本当はコワいクラプトン
クラプトンのブルースを探求する旅
エリック・クラプトンが2016年4月に来日する。
これは、クラプトンをこよなく愛する日本のファンの為にだけ企画された特別なツアーであり、なんと通算21回目の来日公演となる。
今回も当たり前ではあるが、会場には武道館が含まれている。
そう、クラプトンを語る上で、武道館は切っても切れない関係にある。今回は武道館公演が5回発表されているが、これで武道館公演の回数が通算で91回となり、海外アーティストの公演回数歴代1位の驚異の記録だ。
ここまで書いて、おや?っと思う。
クラプトンって、去年にツアー引退宣言しなかったっけ?
確か、2013年〜14年のワールド・ツアーでクラプトンは「大規模なツアーはこれが最後になるだろう」と語っており、その言葉通り来日公演を含んだ14年のツアー終了後は、自身の生誕70年記念コンサート以外はライブを行っていない。
それどころか、前述の70年記念コンサートのロイヤル・アルバート・ホールでの模様を収めた映像作品が11月初旬に発売され、劇場公開もされたりと盛り上がりを見せたばかりだ。
これは、普通では話が違うとかそういう感情が生まれるはずだが、相手がクラプトンとなると話は変わってくる。
良くも悪くもというか、誤解を恐れずに言うと、そもそも、クラプトンとはそういう人なのだ。彼のファンならこの感覚に同意してくれるだろう。彼のファンでなくとも、ロックファンなら理解してくれるはずだ。
あぶない、あぶない。こわい、こわい。また、してやられるところだった。
そう、クラプトンは、本当はコワいのだ。
クラプトンは世界的には言わずもがな、ここ日本でも非常に高い人気を誇っている。
「スロ―ハンド」というニックネームを持ったギターの神様であり、ブルースの求道者であり、「ティアーズ・イン・ヘブン」や「ワンダフル・トゥナイト」のようなバラードの歌い手であり、といった様々な顔を持つため、本当に幅広い層から支持を得ている。
そんなクラプトンの来日公演を前に、50年を超えるキャリアを簡単に振り返っておこう。
エリック・クラプトンは1945年にイングランド、リプリー生まれた。1965年にヤードバーズの一員として頭角を現し、2枚のアルバムを発表するも翌年には脱退(この後、ヤードバーズには、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと、そうそうたるメンバーが加わることになる)。
1966年にはジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズのメンバーとして、『Blues Breakers with Eric Clapton』を発表。この名盤としていまだに親しまれているアルバムは、黒人の音楽として認識されていたブルースを白人が演奏する「ホワイト・ブルース」というジャンルを生み出し、イギリスで一大ムーブメントとなる。ちなみに、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズには、後にホワイト・ブルースの雄として知られることとなるフリートウッド・マックのベーシスト、ジョン・マクヴィーも在籍していた。
この時代にロンドンの街中に「クラプトンは神だ」という落書きがされたことがきっかけで、その後現在に至るまで「ギターの神様」と呼ばれるようになったという逸話もある。
1枚のアルバムを残して再度バンドを脱退したエリック・クラプトンは、1966年にジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーと共にクリームを結成。ブルースとロックをブレンドさせた即興性の強い演奏を背景としたクリームは「クロス・ロード」「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」「ホワイト・ルーム」などのヒット曲を連発(これらの楽曲はいまだにクラプトンのライブでも重要な位置を占めている)し、アメリカでの成功も収めるも、68年に解散。
クリーム解散後、同じクリームのジンジャー・ベイカーや、スティーヴ・ウィンウッド、リック・グレッチと共に更なるスパー・グループ、ブラインド・フェイスを結成。大いに話題となるが、これもわずか1枚のアルバムと半年の活動を経て、解散。
その後、ブラインド・フェイスの前座だったデボラ&ボニーのメンバーと、70年10月にデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成。名曲中の名曲「レイラ」を生み出したが、これも1枚のアルバムを発表した後に解散。
その後、1970年に初のソロアルバムとなる『Eric Clapton』を発表し、その後40年以上に渡るソロ・アーティストとしての道をスタートさせた。以降は、アルコールやドラッグ依存に悩む時期もあったが、コンスタントにアルバムを発表し続け、名曲を生み出していった。
クラプトンのヒット曲にはカバー曲も多く、J.J.ケイルの「コカイン」や、ボブ・マーリィの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」、YMOの「ビハインド・ザ・マスク」(作曲は坂本龍一)を取上げたことは余りにも有名。98年の大ヒット曲でグラミー賞を獲得した「チェンジ・ザ・ワールド」もワイノナ・ジャッドのカバー曲と、キャリアを通じて多くのカバー曲でヒットを飛ばし、自らの重要なレパトリーとなっている。
ここまでの流れも、いかにもクラプトンらしい。成功を収めるも、さっさと次の活動へ移行してしまったり、バンドを解散させては次を結成したり。そこにはバンドならではの難しさもあろうが、クラプトンの音楽に対する確固たる信念がこの様な結果を生んだのではないかと推測される。
ポップ度を強くして行ったヤードバーズからの脱退も、より硬派なブルースを奏でたいとの理由でのジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズからの脱退も、ロックとの融合が進み過ぎたクリームの解散も、すべては彼にとってのブルースを追い求めるが故の行動であり、それはクラプトンが常に自分なりの理想のブルースを探し求めて行った結果に過ぎない。
このクラプトンのブルースを求める旅は、1994年のアルバム『フロム・ザ・クレイドル』で一旦のピークを迎える。このアルバムは古いブルースのカバーアルバムであり、クラプトンが影響を受けた楽曲たちが、イキイキとした演奏と歌で現代へ蘇った素晴らしいアルバムだった。
セールス的にも成功した『フロム・ザ・クレイドル』の直後から、なんとクラプトンはアルバム同様に全編古いブルースを演奏するという「Nothing But The Blues Tour」(意訳すれば、「何はなくともブルース」)と銘打った世界ツアーを敢行。1995年には来日公演が叶っている。
この頃日本では、シングル「ティアーズ・イン・ヘブン」とアルバム『アンプラグド』の大ヒットや、「ワンダフル・トゥナイト」がドラマに使用されるなど、バラードのクラプトンというイメージが一時的にも大きくなっていた時期だった。
そして会場には、生粋のクラプトン・ファン以外にも、そんなバラード・ヒットを求めるデート客や若い女性客が多く集まった
95年の来日公演は、クラプトンの来日史上最も需要と供給が食い違ったものとなったといっていい。
そして、当たり前なのだが、なんとクラプトンは、大ヒットの余韻が残っていた「ティアーズ・イン・ヘブン」はもちろんのこと、「レイラ」などの定番曲も一切演らず、淡々と、そして熱くオールドブルースのカバーだけを演奏し続けた。この潔い展開に明らかに飽きている観客がいたことを筆者は今でもはっきりと覚えている。ブルースを演奏するたびに、ヒット曲を期待していた観客をバッタバッタとなぎ倒していくかのように。
そう、クラプトンはコワいのだ。
ヒット曲を求められようが、自身のブルースを探求しつづけた95年の来日から早20年。その間にも何度も来日公演を行い、95年のツアー以降はしっかりと代表作も演奏し、新旧のファンを魅了しつづけたクラプトン。
その軌跡は、まるでブルースと旅する様を見るようだ。
ブルースとは、人生の悲哀や、恵まれない境遇を歌うことから始まったとされる音楽だ。
そしてクラプトンの人生も、度重なるドラッグやアルコール依存、数度の結婚と離婚(隠し子も複数いる)、早すぎる息子の死(この出来事が名曲「ティアーズ・イン・ヘブン」を生んだことは有名な逸話だ)、多くの近しいミュージシャンの度重なる死など、悲しみに満ちたものだった。
そんな人生をも糧にして、クラプトンはストラトキャスターを手にブルースを奏でてきた。
そして、21回目となる来日公演の来年4月。
聖地、日本武道館で、クラプトンはまた深みを増したブルースを聴かせてくれるだろう。
日本のファンにだけに与えられたこの特別な機会は、見逃せない。
東京公演
■ 公演詳細
【公演日・会場・開場/開演時間】
2016年4月13日(水) 日本武道館 18:00 open/19:00 start
2016年4月15日(金) 日本武道館 18:00 open/19:00 start
2016年4月16日(土) 日本武道館 16:00 open/17:00 start
2016年4月18日(月) 日本武道館 18:00 open/19:00 start
2016年4月19日(火) 日本武道館 18:00 open/19:00 start
【料金】
S ¥13,500(アリーナ席・1F席・2F席[座席指定]/税込)
A ¥12,000(2F席ステージ後方[座席指定]/税込)
【主催】TBS/朝日新聞社/J-WAVE/TOKYO FM/InterFM897/FMヨコハマ/bayfm
【︎特別協賛】株式会社 黒澤楽器店
【後援】tvk
【協力】ワーナーミュージック・ジャパン/ユニバーサル ミュージック/ワードレコーズ
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