日本一極端なロック・フェス、今年は何をなしえたのか!? 『OTODAMA’17~音泉魂~』総論・後編
四星球
『OTODAMA’17~音泉魂~』2017.9.2(SAT).3(SUN) 泉大津フェニックス
『OTODAMA’17~音泉魂~』
前編はこちら→https://spice.eplus.jp/articles/146477
はい。ここから後編です。まず、最後の「何度泣いただろう」についてです。
1日目のトリ、POLYSICSの時。MCでハヤシくん曰く、今日会場に着いてクルマを下りたら、フェスのスタッフ全員バイザーをかけて出迎えてくれた、ケータリングのおねえさんまでそうだった、本当にうれしかった、と。へえ、いい話だなあ、と思いながら、それまで後ろの方で観ていたのだが、ステージの方まで行ってみたところ。
柵前のセキュリティスタッフ全員、バイザーをかけていた。それを見た瞬間に、ドッと涙が出た。
2日目のトリ、四星球の後半、「ギターのまさやん本日で卒業です」とメンバーが勝手に言い始めて本人がオロオロするというボケを遂行している最中。
康雄が「まさやんの卒業を祝って花火お願いします、清水音泉さん!」と叫んだら、本当にばんばん花火が上がったのだ。終演前なのに。
「四星球のためにそこまでやる!?」 と、また涙が出た。ソデにいた彼らの先輩後輩のミュージシャンたちの多くも、涙していたという。
四星球
これも清水音泉の、『音泉魂』の「セーフ/アウトの境界線を見定められない」素敵な体質の表れだと言える。
1年目から出演しているPOLYSICS、バンドの歴史の半分以上をこのフェスと共に歩んできた四星球。この2バンドに今年はトリをとってもらいたい。2014年にフラワーカンパニーズとSCOOBIE DOにトリをやってもらった時、下馬評で「泥舟オトダマ号」と呼ばれつつも沈まなかった。そのことで、ライブシーンにおいて「ストーリー」は「セールス」に勝ることを知ってしまった。だから今年もやる──。
と、清水番台は、入場時に配られるタイムテーブルの「店長挨拶」で書いていたが、まずそこまでストーリーを第一義に置くこと自体、ほかのフェスならやらないし、特定のバンドへの思い入れをそんなに露骨に表すこともしない。不公平っちゃ不公平だし、それ。
じゃあなんでそれがありになるのか。そこまで思い入れても、他のバンドもお客さんも共感こそすれ不快に思うことはないバンドしか、そういう扱いをしないからだ。去年のレキシと今年のPOLYSICS/四星球では全然意味合いが違うが、「誰もイヤな気持ちにならない」という点では一緒だと思う。
そして、そこにこそ、清水音泉が巨大イベンターになれない致命的な弱点と、バンドにもお客さんにも深く長く愛される最大の武器の両方がある。
簡単に言うと、商売より思い入れを、言い換えればそのバンドを好きだという気持ちを、優先させてしまうということだ。
この道でメシを食う者としては、それ、必ずしも正しくない。カネ稼がないといけないんだから。1000人入るバンドより10000人入るバンドの方が、10000人入るバンドよりも50000人入るバンドの方が偉いんだから、シンプルに言うと。
自分の好きなものがどれも順当に売れていく、ということになるのが理想的だが、なかなかそうはならない。でも、好きとかは置いといて当たっているもの・当たりそうなものを探して仕事をしていく、ということになると、俺そもそもなんで音楽の仕事をしたかったんだっけ? 自分が好きなものに携わりたいからじゃなかったっけ? それができないんだったら、そもそもこの仕事している理由って何? ほかの仕事でよくない? ということになる。
って、清水音泉のことを書いているはずが単に自分のことを書いてしまっているが、でもまあ、そういうことだ。だからこんなに共振してしまうんだと思う、去年までよく知らなかった、関西の人たちがやっているフェスに。
『OTODAMA’17~音泉魂~』
ちなみに、僕が2日間で最初に泣いたのは、前述の店長挨拶を読んだ時だった。
去年まで「入浴宣言」を担当していた芸人について2ヵ所で触れ、最後を「太った入浴宣言のヒトの代わりに 清水音泉・番台」で締めくくっている。
南海電車が止まったせいで僕は間に合わなかったのだが、清水番台、前説で彼のTシャツを着て、お客さんに「飲酒運転は絶対にやめてください!!」と叫んで拍手を浴びたそうだ。
吉本興業は無論、メディアも、仲間の芸人たちも、今、彼のことには一切触れない。まるで最初からいなかったような扱いになっている。そんな中で、なんの得もないのに、あるとしたらリスクだけなのに、意地でも触れずにはいられなかった、そういう人がやっているフェスだということだ、『音泉魂』は。
という話で締めると、ちょっと清水番台がかっこよすぎるので、「ボケと音楽愛に溢れた、おもしろくて純粋ですばらしいフェス」というだけではないことにも、最後に触れておきたい。
清水音泉ゆるい、『音泉魂』ゆるい、というのは、お客さん、バンド、そのスタッフ、みんなの共通認識である。
実際僕も、何か書くことにはなっていたものの、何をどのように書いたらよいのかわからないまま現場に行って、某バンドのマネージャーに「あ、来たんだ? じゃあなんか書くんだ?」と言われて「うん、なんか書くんだけど何をどう書くのかわからない」と答えたら「『音泉魂』だねえ、ゆるいねえ」と笑っていた。
ただし。「すべてにおいてゆるい」というフェス(ある)も、イベンター(いる)も、ライブ制作の人(ああ、名前書いてしまいそうだ)も存在するが、清水音泉は、『音泉魂』は、そうではない。どうでもいいこと、ゆるくてもかまわないことに対してはゆるいが……って、じゃあ呼ばれたライターはどうでもいいのか?って話になるが、自嘲でもなんでもなく、フェス全体の運営の中で考えれば、あきらかに「どうでもいい」の部類に入るだろう。
そういうところに対してはゆるいが、たとえば本番中スタンディング・ゾーンで座っている人たちにバイトくんが立つようお願いして回っていたり、シャトルバスがどんどん来てすぐ乗れたり、雷対策の避雷針、でっかいのがふたつ建っていたり、という面においては全然ゆるくない、という話だ。
細部までゆるいところなくすべてきっちり締めている巨大フェス、もちろんすばらしいし、それが理想だけど、物理的にそれが不可能な場合、じゃあどうするか? ということだ。
なので、たとえばライターとしては、細部まできっちりしている巨大フェスに雑に扱われると腹が立つが、清水音泉に雑に扱われてもまったくカチンとこない、というメリットもあります。
ってメリットなのか? それ。
それからもうひとつ。
POLYSICS
POLYSICSに対する過剰なまでに愛があふれた応援態勢に思わず涙が出た、ということをさっき書いたが、それ、逆に言うと、POLYSICS的には「もう絶対に最高のライブをやるしかない」というプレッシャーとしても機能する。
つまり、単に愛情だけでそうしているのではない、トリのバンドにいいライブをやらせるためにもっとも効果的なのは何か、というフェスの運営者としての視点もある、ということだ。
四星球も然り。花火を上げるタイミングまで変えてもらった上に(おかげで花火、途中と終演後の2回上がることになった)、「イスに縛りつけられてください」「最後にまさやんとふたりでローションまみれになってください」というようなリクエストまでOKをもらって、それでスベったライブできるか?
できませんよね。もう命がけで最高のライブをやるしかないですよね。
現にハヤシくん、出番前、もんのすごく緊張した、と言っていた。で、POLYSICS20年の歴史に残る、すばらしいライブをやった。
音泉魂写真館 9月3日編
〜宴会場テント〜
『OTODAMA’17~音泉魂~』
〜スーパー露天風呂〜
魔法少女になり隊
ガガガSP
〜KOHYOの湯〜
打首獄門同好会
フラワーカンパニーズ
銀杏BOYZ
水曜日のカンパネラ
キュウソネコカミ
〜ジャパンの湯〜
ドレスコーズ
大森靖子
BRAHMAN
クリープハイプ