『北澤美術館所蔵 ルネ・ラリックの香水瓶-アール・デコ、香りと装いの美-』展レポート 冬にぴったりの、香りたつイマジネーションの世界
小型常夜灯《忘れな草》1919年
化粧の仕上げは香りである。髪を整え、肌をいろどり、最後に香水を添える。香りから想起されるさまざまなイメージを纏うのだ。薔薇の朝露、シダのさわやかな葉陰、ロータスの神秘的な花。香気の中から生まれたような気分を求めて……。
そんな香りのイメージを創った人がいる。ガラス工芸家、ルネ・ラリックだ。
この冬、渋谷の松濤美術館では、『ルネ・ラリックの香水瓶』展が開催されている。ガラス芸術作品コレクションで名高い、長野県諏訪市の北澤美術館の所蔵品に、アール・デコ時代のドレスやファッション・プレートが加わり、ラリックとアール・デコの美を体感できる展覧会だ。
時代の流れに乗って生み出された香水瓶
香水瓶《彼女らの魂》ドルセー社 1914年
ルネ・ラリックは、アール・ヌーヴォーの時代にジュエリー作家として成功を収めたのち、20世紀に入りガラス工芸家に転身。アール・デコというモダンなスタイルを創り上げ、数々の名作を残している。そんな彼の成功に大きな役割を果たしたのが、香水瓶である。
当時のヨーロッパでは、歴史の転換期とともにライフスタイルにも大きな変化が訪れた。一部の富裕層のものだった香水や化粧品が大衆化し、ファッションの世界では体をしめつけるコルセットが消え、現在のようなゆったりとしたスタイルへと移行したのだ。
なかでも、特に大きな経済効果を生み出した商品は香水だった。香水商フランソワ・コティは、自社製香水の魅力を効果的に伝えるため、ジュエリー作家として成功していたラリックに香水瓶のラベルデザインを依頼した。素っ気ない香水瓶に、香りをイメージさせるロマンチックなガラス製ラベルを貼り、宣伝効果を狙ったのである。
依頼を受けてラリックが制作したガラスのラベルは大好評となり、これをきっかけにさまざまな香水瓶の制作を手がけるようになった。彼はジュエリー制作でつちかった技術を応用し、香りの魅力を形で伝えるデザインで香水瓶の概念を超えた美しい作品を生み出した。
ガラスの芸術がみちびく香り
会場風景
展覧会会場の地下では、第1章としてコティ社をはじめとする初期作品。第2章では、斬新な発想を究めた香水瓶類。第3章で、化粧道具やアクセサリー類が展示されている。
香水テスター《ドルセーの名声》ドルセー社 1920年 香水名が刻まれたストッパー。拡大鏡で確認できる
初期作品の香水テスターは、ストッパー(蓋)部分が花の形になっており、それぞれに各香水の名前が小さく刻まれている。展示では、ストッパーを拡大鏡で鑑賞することも可能だ。肉眼では見えにくい部分にまで配慮する細やかさに、ラリックの本質が感じられる。
香水瓶《バラ窓形の人物像》 1912年
さらに、ストッパーがティアラ(宝冠)型になっている斬新な作品や、つまみ部分が見事な彫刻になっている作品には驚かされる。たわわに実るカシスの実が香水の上に垂れ下がり、ツバメたちが元気に飛び回り、バラの妖精が香気の上にやさしくたたずむ……。
初めてこれらの作品に接した人々は、どんなに胸を躍らせたことだろう。誰もがこの美しい蓋をそっと外し、中の香りを嗅いでみたい、と望んでしまうはずだ。見たことのない美しい花に出会い、香りをかぐときのように。
小さな女性の裸体が型吹きプレスされた作品では、筋肉がリアルに表現されているのに驚く。また、花型の空洞を持つ香水瓶《カーネーション》の立体感も絶妙だ。こうした彫刻部分に香水の色がうっすらと乗ると、さらに立体感が強調される。色付きの香水瓶においては、全体に香水の色が入ることで存在感の重みが増す。
デザイン画
アーティストなら、作品の完成形を必ず想定する。ラリックは瓶に香水が入り、日常光が当たった状態から、蓋を取り使われていく過程も計算していたはずだ。
どの作品も香水が入っていたなら……と想像しつつ見ていくと、面白い発見がある。
ガラスのアクセサリー類
ロマンチックな感性が冴えるモダンデザイン
(左から)マドレーヌ・ヴィオネ(1876-1975)《イヴニング・ドレス》1923年、ジャンヌ・ランヴァン(1867-1946)《イヴニング・ドレス》1936年、ポール・ポワレ(1879-1944)《イヴニング・ドレス》1920年頃
2階展示室では、第4章として第一次世界大戦後のモダンでスタイリッシュなスタイルの作品を中心に展示されている。また、ポール・ポワレやランヴァンのドレス、1925年のアール・デコ博覧会の貴重な資料も見ることができる。
特別展示 アールデコ博覧会の資料
ラリックがアール・デコ博覧会で出品した、ガラスの噴水モニュメントは興味深い。夜間照明を組み合わせた噴水で、現代のイルミネーションに通じるものがある。
香水瓶《真夜中》シリーズ ウォルト社 1924年
本展のメインビジュアルとなっている球体の香水瓶《真夜中》は、夜空を表現した洒落た作品だ。青く塗り込めた背景に透明の星が立体すかしとなってちりばめられており、香水が入っている時の星は金色に、減ってなくなった部分の星は銀色に見えるよう工夫されている。
こうした後期のデザインは、シンプルな形にあっさりとしたパターン模様が施されていたり、はっきりした色を使うなど、時代に即したモダンデザインでありながら、ロマンチックな世界を表現しているところがラリックならではだ。
知らず知らずラリック体験
(左手前から時計回りに)香水瓶《青い目》カナリナ社 1928年 共箱付、香水瓶《リラ》ウォルト社 1937年 共箱付、香水瓶《バラ》ウォルト社 1937年、香水瓶《すみれ》ウビガン社 1919年 共箱付
この階で展示されている香水瓶のデザインの中には、メーカーにより、80年代頃まで廉価な香水瓶に姿を変えて用いられていたデザインがある。筆者自身、知らず識らずその恩恵にあずかった一人である。
学生時代、筆者は小さな贅沢を求めてスーパーマーケットの化粧品売り場に行った。商品棚には学生でも買えるオーデコロンのテスターが並んでおり、その中でもひときわ目を引くボトルがあった。円筒型のアトマイザーで、立体的な小花柄がガラス部分に全面エンボス加工されていた。
香水を嗅いでみた。若々しい女性が早春の野原で花かごを腕にかけている。そんなイメージが浮かんだ。小花模様から想起されたのだろう。香りもボトルもすっかり気に入り、以来その香水を使い続けている。
その香水は、ラリックがデザインを手がけたウォルト社から発売されていたものだ。花柄のエンボスは、今回展示されている香水瓶《バラ》《リラ》からの流用だと後に気がついた。
無論、廉価版で流通していたボトルでは、オリジナルとは比べものにならないが、それでも花の息吹をまとう気分になったものだった。筆者と同じような体験をした人が世界中にいるはずだ。ラリックが作品を通して人々に与えた美の恩恵は、はかり知れない。
イマジネーションの香り
美は、ガラスのように繊細で壊れやすい。香水のように儚く消える。そして、空になった香水瓶を誰もが心に持っているものだ。だが、実は、誰もが尽きることのない、見えることも、匂いもない香水を持っている。
香水の名前は、イマジネーション。空になったラリックの香水瓶に、自由な想像力を注いでみよう。
真夜中に輝く銀の星を数え、ガラスの花を覗き、セイレーンの歌声を聴き、牧神の口づけを盗み見る……。冬のロマンチックな季節にぴったりの『ルネ・ラリックの香水瓶』展。大切な人とともに、美しいひとときを味わってほしい。
二階入り口 白井晟一デザインの空間はラリックに素晴らしくマッチしている
日時:2017年12月12日(火)〜2018年1月28日(日)
会場:渋谷区立松濤美術館
公式サイト:http://www.shoto-museum.jp/exhibitions/176lalique/