シンセ番長・齋藤久師が送る愛と狂気の大人気コラム・第六十三沼 『働き方沼!』
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「welcome to THE沼!」
沼。
皆さんはこの言葉にどのようなイメージをお持ちだろうか?
私の中の沼といえば、足を取られたら、底なしの泥の深みへゆっくりとゆっくりと引きずり込まれ、抵抗すればするほど強く深くなすすべもなく、息をしたまま意識を抹消されるという恐怖のイメージだ。
一方、ある物事に心奪われ、取り憑かれたようにはまり込み、その世界にどっぷりと溺れることを
「沼」
という言葉で比喩される。
底なしの「収集」が愛と快感というある種の麻痺を伴い増幅する。
これは病か苦行か、あるいは究極の癒しなのか。
毒のスパイスをたっぷり含んだあらゆる世界の「沼」をご紹介しよう。
シンセ番長・齋藤久師が送る愛と狂気の大人気コラム・第六十三沼 『働き方沼!』
日本経済のバブルが崩壊すると同時に、我々アンダーグラウンド系音楽家たちにも遅ればせながらその余波が及んだ。おそらくメジャーグラウンドの音楽家達の経済状況が急落した事にくらべれば、そのスロープはゆるかったが。
しかし、音楽が売れなくなったといわれる現在でも、メジャーグラウンドの音楽家、特に作家にはカラオケを始め、様々なところから現在でも作家印税が落ちてくる。いいな。
金銭以外にも、私がメジャーグラウンドといわれる音楽商業で1番懸念していた事は、作品を作ってからリリースするまでの期間が長すぎるという事に尽きた。
音楽を商品として扱うわけだから、まずは商業レコーディングスタジオで莫大な予算をかけて録音制作する。レコーディングエンジニアやアシスタントのほか、たくさんの人々が関わって一つの作品を作り出して行く。
ジャケットデザインも作品の重要なピースとなるので手間と時間と金をかける。
そして出来上がった作品(商品)を宣伝し、ディストリビュートするために多くの時間と多くの人々の手を通過し、ようやくレコード店にならぶまで半年以上もかかっていたのだ。
これでは、作品が店頭に並ぶ頃には、作った本人は既に飽きている。それどころか、常に新しい事に挑戦し続けるタイプの音楽家には恥でしかない場合も多い。
もちろん、飽きない作品を作ればリリースまでの時間など何の関係もない。
しかし、商業音楽とは=数字なのだ。なにしろ商品なわけだから売れる事が目的である。
そこに芸術的価値など誰も求めていないのだ。売れさえすればいいのだ。(なかにはそうで無い人たちもいるかも知れない。でも私はそんな人知らない)
そしてバブルが弾けると、十分なレコーディング期間を高額なスタジオを使って作り込む事ができなくなったため、とうぜん締め切りとの戦いであり、インスタントなものとなったのは当然だ。スピードが命で、音楽は作品では無く、たんなる寿命の短い消費物として成り下がって行った。
しかし、時がクロスするように、自宅でも商業音楽スタジオと同等のクオリティー(それ以上の場合もある)環境が安価で用意できるような時代となってきた。
高価なハードウェアーの録音機器や、電子楽器が全てパーソナルコンピューターの中で忠実に再現され、それに伴い音楽家自ら録音、そしてマスターリングまでをこなせることがとても重要なキーになってきた。
やらなきゃいけない仕事は増えたが、全てを自ら行えるという事は、自分の世界感を100%表現できる夢のような時代になったといってもいい。
そういった環境は、また別の面白い現象をも引き起こした。
それまで、選ばれた者だけしか成れない立場であった音楽家という職業が、少しの投資さえすれば誰にでも自分の作品をリリースできるという「実力世界」になったのだ。
しかし、多くの音楽家にとって最も苦手な「金」の話になると一同頭を抱える。
大手のレコード会社には広報部があり、その道のプロフェッショナルがあらゆる方法を駆使して出来上がった作品を売るために尽力を尽くしてくれていた。それにはとても感謝している。
音楽メディアもパーソナルコンピューターの存在で激変した。
蓄音機(レコード)の時代から始まり、カセットテープ、CD、MD、LD他、この100年の間で幾度も形を変えて音楽を流通させてきた。
さて、私は何をいいたいのか。
これまであった「音楽産業」という事は、実は幻だったのでは無いかと思っている。
音楽でお金を稼ぐという時代は奇跡だったのでは無いか?
音楽でお金を稼ぐという行為は不純なのではないか?
いや、霞をくうわけにはいかないのだ。仙人では無いかぎり。
そこで、私は考えた。「やっちゃいけないと言われた事をやりまくろう!」と。
幸い、今現在 私が行っている音楽活動はプロデュースも含め、ほとんどの作品に歌が無い。つまり万国共通だ。言葉の壁が無いから。
さらには電子音楽が基本なので、大げさな録音スタジオなど必要としない。
つまり、家族が食えるぶんくらい稼げればいいのだ。
「やっちゃいけないことだけやりまくる」を具体的に説明すると。データ配信の時代が本格到来して久しい。しかも、違法にDLをし、「音楽はタダで聴くもの」という認識の強いニュータイプの人たちに向けた対抗策も入っているが、私の作る作品のほとんどがアナログレコードとカセットテープだ。いわゆる「物体」だ。
もちろん、各配信会社からの音楽配信はしている。しかしだ、なんという事か、先日アメリカのDetroitUnderground発売した「galcid’s ambient works」という作品は、配信と同時にカセットテープも発売したのだが、信じられない事にカセットテープは即日完売するという現象が起きた。
我々の予想では、在庫のカセットテープが山積した家の隅っこで暮らさなければいけないという不安を一気に解消してくれた驚くべき出来事だ。
これは本国アメリカでも同様に完売したようだが、わざわざ日本から注文してくれるファンの方が多いのも驚いた。なにしろ、商品よりも送料の方が高いんだぜ。ありがとう。
しかし、みんなカセットデッキ持っているのか?w どうやって聴いているんだ?教えてくれ。
やっちゃいけない事その2。これはとにかく入れてはいけない穴に入れる。
つまりモジュラーシンセのバグを利用して、誰にも出せないようなサウンドをクリエイトするわけだ。
さらに、「ノイズ0」のデジタル時代に「ノイズてんこ盛り」をやらかす。わざとやらかす。
私の大好きな映画「死霊のはらわた」をVHSでテープが擦り切れるほど死ぬほど観まくっていたわけだが、ある日ブルーレイ版が出たので試しに観てみたら全く面白くなかった。
それと似た理由もあって、私の作る作品の全てはノイズまみれだ。このノイズを繰り返し聴くうちに、それがサウンドのとても重要な要素だという事が後になって気づく。
余談だが、過剰にダイナミックレンジが広い作品も嫌いだ。
息苦しい音がすきなのだ。(主観)
解像度、レゾリューション、Hi-Fiなど、音質のスペックと音楽の素晴らしさが比例しているとは限らない。。。。。。。。。。ことが多い。
もちろん、今後もアナログにこだわった作品をリリースしていくわけだが、それには他にも理由がたくさんある。
ここで、話をもどそう。
誰でも簡単に自分の音楽を世界へ配信出来る現代の環境になったわけだが、世界は広い。
私はアナログにこだわり過ぎたために、またしてもアノ問題にぶち当たっている。
配信だと、作った瞬間にでも世界中に届けることができる。
しかし、レコードをプレスしたりカセットテープでリリースするという事になると話は変わってくる。
音楽メディアがレコードからCDに以降するようになった頃、多くのレコードプレス工場が閉鎖に追いやられた。
それでも、頑張って営業を続けてきた小さなプレス工場、、、涙ぐましい努力だったに違いない。
しかし、指で数えられるほどの数になってしまったそれらの工場は、なんと現在アナログリバイバルでフル稼動状態が続いているというのだ!
信じられないが事実のようだ。
実は例のカセットテープの作品を録音したのが昨年の8月。そしてリリースできたのが12月だ。
実に4ヶ月もかかっていることになる。
また、春にレコードで連続リリースされる我々のアルバムと12inchは昨年の9月に録音したのでリリースまで半年かかる事になった。
大手レコード会社並みのリリースの遅さに驚愕するとともに、その理由についてレーベルのオーナーとやりとりしてわかったことがある。
「レコードプレス工場は忙しいだけじゃないんだ。彼らは休日になると旅行にでかけちゃうんだよ」という。
そりゃあ、冬は寒いし、仕事なんかしたくないのはわかる。
だから暖かい国に遊びにいっちゃうそうだ。
様々な国で、いろんな働き方がある。
自由だ。
私たちの殆どの作品は自慢じゃ無いがこちらから出してくれと頼んだ事が無く、海外のあらゆるレーベルからオファーがくる、そしてリリースも世界だ。これは「やっちゃいけないことだけやりまくっている」証だ。
これに対して、私は沢山の事を学んだ。これはチャンスなんだ。
数字に縛られず、いつ聴いてもフレッシュな作品、そして実験精神を投入した作品を作れるまたとないチャンスの時代が到来したのだ。
春にたくさんリリースされる私たちの作品を是非聴いてほしい。