演出家・宮田慶子に聞く──青年座公演『わが兄の弟 贋作アントン・チェーホフ傳』
青年座公演『わが兄の弟』チラシ
舞台は1880年、まだ医学生だったアントン・チェーホフが、20歳の誕生日を迎えた朝から始まる。短篇小説を売り飛ばしながら、なんとか医師になったものの、それでも食べていけずに小説を書きつづけるアントン。そして30歳になると、突然、極東の地サハリンへと旅立っていく。若き日のアントン・チェーホフを、ロマンスたっぷりに描いた贋作・評伝劇。
「わが兄の弟」はチェーホフのペンネーム
──『わが兄の弟』という題ですが、これが誰の兄であり、誰の弟を意味しているのか、知らない人にはわからないと思うんですが……。
これはチェーホフの実際のペンネームなんですよ。たくさんのペンネームを使ってたんですけど……アントーシャ・チェホンテというのも使ってたし……いろいろあるなかで、チェーホフのすぐ上のお兄さんとの関係がいかに深かったかを物語るペンネームだなと思っていた「わが兄の弟」から、マキノさんがつけてくださった。
──ロシア語で「わが兄の弟」という意味のペンネームなんですか?
そうです。だから、チェーホフ好きな方は、すぐに「あっ、これ使ったんだ。ペンネームですね」と、すぐにわかった。
──そのお兄さんは、次男の絵描きのほうですね。
次男のニコライ。でも、独得の言いまわしで、「わが兄の弟」といえば、あれって自分のことだよねという……。
──チェーホフには兄がふたりいるから、「わが兄の弟」というのは、いちばん上の兄と二番目の弟という解釈もできますが……。
でも、何人兄弟の何番目かは、たいてい知らないからね。
──男の兄弟は4人いて、アントンは3番目になります。
まったくチェーホフをご存知ないかたも、「わが兄の弟」といえば、自分のことだなと。自分を客観的に見るとか、そういう視点を感じとっていただけたらいいなと思って。
──自分自身もいるけど、兄から見た自分自身……。
そうですね。
──いったん兄に視点を据えて、そこからひとつもう一回、自分を客観的に捉えなおすような視点が、タイトルに込められている。
まあね、そういう意味でつけたと思うんですよ。彼はね、本人だから。
青年座公演『わが兄の弟』安ホテルの一室。左から、アントン(横堀悦夫)とニーナ(安藤瞳)。 撮影/坂本正郁
チェーホフを取りあげようとした理由
──劇作家チェーホフについて舞台化しようとしたきっかけはありますか。これまでのマキノノゾミさんは、近代の日本人を評伝的に描いた作品が多かった。
そうですね。「マキノノゾミ三部作」と青年座では呼んでいますが、『MOTHER』『フユヒコ』『赤シャツ』という……。
──どの舞台も評価が高く、楽しい舞台でした。
おまけに、2008年には3本まとめて連続上演もさせていただいていますし、M.O.P.とのコラボもやらせていただいています。その後、新作で『横濱短篇ホテル』をマキノさんに書いていただいて、おかげさまで、先日までずっと旅公演をまわっていました。
それまでの3本は評伝っぽい劇だったのに対して、『横濱短篇ホテル』はまったくちがうラブストーリーだったので、新作について相談したとき、「もう一回、評伝かな」と言いながら、マキノさんは非常に硬派な明治時代の政治家、思想家について考えていらした。そうやって、おたがいにアイデアをいっぱい出しあっていたときに、ちょっと方向変えようかなと思って、チェーホフはわたしが言いだした題材なんです。
青年座公演『わが兄の弟』チェホフ家の居間。左端が、父親のパーヴェル(山本龍二)とチェーホフ三兄弟。 撮影/坂本正郁
チェーホフに関するふたつの謎
──チェーホフは宮田さんからの提案だったんですね。
もちろん、マキノさんも、チェーホフの『かもめ』を2002年に新国立劇場で演出していらっしゃいますし、わたし自身も『かもめ』を演出してる。実を言うと、ここ数年、アントン・チェーホフがひそかにマイブームだったんですよ。
脚本(ほん)をお願いしたのが、もう2年前になります。チェーホフの作品は、もちろんよく知っていたけれど、ふたつのエピソードがすごく心に残っていて、ひとつは、あれだけ浮名を流していたチェーホフだけど、なぜか妻を娶(めと)ることが晩年までなかった。
──結婚したのは、亡くなる3年前。ほぼ最晩年でした。
最晩年にやっとモスクワ芸術座の女優オリガと結婚して。それも別居を前提で結婚するんですよ。「あなたは女優だから、モスクワで仕事をしてくれ。わたしは別の土地で診察をしているから」というように、いっしょに住まない。だから、独得な女性観の持ち主だなと、すごく気にはなっていた。
もうひとつは、チェーホフにはお兄さんがふたりいて、歳が近いニコライという画家とものすごい気が合って、芸術家としても尊敬をしていた。この兄は放蕩のあげく、早くして結核で亡くなるんだけど、医者としてのアントンは、どんどん病いに蝕まれていく兄の体を診つづけた。
兄の方も、病気だからといって放蕩三昧を改めない。酒と女に溺れるむちゃな生活、むちゃな絵の創作を続けて、芸術家の業(ごう)を見せつける。最後には、三幕で出てくる別荘に、みんなでニコライを呼び寄せて、たぶん、あと命がもって数日というときに、たまたま長男がやってきたのにかこつけて「頼むよ」と言い残し、チェーホフは危篤状態の最愛の兄をそのままにして、旅に出るんです。
それで結局、嵐みたいな悪天候のなか、ずぶ濡れで旅を続けていた先で、兄が死んだという電報を受け取る。医者でありながら末期の患者を見捨てるようなことをし、最愛の兄でありながら、最後の死にざまを見ないという……。
──おそらくチェーホフは、意図的に看取らなかったわけですね。
そう。何がアントンをそこまで追い込んだんだろう。実際にそういう史実があるので、このふたつのエピソードをマキノさんにしゃべったの。
そしたら、マキノさんは「チェーホフというとロシアの大作家で、すごく端正な作品を書いて……としか思ってないけど、そんな実生活があったんだね」と言いながら、「でも、他にも書きたいものもあるので、時間をください」ということだった。そして、さんざん悩んだあげく、「ほとんどゼロから考え直すけど、アントン・チェーホフでやってみましょうか」ということになった。
青年座公演『わが兄の弟』ハリコフの郊外に避暑に来ているチェーホフ家。 撮影/坂本正郁
虚実ないまぜに展開するチェーホフの作品と人生
──そのようにしてスタートしたチェーホフの評伝劇ですが……。
そこからマキノさん、本当に苦しんで書いてくださって。まあ、珍しかったですね。マキノ氏は演劇界広しといえども、珍しく締め切りを守る劇作家。青年座には、いままで一回も遅れたことがない。
──おおっ。
そのぶん、ご自分の劇団M.O.P.にはすごい遅れたりしてるわけ。だけど、外から発注を受けたものは、絶対遅れないことで有名だったのに、初めて遅れたんだよね。いやもう、それはどれだけ大変なことになってるか、なんとなく想像ついてたんだけど……。
──参考文献だけ見ても、ものすごい冊数ですよね。
マキノさんはずっと資料を読み込みながら、人間チェーホフをつかみたくて、ずっともがいていたと思うんです。年越さないで台本をいただけるかなと思ってたのが、年越しして、翌年2月にやっといただいて。読んでみたら「ああっ、やっぱり、これはかかるわ」という。ここまで虚実ないまぜに、調べてくださった史実と、チェーホフの作品と、それからご自分の創作の全部を、擦り合わせて、バズルのように組み立てていくには、これだけ時間がかかるのはしょうがなかっただろうと。
──戯曲のいたるところに、チェーホフ作品がこれでもかとちりばめられてますからね。
それで、なんとなくチェーホフの実生活までがフィクションのように見えてくる。たとえば、第3幕は現実にあったことなのに、まるでチェーホフの芝居をそのままパクッたと言うと変だけど……。
──そうなんです。チェーホフの短篇や戯曲のエピソードだけを再構成したように見えてしまう。第3幕は特にそうですね。
あの場面の設定や台詞は『桜の園』にあったな。それから『かもめ』にも、湖のほとりで、みんなでしゃべっていて、最後にニーナがトリゴーリンに憧れる場面があったななどと思ってしまう。まったくそこに流れている空気は、チェーホフ作品ですからね。見事なんですよ。だから、本当に今のチェーホフを作っちゃったよって。
──本当にそう思います。
だから、不思議な感覚で、われわれも稽古していても、マキノ氏の作品をやってるんだか、チェーホフの芝居をやってるんだか、わかんなくなるような錯覚に陥るところがある。
──文体も神西清さんの訳文を髣髴(ほうふつ)させるところがあって……。
もう完全に、完全になぞってます。わざと遊んでる。
──同じ文体を、まるでトレースするように描いてるところがありますね。
そうなんです。だから、かなり上級な遊びになっちゃうけど、作劇する過程で、わざとチェーホフ世界を構築した大枠を、どうやって見せていこうかなと。これは最終的には、わたしの演出の仕事にもなってきちゃうんだろうけど。
──これほどまでに長篇戯曲、一幕劇、小説、短篇の数々が、史実に巧みに組み込まれているのかと驚きました。職人芸の域に達している。
マニアはたまんないね、きっとね。チェーホフ・マニアは「うわっ、ここに出てきたか」って、思うだろうし……。
──いっぱい発見する楽しみがありますし、それをマキノさんの世界と重ねてみる面白さがある。
青年座公演『わが兄の弟』若きアントンを演じる横堀悦夫。 撮影/坂本正郁
さらに第4幕にはとびきりの仕掛けが……
──第1幕、第2幕、第3幕と続いた後、第4幕には驚くべき仕掛けが用意されています。ここまで来ると、第1幕の冒頭場面の理由がわかるんですが、このアイデアもマキノさんによるものですか。
そうですね。チェーホフのサハリン行きはなぜなのかという謎につなげたいと思っていたときに、誰も知らない強烈な理由がほしいと考えてくださった。マキノ氏のなかには、ロシア革命のとき、実は女性の革命家たちがいたという史実がまったく別にあって、どうやらそこと時代的な想像力として結ばれていったようです。
それから、当時のサハリンって、ほとんど極東みたいなものですからね。
──世界の「果て」みたいな感じ。しかも、極寒の地でしょう。
本当の「果て」ですからね。行くだけで3カ月かかり、そこで滞在したのも3カ月で、また戻ってくるのに2、3カ月かかってる。すごい行程ですよね。当時のチェーホフの足跡を追うと、途中までは鉄道があるんですが、それから馬車で移動し、最後は船で川をずっとサハリンまで降りていく。
でも、何のためにサハリンへ行ったのかは、いまだに誰もわからない。チェーホフは手紙魔だったので、ありとあらゆるところに当時の資料は残ってるんだけど、その本音はいっさい書かれていない。本当の謎だよね。
──そこにロマンスを重ねてきたところが、マキノさんらしいといいますか……。
美しい話ですよね。
──美しい。しかも最後に、思い出の品をあげてきちゃうところも泣かせます。ときおり記憶を思い出すところも、なかなか感動的だし……。
そうね。現実の彼女の姿とかも切ないですし。第1幕と最後の完結とがうまくつながっていく。
演出家の宮田慶子さん。 撮影/坂本正郁
チェーホフが生きた時代の鬱々とした感じと現代の空気
──チェーホフの短篇は、最近、沼野充義さんが、新たに訳し直したりするなど、いろんなかたちで再評価も進んでいるようですね。
社会構造が変わっていくなかで、それを見つめながら知識階層が思っていた、何かが崩壊していく終末感。そして、そこから生まれてくるものに諸手を挙げて賛成していける世の中であるかどうかという不安感とか、今の時代といろんな符合性をチェーホフは持っている。
──「檻に入ったみたいな」という発言もあります。だから、現在の全体主義に向かうような不穏な空気と、当時の空気とが重なって見えてきます。
とってもよくわかる。それから、やっぱり国土が広い、貧富の差が激しいなど、いろんなロシアの事情を見たときに、はたして社会主義になったときにどこまで救えるんだろうか、中央政府はどこまでを国民と考えているんだろうかと思いながら、チェーホフはサハリンの地を歩いていたと思うし、そういうところが面白いなと思って……。
──この戯曲に登場するほとんどの人たちは、社会保障によって救われていないわけですから。
もちろん「チェーホフは今と通じますよ」と言うのは簡単だけど、この鬱々とした感じが、残念ながら、とても共感できちゃう今ですという感じなの。
──前半の部分は、軽く笑えて楽しめるタッチで書かれていますが、その一方で同時に、目に見えない重い現実みたいなものが、ずっしりとのっかっていた時代。だからこそ、軽く笑えて読み飛ばせるような短篇を書くことで、そういう雰囲気を吹き飛ばそうとしていたのかもしれないけど……。
そうね。それと同時に、われわれはあまり買いかぶりすぎているけど、ものすごい芸術家というよりは、彼は本当にただ生活をするために、農民が畑を耕すがごとく、チェーホフは文字を書くというね(笑)。そういう見方もひとつあって、そうでなければ、あんな膨大なものは書かないですよ。「7年で350本」だったかな、それはもっぱら生活のためなんです。医者の資格があれば食えそうなのに、食べられない。こんな若い開業医のところには、誰も来ないんですよ。
──新しい視点で描かれた20歳から30歳までのチェーホフを、とても楽しみにしています。
取材・文/野中広樹
■日時:2017年4月7日(金)〜16日(日)
■会場:紀伊國屋ホール
■作:マキノノゾミ
■演出:宮田慶子
■出演:名取幸政、山本龍二、横堀悦夫、大家仁志、石母田史朗、高松潤、豊田茂、松田周、大須賀裕子、津田真澄、野々村のん、小暮智美、安藤瞳、田上唯、坂寄奈津伎、那須凜
■公式サイト:http://seinenza.com/index.html