新国立劇場オペラ 『ラインの黄金』ゲネプロレポート
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「リング四部作を上演できることは劇場の誇り」と飯守泰次郎芸術監督が語る、新国立劇場の『ニーベルングの指環』の序夜『ラインの黄金』が10月1日、遂に開幕した。これに先立ち、9/28に行われたゲネプロ(2時間45分・休憩なし)を見学したので、お伝えする。
最初に目をひいたのはゲッツ・フリードリヒの演出の斬新さ。演出家が手掛けたうち最後の『リング』となったフィンランド国立歌劇場でのプロダクションだが、表現主義的で視覚的、それまでのリングのイメージを覆す、驚くような大胆さがあった。
人間の目の形をした巨大な図形が一面に設置され、そこにブルーの光線が放射されて、波のような視覚的効果をあらわし、前奏曲の執拗なモティーフの繰り返しとシンクロしていく。傾斜した床がラインの河床を暗示し、ラインの乙女たち--ヴォークリンデ、ヴェルグンデ、フロスヒルデが艶やかな声で小人アルベリヒをからかう。増田のり子、池田香織、清水華澄がいたずらな乙女たちを妖艶に演じた。傾斜した床の上で芝居も多く、歌唱も息を着く間もないほどのシーンだが、大変丁寧に準備されていた。3人の乙女は全員素晴らしいが、清水の生命力に溢れた美声が印象に残った。
アルベリヒは化け物じみた仮装ではなく、ここでは貧しくて善良で運の無い男に見える。黒いジャケットとズボンを着たトーマス・ガゼリが演じた。乙女たちとの滑稽なやりとりを、かなり「芝居を入れて」歌っていた。アルベリヒの卑屈さと「愛されぬ」怨念が、グロテスクというより普遍的な実存の痛みに感じられるふしもあり、人間の根源にある恐怖や憎しみに考えが及んだ。ラインの黄金は金色の大きなボールで表され、アルベリヒがそれをひょいと持ち上げて逃走する仕草は呆気にとられるほど痛快だった。
ヴォータン役のユッカ・ラジライネンは明るい響きをもつバリトンで、トレードマークのアイパッチが、遠くから見ると黒いペインティングに見えた。フリードリヒ演出には『リング』の登場人物を、大小の差はあれど均質な解釈からズラそうとする意図が感じられる。ここではヴォータンはまだ若くて未熟な神であり、すぐに激昂し動揺し、音楽もあまり複雑ではない。フィンランド生まれのラジライネンは、フリードリヒのプロダクションを上演したことがあり、演技面で安定感があった。
正妻フリッカを歌うシモーネ・シュレーダーはボリュームのあるドラマティックな声で、素晴らしいカリスマ性を放つ。セットそのものに反響する仕組みがあるのだろうが、シュレーダーの声は空間にとても映えた。フライアの安藤赴美子は美しく、不安げな表情を研ぎ澄まされたリリカルなソプラノで表現した。
新国立劇場でのローゲ役がロール・デビューとなるステファン・グールドはバイロイト音楽祭でも常連のスター歌手。フリードリヒのプロダクションではローゲは「ビジネスマンにとっての弁護士のような存在」(グールド談)として描かれる。三つ揃いのスーツと眼鏡をつけたローゲは、赤いマントを羽織るとまるでシャーロック・ホームズで、白い襟付きのローブを着たヴォータンが「ロード・オブ・ザ・リング」風なのでかなりのミスマッチ感が出る。巨人族の兄弟ファーゾルト(妻屋秀和)とファフナー(クリスティアン・ヒュープナー)に至っては、消防士のコスチュームで登場するのだ。衣裳の奇抜さに気を取られつつ、グールドの饒舌なトリックスターとしての演技と、輝かしいテノールの美声には圧倒された。勢いで歌うのではなく、歌唱にとても内容があり、密度のある役作りだった。ドイツ語のディクションも一番美しく感じられたのがアメリカ人のグールドだったのも興味深い。
アルベリヒが盗んだ黄金で弟ミーメに指環を作らせるシーンでは、鍛冶屋のミーメの作業場のセットが見事だった。床がせりあがって、地下から怪しげな「工房」が表れるのだが、柱に貼りつけられた<DANGER>というたくさんの電飾が、転換の間に<ANGE>に見える瞬間があり、ゴダールの「危険<DANGER>の中には天使<ANGE>がいる」という言葉遊びを思い出した。まさに黄金とはそのようなものなのだろう。
ミーメ役のアンドレアス・コンラッドは名役者で、横暴者の兄から虐待され、過酷な労働に励む報われない鍛冶屋を、細かい演技で道化的に演じた。バイロイトでもミーメを歌っているが、一流の「ミーメ職人」で、『ジークフリート』でのミーメの活躍が楽しみになる。アルベリヒが「大蛇」と「カエル」に変身する件は、あっと驚く仕組みが。ローゲ役のグールドはこの場面も巧みだった。
超越的な存在としての智の女神エルダは、歌手にとっても「歌い得」な役。クリスタ・マイヤーが慈愛溢れるメゾ・ソプラノで、勧善懲悪のお告げを歌い綴った。エルダの「顕現」の仕方も興味深い仕掛けがあった。
指環の災厄を表す、人質となったフライアと黄金の引き渡しのシーンは、大きな緊迫感を醸し出す。映画『天井桟敷の人々』を彷彿させるピエロ姿の幸福の神フロー(片寄純也)と、ボクサーの扮装をした雷神ドンナー(黒田博)が活躍し、黒田の独唱にはオペラ終盤の流れを一気にクライマックスへ高めていく役割があった。長丁場の最後の最後に見せ所がある役だが、見事な集中力で熱唱した。
ヴァルハラ入城のラストシーンは、美術と照明スタッフの腕の見せ所かも知れない。ここではシンプルな「光」のみが城までの道程を表し、神々がガヴォットを踊るように優雅に城へ歩を進める様子が印象的だった。ワーグナーを隅々まで知り尽くした飯守泰次郎の指揮で、胆力のある演奏をこなした東京フィルハーモニー交響楽団も圧倒的。異化とクールダウンを繰り返す個性的な演出を、「熱く」支えていたのはオーケストラの集中力であった。
『ラインの黄金』10月17日まで上演される。
[取材・文=小田島久恵]
日時:2015/10/1(木)~2015/10/17(土)
会場:新国立劇場 オペラパレス
指揮:飯守泰次郎
演出:ゲッツ・フリードリヒ
出演:黒田 博/片寄純也/ステファン・グールド/妻屋秀和/クリスティアン・ヒュープナー/トーマス・ガゼリ/アンドレアス・コンラッド/シモーネ・シュレーダー/安藤赴美子/クリスタ・マイヤー/増田のり子/池田香織/清水華澄
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
※やむを得ぬ事情により内容に変更が生じる場合がございますが、出演者・曲目変更などのために払い戻しはいたしませんのであらかじめご了承願います
演目:オペラ「ラインの黄金」/リヒャルト・ワーグナー 全1幕〈ドイツ語上演/字幕付〉
公式サイト:http://www.nntt.jac.go.jp/opera/dasrheingold/