 妖怪の町』 平成18年(2006年) ⓒ水木プロダクション
左 だきつき柱 『月刊太陽』昭和47年(1972年) 右 釘抜き地蔵尊 『月刊太陽』 昭和48年(1973年) ⓒ水木プロダクション
少年時代の水木を妖怪の世界へ導いたのは、水木の実家に出入りしていた「のんのんばあ」だ。第1章では、のんのんばあが語った「座敷童子」の話が再現され、水木少年の思い出を追体験できる。
第5章は、水木の妖怪研究がテーマだ。水木は、江戸時代以前に描かれた妖怪たちを現代に蘇らせる一方で、子泣き爺や砂かけ婆などに姿を与えた。また、日本各地の神社や寺を描き、現代の民間信仰を記録したのだという。
愛用のカメラ ⓒ水木プロダクション
水木しげるの妖怪博物室 ⓒ水木プロダクション
水木は海外へも足を運び、愛用のカメラで次々に不思議なものを撮影。妖怪・精霊の仮面や置物も買い漁った。古今東西の仮面や置物を集めた水木は「目に見えないものが世界中に似たような形で存在する」という「妖怪千体説」に辿り着く。この説は、全人類共通の普遍的な価値、すなわち、妖怪を信じることで得られる「本当の幸福」をも解き明かしているように思われる。
水木の怪奇漫画にも、「本当の幸福」に通じる世界観がある。「妖怪水車」は、海難事故で両親を亡くした友吉少年が、猛霊八惨となった両親と死後の世界で再会するストーリーだ。妖怪や異界の描写を通して水木は家族愛を表現したのだ。妖怪画や漫画の生原稿からは、「目に見えないもの」に幸福を見出した水木の喜びが感じられる。
書斎の再現 ⓒ水木プロダクション
水木ファミリーと松下奈緒が語る“水木しげる”
水木しげるへの追悼メッセージ ⓒ水木プロダクション
第6章では、各界著名人からの追悼メッセージが展示されている。生前の水木は、家族を大切にし、何人ものアシスタントを育て、ファンへのサービスも欠かさなかった。人間関係を大切にした水木は、死後も人々に愛され続ける。
内覧会には、水木の妻・武良布枝、長女であり、水木プロダクション社長・原口尚子、NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で飯田布美枝役を演じた女優・松下奈緒が参加し、同展への思いをそれぞれ話した。
左から、松下奈緒、武良布枝、原口尚子
布枝は「主人は本当に淡々とした自然体の人間でしたから、(今も自分の存在を)私が感じる前に感じさせようと働きかけているんじゃないかな、と思っております」と語る。さらに、「主人のためにこのような場所をいただいて感無量でございます」と感謝の言葉を述べた。松下は、『ゲゲゲの女房』撮影時の思い出にも触れながら、「改めて、水木先生はすごい方なんだな、と本当に感じました」と水木の着眼点の面白さやユーモアセンスを絶賛した。
取材日の3月8日は、水木の95歳の誕生日。この日を祝うパーティーも内覧会と同時に開催され、水木と縁の深い関係者が一堂に会した。水木は、「あの世」からパーティーの様子を眺めて、幸せな気持ちになったことだろう。
同展は、水木が生前に追い求めた「本当の幸福とは何か?」を探る展覧会でもある。会場内にある水木の名言にも目を向けながら、水木の人生から幸福論を学んでみてはいかがだろうか。
ⓒ水木プロダクション
開催期間:2017年3月8日(水)~3月20日(月・祝)
開場時間:午前10時~午後8時(入場は閉場30分前まで、最終日は午後5時閉場)
※会期中無休
会場:東京・松屋銀座/8階イベントスクエア
〒104-8130 東京都中央区銀座3-6-1
http://mizuki-ten.jp/