菊五郎の勘平、松緑×猿之助の土蜘、菊之助の鏡獅子『五月大歌舞伎』歌舞伎座観劇レポート
『五月大歌舞伎』
東京・歌舞伎座で『五月大歌舞伎』が開幕した。政府の緊急事態宣言を受け、5月3日から11日までの9日間の公演が中止となり、12日(水)から28日(金)千穐楽までの開催となった。5月は1日三部制で6演目が上演されている。座席は、客席数(1808席)のうちの50%(904席)に制限し、各部が終わるごとに観客、出演者が入れ替わる。全三部をレポートする。
■第一部 午前11時開演
一、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)
『三人吉三巴白浪』より「大川端庚申塚の場」が序幕を飾る。同じ「吉三」の名前をもつ3人のアウトローが偶然出会い、お互いの血を飲みかわし義兄弟の契りを結ぶ名場面だ。9日遅れの初日となったこの日、定式幕が開くとまだ誰も登場していない舞台に向けて拍手が起きた。何となくパラパラおきたものではなく、はっきりとした輪郭のある、観客から歌舞伎座へのエールのような拍手だった。
入場の際はセルフでチケットを切り、検温と手指の消毒を。 撮影:塚田史香
これを受けて舞台に立つのが、お嬢吉三に尾上右近、お坊吉三に中村隼人、和尚吉三に坂東巳之助。いずれも初役だ。さらに夜鷹おとせで、同世代の中村莟玉も出演する。右近が演じるお嬢吉三は、女性ではなく女装をした盗賊だ。台詞や態度に垣間見せるやんちゃさと、見た目の美しさとのギャップで、他の女方の時とは異質の色気を放っていた。「こいつぁ春から縁起がいいわえ」に至るまでの名台詞は、のびやかに歌舞伎座に響き、大きな拍手をおこした。隼人はスレた印象の見た目の内にも、“お坊”らしい品をみせる。和尚吉三役の巳之助は、ちょっとした台詞においても本寸法の可笑しみがある。そこに和尚の心の余裕を感じさせ、お嬢とお坊だけでなく、観る者にとっても心のよりどころとなる存在感があった。
二、新古演劇十種の内 土蜘(つちぐも)
源頼光の土蜘蛛退治の伝説をもとに作られた演目。病気療養中の頼光(市川猿之助)が、見舞いに訪れた平井保昌(坂東亀蔵)に経緯を話し、侍女・胡蝶(坂東新悟)の舞に癒されていると、あやしげな僧があらわれる。智籌(ちちゅう/尾上松緑)と名乗り、病が治るのを祈りに来たというが……。
戦いの火ぶたを切るのが、太刀持の音若(尾上菊五郎の孫の寺嶋眞秀)。果敢に挑む姿に拍手がおくられた。本性を現した土蜘の精(松緑)は、形相も動きも不気味で凄みがある。そんなモンスター討伐の一幕だが、舞台は終始華やかな空気に満たされている。松緑が踊りで魅せ、千筋の糸は千の神経が巡っているような美しさで広がった。猿之助の頼光の佇まいは、作品全体の品を底上げする。音楽は力強く、笛の音も印象的だった。保昌を筆頭に、渡辺源次綱(中村福之助)、坂田公時(中村鷹之資)、碓井貞光(尾上左近)、ト部季武(市川弘太郎)も、個性豊かで頼もしい。ラストに向けて、エネルギーのぶつかり合いが伝わってくる盛り上がりだった。
終演後、上の階からエスカレーターで降りてくる方々が、通路奥の何かに気づき会釈をしていた。のぞいてみると、消毒液のタンクを背負ったスタッフが、整列しスタンバイしていた。歌舞伎座では、昨年8月の再開以来、各部が終わるごとに場内の座席に消毒液が散布され、肘掛の拭き掃除が行われているという。
客席では大向う、食事、会話は控えるよう案内がある。ロビーでの会話も最小限にするよう協力を。 撮影:塚田史香
■第二部 午後2時30分開演
『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』
第二部では、『仮名手本忠臣蔵』全十一段より、早野勘平が中心のエピソードが上演される。主君・塩冶判官が殿中で刃傷沙汰を起こした時、勘平と恋人の腰元おかるは城外で密会していた。お家の大事に駆けつけることができなかった2人は……。
一、道行旅路の花聟(みちゆきたびじのはなむこ。通称『落人』)
『落人』は、『仮名手本忠臣蔵』三段目の一部を舞踊にアレンジしたもの。桜が咲き、菜の花畑が広がり、後景には富士山がそびえる。そこに寄り添い立つのが、勘平(中村錦之助)とおかる(中村梅枝)だ。景色の美しさと、笠をおろし顔をみせた美男美女が、立て続けにため息を誘う。うららかな陽気とは対照的に、勘平は希望を失い切腹を考えている。おかるはそれを慰め、自身の実家に誘い、女房になることも提案する。そこに(良い意味で)空気を一切読まない陽気な鷺坂伴内(中村萬太郎)が登場。勘平を捕らえようとする。肌を脱いだ勘平の華やかさと、おかるの愛のある頼もしさに、一瞬希望をみたような心持ちで『六段目』へ。
二、六段目
勘平を尾上菊五郎が演じる。菊五郎は、4月に行われた取材会で、勘平の型の手順や心情や苦労を明かし「やることが多い、難役中の難役」と笑っていた。すべてタネ明かしされた上で観る菊五郎の勘平だが、いざ始まれば、型も苦労も芝居であることさえも忘れさせるものだった。
菊五郎の勘平は、現代では経験しえない状況にも説得力を与える。たとえば義父・与市兵衛を誤って殺したと知った(実際には思い込んだ)直後に、元同僚にあたる2人の侍が訪ねてきて、思わず髪の乱れを気にする思考回路。腹切しながら、念願の連判状に名前を加えてもらえたからと笑みを浮かべる心情。いずれも現実離れした感覚だが、菊五郎の勘平が目の前であまりにも自然に生き、ひと続きの事実として事を起こしていくので、すんなりと心がついていく。
勘平の悲劇は、登場シーンのほくほく顔からの落差、ビジュアルに訴える赤い血や義太夫の語りによってドラマチックに彩られる。それを中村時蔵のおかる、中村又五郎の千崎弥五郎、市村橘太郎の源六、中村東蔵のおかや、中村魁春の一文字屋お才、市川左團次の不破数右衛門が、盤石の布陣で支えていた。
なお歌舞伎座は、換気をしやすい構造だというが、加えて、各階の客席扉をすべて解放し芝居をしている。与市兵衛の家の暖簾が、時々風に揺れ、なおのことリアルに感じられた。
■第三部 午後6時20分開演
一、八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)
琵琶湖に浮かぶ豪華な御座船で、うたた寝から覚めた佐藤正清(中村歌六)は、息子の許嫁・雛衣(中村雀右衛門)に、今みた夢の話をする。そこへ“見送り”の小舟がやってくる。北畠家からの使者・轟軍次(中村種之助)だ。正清が感謝を述べると、その元気な様子をみて軍次はそそくさと去っていった。実は正清に、先ほど北畠邸でふるまわれた酒は、毒入りのものだったのだ……。
正清のモデルは、戦国武将の加藤清正だ。歴史上の清正は、徳川家と秀吉亡き後の豊臣家の和平を願い、二条城で家康と秀頼の会見をセッティングした。その帰途で病に倒れ、世を去っている。『湖水御座船(こすいござぶね)』の場は、当時流布した清正毒殺説をもとに創作されている。雀右衛門は、雛衣を可憐に勤め、琴の演奏にも参加する。歌六は、様式美の中で正清の武将としての大きさをみせる。最期まで尽きることのない貫禄に、終盤の写実的な演技が重なり涙を誘う。
当初の発表では、正清を勤めるのは中村吉右衛門の予定だった。病気療養のため歌六が代演している。吉右衛門は、7月に舞台復帰の予定。
二、新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)
舞台は、江戸城の大奥。新年の鏡開きの日の余興として、将軍のリクエストで小姓・弥生(尾上菊之助)が踊りを披露することになった。家老の渋井五左衛門(坂東楽善)や用人の関口十太夫(坂東彦三郎)、老女の飛鳥井(市村萬次郎)、局の吉野(中村米吉)に手をひかれ、弥生は覚悟を決めて踊りはじめる。手踊りにはじまり、扇や、慶事につかわれる赤い袱紗を使った舞など変化に富む。獅子頭を手にとると、魂が宿ったかのように獅子が勝手に動き始める。弥生本人は流麗に舞いながら、荒々しい獅子に引っ張られるように花道へ。これを将軍サイドから見るという贅沢な趣向だ。
舞台の正面には、長唄とお囃子の演奏者が並ぶ。『鏡獅子』は長唄舞踊の大曲だ。コロナ禍以前、間口の広い歌舞伎座で上演する際には、唄・三味線ともに7名以上が並んでいたが、感染症対策への配慮から、今回は一人ひとりの間隔を空けた5名ずつの編成となり、顔の半分を黒い布で覆っている。それでも菊之助を中心に演奏者たちは息をあわせ、ハンディを感じさせることなく、格調高い華やかさで空間を彩る。
胡蝶の精は、彦三郎の長男・亀三郎と、菊之助の長男の丑之助が勤める。2人は息を一つに、その中にも個性のちがう愛らしさで観客を魅了した。開幕が延期され、上演の約束がない中でも、稽古を重ねてきたことを感じさせる。冒頭では隙あらば逃げようとしていた可憐な小姓が、後半では勇壮で美しい獅子となり、真っ白な長い毛を高く大きく振る。心地よい緊張感と圧倒的な美しさで現実を忘れさせる一幕は喝采で結ばれた。
『五月大歌舞伎』は、28日(金)千穐楽までの上演となる。
最前列と花道の両側は使用していない。終演時は整列退場となる。 撮影:塚田史香
取材・文=塚田史香
※公演が終了しましたので舞台写真の掲載を取り下げました。
公演情報
『五月大歌舞伎』