Théâtre des Annales~日本一長い題名に哲学者ウィトゲンシュタインの姿が覗く
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谷賢一
人によって見えている世界の違いにずっと興味がある
タイトルは『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行“──およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない”という言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか? という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』。Théâtre des Annales(テアトル・ド・アナール)の第2回公演で上演された作品が生まれ変わる。変人か、偉人か? 狂人か、天才か? 志願兵として前線にいた彼が日記帳に書きつけた『論理哲学論考』の草稿から浮かび上がる、軍隊生活、死との戦い、仕事への責務と欲求、愛、そして自殺の誘惑・・・・。谷賢一は編集者時代にすれ違い、出会えなかった、いま気になる存在の一人。すっかり田舎のおじさんには遠い存在だけど、会ってみたかったのだ。
◇ 谷さんは、DULL-COLORED POP(ダル・カラード・ポップ)とThéâtre des Annalesという2つカンパニーを持っていらっしゃいますが、作品的にはどういう住み分けをしているのですか?
DULL-COLORED POPにルールがあるとすれば、僕が今いちばん面白いと思ったことをやる、ということかもしれません。いろんな料理を学んだシェフが今日はこの魚が入ったから和風でいこう!というように、いちばん素材を生かせる料理として振る舞えるように頑張っているカンパニーだと思います。一方で、Théâtre des Annalesは、先端的な科学技術や思想、研究など何か学術的なものにインスパイアを受け、それを演劇作品として面白くお客さんに届けようという方針があります。そのくくりの中で脳科学、哲学、経済とやってきて、僕も新しい発見をたくさんさせていただいているユニットです。
◇ 今回はThéâtre des Annalesの『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが(以下略)』再演に関してお話を伺いますが、そういう枷をつけた理由とは?
へんな言い方になりますが、僕がもともと勉強をするのが好きだということもあると思うんです。勉強はつまらないもの、苦しいものというイメージもありますけど、本当に面白い勉強には自分や世界の見方が変わったり、とっても強大な気づきがたくさんあるものです。好きなんだから「好きだ!」と世界に向かって叫ぼうよ、こんな新しい発想、新しい技術、世界に関する洞察があるよということをしっかり勉強したうえで演劇作品として届ける、そういう腹のくくり方をしているのがThéâtre des Annalesのように思います。簡単なところに逃げないという枷を自分に課しているというか。
◇ あえて難しいことに向かったりとかする?
難しいと思われているけれど超面白いぞみたいなことを探している感じですね。ウィトゲンシュタインも哲学者の中では最難関に数えられている人で、わかりずらい、神秘的、人物が変態的だと捉えられています。でも演劇の題材として取り上げるには相当面白い。
Théâtre des Annalesの『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが(略)』初演より 撮影:引地信彦
◇ 谷さんを動かした面白い部分とは?
ちゃんと調べるていくうちに哲学、思想内容、彼が書いたものに関する興味などが大きくなっていきましたが、そもそもは彼の人生史にハマったんです。最初は数学系の人だったはずなのに、突然、哲学を始めて、と思ったら志願して第一次世界大戦の最前線に鉄砲を担いで出かけていき、戦場で「論理哲学論考」を書き上げている。しかも「これで哲学はすべて決着した」と、当時27、28歳の男が壮大過ぎる言葉を残してあっさり哲学を辞めて庭師や学校の先生になったり。なんだこいつはっていう、最初のインパクトがかなり大きかったんです。
◇ この人を選んだ理由はというか、たどり着いた理由もあったわけですか?
人によって見えている世界の違いに僕はずっと興味があるんです。哲学に「小部屋の思考実験」というのがあって、白黒の部屋で生きてきた少女が、もし色のある世界に出た時に何を学ぶだろうかというもので。色というものがどういう意味を持っているのかーー白黒しか見てなくても科学的な知識としては赤はこういう波長の光で、青は空の色といったあらゆる知識を持っているという前提での実験なんですが、少女が僕とは全く違う世界の認識の仕方をするだろうことに興味があるんです。かつて翻訳・演出した『モリー・スウィーニー』(ブライアン・フリール作)もずっと目が見えていない女性が初めて世界を見たら、彼女に世界はどう見えるだろうかという話でした。その人にしか見えていない世界は必ずあると思うんです。そういう意味で、自分の見ている世界、自分だけしかわからない心理を徹底的に考えたウィトゲンシュタインは、今までの僕の取り組みの延長線上にあるものだと思います。
◇ それにしてもずいぶん長いタイトルですよね。
日本一の長さらしいです。その座を燐光群の坂手洋二さんから奪ったらしいです(笑)。これをタイトルにした理由? 一つには、目立ったもの勝ちだからということ。そして彼の哲学の最後の1行は「語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない」という文章で終わるんです。いくら言葉を尽くしても語りきれないものが最終的に残る。そういう意味で、言葉の長さは意識しましたね。我々演劇人は言葉を扱う仕事なので最初から言葉に関する興味、尊敬は強くあるわけですが、哲学者という視点から見た時に、言葉にはこんな能力や可能性があるんだよということを教えてもらった時には、すごく共鳴するものがありましたね。
◇ 再演にあたりキャストもだいぶ入れ替わっています。演出についてどう考えていらっしゃいますか?
稽古が始まって1週間、無駄話ばかりしていますね。雑談と謎かけ。もちろん劇にまつわるものですけど。達者な役者さんばかりなので、こう動いて、こう読んでと伝えれば聞こえてくるもの、見えてくるものは立派になるとは思うんです。でもこの芝居は、言葉を発する側が頭をフル回転させて探ったり求めたりしている汗がないと、お客さんが追っかけずらくなってしまう。それは初演でも感じたことです。演出家が答えを先に示してしまうと、そういう汗のかき方はできない。最終的に着地点を示すにしても、どうやってたどりつくのか、最終的にその着地点が正しいのかさえも、みんなで考えながら探していきたいと強く強く思っていますね。
◇ その雑談から何か大事なヒントがあったわけですね?
印象的だったのは、そんなつもりは全くなかったのに流れで「3・11」の話になって、ずいぶんしゃべりました。物語の舞台は第一次世界大戦の最前線という、とても過酷で人権も尊厳も軽く扱われた地獄みたいなところですけど、僕らにイメージしやすいのは津波が襲った直後の東北の街だったのかもしれません。もちろん第一次世界大戦の戦場に行くためのイメージの共有なわけですが、話せば話すほど、肩が重くなるというか、げっそりしました。初演も「3・11」の後でしたが、ほとんどその話はしなかった。もしかしたら4年半たって、少し相対化しているのかもしれません。そういう意味では、また新しい切り口から出発できたのはとてもいいことじゃないかなと思います。
Théâtre des Annales『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行“──およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない”という言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか? という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』
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