鴻上尚史にインタビュー! 3度目の舞台『エゴ・サーチ』がまもなく開幕
鴻上尚史
2022年4月10日(日)~4月24日(日)に東京・紀伊國屋ホール、4月30日(土)〜5月1日(日)大阪・サンケイホールブリーゼにて、舞台『エゴ・サーチ』が上演される。鴻上尚史が作・演出を務める本作は、2010年の初演、2013年の再演を経て、今回新たなキャストを迎えて3度目の上演となる。
インターネット上で、自分の本名やハンドルネームで検索する〈エゴ・サーチ〉をきっかけに、失われた記憶と、届かなかった想い、もがき苦悩し、それぞれの思惑が絡み合って、バラバラに見えたパズルが集まった時に見える真実を描き出す――〈謎〉と〈想い〉が織り重なる感動の物語。
主人公となる小説家志望の新人・一色を演じるのは、近年多くの舞台へ出演し注目を集めてきた今江大地(関西ジャニーズJr.)。そして、女心に巧みに入り込むカメラマンの広瀬に結木滉星、一色の恋人の小田切に吉田美月喜、一色の担当編集者・夏川に南沢奈央が決定している。
開幕を控え、作・演出の鴻上に作品への思いやキャストについて、そして自身のインターネットとの向き合い方を聞いた。
ーーもうお稽古始まってから1ヶ月ほど経ちましたが、いかがですか。
まあ、そうね。若者たちだから、なかなか大変だね(笑)。仕上げないといけないからね。
ーー『エゴ・サーチ』という作品についてうかがいます。書かれたのがもう10年以上前ですよね。
12年前かな。
ーー当時は「エゴ・サーチ」という言葉をまだ今ほど普及してなかったですよね。今年改めて本作をやろうと思われたのは?
今回は主催はサードステージではなく、知り合いのプロデューサーが僕に演出をやってくれないかとオファーをしてくれたんです。去年『ロミオとロザライン』をやったので、じゃあ何にしましょうかという話をしていて、どうせだったら僕の作品の方がいいだろうということで、いろいろ作品を見返した。この作品、言ってしまえば“BLもの”なんですね。で、プロデューサーが「これ、いいね。BLもの、いいね」ということで、上演する運びになりました。
僕はエゴ・サーチというのは当たり前になってしまって、その言葉を改めて説明するまでもない時代になったので、逆にこの物語がより密接になるかなと思って。プロデューサーの思いと、僕の思いが合体したわけです。
鴻上尚史
ーー今回は3回目ということで、脚本としてはエゴ・サーチの説明をあえてしないなど変更を加えるわけですか。
あえてしないというのもあるんですが、やっぱり12年前だと単語が変わってくるんです。あの当時はmixiが流行っていたし、ブログも今はみんなあんまりやらなくなっているでしょう? 今はTikTokとInstagram、Twitterに変わってきている。よりだから密接になったということかな。
ーーそれぞれお客さんにとって身近な物語、と。
そうだと思う。現実世界でも、全く同じ文章がいろんな名前でTwitterにアップされていたりするじゃないですか。もうそういうことが日常になってきたので、密接なドラマになったんじゃないかなという感じです。
ーー演出面の違いはありますか。
過去2回は(自身が主宰する)虚構の劇団での上演ですが、今回はいろいろなチームから集まってくれました。やはり共通の基盤を作ることが、すごくしんどい。しんどいんだけど、それが演出家の仕事なので。毎日、特に(今江)大地と、(結木)滉星に向かって、叱咤激励してます(笑)。
ーーそうなんですね。キャストそれぞれのことをぜひうかがいたいのですが、まず今江大地さんはどうでしょう。
大地はもう本当に素直すぎる。「もうちょっと大人になれ」と言っています。「僕は愛されて育ってきて、人を疑うことがないんです」とか言うんだもの(笑)。いやいや、現実のお前はそれで素敵なんだけど、登場人物としてはもうちょっと葛藤してくれませんかという話でね。
いいところを言うと、本人がアイドルから俳優になろうとしているので、その食いつきはすごい。ただ、その真面目さが時々おかしな方向にいくんだよね。例えばセリフに「代田橋」という地名が出てくるんだけど、そうしたら「昨日、代田橋に行ってきました!」とかね。そういうエネルギーを使うんだったら、セリフの分析の方をしてもらいたいなっていうね(笑)。
ーー結木滉星さんは。
こいつはこいつでね……(笑)。滉星は、鈴木勝秀という演出家——僕の大学のサークルの後輩なんだけど——のことをすごく大好きで、尊敬していると聞いていたので、同じ村のやつかなと思ったんだけど。イケメンだし、身長もあるでしょう。衣裳合わせの時に「僕、なんでも似合いますから」ということをしれっと言ってさ(笑)。本当にねぇ(笑)。大地と滉星は中学の部活友達みたいにつるんでる。タイプは全然違うんだけど。
ーー吉田美月喜さんは。
美月喜はね、たいしたもんです。初舞台なんだけど、実に勘が良くて、いい女優になると思う。それこそ安藤サクラさんとか、実力のあるいい女優になっていくんじゃないかなあ。吸収がすごく早い。とんちんかんな解釈になったりするけど、そこからの飲み込みが本当に早くて、初舞台なのにたいしたもんだなと思う。
ーー南沢奈央さんはもう安心ですね。
もうベテランだからね。奈央ちゃんは今回ははっきり「コメディエンヌ・南沢奈央」というお願いをしてます。本人も落語好きで、僕も彼女の高座デビューを観に行ったんですよ。二席やったんだけど、一席目は新作でものすごい緊張していて。緊張が伝わるんだよね。二席目は古典。(立川)談春師匠に稽古をつけてもらって、大人たちが総がかりで応援したんですわ。すごいね。僕も含めてだけど、オヤジたちが応援したいと思わせるパワーは、すごいね(笑)。
鴻上尚史
ーーみなさん、本当に個性的ですね。改めてエゴ・サーチという言葉にフォーカスを当てていきたいと思うのですが、鴻上さんがエゴ・サーチという言葉をツイッターで初めて呟いたのは2010年6月で、この作品を書いている、ということだったんですよ。ご自身がエゴ・サーチに注目した、最初のきっかけなどは覚えていらっしゃいますか?
何のときだっけな。具体的には覚えてないんだけど、エゴ・サーチをするのは着弾修正にすごく便利なんです。要は、戦場でね。木の上に1人登って、はるか後ろから味方が弾(たま)を撃つ。それを見て「南にあと2キロ」とか「北にあと3キロ」とか指示していくことで、どんどん敵に対するダメージが的確になってくる。
だから僕が作品を書いたり、芝居を作っても「なるほど、こういう風に人は感じるのか」とか「こういう風に受け取るのか」ということが分かるので、そこはね、エゴ・サーチって実はとても優れているんだけど、木に弾が集中したりするわけです。だからエゴ・サーチしたら3日ぐらい立ち直れないという時もあるわけなのね。
そこからが実は精神のタフさを問われるところ。なかなか立ち直れないんだけど、つまり弾がもう1万発ぐらい飛んできてるんだけど、その中に3発ぐらい的確な着弾を教えてくれるものがあって。僕は一応“炎上の上級者”なので(笑)、いつもいつもせめぎ合いだよね。
ーーじゃあ、この物語を書かれた当初から今まで、エゴ・サーチ自体はやられているわけですね。
うん、ずっとしている。エゴ・サーチを僕がしていることがバレてしまうと「よし、鴻上をやっつけてやろう」というやつが出てくるから、あんまり言いたくないんだけど。
ーー鴻上さんのツイートを全部今回見直したわけはないですが、2010年の時は割と「見に来てね」とか引用リツイートで絡みに行っていましたが、最近そうでもないですよね。
そうね。ツイッターというのは、僕が初めてSNSとかインターネットで興奮したメディアだったんですよね。僕はFacebookにも興奮しなかったし、ブログにも興奮しなかったし、もちろんmixiも興奮しなかった。
今でも覚えているけど、高円寺で芝居をし終わって、それで家に帰ろうと思って、バスに乗ったのね。そうしたらデモ隊にぶつかって、バスが動かなくなった。それでTwitterで「高円寺でデモ隊に遭遇。なんのデモなんだろう」みたいに呟いた。そうしたら、反原発のデモで、主催がどこで、どこから出発してみたいな情報をばばばっと教えてくれて。すごいな、Twitterと思って。
それがやっぱり僕の中ではTwitterっていうものに、はまったきっかけだったんだよね。ところが140字というのは議論に向かないんだということを、炎上を経て、経験したわけですよ。だから、昔はコミュニケーションできるツールだと思っていたから、割と簡単に絡んで「ありがとうございます」とか呟いていたんだけど、もう揚げ足を取ろうと思ったら、どんな文章でも取れるということが分かってしまって。
Twitterって、誰かに反論してキャッチボールをする。3往復ぐらいして、ようやく向こうが分かりかけた時に、別の人が2往復ぐらいのツイートを読んで、また来る。終わりがないんだよね。結局。それを発見した時に、Twitterってコミュニケーションを深めるツールではないんだな。告知するツールというか、情報をもらったり、情報をあげたりするツールで、深くコミュニケーションするツールとしては不向きなんだなと気づいたんじゃないかな。
それに気づいた多くの人は、Instagramに走り、さらにTikTokに進むみたいなことになっているんだと思うね。
ーーこのコロナ禍というところも絡めてうかがいたいのですが、やはりSNSの声が大きくなっている気もします。その辺りは鴻上さん、どう思いますか。
やっぱりSNSが僕たち人類にした一番のことは、自分が読みたい情報だけで一生を終えることができるってことだよね。だからそこから外に出るためには、現実と接するしかない。
僕は人生相談をやっていて、すごく最近増えているのは、実家の親が知らないうちに陰謀論者になっていたとか、親からワクチンを絶対子どもに打たすなといきなり連絡が来たとか、ね。それを変えるのは説得じゃ難しいんですよ。親は陰謀論の情報だけで生きていけるから。
もし変えるきっかけがあるとしたら、その陰謀論を信じることによって、隣近所の交友関係を失ったとか、子どもが帰ってこなくなったとか。ネットのリアリティよりも現実のリアリティが勝つという風にならないとなかなか変わらない。だけど、アメリカみたいに陰謀論のグループが集まって、親睦を深め始めたりすると、もうほんとにね……。なかなか難しいね。
だから、政治の仕事もアートの仕事もそうだけど、これからはどうその分断を加速しないか。どう寛容と和解に向ける方向を出すか。政治がもし無理だとしたら、アートの仕事なんじゃないかという気がすごいするね。
鴻上尚史
ーーインターネットの向き合い方という意味では、鴻上さんはずっと発信をされてきて、ご自身の向き合い方も変わったし、より使命感を持たれたということでしょうか。最初はご自身も楽しくワクワクされていたと思うんですけど。
より冷静な距離を持つようになったということかな。だから楽しいだけだったけど、やっぱり冷静になったんだろうね。ただ、悪い印象を持つだけじゃ、インターネットは面白くないわけで。可能性に満ちていることだけははっきりしているので、その可能性にあふれた部分をなんとか使えるようにしたいという風には思うよね。
ーーコロナ禍になってもう3年ぐらい経ちますけど、演劇に対する向き合い方は変わりましたか。稽古の仕方は変わったと思いますが。
稽古は本当にマスクが辛いね。今回みたいに初めての人が多いと、マスクはほんとに辛い。だから、奈央ちゃんとかはもう3回目だから、マスクをしていてもどんな顔をしているか、想像がつくんだけど、大地や滉星は、実はマスクの下ではある微妙なニュアンスを表してるかもしれないわけで。それが完全にブロックされちゃう。
マスクをして稽古することは演出家殺しだし、お互いの共演者殺しでもあるよね。マスクをしてると、俳優同士、割と近い距離に寄れる。ところがマスク外すと、やっぱりびっくりして距離が変わる。だからずっと稽古して作り上げた距離感が、本番直前にマスクを外したらチャラになるというのがね。
それから演劇そのものに関しては、まだまだみんなコロナに怯えてるから、劇場にお客さんが完全に戻ってきてない。それはやっている側としては実にもどかしいし、切ないね。超人気者が主演のいくつかのもの以外は、演劇界全体は全然戻って来ていない気がしますね。
だからもちろん僕らが面白いものを作り続けるということ。それが戻って来てもらうための重要な使命なんだけど、でもまだまだ冬の時代が続いてるっていう感じかな。飲食業の人と同じかな。まん防が空けたからといって、すぐお客さんが戻るかというと戻らないわけだから。
パン屋さんはパンを作るのが仕事で、八百屋さんは野菜を売るのが仕事ということと同じで、僕らは演劇を作ることが仕事なんだから、作り続けられる限りは粛々とやっていきたいなと思います。
ーー最後に一言お願いします!
この作品は、虚構の劇団の中でも間違いなく好きなベストスリーに入る作品。自分で言うのもなんですけど、名作ですよ。劇場でお待ちしています。
鴻上尚史
取材・文=五月女菜穂 撮影=荒川 潤