トム・ストッパードの異色作『良い子はみんなご褒美がもらえる』を演出するウィル・タケットにインタビュー
-
ポスト -
シェア - 送る
ウィル・タケット (写真撮影:福岡諒祠)
俳優とオーケストラのための戯曲『良い子はみんなご褒美がもらえる』が、堤真一と橋本良亮の主演で2019年4月~5月に上演される。作者は、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』『アルカディア』『恋に落ちたシェイクスピア』等の作品で日本でも知られるイギリスの劇作家トム・ストッパード。『良い子は…』はストッパードが1977年に発表した作品。オーケストラも舞台に上がり、役者のセリフとときに掛け合いも行なう異色作だ。作曲を担当したのは指揮者・作曲家、そしてジャズ・ピアニストであるアンドレ・プレヴィン。演出を手がけるのは、アダム・クーパー主演『兵士の物語』、首藤康之主演『鶴』が日本でも上演されている、イギリスの演出家・振付家、ウィル・タケットである。このほど来日したタケットに意気込みを聞いた。
――作品の舞台はソビエトを思わせる独裁国家。政治犯アレクサンドルと、自分はオーケストラを連れているという妄想に囚われた男イワノフとが精神病院で出会って展開される物語ですが、タケットさんは「今はこの作品を上演するのにパーフェクトな時」とプレスリリースに言葉を寄せていらっしゃいます。日本での上演意義も含め、どのようにお考えでいらっしゃいますか。
今日、我々は、何がリアルで何かリアルでないかを知ることがますます難しくなりつつある時代に生きていると思います。そしてこの作品においては、登場するオーケストラがはたしてリアルなのか、それとも想像されたものに過ぎないのかという問題が扱われています。これは、政治システムのアナロジー、象徴とも言えるものだと思います。今日という時代は、作品が発表された1970年代とはだいぶ異なる様相を呈しています。1970年代においては、この作品は、東ヨーロッパで実際に起きている政治的問題を直接扱った戯曲だったわけです。皮肉なことに、ソーシャル・メディアが興隆するに従って、「フェイク・ニュース」なるものも登場し、何が信じられるのか、何が信じられないのか、知ることが難しくなりつつある。これは特に日本的な問題ということではなく、世界的、普遍的な問題ともいえるものですよね。もしかしたら、今のアメリカで上演するのは非常に難しい作品かもしれないですね(笑)。
日本ではトム・ストッパード作品が広く愛されているともうかがっています。彼は言葉というものに魅了されている劇作家です。私自身、日本語をよく解しているわけではないですが、翻訳された言葉の響きを聞くとき、日本語のもつ質感に魅せられるところがあります。この作品が他のトム・ストッパード作品と異なるところは、アンドレ・プレヴィンとのコラボレーションであって、音楽も登場するということ。セリフと音楽とが同様の重みをもって、組み合わされて表現が成り立つよう書かれています。言葉で表現された考えが、音楽によって説明され、深められているところもある。非常に異色の作品で、だからこそ取り組む上でわくわくします。日本の観客の皆さんには、トム・ストッパードの知性と、アンドレ・プレヴィンが表現する抽象的な価値と、その双方を味わっていただけたらと思っています。
――『兵士の物語』においても、言葉と音楽、ダンスのコラボレーション、融合に取り組んでいらっしゃいました。
私は、言葉と音楽、双方を取り扱う作品に魅せられているんです。非常に難しいですが、さまざまな要素に同じだけの価値がおかれたパフォーマンス作品を手がけるのがとりわけ好きです。よくあるのは「音楽劇」、音楽を取り入れたセリフ劇というものであって、それはそれで非常に興味深いものですが、『兵士の物語』や今回の作品とはコンセプトがだいぶ異なりますね。今回の作品においても、トム・ストッパードの言葉は、音楽に支えられている側面が非常に大きい。セリフに伴って流れる音楽も、ときにはセリフの考えをフォローし、ときにはその考えに抗い、といった感じなんです。リハーサルでは、役者、そして指揮者と共に、ここではどの方向を目指そうか、そのさまざまな可能性を探求していくことになると思いますし、そのプロセスが何より楽しみですね。私はもともと英国ロイヤル・バレエのダンサー出身で、バックグラウンドにはダンスというものがあり、創作作業を始めたのも振付のジャンルにおいてでした。振付とは、音楽を通じ、考えを伝えていく作業ですから、その意味では、原点、根本に戻り、それをまた発展させていく作業になるだろうとも思っています。
――今回、オーケストラも舞台に上がっての上演となります。
オーケストラが奏でる音楽は、間違いなく登場人物たちの感情面を描写するものとなります。提示される考えの筋肉のようなものと言えばいいでしょうか。今回の作品は、オフィスや治療室、牢獄など、限られた場においてのみ展開されます。例えば、自分はオーケストラを率いていると考えるイワノフは本当に精神を病んでいるのかもしれない。その彼の考えを、彼が説明する以上に、音楽が拡張して伝えていくというか、ときに動機ともなるというか。音楽はエネルギーの集合体ですから、それだけで我々を高揚させるところがありますが、舞台に上がり、作品の一部ともなるということで、いわゆるコンサートにおけるオーケストラとも異なり、考えという山を登っていく上での手がかりや、道を外れないためのセーフティネットともなるものを与えてくれるように思います。オーケストラを聞き慣れていない人だと、コンサートにおいて、奏でられている音楽から集中が逸れてしまうときがあるかもしれませんが、今回の舞台では、音楽によって常にそれぞれのキャラクターの感情面へと引き戻されてゆくところがあると思うんです。コンサートにおけるのとはまた異なるオーケストラの力が発揮される作品と言っていいかもしれません。
――今回、アレクサンドルを堤真一さんが、イワノフを橋本良亮さんが演じられます。
二人は役者としてまったく異なるエネルギーをもっているところがおもしろいと思います。堤さんは役者として長らく経験を積んできており、橋本さんはフレッシュなところがあります。そんな二人を組み合わせるというところに今回のキャスティングの妙があると思いますね。
今回の戯曲は、ただ読んだだけでは意味を成さないところが多いんです。構造の多くを音楽に負っているところがある。ですから、音楽そのものが役者にとってのモーターとなるところもあると思うんですね。作中、アレクサンドルとイワノフは、互いに異なる考え、情報を伝えるという役割を課されています。アレクサンドルを通して語られる作品の前半は、非常にわかりやすくクリーンな流れで展開します。その一方で、イワノフはシェイクスピア作品における“道化”のような役割を与えられているというところがある。病んでいると思われているイワノフの精神が次第に病んでいないように見えてくるにつれ、アレクサンドルの世界はある意味うっちゃられたままのように感じられてくる。
大きく分けて、二人が一緒にいる牢獄の場面と、医者がいる治療室の場面、そしてアレクサンドルの息子サーシャが先生と出てくる場面があるのですが、三つの場面ともさらに崩壊していくように見える。
この作品には、ある真実を提起しながら、そこに突っ込みを入れ、登場人物たちがそれぞれ置かれた環境において何を信じるべきか、混乱させていくようなところがあります。例えば、ここにツイートするのが好きな指導者がいるとしましょう。そして、発言とツイート内容とが異なるとする。もしもこのような政治家の支持者だとしたら、その矛盾とどのように折り合えばいいでしょうか。
我々は今日、そのような世界に生きていると私は思うんです。我々ははたして、実際にオーケストラを聞いているのか、それとも、オーケストラが聞こえると主張する人と共に牢獄に入れられているのか。作品で描かれている、信じるべき確かな土壌のなさが、非常に今日的な問題をとらえていると思います。我々の生活がこの数年のうちによりクリアなものになっていくとは私には思えません。その一方で、報道に携わる方ならよくご存じかと思いますが、ジャーナリズムにおいても、重要なニュースであると思っても一面から外され、その一方でよりメディアが売れるであろうニュースをトップにもってくるという状況になってきている。ソーシャル・メディアの発達によって、我々の思想の自由は追いつめられている。商行為も政治的なものとなってきている。芸術もまた政治的なものとなって来ざるを得ません。
ただ、私の出身であるダンスは、政治的なコメントを主張することが非常に難しい分野です。日本においては舞踏などがあり、政治的なものとなった身体表現もまた存在するところがおもしろいと思うのですが、それが今日、幅広い支持を受けているかどうかは難しいところですよね。今回、若い観客が「反体制」について扱うこの作品を観てどのように感じるのか、非常に興味深いところです。
――演出的に目指すところは?
この戯曲の根本にある考えをクリアに提示したいですね。役者と音楽の存在のバランスなど、実現させる上で非常に難しいところもあると思っています。ある側面をあまり強調しすぎてしまうようなところがあると、戯曲の真実と実直さを失いかねないところがあるので。当初、作品の時代性をできるだけ排除した方がいいのかなとも考えましたが、読み込むと特にそのような要素は見当たらなかったので、とにかく、トム・ストッパードが書いたこの戯曲を、今日に通じる普遍性をもったものとして提示したいと思っています。
――トム・ストッパード作品の魅力とは?
彼はファンタスティックな考えをもった劇作家です。そして非常にユーモアがある。既存の考えを乗り越えていくオリジナリティをもっていると思います。どの作品においても、非常に強い精神が貫かれていて、常に政治的な主張が描かれている。政治的というとき、人間関係における政治も含まれていますが。けれども、どの作品にもユーモアがあるんです。
この作品において、観客にはオーケストラが見えているのに、ない、ないと語られるという状況もおかしいし、登場人物たちはけっこう互いにぶしつけなことを言い合っているんですよね。会話がとても生き生きしていると思います。『恋に落ちたシェイクスピア』を観たときも、作品のもつ軽妙さに感服しましたし、我々が真剣に考えなくてはいけない深刻なテーマを扱っていても、彼はいつでもユーモアセンスを発揮することを忘れてはいない。
シリアスなだけの作品だと、眠くなってきて、観る前にビールを飲まなければよかったな……なんて思ったりもしますが(笑)、トム・ストッパードだとそんなことは決してない。そして、この作品におけるアンドレ・プレヴィンの音楽はあまりポピュラーではありませんが、非常に知的ですばらしいもので、もっと広く聴かれるべきだと思っています。作品が初演された時代の香りがあって、ソビエトの作曲家ショスタコーヴィチの音楽を思わせるところもある。とても演劇的な魅力に富んだ、よく練られた音楽だと思います。このようなすばらしい作品に演出家として取り組めることを、非常にラッキーだなと思っています。
取材・文=藤本真由(舞台評論家) 写真撮影=福岡諒祠
公演情報
■作曲:アンドレ・プレヴィン
■演出:ウィル・タケット
■指揮:ヤニック・パジェ
■出演:堤真一、橋本良亮(A.B.C-Z)、小手伸也、シム・ウンギョン、外山誠二、斉藤由貴 他
<東京公演>2019年4月20日(土)~5月7日(火)TBS赤坂ACTシアター
<大阪公演>2019年5月11日(土)~5月12日(日)大阪フェスティバルホール
■前売開始:2019年2月9日(土)
■特設サイト:http://www.parco-play.com/s/program/egbdf2019/