osage インタビュー 新体制への移行、コロナ禍――人気曲の再録リリースを機に、激動の1年を振り返る
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osage 撮影=大橋祐希
昨年10月、初の全国流通作品『October.』をリリースし、murffin discsからデビューしたギターロックバンド・osage。同作のリリースを記念して行った前回のインタビューでは、今後への意気込みも語ってもらったが、その後、メンバーの一人が脱退。パートチェンジを経て新体制として走り続けることを決めるも、新型コロナウイルスによる感染症拡大の影響を受け、再スタートを告げるツアーは全公演中止になってしまった。
とはいえ彼らは逞しく、メンバーが脱退したにも関わらず「一旦休む」という選択肢がそもそも頭になかったとのこと。一方、自分たちにはどうしようもない要因により、ライブ活動を止めざるを得ない状況になったとき、改めて考えたこともあったようだ。歩みを止めなかった、ゆえに波瀾万丈だったこの1年弱を、3人に振り返ってもらった。
――しばらくお会いしない間に、バンド的にも社会的にもいろいろなことが起こりすぎて。
山口ケンタ(Vo/Gt):そうですねえ。
――まず、バンドにとって初めてのワンマンが、4人でやる最初で最後のワンマンになるなんて思っていませんでした。
山口:(前ギタリストの)松永から脱退の意思を聞いたときは、我々もびっくりはしたんですけど、そこまで「どうしてだよ!?」とはならず。というのも、(松永とは)やりたいことが違うかもしれないということを、薄々感じてはいたんですよ。それをあっちから、ふわっと言ってくれたのが去年の11月で。だから結構円満に別れた感じです。
金廣洸輝(Gt/Cho):今でも週1で飲みますしね(笑)。
山口:そうなんですよ。全然、良好な関係で。
――モヤモヤしたものを抱えながら一緒にバンド活動する道よりも、友人として関係性を継続させる道の方が、お互いにとって幸せだったのかもしれないですね。
田中優希(Dr):元々高校・大学の友達同士で組んだバンドだったので、“メンバー”よりも先にあった“友達”という面が尊重されたというか。
山口:だからバンドをやる前に戻った感じだよね。ただ、osageは彼と金廣が始めたバンドであって、つまり彼は、osageをほとんど作った男であって。自分で作っておいてそこから去るというのは、経営者の鑑というか(笑)。新しいなあ、彼らしいなあ、とは思いました。
――そんな状況で迎えた今年1月のワンマンは、それぞれに課題はあれど、想いの乗ったいいライブだなあと思って観ていました。あれは、悲しみを出すまいと踏ん張っていたんですか? それとも、いざ演奏してみたら“楽しい”が“悲しい”を上回った感じですか?
金廣:それはそれぞれ違うと思うんですけど……僕の場合は、悲しいという気持ちを出さないようにしていましたね。
山口:でも最後の曲でチューニングを落とすとき、「落とすと終わっちゃうんだ」っていうのを感じたみたいで、(金廣が)一人でボロボロ泣いてたんですよ。それを見ちゃって僕もちょっと危なかったんですけど。
田中:ドラムからだと、その様子は全然見えなかったですけどね(笑)。僕の場合は、初めてのワンマンということで「自分たちだけを観るために、これだけの人が集まってくれている!」という気持ちが強かったので、結構演奏に集中できましたね。だけど終わったあとに打ち上げに行ったときとか、1~2日経ったタイミングでじわじわと……「ああ、そっか。ここから3人か」みたいな。
山口:僕は考え始めるとすぐに泣いちゃうから、あえて考えないようにしていて。ただ、松永がいた頃の音源・ライブはどんどん過去のものになっていっちゃうので「せっかくこんなにカッコいいギタリストがいたんだからちゃんと残してやらないと」って想いがあったんですよ。それで「じゃあここにいる350人に松永のことを覚えておいてもらおう」「うちのギタリスト、やっぱりカッコいいでしょ?」みたいな、結構晴れやかな気持ちでやっていましたね。……打ち上げではギャン泣きでしたけど(笑)。
――やっぱり打ち上げで込み上げてくるものなんですね。
山口:もうめっちゃ泣きました。「何でだよー!」って言いながら(笑)。
――そりゃ寂しいですよね。前回の取材で「せっかくギターが2本ある」「それならこの2本でどうやって面白いことをやろうか」という部分にこだわっているバンドなのかなという印象を受けて。
山口:はい、それはもう仰る通りです。
――そうなると、リードギター脱退によるインパクトはかなり大きいですよね。
山口:やっぱり「松永というリードギターがいて、金廣というサイドギターがいる」というのはosageにとって絶対的なものだったんですよ。だけど、それを金廣が一手に背負うことになってしまったのが今で。そうなったときに、「1本武器を失った状態で戦う」というよりも、「バンドとして出てくる音で戦おう」というふうに考えていきました。点じゃなくて面で戦う、みたいな。
田中:ギターにフォーカスを当てるんじゃなくて、バンドサウンド全体で考えるっていうことだよね。
山口:そう。今までは個々の音に比重を置いていたんですけど、そうではなく、ひとつのバンドとして見てもらおうという意識に変わっていったから、今は音作りを見直していて。
――パーツごとの面白さよりも、全体のフォルムの美しさを追求する方向に変わった、というイメージですか?
山口:そうですね。今までは「ここのギターのフレーズがカッコいい」とか「ここのハモリがいい」みたいなアプローチごとの強みを見てもらいたいっていう気持ちが強かったんですけど、「曲がいい」と思ってもらえるためには、全体を引いて見て、「バンドサウンドがいい」という状態に持っていく必要があると思っていて。だから、原点というか、始まりの部分に戻ってきたような気がしますね。
osage 撮影=大橋祐希
――4月にリリースしたシングル「あの頃の君によろしく/ Hertz」を機に、山口さんはベースボーカルからギターボーカルに、金廣さんはサイドギターからリードギターに転向しました。とはいえ、新体制でまわろうと思っていたツアーを中止せざるを得ない状況になってしまい……。出足を挫かれたのは不本意だったと思いますが。
金廣:俺ら、まだ(新体制で)お客さんの前でライブできてないんですよ。
山口:3人になったらしいという噂は流れているけど、誰もその姿を見た者はいない、みたいな(笑)。
田中:元々は、ライブでお披露目する予定だったんですよ。だけど、それができなくなって。だからミュージックビデオをよく見たら変わってる、みたいな感じになっちゃったんですけど。
山口:ぬるっと変わっちゃいましたね。
――山口さんはギターボーカルの経験があるんでしたっけ?
山口:はい。元々はギターボーカルで、下北沢とかでライブをしていた時期はありました。歌モノでベースボーカルって、結構トリッキーな部類だったと思うんですよ。
金廣:それだけで「おっ!」ってなるもんね。
山口:そう。珍しさがあったから「おいしいな」って思ってたんですけど(笑)。
金廣:だけど、ギターに戻ってからもっと声が出るようになったよね。
山口:そうなんですよ。ベースを弾きながらでは唄えなかったキーが出るようになりました。
――それはどういう原理で?
山口:おそらくですけど……ベースってシンプルに重いんですよ。4キロぐらいあるから、それで圧迫されちゃってて。それに可動域も広いから、(運指を)追うのでいっぱいいっぱいになっちゃっていた部分もあったんじゃないかと思います。今はショートスケールで、3キロ弱のギターを使っているんですけど、それに持ち替えた途端、今まで突っかかっていた音が全部出るようになって。ギターボーカルって理に適っていたんだなあと思いました(笑)。
――そうなると、一番大変だったのは金廣さんでは?
金廣:そうですね……。ずっとコードしか弾いてこなかったから、フレーズを考えることもしてこなかったし、足元のエフェクターも歪み1個しか持っていなかったので。大変でしたけど、「osage、ギターが抜けたら下手になったなあ」と思われたくなかったので……頑張りました!
山口:本当に頑張ったよね。
田中:3人になるけどこれからどうしようかっていう話になったとき、(金廣に)「リードギターは?」って訊いたら、最初、「絶対嫌だ」って言ってたんですよ。俺らは「向いてると思うよ」って言ってたんですけど。
――どうして嫌だったんですか?
金廣:目立ちたくなかったんですよね。あと、ステージで暴れながら弾くタイプなので、リードになったらそれもできなくなるのかな?とか、リードやりながらコーラスってできるのかな?とか、そういうことも考えちゃって。
田中:……目立ちたくない人は暴れないですよね(笑)。
――金廣さんは山口さんの歌が大好きだから、「コーラスできないのが嫌」っていう気持ちが特に大きかったんじゃないですか。
金廣:そうですね。コーラスでハモリを乗せるのが好きだったので。まあ、でも、腹を括ってチャレンジすることにしました。今は結構しっくりきてますね。
山口:それならよかった。
osage 撮影=大橋祐希
――実際、4月のシングルがすごくいい内容で。特に「あの頃の君によろしく」に関しては、初めて聴いたときから名曲だと思っています。
山口:ありがとうございます。あの曲は自分たちとしても思い出深い曲ですね。
金廣:今までと全然違う音の作り方をしたよね。
山口:そうだね。ドラムのサウンドやリードギターの音色を探りながら作っていって。そうして詰めていった個々のこだわりを、しっかりと調和させることができて。僕も歌詞を深く考えながら……いや、今までも深く考えてはいたんですけど、「もう一皮剥けよう」という想いで向き合った曲で。「出だしから掴むにはどうしたらいいか」「パンチラインはどう作ろうか」みたいなことを考えながら書いていきました。
――今年の前半は、バンドにとっても変化の大きい期間だったけど、社会自体も大きく変わってしまったわけで。この期間中、音楽との向き合い方を必然的に考えたんじゃないかと思います。
金廣:いろいろ考えたよね。
山口:考えたね。osageに関していうと、3人になってからの動きも含め、お客さんにまだまだ届けたいものはあるし、「これで満足してもらっちゃ困る」みたいな気持ちもあったので、「今ここで何かを出したい」「何かを訴えたい」というは気持ちは常々ありました。ただ……音楽イベント、ライブがどうしてもできないっていうのは分かるんですよ。でも、音楽そのものまでマイナスなものとして見られてしまうようになるんじゃないか?っていうのが怖かったですね。
金廣:俺はちょっと鬱みたいな感じになっちゃっていました。まず「osage、このまま忘れられちゃうのかな?」って不安になって、そこから「みんな、音楽がなくても生きていけるんだ」「音楽って要らないんだ」って思っちゃって。さらに「だとしたら、俺って何なんだ?」っていうところまで考えちゃって……。
田中:一時期は「寝れない」「ごはんもそんなに食べられない」って言っていたよね。金廣から夜な夜な電話がかかってくるんですよ。「電話していい?」って聞かれるから、「いいよ」って返して、一緒に話をして。
――落ち込んでいる金廣さんを2人で引っ張り上げていた感じですか?
金廣:いや、引っ張り上げられた覚えはないです(笑)。
田中:電話はするけど、「うーん、落ち込んでるなあ」っていう、それだけというか(笑)。
金廣:でも……6月ぐらいだったかな。osage宛てに初めてファンレターが届いたんですよ。それは中学生の子が送ってくれたものなんですけど、「お小遣いで初めてCDを買いました」「まだライブに行けたことがないんですけど、高校生になったら必ず行くので待っててください」と書いてあって。それを読んだら、落ち込んでるのが馬鹿馬鹿しくなってきたんですよね。そこから立ち直っていった感じです。
田中:多分、自分たちにとっては、お客さんのリアクションを見られるのがすごく嬉しいんだと思います。そういう意味では、6月の無観客配信ライブも大きかったですね。
山口:6月の配信ライブは、抽選で当選した30名のお客さんとZoomを繋ぐシステムだったんですよ。ライブ映像は事前収録したものだったので、それを流しながら一緒に見る形だったんですけど、曲が終わったときに拍手しているところとか、サビで手を上げてくれているところを見ることができて。画面越しではありましたけど、実際にお客さんの顔を見ることができたからか、配信ライブでよく言われる虚無感みたいなものは、そのライブに関してはなかったですね。
――因みに、山口さんはこういう状況でも曲は書けましたか?
山口:恐ろしいぐらいにすんなり書けましたね。僕はどちらかというと、自分含め、身の回りの人間の話ベースになっているところが多いんですよ。こういう事態になるとより話題が増えるので、むしろたくさん書き留められましたね。
osage 撮影=大橋祐希
――その新曲たちに関しては今後リリースされることを期待するとして。今回リリースされるのは「ウーロンハイと春に」の再録版。2018年にリリースされた自主制作盤に収録されていた曲で、ライブでもかなりの頻度で演奏されている曲です。ファンの人たちもリリースを心待ちにしていたんじゃないかと。
金廣:そうですね。何で出さねえんだよって思われていたかもしれない(笑)。
山口:満を持してというか。
田中:満を持しすぎて、飽きられちゃっているんじゃないかっていうのがちょっと怖かったんですけど……。
金廣:元々「いつか再録したい」「春に出せたらいいよね」っていう話はしていたんですけど、コロナがあって、今の状況にマッチしているなあと思ったので、このタイミングでリリースすることにしました。
――そもそもどういう背景から生まれた曲なんですか?
山口:この曲は……当時、我々の同級生が就職して、勤務地が結構な遠方になっちゃったんですよ。「これはもう頻繁には会えないかもしれない」という状況になったときに、「学生時代楽しかったね」という思い出をなぞりながらも、「遠くで元気にやってほしい」という気持ちを込めて書いた曲ですね。ウーロンハイは実際に我々が打ち上げでよく飲んでいるものですし、歌詞に出てくるものには思い出が詰まっていて。ライブで演奏するときは「遠くに行った友達の歌です」と紹介しています。
――イントロのギターとか、曲の印象を決定づけるフレーズは基本的に残っていますし、再録とはいえ、抜本的に作り変えたくはなかったのかなと思いました。
山口:そうですね。元々あったものが結構完成されていたのと、バンドの体制や環境が変わっても、この曲で伝えたいメッセージは結局一緒だという想いもあったので、大きく変えることはせず。
田中:「曲の雰囲気を大きく変えるのはちょっと違うよね」という意見でメンバー全員一致していたと思います。ただ、元の音源はちょっと粗削りすぎるので、たくさんの人に理解してもらうのは難しいんじゃないかとは思っていて。
金廣:歪み過ぎて何弾いてるか分からないですよね(笑)。
――一生懸命さがすごく伝わってくるから、あれはあれでグッとくるんですけどね(笑)。
田中:(笑)。せっかくいい曲なんだからということで、全体的にサウンドを洗練させること、歌がちゃんと入ってくるようなアレンジにすることに重点を置いて再録をしました。
金廣:だけど、あの荒々しさも当時の自分たちの良いところではあったので、そういうところをいい意味で残しつつ、音作りをしていて。間奏では結構ファズっぽい音を使ったりもしています。
田中:一つひとつの変化は本当に些細なものなんですけど、そういうものを積み重ねることによって、(バンドの)成長を感じてもらえるような演奏になったんじゃないかと思います。
osage 撮影=大橋祐希
――ジャケット写真の一般公募や、Twitterで公開された親交のあるバンドマンによる弾き語りカバー企画は、これまでになかった試みですよね。
山口:以前から、みなさんがSNSに上げてくださっている動画を見させてもらっているんですけど、そのなかで、「この曲は本当にいろいろな受け取り方をしてもらっているんだな」と感じて。恋愛の曲だって思う人もいれば、友達の曲だって思う人もいる。バンドとお客さんの曲だって思う人もいれば、過ぎた青春を思い返すための曲として聴いてくれている人もいる。
金廣:いろいろな解釈があるよね。
山口:そう。最初は自分たちのなかに「こういう歌だ」っていうのが一つだけあったのに、気づいたらもう、一つだけではなくなっているのが面白いなあと思って。それを知ったときに、「それ(人それぞれの解釈)を全部知りたい」と思ったんですよね。曲の受け取られ方を知ることによって、僕らの演奏や歌、ライブにもいい影響が出てくるんじゃないかなと思っています。あとは……たかがインディーズのバンドが出したデモ音源の曲が、こんなにも、みんなの生活のなかで生きているんだなっていう嬉しさもあって。
――osageは元々「忘れられたくない」という気持ちが強いバンドだし、途中話にも出たように、音楽が必要な人とそうではない人がコロナ禍で分断されてしまったわけで。だからこそ、バンドにとって大切な曲が、誰かの生活の一部になっているところを見られると、なおさら嬉しいですよね。
山口:はい、本当に嬉しいですね。ただ、ちょっと狡い感じになっちゃってるというか……。
田中:両方とも、ある意味、他力本願的な企画だからね(笑)。
――そんなことないですよ(笑)。最後に、「早くライブに行きたい」という気持ちを抱えているであろうファンの方々へ、メッセージをいただけますか。
山口:こういう状況なので、ライブに足を運ぶことが難しいと思うんですけど、ライブに限らず、今はいろいろな形で音楽を聴くことができますし、何ならライブ映像を見ることもできるので、まずはそこで足しにしていただければと思います。ただ、我々バンドはライブが一番楽しいです。この影響がなくなったときに「ライブに行きたい」と一番に思ってもらえるアーティストでいるために、今後も――今は次のリリースのための制作期間に入っているんですけど――(お客さんを)絶対に楽しませられるようなものを必死に作っていきます。なので、あとはこの状況が収まるのを待つだけかなと。収まったときには、ライブハウスでまたお会いできたらと思います。
金廣:パワーアップしたosageのライブを楽しみにしていてください!
田中:また人がたくさんいるライブハウスでお会いしたいですね。
――密な感じのね。
田中:それこそが結局ライブの醍醐味なのかなって。
山口:そうですよ、そうですよ!
田中:その日がまた来ることを楽しみにしています。
――こんな感じで締めさせてもらえればと思いますが……それにしても、インディーズバンドのリリース前の曲がYouTubeで76万回再生ってすごいことですよね。
山口:本当にありがたいことですよね~。一つだけ後悔しているのが、広告つけておけばよかったっていう。
田中:確かに。
金廣:ミスったよね。
山口:つけていたら結構入っていたかもしれないですね……。
――……悪い顔になっちゃってますけど、そして今の発言も録音しちゃいましたけど、バンドのイメージ的に大丈夫ですか(笑)。
一同:うわあああ! しまった!
山口:でもまあ、これからは狡いところも出していこうっていうことで……!(笑)
取材・文=蜂須賀ちなみ 撮影=大橋祐希
osage 撮影=大橋祐希