無二のロックベーシストが“旅の途中”で迎えた至上の日 ウエノコウジ 50生誕祭をレポート

2018.4.4
レポート
音楽

ウエノコウジ / 加山雄三 撮影=三吉ツカサ

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golden jubiliee〜ウエノコウジ 50生誕祭  2018.3.27  渋谷TSUTAYA O-EAST

黒のレザースーツでキメた長身痩躯。低めの位置にベースを構え、ヘッドをこちらに向けるように半身の姿勢でステージに立つ様は、あまりにも絵になっていて、ロック・ベーシストの究極系を見るようだ。
ウエノコウジ。その生誕50年を祝うライブ『golden jubiliee〜ウエノコウジ 50生誕祭』が、誕生日当日の3月27日、渋谷TSUTAYA O-EASTで行われた。

ウエノコウジ 撮影=三吉ツカサ

ウエノコウジという存在を知ってから、20年になる。当時高校1年だった僕が見た彼は既にバリバリのロックスターで、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのベーシストとして、実家の部屋にある本来はベース音があんまり聞こえないはずの安物CDコンポから、ドスの効いた重低音を吐き出していた。
いきなり個人的な話になってしまったが大目に見てほしい。そういう無数の“出会い”と歴史が、この日のO-EASTには溢れていた。何しろ、客席もステージ上も、会場に集ったのは皆、この50年間のどこかでウエノコウジという存在を知り、出会い、その人柄やベースの腕前に惚れ込んだ人ばかりなのだ。

奥野真哉 撮影=三吉ツカサ

広島出身で大のカープファンであるウエノにちなみ、“Carp”っぽい字体で“Ueno”の文字が躍る真っ赤なバックドロップが掲げられたステージに、司会進行役として最初に登場したのはソウル・フラワー・ユニオン奥野真哉と、ちわきまゆみだ。奥野は自身の50歳のイベントに司会としてウエノを呼んだ過去があり、「司会の仕返しをされた」とボヤきつつも、随所にネタを仕込みながら軽快にトークを展開。呼び込まれる形でステージに現れたウエノも、黄色い声も混じった祝福に応えつつマイクを受け、「みなさん、今日は長いですよ?  どれだけ長くなるかは、増子さんとかTOSHI-LOWがどれだけ喋るかにかかってますが」と絶口調だ。和やかな雰囲気に包まれながら、まずRadio Carolineのライブから生誕祭が始まった。

Radio Caroline 撮影=三吉ツカサ

ジャカジャーン!とPATCH(Vo/Gt)がディストーションギターを一閃、オープナーは「STAND BY ME」。ウエノと楠部真也(Dr)がリズムを刻み、軽快ながら質量の高い塊のような音が転がり出す。「DISCO MEXICO」ではフロアから多くの拳が突き上がり、この後に続くライブとウエノのプレイへの激励とばかりに、「最高の50歳をオレたちに見せてくれ!!」とPATCHが吠える。わずか2曲という短いステージではあったが、シンプルなスリーピース編成とガレージ/ロックンロールなサウンドは、ウエノコウジの核ともいえる鋭く重いベースラインを存分に堪能させてくれた。

Radio Caroline 撮影=三吉ツカサ

転換中もウエノはそのままステージに残り、ここで本来であればウエノと2人で出演するはずであった、現在は病気療養中の盟友・武藤昭平から、バースデープレゼントの直筆イラストとメッセージが到着。「頑張って復活します。少し時間はかかるかもしれませんが、待っててください。復活したらまた旅に出ましょう」という武藤の言葉を受け、「楽しむことが武藤さんへのエールになると信じて、いつも通り楽しむ。みなさんもいつもどおり楽しみましょう」とウエノ。「任せておけ」とばかりに、場内一丸となった熱い拍手と歓声が送られた。

クハラカズユキ 撮影=三吉ツカサ

古市コータロー 撮影=三吉ツカサ

そして、この日のために結成されたスペシャルバンド・golden jubilee bandが登場する。ドラムスにはミッシェル時代、共に鉄壁のリズム隊を形成したクハラカズユキ、ギターに古市コータロー(THE COLLECTORS)、キーボードは山本健太だ。ドラムの両脇にギターと鍵盤が配され、ウエノが一歩前に出たフォーメーションとなっているのは、このあと次々に登場するゲストボーカルとウエノがフロントに並び立つための配置である。

佐々木亮介 撮影=三吉ツカサ

「今日は野郎しか出ません。しかもおじさんばっかり(笑)。その中の最年少!」とウエノが呼び込んだ最初のゲストは、a flood of circle佐々木亮介。「俺たちがgolden jubilee band始めるなら、パンクロックしか無いんじゃない?」と、アンダー・トーンズのカバー「TEENAGE KICKS」でスモーキーな歌声とシャウトを響かせると、afocの「I LOVE YOU」へ。かつて憧れ倒したであろう存在に背中を預け、並び立つ佐々木は、堂々たるトップバッターぶりであった。

花田裕之 撮影=三吉ツカサ

そこへ続くのは、ウエノにとって「すごく憧れてます、ずっと。これからも憧れ続けることでしょう」という先輩バンドマン、花田裕之だ。物静かな佇まいながら、滲み出るオーラと危険な色気、甘い歌声で一気に場内を引き込むと、ウエノのリクエストに応えて滅多にやらない曲だという「明日への橋」を披露。古市のアコギ、ウエノのウッドベースとともに温かみのあるブルースをじっくりと届けてくれた。

百々和宏 撮影=三吉ツカサ

百々和宏は、「飲まなかったらイケメン。飲んじゃうと本当、雑巾以下」と愛あるディスを受け登場。缶ビールを煽りながら踊りまわっていたかと思えばハープソロをしっかり決めてみせるこの男には、ヴェルヴェッツのカバー「I'm Waiting For The Man」がよく似合う。そして、「地元の先輩、武藤さんに届くように歌います」と歌った「ロックンロールハート(イズネバーダイ)」で見せた鬼気迫る絶叫は、鮮烈なインパクトと熱い何かを、確かに聴く者の胸に残していった。

TOSHI-LOW 撮影=三吉ツカサ

バイオリンベースに持ち替えたウエノが「ここから問題のパートに入っていくもので……」と前フリ、世良公則「あんたのバラード」のイントロが演奏される中登場したのは、バンダナにグラサン、ダメージデニムに黒Tシャツを捻じ込んだ“世良TOSHI-則”ことTOSHI-LOWだ。歌マネ、マイクスタンド芸、過剰なブレイクなど、ネタを矢継ぎ早に畳み掛け、<あんたの50の誕生日  今夜はあたいが 祝ってあげる>と替え歌で祝福。散々爆笑をさらった後は、「個人に歌ったことはないですけど、武藤昭平に歌いましょう」と、ピアノの調べとともに「満月の夕」を情感たっぷりに歌い上げる。これまで東北や熊本など被災地を勇気付けてきた歌声は、O-EASTにおいてもひたすら愛に満ちて、そして強い。

TOSHI-LOW 撮影=三吉ツカサ

増子直純 撮影=三吉ツカサ

続いて、<オトナはサイコー!  ウエノはサイコー!>(「オトナノススメ」)と、いきなりのハイテンションと強引なまでの盛り上げで高らかに祝福、たちまちアッパーな空間を作り上げた増子直純。出会った頃を振り返って「めちゃくちゃ怖かったですよ」と明かすウエノを「当時、なんか病気だったんだなー、多分」と軽くいなし、しばらくトークショー状態に突入したあと、増子からの逆リクエストで演奏されたのはなんと、15年ぶりに演奏されるというミッシェルの「武蔵野エレジー」!  ウエノのウッドベースでのスラップ奏法と、ものすごい声量を誇る増子のハスキーボイスで甦る名曲に、場内は熱狂に包まれた。

ウエノコウジ 撮影=三吉ツカサ

佐藤タイジ 撮影=三吉ツカサ

次に、一旦キーボードを奥野真哉にスイッチして、佐藤タイジシアターブルック)が呼び込まれる。トークの長さが懸念された前2組に対して、こちらは演奏を“弾きすぎる問題”があると紹介されていたが、その真髄を見せてくれたのは「ソノラ砂漠のドレッドライダー」。リズム隊が低くテンポだけを刻む中、時間が経過するほどに激しさを増し高音へ遷移していくフレーズと、歌うようなその音色に、聴く側の内面からもジワジワと昂揚感が湧き上がっていく。ソウルフルな歌声や天性のグルーヴ感もさることながら、この人はやはり生粋のギターヒーローだ。

大木温之 撮影=三吉ツカサ

「初めてバンドとしてギャラをもらったのがTheピーズの前座だった」というウエノにとっての「永遠のロックスター」である大木温之は、大の阪神ファンということで、カープ仕様のバックドロップやTシャツに毒づきながら、まず「実験4号」を披露。奔放な立ち振る舞いと、決して前へ前へと来るわけではないユラユラとしたアクションなのに、その佇まいと存在感は間違いなくロックでパンクなのだから不思議である。ダムドのカバー「NEW ROSE」で刹那的に繰り返されるシャウトに、場内のボルテージもひときわ高まっていった。

タブゾンビ 撮影=三吉ツカサ

最後に登場したゲストには度胆を抜かれた。佐藤タイジが再登場してギターを構え、さらにタブゾンビ(SOIL&"PIMP"SESSIONS)まで登場して、「ハッピーバースデートゥーユー」のイントロがトランペットで演奏された次の瞬間、ものすごい歓声が場内を支配し、大騒ぎに。それもそのはず、歌いながら登場したスペシャル・ゲストが加山雄三だったのである。

加山雄三 撮影=三吉ツカサ

「若大将ー!」の声援に、「よく知ってるなあ」と嬉しそうに答える白スーツの若大将。確かに共にTHE King ALL STARSのメンバーであり、この日も同バンドのメンツがあらかた揃っていたとはいえ、日常的に足を運んでいる渋谷のハコに加山雄三が立っているというのは、なんとも現実感がないというか、どこかフワフワと半信半疑で観ていたのは僕だけじゃないと思うが、ひとたび「ミザルー」が始まれば、キレのあるギタープレイでたちまち耳目を惹きつける。これが半世紀以上スターであり続ける男の風格だ。そしてもう一曲、誰もが知る名曲「君といつまでも」では、ステージ後方のミラーボールが放射状に光線を放ち、観客が左右に手を振る中、豊かな声量で歌い上げると、あのセリフ——「幸せだなァ」の箇所でマイクをウエノへと向ける。

「幸せだなァ……みんな来てくれて僕は本当に幸せなんだ  僕は死ぬまで君を離さないぞ、いいだろう?」(ウエノコウジ

ウエノコウジ / 加山雄三 撮影=三吉ツカサ

ここまでおよそ2時間。通常のライブであればもう終わっていても普通なのだが、まだまだ続く生誕祭。ぶっ通しでステージに立ち続けたウエノもここで一旦下がり、the HIATUSのライブへ向けたセット転換が始まった。Radio Carolineウエノコウジの一番ベーシックな部分が表れたステージであり、golden jubilee bandがこれまで培ってきた交友関係で派生した音楽性やルーツを辿るようなステージであったとすれば、the HIATUSのそれにおける焦点は、現在進行形のロック・ベーシストとしてのウエノコウジがいかなる姿を示すか、ということになるだろう。

登場を告げるSEが流れ出すと、オーディエンスたちが前方へギュッと凝縮。バンドにとって今年初ライブであり、何より先輩であり同士でもあるウエノの祝祭ということで、ステージに現れた5人の姿勢と纏う空気からは、明らかに気合がみなぎっている様子が見てとれる。柏倉隆史(Dr)による渾身の打撃を号砲に、開幕を告げたのは「Insomnia」。清冽なピアノの音色と「オーオオオー」という細美武士(Vo/Gt)の高らかな歌いだしに、このバンドのスケールの大きさが凝縮されており、ひとたび細美が「行こうぜ!!」と叫べばフロアからは大合唱が起きる。そのままなだれこんだ「The Flare」では、轟音と炸裂音が濁流のように渦を巻き、最前列付近ではクラウドサーフも始まった。

ウエノコウジ 撮影=三吉ツカサ

the HIATUSの音楽性はザックリいうとオルタナティヴロックということになると思うが、そもそもオルタナロック自体が広義のニュアンスを持っている上、特にこのバンドの場合は常に実験的要素も含んでおり、おまけに個々のプレイヤースキルが尋常じゃなく高いという、もはやthe HIATUSの存在自体が独自のジャンルみたいなもの。「Thirst」では細美がハンドマイクで歌いながらマシンを駆使して、バンドサウンドにエレクトリックな要素を混ぜ込んでいたし、「Bonfire」では激しく跳ね回る伊澤一葉(Key)の鍵盤のフレーズと、柏倉の何ビートか判別不能なくらい緻密に細かく刻む打音が火花を散らす。リズム楽器の範疇を超越する高次元のせめぎ合いを目の当たりにすると、それでも彼らのサウンドがバランス崩壊せず、難解な実験音楽風になることもないのは、ウエノコウジの存在によるところが大きいのだと、改めて感じる。スリーピース編成時や、パンク/ガレージ系の楽曲でみせるような、バンドをゴリゴリと推進させるエンジンの如きプレイではなく、ときにリズムキープの役を負ったり、アンサンブルの隙間を埋める気の利いたフレーズを入れ込んだり。こういったプレイヤーとしての引き出しと懐の深さは、彼が今なお進化中である証といえるだろう。

the HIATUS 撮影=三吉ツカサ

武藤へ向けた激励の言葉とともに送られたのは「Radio」。痛みや寂しさ、孤独感を歌う曲ではあるが、細美の歌声も、masasacksの歌うようなギターソロも、コーラスをする観客たちも、場内を包み込む空気そのものも、ひたすら優しい。武藤不在の寂しさが、ふっと希望に変わっていくような、そんな時間が流れる。その後は一気に駆け抜けるような展開となり、「紺碧の夜に」では「やっちまおうぜ!!」と細美が煽るやいなや、ダイバー続出。5つの楽器が全身全霊をぶつけ合うようにしながら、ライブはクライマックスへと向かい、「Sunburn」で完璧なランディングを決めてくれた。
事前にもらっていたセットリストはここまでだったが、アンコールの呼びかけの向こうから「それ行けカープ」が流れだし、再登場したメンバーが全員、バックドロップと同様の“Carp”っぽい字体で“Ueno”と書いた真っ赤なTシャツに着替えたところで、ウエノのMCがあった。

ウエノコウジ 撮影=三吉ツカサ

語られたのは、たくさんの感謝とこれからへ向けた言葉。そして「40ぐらいの頃、バンド人生が上手くいっていなかったときに拾ってもらって嬉しかった」というthe HIATUSへの気持ち。続けて「この曲ができたとき、すごく嬉しくてさ。またバンドができるなって思った」と、自身がセレクトしたセットリストの最後を飾るナンバーを紹介する。伊澤のピアノが奏で始めたのは、「Ghost In The Rain」だった。会場を揺るがすほどの大歓声に迎えられ、瑞々しく奏でられたその音は、紛れもなくウエノコウジの音楽人生に対する最大級の祝福であり、揃いの赤Tシャツに身を包んだ5人からあの場にいた全ての人へと送られた、バンド讃歌でもあったはずだ。

「もっともっとたくさんライブして、みんなを笑わせて。またやっていこうね」(ウエノ)

旅はまだまだ続く。日本全国のライブハウスやフェス会場や酒場で、ウエノコウジはベースを弾き、また僕らを熱くさせてくれるんだろう。その旅路の先で、55歳か60歳か、ひょっとしたら80歳か分からないけれど、再びこんな日が待っていたら素敵だなと思う。そのときはもちろん、武藤昭平との酔いどれライブも一緒に。そう信じている。


取材・文=風間大洋 撮影=三吉ツカサ