6・9『ストロングスタイルプロレス』出場の船木誠勝インタビュー! RIZIN2連勝の“解き放たれた怪獣”関根“シュレック”秀樹と一騎打ち
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5月8日、ストロングスタイルプロレス初の大阪大会でケンドー・カシンとシングルマッチを行った船木誠勝は4分45秒、ハイブリッド・ブラスターで3カウント。昨年3月、後楽園ホール大会で敗れた試合のリベンジを果たした。
6月9日(木)の『初代タイガーマスクストロングスタイルプロレスVol.17』(後楽園ホール)では関根“シュレック”秀樹との一騎打ちを迎える。シュレックの人間離れしたパワーを警戒する船木だが、これまで培った経験を武器に戦うと宣言。怪物退治はなるか?
《メインイベント シングルマッチ 60分1本勝負》
船木誠勝(フリー)
vs
関根“シュレック”秀樹(ボンサイブルテリア)
『ストロングスタイルプロレス』旗揚げからプロレスがまた自分に近づいてきた。シュレック選手は“怪物”。人間代表として怪物に戦いを挑む
――まず5月8日、ストロングプロレス初の大阪大会ではケンドー・カシン選手と1年2ヵ月ぶりのシングルマッチがありました。
船木:カシン選手とは何かと共通点が多くて、まず年齢と出身地(青森県)が一緒だし、体格も似てますよね。あとは新日本プロレス出身で、自分も元々マスクマン志望だったんです。
彼はマスクマンになりたかったか分からないですけど、おそらく初代タイガーマスクを見て“プロレスラーに”っていう時代だったと思います。そこで自分はたまたま早く15で入門してしまいましたけど、彼とは(青森の)実家も近くて車で10分も行けば着いてしまうぐらいの場所なんです。だからすごく近くに存在していて同じ時期にプロレスに目覚めて、片方はいろいろ事情があって15歳で入門して、もう片方は多分親に反対されて大学卒業後だったんだと思います。
――船木選手と少し違った歩み方をしたのがカシン選手であったと言いますか。
船木:自分ももし入門できずに高校へ行っていたらレスリング部に入ろうと思っていたんです。だからもしそうなっていたら県大会とかで一緒になってますよね。なのでそういう意味では、すれ違ってすれ違って、今ようやく同じ場所にいるっていう最近です。ずっと活躍は見てましたし、自分とカシンの両方を知ってる人から「似てるところがある」「青森独特の何かがある」って言われることもあります。
――前回、21年3月のシングルマッチでは敗れ、今回はリベンジマッチでしたがいかがでしたか?
船木:カシン選手とはノアでもたまに対戦があるんですけど、その時とは全く違う感じで来ましたね。ラフというか、そこからヒール対ベビーフェイスみたいな展開になったような気がします。今までに見たことがなかったカシン選手を見れたなと思いました。
――いまや地元となった大阪での勝利、格別だったのではないでしょうか。
船木:久しぶりの大阪、しかも相手がカシンで、佐山(サトル)さんがいるストロングスタイルプロレスでできたので、自分の37周年のいい記念になりました。今後も年に1回ぐらいは大阪に来てやってほしいです。
――そういった勝利を経て、6月大会では関根“シュレック”秀樹選手との一騎打ちとなります。
船木:元々シュレック選手が格闘技の大会に出始めた頃から、元警察官ってことで注目を集めてましたし、それこそ“シュレック”って言われるぐらい、とにかく体が普通の人と違うっていうので知っていたんです。“スゴい人もいるもんだな。こういう人とはあんまり試合をしたくないな”と思ってました(苦笑)。見た目からしてもうゴツくてスゴいじゃないですか。当時はこんな風にシングルでやるなんて全く思わなかったです。
――そんなシュレック選手とは19年9月にタッグを結成したのが初の接点となります。
船木:その時も“スゴい選手だな”って思いました。前回(22年3月)はタッグで戦いましたが、やっぱり組みつかれると普通の人とは違う感覚で、藤田和之選手に近いものがありました。藤田選手はレスリングなので抑え込み中心になりますけど、シュレック選手は柔術なので掴まれると沼に吸い込まれていくような感じで、だからあまり掴まれたくない気がしました。
――藤田選手とはまた違うパワーがあったと。
船木:2人とも力はあるんですけど技術の部分が少し違う感じです。しかもシュレック選手は足関節もやってきたので、本当に油断できないなと思いました。グラウンドになったら手・足はやっぱり注意で“この人に手・足を取らせちゃいけないな”と思いました。
――そんなタッグでの対戦後、シュレック選手からシングル戦のアピールがあり、船木選手が即座に承諾したことで今回の試合が決定しました。
船木:やっぱり人も見てますし、躊躇したらそこで負けだなと思ったんです。もうプロレスラーや格闘家は誰もが敵というか、いつ誰が相手になるか分からないですから、そういう意味ではタッグを組んでも“もしかしたらいつかこの人とやるかもしれない”っていう気持ちをずっと持ってるし、相手が誰だろうと拒まずっていうスタンスでいます。
――ですが、やはり試合を受けたのはシュレック選手を認めていたから?
船木:それは全然あります。今まで見たことのないようなタイプの格闘家、プロレスラーだと思います。
――そんなシュレック選手を相手にどんな試合を見せてくれますか?
船木:前回の試合も参考に、自分が今までああいうゴツい人をどう倒してきたかを思い出しながら組み立てていきたいと思います。自分より大きな人っていうのは何人もいましたから、今までの“経験”を思い出してそこに今の自分を当てはめていく感じです。
――奇しくも6月9日はストロングスタイルプロレス旗揚げの日です。この日のメインを務めることにどんな思いがありますか?
船木:最初はたしか2005年なのでもう17年、スゴいですよね。旗揚げ戦も自分は協力していて記者会見にも出ました。まだ復帰していなくてその2年後に復帰するんですけど、まさか復帰するとは思っていませんでした。
――協力しつつも復帰は頭になかったと。
船木:ただ、何となく“プロレスが自分の方に近づいてきてるな”っていうことがいくつかあったんです。『力道山』の映画を撮ったり、『真説タイガーマスク』という作品が来たり。映画とかお芝居でプロレスをやる機会がすごく増えて、だから何となく“プロレスが近づいてきたな”って感じがしてました。
――次第に2年後の復帰へ導かれていったのでしょうか。
船木:まさしくそうです。それで“リングに戻る”っていう気持ちになってしまって、2007年の大晦日にDynamite!!で復帰したんです。だからストロングスタイルプロレスができた年っていうのは、何か本当にプロレス・格闘技が自分に寄ってきた年でした。歳もまだ36ぐらいだったので、本当にリングへ上がれなくなる時が来る前に、“もう1回動けるうちにやってみたい”っていう気持ちになったんだと思います。それがもう53になってますから、そう考えると人生ってアッという間ですよね。復帰してもう15年、その前に15年やっていたからちょうど30年。今はすごく充実してます。
――気力の面で衰えはないと。
船木:この年になってようやくプロレスがしっくり来るようになってきました。いろいろ“こうじゃない、ああじゃない”“こうしたい、ああしたい”とか、悩みながらやっていた気がするんですけど、ようやく自分の体に馴染んできた気がして、やっぱり30年掛ければそれなりに身につくんだなって分かります。
――では、今はそういったいい状態だと。
船木:そうですね。ただ昔のようには動けないので、やっぱりできない技も出てきます。特に飛び技が難しくなってきました。だから、できないことはやらずにできることを前面に出して、自分なりに試合をします。そうやって考えながら試合を作っていくのがようやくできてきました。
――そうした境地を得て臨まれるシュレック戦へ意気込みをお願いします。
船木:簡単に攻略できる人間ではないので、自分が勝つ場合には時間が掛かると思います。ただ戦ってきた人間も多いですし、倒してきた人間も多いので“絶対に勝てない”とは思いません。試合をしながら技をどんどん入れて、チャンスを自分の方に持ってきたいと思っています。
――ご覧になる方たちへのメッセージもお願いします。
船木:自分は人間で向こうは怪物なので、自分の応援をしてほしいです。人間代表として怪物に戦いを挑みます。
文:長谷川 亮