MOROHA 不本意だったあの頃と今だから思うこと、そして原点に迫る それぞれのストーリー

2017.7.24
インタビュー
音楽

最初MOROHAやり始めたのは不本意だった(UK)

MOROHA 撮影=森好弘

ーーなるほど。そのお二人が何故、一緒に音楽をやろうと思ったんでしょうか。

UK:やろうってなったことはなくて。ノリで始まったんで、最初はそんな真剣な話ではなかったです。

アフロ:そうだね。

UK:ほんと遊びの延長です。僕が家でギターを弾いてたら、彼がラップを始めてたんで。

アフロ:何か弾いてよ。俺、リリック書くわって。

UK:っていう遊びをしてたんです(笑)。それがどんどんエスカレートしてライブでやってみようとなって、ライブでやったら評価があって奇しくも盛り上がるっていう。

アフロ:確かに奇しくもだったよね。

UK:それが2007年くらいかな? もうちょい前か。

アフロ:その頃、アフロ+UK という、何のひねりもない名前でやっていて。MOROHAっていう名前がついたのが2008年ですね。

MOROHA 撮影=森好弘

ーーMOROHA の名前の由来は。

アフロ:漢字が良かったんですよ。硬派な感じの。長野のバンドで青大将とかって和ですごい硬派な感じがするじゃないですか。それが二人とも好きだったので、そういう感じでいこうと思ってたんですけど、MOROHAっていうフレーズが出た時に漢字で諸刃(もろは)だと世界観が限定されちゃうけど、アルファベットだと漢字の響きは残しつつ、Mという字が柔らかくも見えたりしたので。まあノリではありますけどね。

ーーMOROHAになってライブをやり始めて、当初からずっと一緒にやっていこうという気持ちはありました?

アフロ:それもね、だんだんとですよ。

UK:常に見切り発車というか。やってみなきゃ分からない精神で進んできたので。

アフロ:うん。やっていくうちに自信と共にですね。あと、やっぱり年齢的な部分も大きいと思います。周りが自分の道を決めてやり始めてるのに、俺たちは特技ラップ、ギターって。何それ? ってならないように、ちゃんとやるからには認めてもらえるようになろうって思うようになったんです。俺は一度、就職をしてサラリーマンをして。一生懸命やってたんですけど、やっぱり本当にやりたいことではなかったから続かなくて。モチベーションを維持しながら働き続けるには、どうすれば良いんだろうって思った時に、やっぱり好きなことだったら飽きないじゃないかなって思ったんですよね。じゃあ、好きなことって何だろうって。現実的かどうかは別として、音楽でちゃんと飯食ってくっていうのを1回全力でトライしてみようと思ってやり始めたんです。

UK 撮影=森好弘

ーーUKさんはどうでしたか。

UK:俺はラップとギターではなくて、元々バンドがやりたかったんです。それが夢だったんです。それをやると決めてたから、最初MOROHAやり始めたのは不本意だった。

アフロ:それいつも言うよね。

UK:俺の憧れの存在がhideだったんで、バンドで輝きたかったんです。アコギはもっと地味なもんだと思ってたから。MOROHAをやるってよりも、そもそもアコギを弾くのが嫌だったです。だから僕はバンドをやりたいって思いが強かったから、最初は不本意。これじゃない感がすごくて……。だけど、いろんなところで評価を得たり、いろんな面白みがわかってきて、アコギというものに向き合った感じだったので、最初はそんなに深くは考えてなかった。MOROHAをやる以前もバンドを組んで解散も経験してたので、音楽でやっていくかは自分が決めることだから、相手のことはさておき自分の意思だけはちゃんと持っておこうという感じでした。

MOROHA 撮影=森好弘

ーー来年で活動を始めて10年になりますが、改めてどんな10年だったでしょう。

アフロ:よく頑張ってた後半と怠けていた前半って感じですね。前半は緩いこと考えてたと思います。浮かれてたと言った方が良いかもしれないですね。

ーーと言うと。

アフロ:このままじゃマズイなって思ってた気持ちと、20代前半はすごく周りの力に期待し過ぎていたんです。20代後半になって、自分から何かをするという自分主導の気持ちが芽生えて。自分たちで動き出したタイミングで本当に協力してくれる人が集まったりして、一人でもやると決めたら、一人じゃなくなった気がします。音楽に関しては10年間歌詞を書くときも同じ熱量で書いてきたと思います。MOROHAの場合、音楽活動そのものが歌詞になってるというか。ステージを降りた後のお客さんとの接し方や、どんなふうにフェスの出場権を取りに行くかというのも全部、歌詞に落とし込んでるから。だから、泥水すすってでも自分の納得できることを実現すると決めると、歌詞の内容も濃くなって説得力が増してきたのも20代後半。それまでは夢見がちだった気がします。すごく理想はあるんだけど、泥水すすってる訳でもなくて。ちょっと燻んだ水な感じ。そのままの感じで進んでたら、もう少しキラキラしたものが出来たんじゃないかなと思う。ただ良い音楽を作れば良いわけだし。でも俺たちの場合は25歳くらいの時に、このままじゃヤバいとなったタイミングがあったから、こうなったんです。もっと早く取り巻く状況が変わっていたら、もしかしたら、もっとカリスマ性があったかもしれないね。やっぱ降谷建志さんって負け知らず感があると思うんです。すごく魅力的だと思っていて。負けを知ってる人間のカッコ良さもあるけど、ずっと第一線で突破切ってる感じのカッコ良さもあるから。どちらが良い悪いではないんだけど。そんなふうにこの10年は思いますね。

UK:僕は辛かった10年です。

アフロ:辛かった10年!?

UK:いや、ほんと過酷な10年でした。

アフロ:本当にその一端を俺が担ってると言う自負からの……。あと、ライブのスケジュールとかは俺が全部組んでるんですよ。だから彼の過酷さの中にはライブの多さも入ってるはずだから。

UK:肉体的な部分は置いといて、自分たちでもやっぱり人と違うことをやってるとは思うんですよ。だからそれを受け入れられてもらう10年というか。自分たちの実力の無さなのか、そもそも音楽として間違ってるのかとか思ったり。

アフロ:そうだね。

UK:その答えが見つかるのまでの10年というか。ようやく、今、MOROHAが認められてきて実感が湧いてきてる感じですね。だからそれまでの10年間って感じ。苦痛というか。

アフロ:確かにね。やりながら“何があるんだろうこの先に”って思ったもんね。でも、本当にもうダメかなって思うタイミングで、この人にこう言ってもらったから頑張ろうって思える人が現れるんですよ。それが曽我部恵一さんだったり、the telephonesの松本誠治さんや、G-FREAK FACTORYの茂木さん(Vo)だったり、そこから10-FEETのTAKUMAさん(Vo)が言ってくれたりとか。そういうのがタイミングタイミングで助けてくれる人が居ましたね。俺たちが間違ってんじゃないかなって思っても、“そのままで間違ってないからいけよ”って言ってくれる人が現れたのは救いでしたね。

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