降谷建志はなぜソロ活動に情熱を注ぎ込むのか、“足の踏み場もないくらい零れ落ちていた思い”とは?
降谷建志 撮影=横井明彦
降谷建志が2015年6月にソロ名義でリリースした『Everything Becomes The Music』を聴いたとき“話を訊きたい!”と思った。Dragon Ashとして精力的かつ充実した活動を行いながら、Dragon Ashとはまた違う深い世界観を持った音楽を作っていることに驚きながら感銘を受け、1人の音楽ファンとして、とてもうれしかった。それから3年、ソロ活動について話を訊きたいという願いが、2枚目のソロアルバム『THE PENDLUM』をリリースするタイミングでついに叶い、『THE PENDLUM』についてはもちろん、なぜ彼がソロ活動に情熱を注ぎ込むのかというそもそもの動機を直接、確かめることができた。足の踏み場もないくらい零れ落ちていた思い――というロマンチックな表現にはシビれたが、今回の『THE PENDLUM』。80~90年代のオルタナティヴなロックサウンドを基調にしているという意味では、前作の延長上にあると言えるものの、繊細に作り上げた前作と比べると、よりバンドサウンドが色濃いものになっている。前作同様、基本、すべての楽器を1人で演奏しているが、曲によっては、HEY-SMITHのホーン隊やPABLO(Pay money To my Pain / POLPO)が参加。それもあいまって、前作よりも開かれた印象がある。『THE PENDLUM』における必然とも言えるそんな変化については、ぜひ降谷自身の言葉に耳を傾けていただきたい。リリース後は、PABLO(Gt)、山嵐の武史(Ba)、Schroeder-Headzの渡辺シュンスケ(Key)、そしてDragon Ashの桜井誠(Dr)からなるThe RavensとともにKj and The Ravensとして念願のツアー『降谷建志1st LIVE TOUR『THE PENDULUM』performed by Kj and The Ravens』も行うことが決まっている。
――前作の『Everything Becomes The Music』のリリースは2015年でしたが、ソロアーティストとして作品を作りたい、発表したいという気持ちはいつ頃からあったんですか?
前作の時に思っていたのは、それは今も変わらないんですけど、10代の頃からDragon Ashをやってきて、“よーいどん!”でダイバーを一番出した奴が勝ち、一番観客を暴れさせた奴が正義っていう激しい音楽をやっている狭いサークルの中でしか音楽を人前でやっていなかったんです。リスナーとしてはいろいろなものが好きだし、観にいくのもいろいろだけど、こと自分が体現するってことにおいては、さっき言った狭いサークルの中での勝負しかやってなくて、その螺旋の中で大きなステージで、大きな音を鳴らすっていうのは、バンドマンにとってかっこいいことだと思うし、まして、それを続けるっていうのはプライドにもつながるんだけど。激しさや、“よーいどん!”の破壊力にDragon Ashはフォーカスしているから、それをすることによって零れ落ちる感性とか、やりたい方向性とかは多分にあるわけですよ。それが、気づいたら足の踏み場がないくらい零れ落ちていたから、それらを拾い集める作業をそろそろ始めないと、たぶん死ぬまでにやりたいことを全然やりきれないと思うから、やり始めようと思って……。
――形にしたのが。
『Everything Becomes The Music』ですよね。その時は単純に拾い集めて、抱き寄せるという作業だったんで、それを人に聴いてもらうとか、観てもらうとかっていう感覚がやや欠如しているんですけど。人に聴いてもらう、観てもらうってことしか考えてないバンドをずっとやってきたから、逆にそれが心地良かったんです。だけど、そこからThe Ravensっていう固定メンバーを……ほんとバンドマン版の『アベンジャーズ』みたいな感覚だから、俺は。マジですげえ奴らとやっていると思っていて。
――それは確かに。
21年やってきて、死ぬほどバンドマンを観てきた俺が“すごい!”って言ってるんだから、絶対、超すごいんですよ。その人たちと1曲でも、1分でも多く演奏したいというところを1回通過して、今回の『THE PENDULUM』は作っているんです。前作よりもう少し“誰がこれを演奏するか”ってことをリアルに自分で認識している状態で曲を作っているから、前作よりは内向的じゃなくなっているのかな、気分がね。歌詞がどうこうとか、曲がどうこうとか置いておいて。これを人前で、このメンバーでやるっていうのが明らかに頭にあって作っているっていう。そこは決定的に違うと思います。
――前作は驚きとともに受け入れられたところもあると思うのですが、その驚きというのは、降谷さんの中である程度、予想していたんですか?
いや。大袈裟に言うと、別にどっちでもいい(笑)。自分の音楽的な探求と言うか、ずっと群れてやってきているから、中学生の時からバンドを組んで、サク(桜井誠)と高校で音を鳴らして、それ以来ずっとやっているんで、群れないところでの探求と言うか、自分とよーく話し合ってという作業なんで。それを人が“こんなゆるいの意外とやるんだ”とか、“でも、結局生っぽいんだ”とか、いろいろな受け止め方があると思うんですけど、それぞれに楽しんでくださいっていう感覚ですね。それに対して何かを俺が期待しているっていうのは全然ないですね。
――自分と向き合いながら音楽を作ることで、気づきとか発見とかってありましたか?
まぁ、それはね。20年以上やってきて、何枚もアルバムを出しているバンドって、たとえばオリンピックに出るぐらいのクラスの短距離走の走者が、フォームも研究しまくっているし、スタートも研究しまくっているし、足の運びも研究しまくっているうえで、あとできることと言ったら1年にコンマ1秒縮められるか縮められないかみたいなところで続けているんですよね。それを生き甲斐に。でも、(ソロは)始めたばっかなんで、それこそ生まれて這い這いしている子供が掴まり立ちして、二足歩行して、走ってっていうところから始めているんで、毎日毎日、1秒単位で縮んでいくわけですよ、記録が。単純にそれを楽しんでいるだけでもあっという間に曲が何曲もできるって感じですね。どちらも全然違う快感を得られるんだけど、コンマ1秒縮むか縮まないか定かじゃないけどやってみる、みたいなバンド人生もすごくかっこいいし。でも、やっぱ、やるたびに発見して、やるたびに楽器がうまくなっていってというソロは、もう全然違うベクトルだけど、比べ物にならないくらい快楽度は大きいよね。
降谷建志 撮影=横井明彦
自分ひとりで奏でられるものなら何でもいい。Dragon Ashではまず作らないような曲、零れ落ちるものすべて。
――前作も今回の作品も、サウンドや音像的には地続きだと思うのですが、そのサウンドっていうのは降谷さんの中で、いろいろ鳴らしたい音がある中で、たまたまそれになったのか、それとも降谷建志として自分と向き合いながら作ると、必然的にその音になるのか、どっちなんだろうかという興味が湧いたのですが。
難しいなぁ。100%、歌詞とメロディーは、オケを全部作ってから作るんですよ。それはDragon Ashとか、ソロとか、人のプロデュースとかも全部一緒で、フルサイズのオケを作ってから、歌詞をAメロの1行目から最後まで書いていくんです。サビの歌詞だけ作って、このサビだからAの歌詞を作ろう、Bの歌詞を作ろうじゃないんですよ。だから、日記を書くみたいに書いていくんです。日記って途中から書かないじゃないですか。その感覚と一緒で完全に頭から書くから、言いたいことがあってやっているって全然ないんですよね。音楽を鳴らしてから、完全にそのリアクションで歌詞を書いているから、自分で作った曲に呼ばれて、言葉が出てきたりとか、その時、思ったこととかを、ほんとにブログみたいに歌詞にしている感じなんですよ。だから、歌詞に関しては、自発的にこういうのをやろうと思ってなくて。ただ、曲はどっちもでしょうね。こういう世界観がやりたいって作っていったら、結果、こういうふうに転んでいったみたいな。発信は自分だけど、リアクションでそうなっている部分もあるんじゃないですか。だから、曲はどっちもかな。
――最初、ソロを始めるとき、サウンドや音色は、どんなものがやりたいと考えたんですか?
Dragon Ash以外のものですね。それだったら何でもいい。インストを作ってもいいわけだし、弾き語りでもいいし、全部の楽器を自分で演奏してもいいし。自分ひとりで奏でられるものなら何でもいい。ピアノのイントロで、1分ぐらいピアノと歌だけで、ドラムが暇ってことにはならないですからね、1人でやっているわけだから(笑)。そういう曲はDragon Ashではまず作らない。だから、さっき言った零れ落ちるものすべてってことですよね。逆に言えば、Dragon Ashではすごく窮屈にして、条件をつけることによって、光量を上げているんですよ。すごく広い範囲で、多くの人を照らすって言うよりは、レーザーのような“刺さる”みたいな光線をある一点に当てることによって、そこにいる人たちを照らしている。遠くから見て、パチンコ屋のライトみたいに、“何あれ? 何あれ?”って吸い寄せられる人がいたら、それはそれでうれしいけど、その光量以外のところって膨大だと思うんですよ。だから、そこなら何でもいい。その代わりにプライドを持って続けてきた強い光量の音楽は脅かさないようにね。自分の中では、その棲み分けは人が思っているより至極、簡単なんことなんですよ。単純にチューニングも違うしね。細かいことを言うと。
――ああ、Dragon Ashとソロの曲では。
そう。Dragon Ashではリアリティがないからピアノも入れないし。まぁ、違いはいろいろあります。
降谷建志 撮影=横井明彦
ソロは、群れまくってきた俺が1人っきりでどこまでできるか、音楽家としての自分と話し合うっていうのが大きなテーマでもある。
――『THE PENDULUM』では前作よりもストイックにサウンドを追求しているように感じたんですけど、それはさっきおっしゃったように誰が演奏するかあらかじめ考えていたからなんですね。
それもあるし、人前でやるかどうかも決めないで作った前作と、もう1枚作って、ツアーをやって、みんなの前で、このメンバーで演奏したいっていうのは、欲求の発端が違うじゃないですか。人と繋がるために、聴いてもらって“いい!”と思ってもらうために作っている感覚がすごく強いから、ストイックって言うよりは“聴いて!”って気持ちは前作よりもすごく強い。我が内面の叫びと言うよりは、“ねえ、こんなん作ったから聴いて”っていう感覚が大きい。だから、よりノーマルだよね。最初に作ったものよりは。それで犠牲になる繊細な部分とかっていうのはあるけど、精神的に充実していて、“聴いて!”って思っている時には、たぶん恥部みたいなものはぼやかすだろうし、人前に出るってわかっているわけだから。前作にはもうちょっと汚い部分もあったのかもしれないね。曲がっていうよりは気持ちが。別にそれでもいいわけだから、自己の叫びなんだから。今回はもう少し、聴いてもらうなら、この進行を入れたほうが絶対伝わるとか、たとえばそういうのもあるかもね。もちろん、それは曲をただ盛り上げたいっていうのとは違うんだけどね。
――恥部はぼやかすとおっしゃったんですけど、やはりそこはぼやかしたいわけなんですか?
だって、単純に無人島に1人だったら服、着ないでしょ? 髪型、モヒカンにしないでしょ?(笑) やっぱ、第三者の目に触れるから、かっこいいと思われたいと思うわけだし、“曲がいい”って言ってもらいたいわけだし。誰にも聴かせないんだったら、こんなに音も積まないし。構成もつけないと思うんですよ。秀逸なことを一言、ずっとリフレインでいいわけだから、自分のためにやるんだったら。それを誰かが聴いてくれるっていうかすがいがあるから、音楽って進化するし、自分ももっとこうしようって思うんですよ。恥部を隠すと同時に絶対、進歩も変化もある。誰かが聴いてくれることが成長させてくれるんじゃないかな。まぁ、プロのミュージシャンだからね。別にアマとプロの音楽の付き合い方に差はないと思うけど、俺はあくまでもプロのミュージシャンだから、プロとしてプライドを持ってるし、これで生活しているという自負があるから、人前に出ることは絶対、意識していなきゃいけないじゃないですか。音楽をやる時は。その意思がより強いから、プロっぽくなったんじゃないかな、『THE PENDULUM』 では(笑)。
――The Ravensで演奏することを考えながら作ったということなんですけど、そこで1人で作るのではなくて、Kj and The Ravensとして2枚目のアルバムを作ろうという選択肢はなかったんですか?
なかった。Kjを取って、The RavensはThe Ravensでアルバムを作りたいねとはよく話してるけどね。
――あ、そうなんですか!
たとえば、シュンちゃん(渡辺シュンスケ)がピアノで曲を作ってきて、それをみんなでアレンジして、PABLOが歌詞を書いて、俺が歌ってもいいし、俺が作詞作曲して、PABLOかシュンちゃんが歌ってもいいし。それはそれで、もうバンドとして、降谷建志の世界観に囚われずに、“いっせーのせ!”でガン!とやって、アルバムを作ってもいいねって話はしているけど。(ソロは)あくまでも、群れまくってきた俺が1人っきりでどこまでできるかっていう。
――ああ、そうか。
そうそうそう。己と向き合うというか、音楽家としての自分と話し合うっていうのが大きなテーマでもあるから。それはもう、俺が作詞作曲していって、5人でアレンジして、みんなで鳴らしたほうが絶対かっこいいに決まっているけど、それじゃ違うんですよ。だから、逆にライブはめちゃめちゃ楽しいんですよ。“そのフレーズ、そうやっていじったんだ”っていうのがあるから。全然、みんなそのままやらない(笑)。
――それはOKなんですか?
超OK。それがかっこ悪かったら、“死ねよ、おまえ”ってなるけど(笑)、めちゃめちゃかっこいいから。“どうやってるの?”って言ってるもん、リハスタで。
――へぇ。今回は『THE PENDULUM』のお話を聞きに来たんですけど、The Ravensのアルバムも聴きたくなりました。
俺が一番ヒマってくらい、みんな超忙しいんでね。物理的に可能であれば、やりたいねってことは、しょっちゅう話してます。
ソロはほんとに好きなことを歌えばいい。間違ってても、滑稽でも、子供じみててもいいって思えて。必要ない枷が浄化された気がして、軽やかになった。
――いただいた資料に「Playground」という曲がアルバム制作の鍵になったと書いてありましたが。
主に作詞面なんですけど、ほんとは音楽とか、ソングライティングとか、コンポーズとかって自由なものだから、何を発信してもいいはずなんですよ。たとえば、<あいつムカつくからギッタンギッタンに刺し殺してやりたい>と書いてもいいと思うんです。それを書くことは犯罪でも何でもないし、それがピュアな俺の願望であれば、いいと思うんです。ほんとに刺し殺すわけじゃないんだから。だけど、大勢の人が聴いてくれたり、ライブで大粒の涙を見せてくれたりする人たちを見てると、やっぱ間違っていることは歌えないというか。その人たちがライブハウスのドアを入ってきた時よりも、出て行く時のほうがいい顔をしてたりとか、少し肩の何かが降りて、汗びっちょりでライブハウスを後にして日常に戻っていくほうがいいなって思ってくるんですよね、ずっとやっていると。そうすると、さっきの話にかぶるけど、恥部だけど本当の部分みたいなのは自然と覆い隠すようになるんですよね。でも、「Playground」を作って、表現のしかたはそんなに極端じゃないけど、子供じみてたって僕たちは遊び足りないんだよっていうことを、日本語で歌えた時に、“そうなんだよね。これを歌っていいんだよね。俺は年齢的にもキャリア的にも子供じゃないけど、子供じみてたっていいんだよね。そうしたいんだから”って思えたんですよ。Dragon Ashでそういう言い回しができるかって言ったらできないと思うけど、そこから“ソロはほんとに好きなことを歌えばいいんだよね。それが間違ってても、滑稽でも、子供じみててもいい”って思えて。必要ない部分の枷が浄化された気がして、軽やかになったんです。
――その「Playground」には<豆腐の角にぶつかっちまえばいいよ>という歌詞があって、すでに話題になっていますが、今回、日本語の歌詞が増えましたね?
うん、倍増した。それは“聴いてもらう”っていう感覚が強いから。
――その中で<豆腐の角>みたいな、今までの降谷さんだったら使わないような言葉も敢えて使ってみたわけですか?
それは全然意識してないんだけどね、超言われる。“豆腐!?”って(笑)。でも、日本語を増やしたのは間違いなくそうだよね。聴き手の心にリーチするっていうことを目的にしたから、日本でやっている以上、日本語がいいのは決まってるよね。ただ、自分が思いついたメロディにどうしても日本語が乗らない時は英語になるけどね。日本語ってペタペタしてるし、跳ねるものではないから。でも、たとえば<ありがとう>ってイントネーションを、英語みたいに聴こえるように変なところで止めてみたり、跳ねさせてみたりっていうのは、さすがにもうしたくないんだよね、ベテランだから。
――「落日」の<EL PSY CONGROO>という歌詞は、どういう言葉なんだろうと不思議に思って、調べてみたら『STEINS;GATE』というアニメの主人公の決まり文句だそうですね。
そう。暗号とか合言葉とかみたいなもので、その言葉自体には意味はないんです。
――『STEINS;GATE』がお好きなんですか?
死ぬほど好きですね。超アニオタなんで。
――アニオタなんですか!? 意外でした。だって、そういうイメージってありました?
いや、わからないけど。
――では、「落日」はその作品がインスピレーションになっているんですか?
いや、「落日」自体は、『RUSH BALL』ってロックフェスがあって、久々に超近しい奴らばっかだったんですよ。そいつらと1日過ごして、朝まで打ち上げして、東京に帰ってくる新幹線の中で、“ああ、終わっちゃったな。あ、この気持ちを書こう”と思って、その時あったオケに、新幹線の中で歌詞をつけたんです。すごく楽しかったんだけど、でも、ウソのように忘れて次の現場に行ってるよねっていう。なんかこう、人間の記憶消去能力っていうかさ、前を向くために何かを忘れる能力というか。『STEINS;GATE』っていうアニメは、タイムリープマシンで時間を遡ったり未来に行ったりするっていう話なのね。大きく言うと。その中でタイムリープするたびに改ざんされる記憶を、ただ1人継承できる主人公の合言葉が<EL PSY CONGROO>。だから、その合言葉を言ったら、『RUSH BALL』の楽しかった記憶を忘れられずにいられるかなっていう。そこでつながっているんです。
――他にも大好きなアニメ作品ってあるんですか?
『THE PENDULUM』の「Blades」は『Fate』っていう作品のキャラクターを題材にして、その生き方とか、考え方とか、そのキャラクターになりきって書いていますね。あと、「All I Want Is You」の頭の音は、『ソードアート・オンライン』って作品の……って、そんなのいちいちいいんですよ(笑)。そういう小さい、小さいこだわりとか、宝物とかだらけなので、ソロで音楽を作るってことは。だから、『THE PENDULUM』もすべてにおいてそういうこだわりが散りばめられているんですけど。
――それはアニメ以外のものもってことですよね?
そうそうそう。でも、人に理解してもらう必要もないし、知ってほしいとも思わないし。単純に音楽として素敵であればいいんです。
――でも、ファンとしてはその宝物を共有したいっていう気持ちもあるんじゃないでしょうか。
キモいぐらいこだわって言葉も選んでるし、音も選んでるしっていう、その断片はちょっと触れられるし、理解してもらえますよね、こういう話はね。
――そんな宝物の1つではないかと思うのですが、「ワンダーラスト」にクレジットされているNAGIさんって、降谷さんの息子さんだそうですね。
そう。イントロの♪タタンタンってピアノのフレーズをね、彼が考えたんですよ。トラックを作っている時って、全部、自分でやるから1個ずつ音を積んでいって、それをループさせながら、その上のフレースを考えるんですけど。考えてたらトコトコトって部屋に入ってきて、♪タタンタンって弾きだしたから、“それ、超やばいじゃん。(テープを)回すから、そのまま弾いて”って。だから、そのフレーズだけ息子が弾いてるんです。
降谷建志 撮影=横井明彦
Dragon Ashは誰かの肉体をすごく揺さぶりたいと思ってやっているんですけど、ソロやThe Ravensのライブは誰かの心を揺さぶりたい。
――『THE PENDULUM』について、いろいろ聞かせていただきましたが、どんな作品になったというふうに手応えを感じていますか?
時間をいっぱい使って、その時間の中でできるかぎり曲を作ったという感覚はもちろんあるけど、まだまだ手の届く範囲のものを拾い集めたっていうだけに過ぎないと思っていて。もっともっとやりたいことはあるから、やりきった感はないんだけど、気に入ってはいますね(笑)。3年ぶりなんだけど、その前にDragon Ashのアルバム(『MAJESTIC』)を作って、40本ぐらいツアーをやって、そのファイナルが終わってから『THE PENDULUM』を作って、完成したのがついこの間だから、片時も止まってないんですよ。だから、ツアーが終わったら1回ゆっくり休んで、またすぐに作り出したいですね。やりたいこと自体はあるから。
――曲が全然違うからDragon Ashの時とはまた違うと思うんですけど、ボーカリストとしてはソロを作ったことで、どんなふうに成長ができたと思っていますか?
わからないな。楽器はマジ、1人きりでスタジオにいて、録音ボタンを押して、ブースに走っていって、弾いているんですよ。でも、歌だけはディレクターとエンジニアと3人でやっているんです。歌は自分の声だから、どうやっても、どうがんばっても客観視したり、ジャッジしたりできないんですよね。だから信頼できる人に委ねているんですよ。成長したとも思ってないし、いい声だとも思ってないし、でも、これが自分だし。声って背負っていくものだし、作っていく余地もあるから。元が90%ぐらいだと思うけど、あとの10%は自分でこつこつ積み上げていって、自分の声を手に入れていくものだと思うんですよね。40年、50年、現役でやっている人がいるってことは、20年そこらじゃ自分の声なんて作れないんだよね。だから、もっともっとって50年やれるわけでしょ。音楽が大好きってこともあると思うけど、そこは最初に言った“コンマ1秒縮める”みたいな作業なんじゃないかな。
――最後に、楽しみだとおっしゃっていたKj and The Ravensの1stライブツアーについて聞かせてください。どんなツアーになりそうですか?
間違いなくアルバムの曲は全曲やりますよ。Dragon Ashは誰かの肉体をすごく揺さぶりたいと思ってやっているんですけど、ソロやThe Ravensのライブは誰かの心を揺さぶりたいんですよ。だから、Dragon Ashのライブの後みたいに“気持ち良かった!”って汗はかけないかもしれないけど、心がちょっとだけほんのり豊かになるようなライブになったらいいと思いますね。あとは、それこそそれぞれのプレイを聴きに来るだけでも価値がある、優れたメンバーたちなんでね。The Ravensはインプロも時間を決めないでやるから、ジャムりがおもしろかったらそのまま5分ぐらい曲に行かない時もある。曲以外の部分もめっちゃかっこいいんですよ。そういう予定調和じゃない部分も楽しみにしてきてほしいですね。
取材・文=山口智男 撮影=横井明彦
リリース情報
『THE PENDULUM』
2018年10月17日発売
【Tシャツ付き生産限定盤:生産限定盤A】CD+DVD+Tシャツ VIZL-1468 ¥5,980+税
※スペシャルパッケージ仕様(TシャツはアメリカンサイズのLとなります。(身幅56cm/身丈76cm/袖丈20cm/袖口21cm))
【生産限定盤B】CD+DVD VIZL-1453 ¥3,800+税
※スペシャルパッケージ仕様
【通常盤】CD VICL-65062 ¥2,800+税
<CD収録内容>
1.The Pendulum
2.Let's Get Started
3.Blades
4.Playground
5.落日
6.セントエルモ
7.Where You Are
8.Minesweeper
9.ぼくらの逆襲
10.ワンダーラスト
11.All I Want Is You
12.Prom Night
ミュージックビデオ
「Prom Night」「Playground」「ワンダーラスト(オリジナル Ver.)」「One Voice」
ライブ映像コンテンツ
“SOUND & VISION X”Extra Edition
「Colors」「Swallow Dive」「Stairway」
ライブ情報
10/22(月) 名古屋 CLUB QUATTRO 18:30/19:30 前売\5,500(税込)D別\600
10/23(火) 梅田 CLUB QUATTRO 18:30/19:30 前売\5,500(税込)D別\600
11/12(月) 渋谷 CLUB QUATTRO 18:30/19:30 前売\5,500(税込)D別\600
11/14(水) 仙台 Rensa 18:30/19:30 前売\5,500(税込)D別\500
11/21(水) 広島 CLUB QUATTRO 18:30/19:30 前売\5,500(税込)D別\600
11/22(木) 福岡 BEAT STATION 19:00/19:30 前売\5,500(税込)D別\500