OMS戯曲賞佳作作品を20年ぶりに再演。『匣の階』久野那美にインタビュー

インタビュー
舞台
2018.1.19
久野那美(匣の階) [撮影]吉永美和子(人物すべて)

久野那美(匣の階) [撮影]吉永美和子(人物すべて)

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言葉ができる一番すごいことは「嘘をつくこと」だと思っています。​

大阪を拠点に、一風変わった会話劇をマイペースで発表している演劇ユニット「階」。作・演出の久野那美が、公演ごとに俳優やスタッフを集めて新しい「○○の階」を作り、公演が終わったら解散するというシステムになっている。今回結成された「匣(はこ)の階」では、昨年9月に上演した朗読劇『Port』に続き、久野が「第5回OMS戯曲賞」の佳作を受賞した『パノラマビールの夜』を、何と20年ぶりに再演する。山の上にあるビアガーデンを舞台に、そこにたまたま集まった人々が「壊れてしまったもの」への思いを語っていく会話劇だ。その久野那美に、今回の作品だけでなく、演劇および言葉に対する意外にも(?)熱い思いなどについて聞いてきた。


■壊れた町の話というより、壊れた町との距離の取り方に悩んでる人たちの話。

──20年ぶりの上演ということですが、何か改訂する所などはありますか?

台詞の隙間がすごく大きくて、日常会話っぽく聞こえないかもしれないので、表現を変えた方がいいのかなあと思ったりもしましたけど、でも結局台詞はほとんどそのままにして、俳優に間を埋めてもらってます(笑)。詩の暗唱をしてるみたいな舞台にはしたくないので、物語と会話……言葉のやり取りが、ちゃんと会話に見えるようにということを、すごく細かく。最初、若い俳優さんは「そんなに細かい会話劇をやったことがない」って戸惑ってたんですけど、やっぱり半年も稽古をしていると変わっていくから、それがむちゃくちゃ面白いです。

──この作品は「壊れた町」というのが大きなモチーフとなってますが、やはり初演の3年前に起こった阪神・淡路大震災を意識して書かれたんでしょうか?

OMS戯曲賞を受賞した時に、やはり記者の皆さんに同じことを聞かれて、答えられなくて何分間も黙ってしまいました。でもちゃんと話すとすれば、神戸は関係なくないです。私は神戸生まれなんですけど、個人的な事情があって兵庫県から離れました。震災の時は大阪に住んでいて、倒壊の様子や火事をTVで見て、「自分はここで何も言えない」という強烈な罪悪感と同時に、真っ暗になってしまった神戸の空に、きれいに光っているたくさんの星のことを思い浮かべました。こんな時にそんなことを考えている自分は、人として最低だと思って、3年ぐらい震災のことは考えないようにしていました。

──そこからなぜ、この作品を書こうと決めたのでしょう。

同世代の作家と震災の話になって、ある人が「震災の時、自分はとにかく神戸を見に行った。そういうことが起きた時は、作家は自分の目でちゃんと見ないといけないと思う」と言った言葉に、ものすごくビックリしたんです。私は、その出来事を自分と切り離して、客観的に冷静に見れる対象にはとてもできなくて……見に行けなかったというか、見に行くことを思いつきもしなかったから。そうやって見に行ける人が(演劇で)社会問題を書くんだ。だとすると、作家が現実の社会の問題を扱うってことは、距離を置いて冷静に見られる「遠くの問題について」書くことなのかなあ……と混乱しました。でもその時に初めて神戸のことを考えてしまって、考えた以上もう自分の中で始末をつけないといけなくなってしまって、それを何とかしようと思って書き始めたんだと思います。だから「震災とは関係ないですよね?」と言われたら、それはちょっと違う気もする。でも一方で、ああいう状態になった神戸の街について考えることは、震災の問題という以前に、私にとってはもっと何かすごく個人的な問題だったので、「震災を書いた」というのもまたちょっと違う気がしていて。さらに言うと、あの話は壊れた町の話というより、壊れた町との距離の取り方に悩んでる人たちの話なので、「震災」という言葉を劇中では誰も使ってないんです。だから観た人の中には震災ではなく、失恋の話と思った人もいました。

匣の階『パノラマビールの夜』公演チラシ。 [撮影]紅たえこ

匣の階『パノラマビールの夜』公演チラシ。 [撮影]紅たえこ

──今読み返してみて、他にも「あ、こんなことを書こうとしていたんだ」と気づいたことなどはありますか?

私はずっと同じことを書いてる気がするんですけど、名付けることで得られるものと、失くすもののこと……何かに最初に遭った時って、それに対して名前って浮かばないし「何かが起こった」としか思わないじゃないですか? たとえば一人目の友達って<友達>じゃないって、私はいつも思うんですけど。次にもう一つ同じようなものを見たり、同じ体験をした時に、やっと一番目のものに名前が付くんじゃないかって。

──「ああ、これが友達ってものなんだ」って。

「恋愛」っていうと、もっとわかりやすくなるかもしれない(笑)。一番目と二番目が、同じグループのものだという理解をしたから「恋愛」という言葉が生まれた。名前が付く瞬間っていうのは、「この世にひとつしかないかけがえのないものだと思っていた一番目のものが、かけがえのないものではなくなる瞬間」ですよね。この人だけが唯一無二の相手じゃなくて、二番目や三番目があるということがわかった時に、恋愛という概念ができるんだと。その言葉でいろんな人と、その概念について共有できるようにはなるけども、でも一番目のかけがえのなさ、他とは比べものにならないという感覚はなくなってしまう。その感覚と引き替えに、人はいろんな言葉を獲得していくんじゃないかと。この作品でも「私にとって一つ目の町は町ではなかった。なぜならば私が町という言葉を覚えたのは、あの町ではなかったから」というような台詞があるんですけど、言葉に対する私のイメージはそういうもの。一つ目と二つ目っていうのは、根本的に違うんです。

匣の階『パノラマビールの夜』イメージ写真 [撮影]紅たえこ

匣の階『パノラマビールの夜』イメージ写真 [撮影]紅たえこ


■立ち位置よりも台詞の「音」が変わる方が、私にとっては困る。

──再演に当たって、演出で大事にしているポイントなどはありますか?

……吉永さん、演出って何だと思いますか?

──逆質問来ましたね(笑)。単純に言うと「脚本があって、それをどうビジュアル化するかを考える作業」でしょうか。たとえるなら「この子(脚本)にどういう服を着せたら素敵に見えるか?」を考えるという。

そのたとえで言うなら、私は「この子はどういう服を着て生まれてきたのかな?」と思うんです。一昨年演出家のコンクールで、テネシー・ウィリアムズの『財産没収』を演出したんですけど、他の演出家が戯曲の構造や背景にあるものをとらえて再構築したり……という作業をキチンとされているのに、私は「どうしたらこの戯曲を<そのまま><そうでしかない形に>劇にできるだろうか」と考えてたんです。その結果、俳優やスタッフワークはすごく誉められたけど、演出は何をしたの? みたいな感じになって(笑)。

──演出をしてないんじゃないか? という疑惑が。

私が稽古場でしてるのは、演出じゃなくて観劇なんじゃないかと、日々悩んでいます(笑)。でもその時講評で言われたのは、時代も国も(今の日本と)違う、俳優も登場人物の年齢と全然違う、台詞も翻訳物の戯曲をそのまま上演して「どう考えてももっと不自然になるはずなのに、台詞が異常に自然だった」と。それを聞いて私は「そうだろうなあ。だってもっと不自然な台詞を、この俳優たちはいつも私の劇で言ってくれてるんだから」と思いました(笑)。その時に、会話が自然に成立するかどうかは、会話の<内容>とは関係ないんだって、確信しました。

船の階『海に送った灯』(1999年)

船の階『海に送った灯』(1999年)

──となると重要なのは?

距離感です。まずは音です。たとえばこうやって(取材で)しゃべっている時に、相手がいきなり「(高い声で)でもね」って言い出したら、多分会話に聞こえなくなるんですよ。人と人の間の距離感がおかしくなるから。でも舞台だとそういうことやっちゃうんですよね。というような、人が生理的に絶対やらないこと、逆にやることを具体的に考えて組み立てていくと、どんなやり取りだって会話になるはずだと思うんです。当事者の間で成立してればいいわけですから。「晩御飯のおかずは何がいいか?」でも「憲法は改正されるべきか?」でも「箱と壺は対立概念なのか?」でも。どの話題だと自然な会話になって、どの話題だとそうならないのかを、会話の外にいる人が決めるのはおかしい。会話の当事者同士が、生理的に納得できて共有できる音と距離で言葉をつないでいれば、会話になるはずだと。だから楽団のリハーサルみたいですよ、うちの稽古。「音が高い」とか「入るのが早い」とか、息をどこで吸うかとか、そういうことばかりを。

──そう言われると確かに「階」の舞台は、いつも耳に心地いいですよね。

逆に「ミザンス」(立ち位置の舞台用語)って言葉を去年初めて覚えたぐらい、俳優の立ち位置はあまり考えてないです。動きとか、どこで出てくるかもあんまりきっちり決めない。稽古のたびに全然違う人もいますし、本番中でも変わります。決まるものは自然に決まっていくし、決めたくないわけではないので、俳優が決めてくれるのは全然構わないです。昨年の『・・・』の時は、変則的な舞台の配置にしたので、空調のスイッチが舞台上にある状態になってしまって「本番中に暑かったら、不自然じゃない所で各自消して下さいね」って、俳優に言いました。だって本番中にそれを操作できるのは俳優しかいないし、登場人物も暑くなったら消すと思ったので。

──でも音が不自然になるのは我慢ならないと。

音は気になる。すごく気になる。立ち位置は毎回違っててもいいけど、音が変なのは嫌なんです。やっぱり言葉は音だと思うんで。でも音は案外結果で、俳優の演技が良い感じになっていると、いい音になるんです。台詞は始まりじゃなくて結果。空間のことは本当に、私全然わからないんですよ。脳味噌が3D対応していない。でも音とか呼吸とか時間とかが距離感を表しているから、その距離感が合っていれば細かいことはいいやって思うし、むしろ音によって距離感が変わってしまうことの方が困ります。

缶の階『椅子に座る女/椅子を並べる男』(2014年)

缶の階『椅子に座る女/椅子を並べる男』(2014年)

──内容に関しても、ある人が壊れた町の話をすれば、ある人は壊れようとする星の話をして、それらの話題が重なるようで重ならないというおもはゆい感じが、他にはないと思います。

私(作品を紹介する時に)あらすじが書けないんですよ。あらすじって、登場人物によって変わりませんか? 当事者から見たら、全員が(その話の)主役なわけだから、ある登場人物にとっての「その話」と、別の登場人物にとっての「その話」は全然違うはず。誰にとっての話を書けば公式のあらすじになるのかが、いつもわからない(笑)。みなさんどうしてるんでしょうか?
 
──多分みんなどこかの時点で、割り切ってるんでしょうね。久野さんの作品は、同じ光景と同じ時間を体験したはずの人たちでも、そこで見たものや感じたことまで同じにはならないということをちゃんと描こうとしているから、そういう混乱が起こりやすいのかもしれないです。

演劇の面白いところは、人によって見ているものは全然違うということを、目の前で実感できることだと思うんです。一人称の小説では、それができない。なので最低でも、登場している人物の数だけの物語が、そこにある状態にしたいなあと。場合によっては、登場していない人物にとっての物語もあったりします。劇の中では、登場人物はみんな違うものを見ている。見る方向によって誰が正しいということもできるけど、劇の統一見解として、特に誰の見方が正しいかを決める必要はないと思っています。見るたびに「今回はこの人の視点で観てみよう」と、違う話が体感できる舞台にしたいんです。

──だとすると、作家が無理に物語の正しい方向や、結論めいたことを提示する必要は特にないという。

変な言い方ですけど「結論を出せることは、劇が始まるまでに各自済ませて来てください」って、登場人物のみなさんにはお願いしたいです。何かを解決しようと思っていろいろやっても、絶対解決できなくて残ってしまうもの……それが物語だと思うから。だから「階」の場合、ストーリーがお客さんの見方によって、全然違ってくることは普通にあります。お客さんに「これってこういう話ですよね?」と言われて「なるほど! そうだったのか……」って思わされたりもします。

Recycle缶の階『話すのなら、今ここにないもののことを話したかった。 今ここにないものの話ばかりしようと思った。』(2016年) [撮影]紅たえこ

Recycle缶の階『話すのなら、今ここにないもののことを話したかった。 今ここにないものの話ばかりしようと思った。』(2016年) [撮影]紅たえこ

 

■相手は「劇」なんだから、フィルターは盛大にかけたい。

 

──「第22回OMS戯曲賞」の選評で、選考委員の佐藤信さんは久野さんの戯曲に対して「演劇の概念を再規定しようとしている」と言ってましたね。

でも私、昔から「人間が書けてない」って言われるんですよ。昔ある大先輩には「演劇は人間を書くものだ。あなたは星ばっかり書いてるけど、それは地に足が着いてないからだ」って言われました。私は「地に足が着いてないと星は見えないんですよ」って答えたんですけど(笑)。

──見事な切り替えしですね。

「人間」っていうものを、自分が書ける範囲のものだと最初から定義するのって、すごく不遜じゃないですか? 人間ってもしかしたら書けないものかもしれないのに「人間が書けてない」ってサラッと言ってしまうのを聞くと「じゃあ、あなたの定義してる人間とは何ですか?」って思います。「社会が書けてない」も同じかと。自分が感じてること考えてること悩んでることを書いて「人間らしくない」とか「社会を描けてない」って言われると、なんか理不尽で。「私の作品なのに、実在の私よりもあなたの思う<人間>が優先されるのですか?」って思ってしまう。だって私人間だし…… 社会の中で生きてるし……。でも今は昔よりも「人間や社会を書かないといけない」って感じではないですよね? 私がというより、社会の考え方として。

──そうですね。20年ほど前に比べたら、星ばっかり見ているような作品も、広く受け入れられるようになってきたかなと思います。

これは、ある女性作家さんと話してたんですけど。特に若い頃って「もっと君は自分の傷をさらけ出して書かなきゃダメだ。もうちょっと傷ついて生きてこい」って話を劇作家の先輩からされることがあるんですけど、何かピンと来なかった。今でも。私もその方も、傷を「傷ついたんです」って書くのは嫌なんです。それを観て感動するのも何か気持ち悪いと思う。他人の生の傷を娯楽にしてるみたいなのは、どうなんだろうかと。

──確かに一時、傷をストレートにさらけ出してナンボみたいな風潮がありましたからね。久野さんも確かに傷はあるんだろうけど、でもそれに対してものすごく厚いフィルターをかけた上でさらけ出してるって気がします。

フィルターは盛大にかけたいですね! でなかったら、フィクションにする意味がない気がする。だって演劇自体が壮大なフィルターじゃないですか? なんでわざわざ傷をそのままさらけ出すようなことを、フィルターを贅沢に使えるジャンルでやるんでしょうか。だって「劇」ですよ? フィルター外しちゃったら劇的じゃなくなるじゃないですか。

点の階『・・・』(2017年) [撮影]紅たえこ

点の階『・・・』(2017年) [撮影]紅たえこ


──ただ久野さんが描いている会話には、確かに厚いフィルターがかかってるけど、ビジュアルは割とリアルというか、ファンタジーな感じは全然しないですよね。

戯曲のことばの選び方から、すごくファンタジックでふんわりした、抽象的な感じの舞台を想像する方も多いんですが、そういう演出をすると、何か嘘を嘘で言ってるみたいな話になるので、私はできるだけ”普通に”やりたいなと思う。普通というか……俳優の身体や劇場空間に、すんなり違和感なく馴染む形にしたいです。今回も衣装はほぼ俳優の自前ですし、上演会場も劇場ホールではなく、元はカフェスペースだったロビーの空間を、ほぼそのまま使います。

──あと久野さんは、2000年~2011年まで長いこと活動を停止していましたが、これは何か理由があったんですか?

特別な何かがあったというよりは、単にボーっとしていたら10年経ってしまった感じです(笑)。1作目と2作目の間も、8年ぐらい開いてましたしね。最近年1本ペースでやっているのは、「階」を久々にやった時に、それだけ期間が開くといろいろハンディが大きいことがわかりまして。助成金の申請をするにしても、過去3年の実績を出さないといけないし、自分のことを説明するにも、毎回演劇を始めたきっかけから話し始めないといけないのが大変ですし。

──あまりマイペース過ぎると、割と実務的な面で不都合が起こると。

あともう一つ、同世代の俳優やスタッフが技術を付けてきて、昔よりも全然アイディアを固めてくれるという感触があるのも大きいです。昔なら「これは無理だ」と言われたことも「こうしたらできる」ってなることが増えてきた。一応一個の目標として、初演ではボロボロだった『パノラマビールの夜』が成立する所まではやりたいなと。昔は「この台詞は言えない」なんて言われたけど、ここ最近作品を作ってみた結果、時代が変わったのかもしれないけど、お客さんが全然違和感なく受け入れてくれたりするので、今ならできるんじゃないか? って思うんです。でも何か最近逆にね、物語が人気なくなってますよね。

匣の階『Port- 見えない町の話をしよう -』 [撮影]紅たえこ

匣の階『Port- 見えない町の話をしよう -』 [撮影]紅たえこ


──ポストドラマ演劇とか流行ってますからね。

身体表現系の舞台も増えてますよね。でも私は物語を作りたいんです。言葉は欲しい。何でかなあ? 言葉、コストが低いからですかね?

──それは正解かもしれませんね。なんせゼロから何でも作れるわけですから。

活動を再開した直後の「道の階」(2011)では一人芝居をやったんですけど、その時やりたかったのは、演劇ができる最小の単位は何だろうか? を知りたいという。それで結構「あ、言葉と場所と身体だけでここまでできる」って実感があって、そこから今に至るという感じです。演劇は、言葉にできることと言葉にできないことが両方同じ重さで、同じ場所に共存できる媒体。言葉にはたくさんの「できないこと」があって、そのことに絶望していた時期もあったんですけど、反対に「言葉だからできること」もあるなと、最近思うんです。言葉ができる一番すごいことは「嘘をつくこと」だと思っています。言葉ではできる限り大きな嘘をついて、それを俳優の身体が違和感なく普通に表現できる。それが私の考える、一番「演劇的」な状態です。

久野那美(匣の階)

久野那美(匣の階)

公演情報
匣の階『パノラマビールの夜』
 
■日時:2018年1月25日(木)~28日(日) 17:00~/20:00~ ※28日=14:00~/17:00~
■会場:神戸アートビレッジセンター 1Fロビー
■料金:一般2,800円 学生2,000円 立見1,200円 ボトルチケット1,000円
※ボトルチケットの詳細はコチラ
※当日券は空席がある回のみ発売。
※各回とも、開演1時間前より『Port』記録映像の上映会あり(無料)。
 
■作・演出:久野那美
■出演:大西智子(あなざーわーくす)、七井悠(劇団飛び道具)、中村彩乃(安住の地/劇団飛び道具)、藤谷以優、チェサン、練間沙
■「匣の階」特設サイト:http://floor.d.dooo.jp/hako/
■『パノラマビールの夜』台本:http://floor.d.dooo.jp/hon/beer.pdf
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