維新派『アマハラ』台湾で行われた最終公演をレポート《後編》

2017.12.2
レポート
舞台

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』 Image by National Kaohsiung Center for the Arts (Weiwuying)

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「新たな漂流の始まり」を感じさせた、維新派の有終の美

昨年(2016年)奈良県・平城宮跡地で上演した野外劇『アマハラ』が、台湾・高雄で開催された芸術祭「2017衛武營藝術祭 WEIWUYING ARTS FESTIVAL」の公式プログラムとして招へいされた維新派。主宰・松本雄吉が2016年に逝去したのにともない、この台湾公演を最後に、劇団は解散することがすでに決定している。20年近く維新派を追いかけ続け、公演パンフレットの編集も手がけてきたライター・吉永美和子の、前編・後編に分けたレポート。後編は、奈良公演とは多少の変化が見られた舞台の様子や、終演後の模様などをお届けする。

参考記事 → 維新派『アマハラ』、台湾で行われた最終公演をレポート《前編》


シーン1(維新派風の言い方をするとM1)は、海辺で貝殻や漂着物を拾ったり、流木を叩いたりなど、少年たちが海辺で遊ぶ所から始まる。本作の元となった『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』から、松本雄吉が最も大きな変更を予定していたシーンで、昨年劇団員たちで松本のメモを頼りに新たに作り直した時も、一番このシーンで悪戦苦闘していた所を、昨年公演パンフレットの取材をしている時に目撃している。初演の時、まだゲネプロではどこか恐る恐るやっているという感じを受けていたが、公演を一つ乗り越え、さらに台湾に向けて磨きをかけただけあって、今回は誰もが確信を持って動いているように見える。

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』 Image by National Kaohsiung Center for the Arts (Weiwuying)

舞台の両端には、中国語の字幕が流れていた。本作のキーワードである「這裡是哪裡?」(ここはどこですか?)という言葉が、幾度となく確認できる。ただ維新派の台詞は、いろんな単語が同時多発的に飛び交うことが多く、そこが字幕ではなかなか全部伝えきれてないのでは……というもどかしさもあった。しかし台湾の人には、よくわからない複数の言葉が、まるで音で絵を描くかのようにリズミカルに飛び交ってるのを感じるだけでも、結構な興奮を覚えたのであろう。ほとんどの人が、目の前のシーンと音を全身でとらえようとしてるのが伝わってくる。以前シンガポールで維新派を観劇した時(そういえばあの時も演目は『台湾の……』だった)、芝居中にメール確認などで携帯の画面を光らせる人が少なからずいたことを考えると、台湾の観客たちの観劇集中度は非常に高い。

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』 Image by National Kaohsiung Center for the Arts (Weiwuying)

今回はゲストとして、地元の台湾人キャストが新たに12人加わった。ゲストが中心となるM1の椅子のシーンは、今回彼らが担当する。動きは奈良公演の時と恐らく同じだが、よく聞いたら台詞の一部が中国語になっている。この少し前のシーンでは、海に漂着した手紙の入った瓶を見つけた少年が、台湾語(中国語とは少し違うそうだ)で「そこはどこですか?」と読み上げる所があった。それは維新派の劇団員が発音したが、それを聞いた台湾人の間からなぜか大きな笑いが起こった。終演後にその原因を、演出の平野舞に聞いてみたところ「多分彼のアクセントが、現地の人にとってはつたなくてかわいかったのかもしれないですね」と答えていた。

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』台湾人キャスト中心のシーン。 Image by National Kaohsiung Center for the Arts (Weiwuying)

また台湾公演で大きな変更があったとすれば、M5のベンケット道路工事のシーンだ。奈良公演では、舞台の端から端まで届くような、3階建の巨大な可動式の足場(美術担当の白藤垂人いわく、維新派史上もっとも大きな可動式装置だったとか)が登場して観客の度肝を抜いたが、台湾ではその半分の大きさの足場が舞台上手と下手から登場し、劇場の中央付近でドッキングするという分離式となっていた。この変更の理由は定かではないが、もしかしたら移送の関係で、あの大きさのままでは不都合があったのかもしれない。とはいえドッキングした瞬間の、パズルのピースがはまったような痛快さは、一体式の有無を言わせぬ迫力とはまた違うカタルシスがあった。

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』。このランプを使った演出も、台湾公演で新たに取り入れられた。 Image by National Kaohsiung Center for the Arts (Weiwuying)

さらに変更があったのは、M3の漂流のシーンだ。奈良公演では、フィリピンでマニラ麻の栽培を手がけて成功した松本金十郎と、サイパンに一大日本人街を築いた山口百次郎が、それぞれの土地にたどり着くまでの旅路がもっぱら語られていたが、今回はベトナム戦争のボートピープルや、流木につかまって大海を漂う昆虫などの声も追加されていた。これは「日本人のことだけでなく、もう少し広い意味での“漂流”を描きたい」ということで、平野を始めとする劇団員たちが新たに考えて加筆したそうだ。

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』 Image by National Kaohsiung Center for the Arts (Weiwuying)

『アマハラ』で描かれるのは、20世紀前半のアジアの海の歴史だ。それは様々な志を抱いて、南洋の海へと進出した日本人たちの歴史でもある。その中では、当時の日本のナショナリズムを思い起こさせる声明が、そのまま使われた台詞も出て来る。奈良公演の時は「ああ、あの時代はそういう考え方だったんだな」で流してしまったが、以前日本の統治下にあった台湾では、不穏なとらえ方をされるんじゃないかなあ……と心配になったりもした。しかし一方で、台湾の水利事業に大きく貢献した技術者・八田與一のエピソードの中で、彼が手がけた烏山頭ダム(台南市)の放水音が劇場中に響いた時、幾人かの台湾人観客が「おお…」と小さな歓声を上げたのがわかった。そんな所にも、日本だけで見ていたら体験できない反応や、気づかなかった解釈を発見することができた思いである。

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』 Image by National Kaohsiung Center for the Arts (Weiwuying)

日没の黄昏がすっかり夜の闇に変わり、物語はクライマックスへ。太平洋戦争が始まり、松本は家族と別離を余儀なくされ、山口は何十年もかけて築いたサイパンの日本人街をわずか数時間の爆撃で失い、日本では「キノコの形の雲」が空に現れ、自分たちの居場所を失った人々が「ここはどこですか?」と悲痛に問いかける。この時の内橋和久のギターの生演奏も、心なしか彼らと共に慟哭するかのように、非常にエモーショナルな感じに聴こえた。そして混乱からの静寂の後、舞台上には女性たちがたたずみ、そのすべての人々を迎え入れ、慈しむような歌を歌い始める。それはやがて「死んだら何に成る?」「死んだら名無しはいや」という、遺言のような言葉へと変わり、やがて舞台上には少しずつ人々が増えていき「生まれ変わって、またどこかで会おう」という願いと祈りが込められた言葉を紡いでいく……。

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』 Image by National Kaohsiung Center for the Arts (Weiwuying)

奈良公演でこの歌を聞いた時、その時亡くなってから半年も経っていなかった松本雄吉のことが否が応でも思い起こされ、まったく冷静に聞くことができなかった。しかしあれから1年が過ぎ、ようやくこの作品とこのラストを冷静に、客観的に観られるようになったなあ……と思いきや、センターの石本由美の「オーイ!」という呼びかけが劇場に響き渡った瞬間、本当に反射的に涙がぶわっと吹き出した。終りと始まりを、過去の懐かしさと未来の待ちきれなさを同時に感じさせるようなあのピュアな声には、いつも心を揺るがされるのだが、今回は特に「この声を生で聞くのはこれが最後だ」という感慨が思い出されたように沸き起こり、涙を流しながら舞台に向かって幾度もカメラのシャッターを切った。

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』 [撮影]吉永美和子

そして舞台が終わり、カーテンコールの時間がやってきた。役者たちが挨拶をし、続けてスタッフたちも舞台に登場。ほぼ観客全員がスタンディングオベーションを送り、舞台上の人々も何度も頭を下げる。その中央にいる平野をよく見ると、その手には松本雄吉の写真が掲げられていた。やがて客電が付き、退場の時間となったが、多くの観客が居残って舞台の写真を撮っていき、余韻を楽しむようにしばらく劇場を眺めていくのは、日本とまったく同じ光景だ。船の形の劇場の帆先には、雲のようにもくもくと茂る木々が照明で輝き、さらにその向こうには高層ビルの明かりが見える。奈良公演では、まるで幻の海の上を漂っているように見えたこの劇場だが、今回はまるで雲の上から地上の光を見ているんじゃないかという錯覚を起こさせた。

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』アンコール [撮影]吉永美和子

そして屋台村の方に行くと、開演前よりもさらに多くの人が飲食を楽しんでいた。ビールの屋台前には長蛇の列ができ、食べ物系の屋台にいたっては、8時前だというのに完売でクローズしている所もあるほどの盛況ぶりだ。その大勢の客の中には、台湾公演には参加できなかった維新派スタッフたちや劇団員OB、顔なじみの維新派ファンの姿も見える。白塗りを落とした役者たちも次第に姿を見せ、日本からの来訪者たちと次から次へと談笑をしている。大阪から飛行機で3時間も離れた異国の地で、維新派公演のたびに何度も目にした光景が目の前で繰り広げられているということに、ふと不思議な心持ちを覚えた。初めて食べるのに妙な懐かしさを感じる、台湾独特の甘いソーセージ「香腸」の味も、その気分を増幅したかもしれない。

まだまだ夜はこれからという8時半頃、2日後には締切というこの公演のレポートの原稿があったため、自転車を駆ってホテルに戻ることに。打ち上げ会場に向かうために集合していた維新派メンバーたちの前をたまたま通りかかり「自転車で来るとか地元の人みたいやなー」とからかわれながら、会場を後にした。とはいえその途中、足裏マッサージを受けたり、24時間営業の小籠包の店で腹ごしらえなどをしたりと、往生際が悪いぐらい最後の台湾の夜を味わってはいたのだけど。

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』終演後の屋台の様子 [撮影]吉永美和子

漢字だらけの看板が立ち並ぶ大通りを自転車で駆け抜けながら、これで維新派が終わるという落胆よりも、まるで彼らの華やかな門出を見送ったような誇らしさとすがすがしさの方が、自分の心を大きく占めていることを感じていた。奈良公演の千秋楽の時も「これは新しい旅の始まりだ」ということを、このサイトのレポートで書き記したが、それと全く同じ気持ちが……いや、過去よりも未来へと向かうムードが強く、アジアの海に向かってさらに大きく開かれている街・高雄で上演したからこそ、その気持ちがさらに強まったのかもしれない。ここで彼らの、新たな漂流の始まりを見届けることができて良かった……と、やや感傷的になっていると、危うくホテルの前を通り過ぎる所だった。

明日……というかこの日の昼過ぎとなる帰国の準備を終えた後、つい数時間前に観た舞台を必死で思い返しながら原稿を書き記し、一息ついたところでホテルの窓から台湾の夜の空を見上げる。朝から雨になると予報が出ている空には、すでに薄い雲が広がり、その合間には月明かりらしい光がぼんやりと見えている。その空の上から、松本雄吉の「ようここまで来たなあ。ありがとうな」という声が、ふと聞こえたような気がした。

維新派 『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』終演直後の劇場 [撮影]吉永美和子

取材・文=吉永美和子

公演情報(終了)
維新派 台湾公演『AMAHARA~當臺灣灰牛拉背時』
※「2017衛武營藝術祭 WEIWUYING ARTS FESTIVAL」参加作品

 
■日時:2017年10月28日(土)・29日(日)、11月4日(土)・5日(日) 17:15~
■会場:衛武營戶外園區 Weiwuying Outdoor Grounds
■脚本:松本雄吉
■音楽・演奏:内橋和久
■構成・演出:松本雄吉、平野舞
■出演:金子仁司、井上和也、福田雄一、うっぽ、石本由美、吉本博子、今井美帆、奈良郁、石原菜々子、伊吹佑紀子、坂井遥香、松永理央、衣川茉李、平山ゆず子、室谷智子、山辻晴奈、大石英史、下村唯、樽谷佳典、松井壮大、市川まや、大石美子、日下七海、李仁喨、吳欣怡、何明庭、吳昭瑩、宋政憲、姜品濃、胡雅絜、張嘉玲、張釋分、楊智翔、楊穎主、謝鳳庭
■主催:衛武營國家藝術文化中心 National Kaohsiung center for the Arts (Weiwuying)
■演劇祭公式サイト:http://waf.npac-weiwuying.org/
■劇団公式サイト:http://ishinha.com