影山ヒロノブ、高崎晃、井上俊次が今と昔のLAZYを赤裸々に語る~彼らが語る原点とは

2017.12.5
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――そうなんですね。今作の全3曲はまだデモ音源しか聴いてない状態でして・・・。

影山:あのデモを聴いてるの? 僕の曲なんて歌とアコギしか入ってないやつですよ。マジで!

井上:あれにリズムも入って、ドシッとした感じになりました。まだ歌は入ってないけどね。

――今作は3人の楽曲が1曲ずつ持ち寄った形ですよね?

井上:そうですね。デビュー曲「Hey! I Love You!」で作詞をしてもらった森雪之丞さんに歌詞を2曲書いてもらう形です。

高崎:森雪之丞さんとカゲの相性は最高なんでね。

影山:「CHA-LA HEAD-CHA-LA」は森雪之丞ですからね。かまやつひろしさんのお別れ会に行ったときに、森さんにお会いして、また何かやりましょうと。

井上:こういうことをやりたいんですと伝えたら、森さんから是非!という返事をいただいて。40周年ということもあって、何かメモリアル的なものができたらいいなと。

――そういう経緯があったんですね。それで今年LAZYが40周年を迎えたということで、お一人ずつこの40年を振り返って、どんな思いがありますか?

井上:よく影山君とも話すんだけど、40年前にかまやつさんから「東京に来い!」と誘われなかったら、大阪のアメリカ村でロックスナックでもやってたんじゃないかと。

影山:ははははは。

井上:とはいえ、LAZYは3年半で解散したので、大阪に帰ることも考えなかったし、東京で音楽の仕事をしたいと模索し続けた40年ですかね。亡くなったメンバーもいますけど、こうしてLAZYができるのは本当に幸せなことだなと。

――では、影山さんは?

影山:40年間歌い続けているけど、途中で低迷期もあったし、その中でLAZYは自分にとって心のより所になってますね。嫌なことがあっても、LAZYのヴォーカルだから、こんな中途半端に辞めれないだろうって。で、たまたまアニメの主題歌を歌う仕事が増えて、運もあり、ここまで続けてこれたのかなと。今は月2本アコギの弾き語りコンサートをマストでやっているんですけど、今年初めに奄美大島と、その隣にある喜界島という、普段行けないところに足を運んだんですよ。そこにアニメのファンも来るんですけど、LAZYのファンも絶対いるんですよ。

――それは凄いですね!

影山:まあ、僕と同じ世代の人たちなんですけど、「すいません、これにサインいただけませんか?」って、シングル盤とか持ってくるんですよ。

高崎:「赤頭巾ちゃん御用心」(3rdシングル)持ってくるの?

影山:持ってくる。そこでタッカンやったら、バカヤロー!って感じやろ?

高崎:円盤投げするな(笑)。

――はははは。

影山:LAZYがバリバリやっていたのは3年半ぐらいだけど、この40年間は大なり小なり支えられてきたし、今回40周年でシングルとツアーをやらせてもらえるのは自分にとってもスペシャルな出来事ですね。タッカンが小学校6年でフォークギターを始めなかったら、俺は間違いなくミュージシャンになってないと思います。

――高崎さんの姿を見て、影山さんもギターを弾き始めて?

影山:そうですね。初めて買った洋楽はクイーンの『QUEEN Ⅱ』でしたね。

高崎:最初にライヴを観たアーティストは?

影山:フォーカスというオランダの3人組かな。

高崎:ああ、それだったら、一緒に行ってるわ(笑)。マニアックだよね、ギターはヤン・アッカーマンですからね。最初の感想は「外人や!」って、そんな時代ですからね。

井上:みんなで観に行ったのはディープ・パープル4期かな。レインボーも一緒に行ったもんね。

影山:椅子を障害物競走みたいに乗り越えて、みんな前に詰めかけてましたからね。

高崎:ひとつ前の席にジョージ紫さんがいたなあ。

井上:そうそう。

高崎:沖縄公演はなかったから、たぶん大阪公演まで観に来たのかなと。当時のレインボーはカリスマ性があったしね。

――座席のある会場でも前に人が詰めかけるのは、おおらかな時代だった頃のエピソードですよね。

影山:そうですね。だって、ソールド・アウトだけど、みんな前にいくから、後ろはガラガラでしたからね(笑)

高崎:ほんまに危ないもんね。死亡事故が出るような時代ですからね。

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