下野竜也(指揮)× 三浦 基 (演出)オペラ《フィデリオ》
2016.1.2
インタビュー
クラシック
舞台
-
ポスト -
シェア - 送る
(左から)三浦 基 (演出)、下野竜也(指揮)×
ロームシアター京都プロデュース・オペラ ベートーヴェン≪フィデリオ≫ (セミステージ形式)
2016年1月、ロームシアター京都が京都・岡崎に開館する。1960年4月の開館以来「京都の文化の殿堂」として京都市民に親しまれてきた京都会館をリニューアルしたもので、長年にわたり音楽芸術を支援してきたローム株式会社が京都市との契約に基づき再整備後50年間のネーミングライツを取得、命名した。1月10日の開館記念公演・記念式典に続き、翌11日にはロームシアター京都プロデュース・オペラ《フィデリオ》でオープニング事業の幕が開く。
「オペラで開幕を祝いたい」という劇場の意向をうけ、計画当初から下野&京響と三浦のタッグでセミステージ形式上演と決まっていたが、演目は下野からの提案だった。
「好きなオペラを考えたとき、やはりドイツ語圏のものが好きなんですね。《フィデリオ》はウィーン国立歌劇場が戦後1955年、占領軍から“解放”され再出発したときの演目で、ウィーンの人々や音楽界にとってモニュメンタルな作品。それに、ある意味オペラっぽくないオペラですから固定観念にとらわれずにできるのではないか。オーケストラも主体となる作品で、京響の魅力も楽しんでいただけます」
劇団「地点」の演出では客席を借景に見立てるなど、演じる場所や装置に拘りをみせる三浦。今回もセミステージ形式ながらオーケストラピットも使用する演出手法をとる。
「オーケストラピットがあり、緞帳があがり幕が開く、といったオペラの舞台形式を疑いつつ、新しい形式を模索し既成概念を打ち破る。それが自分のやり方。本公演ではステージにオーケストラと指揮者がいて、その奥で歌手が歌うわけですが、オーケストラピットを地下に見立て、そこで俳優たちが演技をし、その様子が同時中継で映像として流れたりもする。歌手と合唱もピットから上がってきます。通常のオペラと比べ、最初から舞台とオーケストラピットが反転しているというのがこの演出の最大の特徴です」
《フィデリオ》は歌と歌の間に台詞劇を伴うジングシュピール。その上演史を振りかえると、とかく“台詞の問題”がつきまとう。古くはヴィーラント・ワーグナーが1954年、台詞をすべて新作のナレーションに置き換え、最近では2013年、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルが、台詞を全てカット、看守ロッコの回想として一人の語り部に語らせた。三浦も本上演で台詞をどう扱うかを重要視した。
「とにかく台詞が多い。音楽が終わって台詞になった時、テンションが落ちないようにしなければならない。そこで、全体の構成がわかるように台詞を再構築して、劇団『地点』の俳優6人のうちの男女一人ずつが、物語の世界観を通奏低音のように語る形をとります。ただし、元からある台詞に何か他のテキストを挿入したり継ぎ接ぎとはしません」
セミステージという形式で「どこまで人の動きを出せるか、飽きられないようにどう俳優を動かすか」が課題と語る三浦に、下野は「『地点』の俳優さんに劇の進行を形作ってもらえる」と全幅の信頼をおく。
三浦はまた、《フィデリオ》の最大の魅力は合唱だとし、合唱が生き生きと最後を飾れるような空間演出を目指す。
「楽譜という絶対のものがありますから、音楽の邪魔をせず、寄り添いながら、けれども演出家として少しだけ水を差したい(笑)。音楽的にはすごく重い作品ですので、どうやって軽やかに見せるかを第一に考えました。約75名の合唱隊で市民の“解放”を表現します。“解放”は祝祭的に見えるが、それと裏腹に囚人たちが幽霊のように浮遊している姿は、抜け道のない負の部分。その両方を見せることで、より祝祭的な部分を引き立てられる」
本上演では第16曲フィナーレの前にレオノーレ序曲第3番を挿入する。ウィーン国立歌劇場でマーラーが始めた習慣で、現在では賛否が分かれるところだが下野は「レオノーレ序曲第3番をフィナーレの前に演奏することで、それまでの物語を反芻できる」とその狙いを口にする。
このところ、演劇界や他ジャンルの演出家がオペラ界でも秀作を生み出している。
「映画や芝居をやってる人の音楽に対する肌の感覚というのがあって、なるほどと思うことがいっぱい。日本のオペラ界にとって歓迎すべきこと」と下野。
ロームシアター京都ではスローガンとして「京都に『劇場文化』をつくる。」を掲げる。
「ホールや京都が主体となって新たに創るというのは、これからの京都の文化の在り方の宣誓だと思う。琳派400年記念祭で盛り上がる京都も何百年かかってできた文化」と下野が語ると三浦も「オペラがもっと身近にあって、大きな劇場だけでなく、どこでも空間をともなった音楽劇が普通に行われているような状況になれば変わる」と語気を強める。下野はまた「いつかこの《フィデリオ》を再演してもいいと思う。『あの京都の《フィデリオ》観てみたいよね』となるといい」と今後に期待を寄せた。
取材・文・写真:寺司正彦
(ぶらあぼ + Danza inside 2015年12月号から)
ロームシアター京都プロデュース・オペラ《フィデリオ》
「好きなオペラを考えたとき、やはりドイツ語圏のものが好きなんですね。《フィデリオ》はウィーン国立歌劇場が戦後1955年、占領軍から“解放”され再出発したときの演目で、ウィーンの人々や音楽界にとってモニュメンタルな作品。それに、ある意味オペラっぽくないオペラですから固定観念にとらわれずにできるのではないか。オーケストラも主体となる作品で、京響の魅力も楽しんでいただけます」
劇団「地点」の演出では客席を借景に見立てるなど、演じる場所や装置に拘りをみせる三浦。今回もセミステージ形式ながらオーケストラピットも使用する演出手法をとる。
「オーケストラピットがあり、緞帳があがり幕が開く、といったオペラの舞台形式を疑いつつ、新しい形式を模索し既成概念を打ち破る。それが自分のやり方。本公演ではステージにオーケストラと指揮者がいて、その奥で歌手が歌うわけですが、オーケストラピットを地下に見立て、そこで俳優たちが演技をし、その様子が同時中継で映像として流れたりもする。歌手と合唱もピットから上がってきます。通常のオペラと比べ、最初から舞台とオーケストラピットが反転しているというのがこの演出の最大の特徴です」
《フィデリオ》は歌と歌の間に台詞劇を伴うジングシュピール。その上演史を振りかえると、とかく“台詞の問題”がつきまとう。古くはヴィーラント・ワーグナーが1954年、台詞をすべて新作のナレーションに置き換え、最近では2013年、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルが、台詞を全てカット、看守ロッコの回想として一人の語り部に語らせた。三浦も本上演で台詞をどう扱うかを重要視した。
「とにかく台詞が多い。音楽が終わって台詞になった時、テンションが落ちないようにしなければならない。そこで、全体の構成がわかるように台詞を再構築して、劇団『地点』の俳優6人のうちの男女一人ずつが、物語の世界観を通奏低音のように語る形をとります。ただし、元からある台詞に何か他のテキストを挿入したり継ぎ接ぎとはしません」
セミステージという形式で「どこまで人の動きを出せるか、飽きられないようにどう俳優を動かすか」が課題と語る三浦に、下野は「『地点』の俳優さんに劇の進行を形作ってもらえる」と全幅の信頼をおく。
三浦はまた、《フィデリオ》の最大の魅力は合唱だとし、合唱が生き生きと最後を飾れるような空間演出を目指す。
「楽譜という絶対のものがありますから、音楽の邪魔をせず、寄り添いながら、けれども演出家として少しだけ水を差したい(笑)。音楽的にはすごく重い作品ですので、どうやって軽やかに見せるかを第一に考えました。約75名の合唱隊で市民の“解放”を表現します。“解放”は祝祭的に見えるが、それと裏腹に囚人たちが幽霊のように浮遊している姿は、抜け道のない負の部分。その両方を見せることで、より祝祭的な部分を引き立てられる」
本上演では第16曲フィナーレの前にレオノーレ序曲第3番を挿入する。ウィーン国立歌劇場でマーラーが始めた習慣で、現在では賛否が分かれるところだが下野は「レオノーレ序曲第3番をフィナーレの前に演奏することで、それまでの物語を反芻できる」とその狙いを口にする。
このところ、演劇界や他ジャンルの演出家がオペラ界でも秀作を生み出している。
「映画や芝居をやってる人の音楽に対する肌の感覚というのがあって、なるほどと思うことがいっぱい。日本のオペラ界にとって歓迎すべきこと」と下野。
ロームシアター京都ではスローガンとして「京都に『劇場文化』をつくる。」を掲げる。
「ホールや京都が主体となって新たに創るというのは、これからの京都の文化の在り方の宣誓だと思う。琳派400年記念祭で盛り上がる京都も何百年かかってできた文化」と下野が語ると三浦も「オペラがもっと身近にあって、大きな劇場だけでなく、どこでも空間をともなった音楽劇が普通に行われているような状況になれば変わる」と語気を強める。下野はまた「いつかこの《フィデリオ》を再演してもいいと思う。『あの京都の《フィデリオ》観てみたいよね』となるといい」と今後に期待を寄せた。
取材・文・写真:寺司正彦
(ぶらあぼ + Danza inside 2015年12月号から)
ロームシアター京都プロデュース・オペラ《フィデリオ》
演出:三浦基
指揮:下野竜也(京都市交響楽団常任客演指揮者)
管弦楽:京都市交響楽団
合唱:京響コーラス 京都市少年合唱団
レオノーレ(フィデリオ):木下美穂子 フロレスタン:小原啓楼
ドン・ピツァロ:小森輝彦 ドン・フェルナンド:黒田博
マルツェリーネ:石橋栄実 ロッコ:久保和範 ヤキーノ:小林大作
劇団「地点」:安部聡子、石田大、小河原康二、窪田史恵、河野早紀、小林洋平
指揮:下野竜也(京都市交響楽団常任客演指揮者)
管弦楽:京都市交響楽団
合唱:京響コーラス 京都市少年合唱団
レオノーレ(フィデリオ):木下美穂子 フロレスタン:小原啓楼
ドン・ピツァロ:小森輝彦 ドン・フェルナンド:黒田博
マルツェリーネ:石橋栄実 ロッコ:久保和範 ヤキーノ:小林大作
劇団「地点」:安部聡子、石田大、小河原康二、窪田史恵、河野早紀、小林洋平