特別展『メアリー・エインズワース浮世絵コレクション』が開催 初期浮世絵から、葛飾北斎・歌川広重まで
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鳥高斎栄昌「郭中美人競 松葉屋内染之助」 寛政(1789-1801)中期
特別展『オーバリン大学アレン・メモリアル美術館所蔵 メアリー・エインズワース浮世絵コレクション -初期浮世絵から北斎・広重まで』が、2019年8月10日(土)~9月29日(日)まで、大阪市立美術館にて開催される(※2019年4月から千葉市美術館、静岡市美術館を巡回)。
喜多川歌麿「九月九日 重陽」 享和(1801-04)頃
アメリカ・オハイオ州にあるオーバリン大学のアレン・メモリアル美術館には、アメリカ人女性メアリー・エインズワースが寄贈した1,500点以上の浮世絵版画が所蔵されている。同コレクションは、明治39年(1906)、エインズワースの来日を契機に始められたもので、初期から幕末まで、浮世絵の歴史を辿ることができる上、有名浮世絵師の名品を含む優れた内容となっている。特に世界でも稀少な初期の浮世絵版画や、葛飾北斎、歌川広重の作品は質・量共に最も注目されるだろう。
2019年全国3カ所を巡回する本展覧会は、メアリー・エインズワース浮世絵コレクションから珠玉の200点を選りすぐり紹介する、初めての里帰り展となる。
第1章:浮世絵の黎明 墨摺絵からの展開
菱川師宣「低唱の後」 延宝(1673-81)後期
「浮世絵師」や「浮世絵」という言葉があらわれるようになるのは、延宝8年(1680)頃のこと。これらの語は菱川師宣(?〜1694)やその作品を意味し、この頃に一枚摺の墨摺絵(すみずりえ)が多く普及し始めたと考えられている。墨摺絵から始まった浮世絵版画は、まもなく色を求めるようになる。しかし、版による彩色はもっと後のことで、60〜70年ほどの間は墨摺絵に1枚1枚筆により彩色を行なっていた。オレンジがかった強い発色の「丹」を用いた「丹絵(たんえ)」、丹の代わりに品の良い赤色を示す「紅」を用いた「紅絵(べにえ)」などがその主なものだ。
奥村政信「羽根突きをする美人」 宝永-正徳期(1704-16)
現存数が多くない初期浮世絵はそれだけで貴重なものであり、初期浮世絵を熱心に収集するコレクターは少数派とも言えるが、エインズワースは収集の最初に初期浮世絵を集め始めたとされている。素朴で力強いプリミティブな美をエインズワースも愛したのだろう。
第2章:色彩を求めて 紅摺絵から錦絵の時代へ
鈴木春信「もんがく上人 市川団十良 平の清もり 沢村宗十良」 宝暦12年(1762)
寛保・延享期(1741〜48)になり、版による彩色が始まる。それは墨の輪郭線に紅と緑を中心とした2、3色を摺ったもので「紅摺絵(べにずりえ)」と呼ばれている。紅摺絵が最も多く出版されたのは宝暦期(1751〜64)のことで、この時期を中心に画風は繊細優美な傾向を増していく。
鈴木春信「六玉川 調布の玉川」 明和4年(1767)頃
そして明和期(1764〜72)の初め、比較的裕福な趣味人の間で贅沢な摺物(私的な出版物)を交換することが流行し、より色数の多い摺物を求めた結果、高度な多色摺木版画技法が完成する。版元たちは摺物の版木を譲り受けて商品化し、江戸で生まれた錦織のように美しい絵という意味で「東錦絵(あずまにしきえ)」と名付けて売り出した。この錦絵創始期の第一人者こそ鈴木春信(1725?〜70)だ。春信は優美な美人画風の傾向をさらに洗練させ、見立絵(みたてえ)ややつし絵と呼ばれる主題の趣向も取り入れながら魅力的な錦絵を創造した。
第3章:錦絵の興隆 黄金期の華 清長から歌麿へ
鳥居清長「洗濯と張り物」 天明(1781–89)後期
美しい多色摺木版画、すなわち錦絵は、春信の時代には高級なものであったと思われるが、やがて大衆にも共有されるようになっていく。錦絵出版界が活性化する中、天明期(1781〜89)になると、鳥居清長(1752〜1815)が長身の伸びやかな美人を描いて一世を風靡した。清長は、大判錦絵やその続絵(つづきえ)など豪華な出版を本格的に手掛けている。
東洲斎写楽「二代目小佐川常世の一平姉おさん」 寛政6年(1794)
清長に続いて寛政期(1789〜1801)の美人画界で第一人者となったのが、喜多川歌麿(?〜1806)だ。歌麿は、女性の顔を大きく捉えた大首絵や半身像の美人画で人気を博した。また、個性的な役者絵で世界的にも有名な東洲斎写(1763?〜1820?)もこの時期に活躍した絵師として注目される。本章では、錦絵が華やかに展開し、多くのスター絵師が輩出した黄金期の浮世絵を紹介する。
歌川国政「岩井粂三郎の禿たより」 寛政8年(1796)
第4章:風景画時代の到来北斎と国芳
葛飾北斎「唐子遊び」 寛政2年(1790)頃
浮世絵はその誕生から長い間、美人画と役者絵が中心となってきた。浮世絵における風景画が、人々に確固たる存在感を示したのは、葛飾北斎(1760〜1849)が手がけた「冨嶽三十六景」シリーズによるところが大きいと言える。江戸市中や近郊、相模・甲斐・駿河など、土地ごとに姿を変容させる富士山に真っ向から取り組んだこのシリーズは、風景画としては空前のヒットだった。エインズワースも、「凱風快晴(がいふうかいせい)」「山下白雨(さんかはくう)」といった著名な図を含む「冨嶽三十六景」シリーズの作品を丹念に収集している。
葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」 天保2-4年(1831-33)頃
一方、歌川国芳(1797〜1861)も個性的な風景画を描いたことで注目される絵師だ。斬新な構図や西洋絵画の影響を思わせる陰影表現により、見慣れたはずの名所を見たことのない光景に変容させ、江戸の人々を驚かせた。その意外性や面白さは、現代の国芳人気にも通じるものと言えるだろう。
歌川国芳「二十四孝童子鑑 大舜」 天保14-弘化元年(1843-44)頃
第5章:エインズワースの愛した広重
歌川広重「東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪」 天保5-6年(1834-35)頃
エインズワース浮世絵コレクションの過半数を占めるのが、歌川広重(1797〜1858)の作品だ。天保5年(1834)頃に発表された出世作「東海道五拾三次之内」(保永堂版)をはじめ、晩年の代表作「名所江戸百景」シリーズに至るまで、エインズワースは広重の風景画を精力的に収集している。エインズワースが日本を訪れたのは明治39年(1906)のことであり、広重が没してからまだ50年も経っていない時期だった。残された作品も豊富であったと思われ、いまだ収集し易い状況であったと考えられる。
歌川広重「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」 安政4年(1857)
また、明治維新によって日本が急速に西洋化の道をたどっていた時代であったとしても、街や田舎に江戸時代の面影を見出すことは容易だっただろう。思い出の日本を描いた広重の風景画は、エインズワースにとって一層愛すべきものだったのかもしれない。
歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」 安政4年(1857)
イベント情報
メアリー・エインズワース浮世絵コレクション -初期浮世絵から北斎・広重まで
※災害などにより臨時で休館となる場合あり。
1枚1,000円(一般のみ)
2019年4月12日(金)~5月12日(日)まで販売。
※早割
2019年6月 8日(土)~7月28日(日) 静岡市美術館