ストリートシーンで話題のクリエイター・Koji Ueharaが短編作品『#000』で映画初監督ーー「自分に対するイメージを裏切ってやろうと」
Koji Uehara 撮影=河上良
ロックバンドのボーカルとして活動し、アーティストプロデュースや楽曲提供、MVなどを手掛けてきたKoji Ueharaが、短編映画『#000(シャープスリーオー)』で映画監督デビューを果たした。人を殺して自首しようとしているヒットマン、自ら命を絶とうとしている男性、電気を消し忘れるたびに過去の思い出がよみがえる青年の三編の物語で構成された同作。2019年2月に関係者試写が実施された際、俳優・やべきょうすけが「観る人の想像を掻き立てる」と感想をツイート。たしかにこの作品は、言葉に頼り切らず、派手なアクションを仕掛けるわけでもない。画で見せることを基調とし、人物間の距離、目線の行き先などで物語を紡いでいく。そうやって想像に委ねる部分はあるが、しかし各登場人物の意図や心情、そして過去についてきっちりと読み取ることができる。今回は、持ち味がきっちり生かされた初監督作についてKoji Uehara本人に話を訊いた。
Koji Uehara 撮影=河上良
――音楽をやっていらっしゃる関連で、もともとMVは制作していらっしゃったんですよね。
小さい頃から映画が大好きで、実は音楽をやる以前から「映画の撮影をいつかやってみたい」と思っていたのですが、作る時間と勇気がなかったんです。ただ、MVを作っていくなかで「やっぱり映画をやってみたい」となりました。映画制作に取り組み始めたのはこの2年くらいですね。
――今回は3つのエピソードで構成されたオムニバスですが、物語を先に作っていかれましたか。それとも主人公の設定を決めてから、話を膨らませていきましたか。
テーマを考えて、そこから話を作っていきました。2018年11月末、スタッフに「来年2 月に上映会をしたいから、会場を押さえてほしい」という話をしたんです。「えっ、何の映画を上映するんですか?」と尋ねられて、「自分が作った映画を上映したい」と。でも、そもそも作品がなかったので、「作品がないのに何を言っているんですか?」と驚かれました。
――いやいや、それはめちゃくちゃ無謀なスケジュールですよ(笑)。
言ってしまったから、これはもうどうにかしないといけないなと、撮影に入りました。そこから、映画って果たしてどういうものなのかと改めて考えたりしていくなかで、「人は変われるか、変われないか」というテーマが出てきました。そして3つくらいエピソードを考えつき、主人公の人物像ができていったという感じですね。
――この三編のエピソードのラストには、画的にある共通点がありますよね。
そうですね。僕自身が、主人公の三者三様のあの姿を最後に見たかったんです。
――いずれの物語も、登場人物それぞれに生きる上での一つの結末があり、そこから改めてスタートを切っていくところが描かれています。つまり「終わりは始まり」ということですが。
一編目『Instant Life』は、人を殺してしまった男が主人公ですが、そんなことをしてしまっても、人は前に進んでいかないといけないと思うんです。僕は、そういう経緯をたどってしまった人間の、その後の人生に興味がある。暴力は絶対にいけないし、罪を犯してはいけない。でもこの映画の主人公には、あのまま終わって欲しくないんです。そういうふうに観ていただけるように意識して撮りました。
Koji Uehara 撮影=河上良
――『Instant Life』はその後の二編とテイストが違い、ヤクザが出てくるなど少しバイオレンスに寄っていますね。
実はそこは狙ったというか、自分の周りの人たちに対して「どうせ俺が映画を撮るとなったら、こういうものを期待してるだろうな」と思って、まずはその通りのものを作りました。で、みんなが「やっぱりバイオレンス映画なんだね」となったところを、徐々に裏切ってやろうと。そういうイタズラ心があったんです。
――なかなか意地が悪い構成! つまりミスリードをしたわけですね。そして二編目『701号室』でトーンが変わります。今から死のうとしている人が、淡々と食事をとっているというオープニング。ただ、死のうとしているその手を止めるキッカケが訪れる。
死ぬ準備をする人がその手を止める理由として、たとえば家族や友だちから連絡があったりする。そういう物語はたくさんありますよね。もちろんそれでも良いのですが、でもキッカケとして、この作品のように自分に関係ない出来事の方が、ストーリーとしておもしろいんじゃないかなと。
――そうそう。まったく自分に関係のないトラブルが身近で起きて、死のうとしている手が止まる。シリアスなんですけど、ちょっと笑えます。
僕は「死にたい」という気持ちになったことがないから、あくまで創作としてこの物語を作りました。あと、死神のような存在が出てきますが、主人公はそういったものに引っ張られてしまう。そこは映像表現としてやってみたかったんです。
Koji Uehara 撮影=河上良
――そして三編目『Light in the bathroom』は、誰の身にも起きる普遍的な恋愛の物語です。男女の気持ちの掛け違いを、電気の消し忘れという些細な出来事で表現してます。
「人は変われるか」というテーマで映画を作ろうとすると、どうしても大げさに物事を捉えてしまうじゃないですか。見た目にはっきりと何かが変わるような出来事を描いたりして。でも、それはやりたくはなかったんです。変わろうと思った日がゼロだとして、すべてが変わりきった日を100とするなら、見せたかったのは0から1になるとき。僕のなかでは、1こそがもっとも変化がある時期なんです。
――なるほど。
この主人公は、ズボラで、トイレの電気を消さなくて、彼女にいつも怒られていた。そして月日が経ったある日、いつも通り電気を消さずにいたら、ふといろんなことを思い出す。たった一つのスイッチを押すだけの話なんですけど、それが彼の中での成長なんです。変わるということを大げさではなく、日常の中でのちょっとした動作で表現したかったんです。
――すごく繊細な内容ですよね。たとえば、主人公と彼女の気持ちのあり方を、ソファに座るふたりの距離感で表現していたり。あの距離が絶妙ですし、言葉をはっきり交わさなくても状況が分かります。
そう言ってもらえて、安心しました。というのも、あの距離感の表現を理解してもらえないことが結構あって。今の日本映画は、少し説明過多なところがあるじゃないですか。あのカットを分かってもらえないということは、もしかするとその影響もあるのかなと感じていたんです。
――それは間違いなくありますね。決定的な何かを描かないと、人物の心情を理解できないという風潮はあります。でもそうなってくると、次に作るときは「もっと分かりやすく表現しなきゃいけないのでは」とブレが生まれたりしませんか。
ただ、そこがブレてしまうと、僕が映画を撮る需要がない気がしています。寄せすぎたくない、というか。映画作りをサポートしてくださる方々も、そういう映画は観たくないはずなので、もし意識して分かりやすい映画を撮るのであれば、自分じゃなくてもいいと思っています。
――確かにそうですよね。ちなみにKoji Uehara監督は音楽活動もやっていらっしゃいますが、映画制作の際は素性を隠していて。それは今後もそういう形でやっていかれるんですか。
自分は映画監督として新人なので、そうしたいです。もちろん、自分が芸能の仕事に関して全くの新人だったら、今日の大阪での上映会も300枚のが売り切れることはなかったはず。そこは分かっているんですけど、でもそういうことに頼り切ってしまうと次はないと思っています。1年生として、やれることをちゃんとやりたいんです。
――今後はどういった映画作りを目指していらっしゃいますか。
クリント・イーストウッド監督のような映画を作りたいです。『グラン・トリノ』(2008)が大好きなんです。胸のあたりに何かが押し寄せてきて、グッと詰まるような感触。そして、ずっとそこに残っているような。『パーフェクト・ワールド』(1993)もそうですが、単純に白黒では判断できないような、そういう人たちが登場する映画をやりたいです。
『#000』
取材・文=田辺ユウキ 撮影=河上良
上映情報
渋谷ユーロライブ
・2部 : 開場 20:30 / 開演 21:00
上映後、監督・出演者数名による舞台挨拶あり