『吉村芳生 超絶技巧を超えて』展鑑賞レポート 形を描くことに執念を燃やした、異色の鉛筆画家の全貌

2018.11.30
レポート
アート

第3章「自画像の森」展示風景

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『吉村芳生 超絶技巧を超えて』展が、東京駅・丸の内北口改札前の東京ステーションギャラリーで11月23日に開幕した。2019年1月20日まで開催される本展は、鉛筆による細密描写で知られる不世出の画家・吉村芳生の東京初となる回顧展。1950年に山口県で生まれ、2013年に63歳で惜しまれつつ亡くなった彼の画業を全62件700点以上の作品で辿る。ここでは開幕前日に行われたギャラリートークの内容とともに、本展の注目ポイントをお伝えする。

晩年になって再ブレイクを果たした、異色の鉛筆画家

1950年に山口県防府市で生まれた吉村芳生は、地元の芸術短大を卒業後、広告代理店にデザイナーとして勤務。その後、上京して美術学校で版画を学び、27歳で本格的な画業に入った。鉛筆による細密描写で数多くの作品を残し、30代、40代と国内外のコンクールで高い評価を得ながらも、再ブレイクのような形でその名が世に広く知れ渡るようになったのは2007年のこと。六本木ヒルズの森美術館で行われた『六本木クロッシング2007・未来への躍動』に出品した作品への賞賛がそのきっかけだった。

《365日の自画像 1981.7.24-1982.7.23》より 1981-1990年

プレス向け内覧会には、東京ステーションギャラリーの館長で本展の監修を務めた冨田章と、吉村芳生の息子で自身もアーティストである吉村大星が登壇した。

冨田がはじめに解説したのは、吉村が東京で学んだ版画の原理を応用していたという点だ。「『版を使う』という方法が、吉村の制作の基盤になった。対象を直接描くというスタイルではなく、間に何かを介在させるということが、作家の作品作りにおいてとても重要だった」と語る。

東京ステーションギャラリーの館長で本展の監修を務めた冨田章

2か月以上かけて針金を描き続ける、鬼気迫るような執念

展示は「ありふれた風景」「百花繚乱」「自画像の森」の3章で構成され、作家の画業をほぼ時系列で追っていく形になっている。それぞれの章で作風が明らかに変容していく流れが見えるのも興味深い点だ。

第1章「ありふれた風景」は、1970年代終盤の東京での活動から広島・山口を拠点とした1985年頃までの作品が中心。まず、展示室を入って右手には《365日の自画像 1981.7.24-1982.7.23》が展示されている。自画像は吉村がライフワークとした題材のひとつで、「世界一多く自画像を描いた画家」とも言われている。本作は、1981年の7月24日から365日にかけて毎日撮った自分の顔写真を鉛筆画で写したもの。作品の中身は連続する365日だが、完成までには9年の歳月がかかっており、終わりに向かうほど技術の上達ぶりも伺える。

《365日の自画像 1981.7.24-1982.7.23》(部分) 1981-1990年

その近くには、展示室の壁をつたうように横幅約17mの《ドローイング 金網》が飾られている。これは本物の金網を紙に重ねプレス機にかけて、その金網の跡をなぞって描いたという超大作だ。制作期間には70日を要したそうで、網目の数は1万8,000個。冨田は「なぜこんな作品を作ったかはわからない。ただ、これほど執念深くひとつのものを描いていくという行為自体が面白い」と評する。

《ドローイング 金網》 1977

また、同じフロアの小部屋には、英字新聞のジャパンタイムズを写した作品がある。新聞は吉村がライフワークとしたもうひとつの題材だった。この作品では刷りたての新聞を金属板の上でプレスにかけ、インクの写った金属板に紙をのせて再度プレスして、その紙に写った跡を頼りに制作を行なったという。

《ドローイング 新聞 ジャパンタイムズ》(10点より) 1979-80年

《ジーンズ》は、細密描写の凄みがさらに感じられる作品。本作の制作過程では、写真を拡大したプリントの上に鉛筆で2.5mm四方の方眼を引き、その各マス目に色の濃さによって分類した1~9の数字を入れて、それをもとにマスの中を斜線を埋めるという、信じられないほど複雑な作業が行われている。

《ジーンズ》 1983年

この章にある作品は「モチーフ自体に意味を求めていない」のが特徴で、《A PARKING SCENE》や《ASH TRAY》のように、日常の何気ない風景を描いたものばかり。転じて言えば、題材に意味がないからこそ、余計に技巧の凄さに引き込まれてしまうような気もする。

制作過程が分かるような資料も展示されている

色の世界への挑戦で見つけた新たな道筋

第2章の「百花繚乱」には、山口県の徳地町(現在は山口市の一部)に居を移した1985年以降の作品が展示されている。この章では、先ほどまで黒一色だった視界が一気にカラフルな世界へ変わる。この頃の吉村は、黒鉛筆をファーバーカステル製の色鉛筆に持ち替え、色とりどりの花々を描くことに挑んだ。そこには自らの進む道への迷いもありつつ、生活をするために「売れる絵を描く」という商業的な側面もあったそうだ。

第2章「百花繚乱」展示風景

この章で特に目を引くのは、《未知なる世界からの視点》と《無数の輝く生命に捧ぐ》というふたつの大作だ。

《未知なる世界からの視点》は、山口県の仁保川の風景を描いた作品。上半分には川面が、下半分には菜の花の群生があり、あえて上下が逆さまになった状態で描かれている。吉村大星の話によると、この頃の吉村芳生は「花の世界は死後の世界」という考えを持っており、「水面を現実の世界として表現し、あえて逆さまに置くことで死後の世界を意識した表現をしたかったのではないか」と解説する。

《未知なる世界からの視点》 2010年

《無数の輝く生命に捧ぐ》は東日本大震災の後に描かれた作品で、犠牲になられた方々の魂を一つひとつの花として表現したという。吉村は全体を少しずつ描くのではなく、左端から右端へと順々に埋めていくように描いていくスタイル。その上で、本作は右端の方が消えていくように描かれており、「父は最後をどう描くかをかなり悩んでいたが、全部描ききってしまうとメッセージ性が薄れると考えたのだろう」と吉村大星は語る。

《無数の輝く生命に捧ぐ》 2011-13年

なお、ここで冨田が指摘したのは、この頃になるとモチーフの中に象徴的な意味を見出している作風の変化について。「90年代の吉村は色鉛筆と花の世界と本気で格闘し、それが2000年代に現代アートの最前線に返り咲くための助走になった」と解説する。

愛用したファーバーカステル製の色鉛筆

見渡す限り、吉村芳生の顔、顔、顔……

第3章の「自画像の森」は、吉村のふたつのライフワークが融合された《新聞と自画像》に埋め尽くされた空間。晩年の吉村の顔がいくつも並ぶ空間に圧倒される。本作には、新聞と自画像の両方を描いた作品と、本物の新聞紙の上に自画像を描いた作品とのパターンに分かれる。

右《エローラの自画像》 左上《エレファンタの自画像》 左下《マトウラの自画像》 すべて1986年

最初に紹介した自画像と、58歳の頃に制作が始まった本作との大きな違いは、表情が非常に豊かという点にある。作品のベースになった写真は吉村大星が撮影したもので、親子の親密さがあったからこそ引き出すことのできた表情と言える。

《新聞と自画像》(全364点) 2009年

正直、来場者から「すごい」という声がここまで漏れていた展覧会も珍しい。筆者は伝える立場でありながら、「結局のところ、実物を見ないと凄さがわからないはず」というのも本音である。ぜひ現地で「超絶技巧を超えた」鉛筆画家の凄みを感じてほしい。

イベント情報

吉村芳生 超絶技巧を超えて
会期:2018年11月23日(金・祝)-2019年1月20日(日)
会場:東京ステーションギャラリー
開館時間:10時〜18時(金曜日は〜20:00、入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(12月24日、1月14日は開館)、12月25日(火)、12月29日(土)〜1月1日(火・祝)
入場料:一般900円、高校・大学生・700円、中学生以下・無料
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