三宅裕司・立川志の輔・渡辺正行 揃い踏み『三宅裕司70歳記念落語会』開催 伝説の<紫紺亭志い朝>が28年ぶりに新橋演舞場に集結
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『三宅裕司70歳記念落語会』
三宅裕司の70歳を記念して、明治大学落語研究会の後輩である立川志の輔と渡辺正行からプレゼントされた『三宅裕司70歳記念落語会』が、2021年12月23日(木)に新橋演舞場で開催された。
神田神保町に生を受け東京のど真ん中で様々なエンターテインメントを享受し育った生粋の江戸っ子・三宅裕司は、中学から落語に親しみ、明治大学在学中は落語研究会に所属し<紫紺亭志い朝(しこんていしいちょう)>の四代目を襲名。その名を2学年後輩の立川志の輔が五代目として継ぎ、さらにその2学年後輩のコント赤信号・渡辺正行が六代目を継ぎ、<紫紺亭志い朝>は今や明治大学落語研究会の大名跡となった。
明治大学落語研究会が縁で出会った3名が、それぞれにとって思い出深い場所、新橋演舞場で「たった1日1回限りの特別公演」が開催されたのである。
「無責任一代男」の軽快なメロディが流れる中、胸に「4」「5」「6」のワッペンがついているシャツを身に纏った3人が登場すると、満席の会場からは大きな拍手で落語会がスタートした。
『三宅裕司70歳記念落語会』
その拍手を受けた三宅は「この拍手でずいぶんハードルが上がったなぁ」と早速笑いを誘うと、三宅の両サイドにいた後輩の志の輔と渡辺から「おめでとうございます」と、70歳を迎えた三宅を祝い、さらに大きな拍手が沸き起こった。これから始まる特別な時間に会場の高揚感も一層高まったようだった。
三宅裕司
<紫紺亭志い朝>の名を受け継いでいった際のトークでは、志の輔が「三宅さんの落語が好きで、その落語を続けていきたいと、三宅さんのところにお願いにいった」とエピソードを話すと、「志の輔の口からそんなこと言われると、この後(の落語が)めちゃくちゃやりにくい」と三宅が慌てる場面も。<紫紺亭志い朝>をめぐるそれぞれの当時のエピソードを、笑いを織り交ぜながらたっぷり聞かせ、3人の絆を見ることができた。
立川志の輔
この会を開催するに至った経緯は、70歳を目前にした三宅が「今までやったことのない挑戦として落語会をやりたい」と思い、明大落研の後輩である志の輔と渡辺に相談。すると二人は「わかりました、三宅さんの為にひと肌脱ぎましょう」と快諾し、新橋演舞場という最高の舞台を用意。三宅を喜ばせ、やるならば特別な、記念の時にしか実現しないであろう「志い朝の会」をやろうと、なんと28年ぶりに実現したのである。
渡辺正行
トークパートの最後、3人での「開演です!」の掛け声で いよいよ落語会がスタートした。
まず落語を披露したのは六代目紫紺亭志い朝の渡辺。「時そば」を渡辺らしい茶目っ気を混ぜながら披露し、トップバッターを飾った。
渡辺正行
次に登場したのは五代目紫紺亭志い朝の志の輔。開口一番「私だけプロなんです」と会場を沸かせ、「八五郎出世」を披露。おめでたい一席を圧巻のステージでプロの腕を見せ、三宅にバトンを渡した。
立川志の輔
そしていよいよ本日の主役・四代目紫紺亭志い朝の三宅が登場。「鰻の幇間(うなぎのたいこ)」を披露し、50分にも及ぶ大作をやり終え、幕を閉じた。
三宅裕司
三宅裕司
再び幕が上がると、再度3人揃って高座に登場し三宅から感謝の言葉が述べられ、三本締めでお開きとなった。
終演後、三宅は「やっと終わった!これで今日からゆっくり寝れる!」と叫び、志の輔は「長尺のネタをよく演られた。お疲れ様でした」と労った。そして「良いお客さんで良かった」と3人が口を揃え40年以上の絆を見せた舞台を後にした。
伝説となったこの日1回限りの落語会の様子は、「三宅裕司YouTubeチャンネル」にて年内にアップされる予定だ。