草野華余子『カメレオンの憂鬱』全曲解説インタビュー 「私はきっと、歌っていた方がいいと心から思う」
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草野華余子
シンガーソングライター・作曲・作詞家として活躍中の草野華余子が8月3日にアコースティックミニアルバム『カメレオンの憂鬱』をリリースした。「喪失」を描いたというアルバムに収録された7曲はどんなものなのか?長年の友人でもあるアニメ・ゲームジャンル編集長加東がその思いと制作秘話をじっくりと聞いた。超ロングインタビューでお送りする。
■ただマズイお酒飲んでライブハウスで踊り散らかしたい時もある
――アコースティックミニアルバム『カメレオンの憂鬱』リリースされましたが、今回はなぜアコースティック形式を選択されたのでしょうか?
草野華余子のことを楽曲提供で知ってくださってる人はたくさんいると思うんですけど、昔から知ってくれてる人からしたら、ライブハウスとか梅田の路上とかでアコギをかき鳴らして歌ってた姉ちゃん、っていうイメージが強い人も多いと思う。 で、カヨコ名義の時に2枚ほどアコースティックのミニアルバムを出させていただいたんですけど、草野華余子として改めてアコースティックを作ったらどうなるんだろう?という事で、このミニアルバムを作る事にしました。
――前回のアルバムもシングルの「断線」、そして今回のミニアルバムも溜まってきた知見を自分でアウトプットするっていうのは今のテーマなのかもしれないですね。
そうですね。作家をやった分アーティストに還元できて、アーティストをやった分はディレクターとして作家をやる時、他のアーティストさんやアイドルちゃんに反映できるっていう、いいループシステムが生まれているなと感じたので、それを今回のアルバムにも閉じ込められた気がしますね。
――駆け足になるかもしれませんが1曲ずつ聞いていければと思っています。まず表題曲の「カメレオンの憂鬱」ですが、今回はギターも全部自分で弾いているんですか?
そうですね。基本このアコースティックのアルバムの裏テーマとしては、ミックスとマスタリングはエンジニアさんに手伝ってもらったんですけど、一音も私以外の音は入っていないっていうのが大前提で。
――ギター上手いなって思ったんですよね。
ありがとうございます!素直に嬉しいです。シャッフルのビートを弾くのはレコーディングの弾き仕事でも自分がよく弾けるなと思うので、シンガーソングライターが弾く歌に寄り添ったバッキングギターっていうのは結構得意かもしれない。
――それに全体的にミキシングバランスがいいなと思っていて。
そこは大変だったんですよ。今回は全部、岸田教団&THE明星ロケッツの岸田さんがエンジニアを手がけてくれてるんですけど、アコギは岸田さんのスタジオで録って、そのアコギのレコーディングの為だけに福岡に行って(笑)。
――「カメレオンの憂鬱」は聴きやすいバランスになっていて、抜けのいい音のチョイスがいいなと思いました。
実は「カメレオンの憂鬱」だけMartin D-18っていうヴィンテージギターを使っていて。それが結構指に負担がかかったので、それ以外の曲はMartin D-35っていう70年代のギターを使っています。
――「カメレオンの憂鬱」に凄くフォーキーなものを感じたのはそれもあるかもしれませんね、進行もちょっとフォークっぽいし。
そうですね、アルバム通して「歌謡曲を作ろう」っていうテーマだったので。今回は私の持っているスキルとか声のザラつきとか、質感とかでしか歌えない曲を書こうっていう。「カメレオンの憂鬱」は内容も踏まえると、私が世界一似合うんじゃないかなと思えます。
――カメレオンを使った比喩がやっぱり面白いなと思って。擬態しないと生きていけないっていうところとか。
世の中の流れに乗り続けている間に、実際に自分の色がわからなくなっていくことってあると思っていて。それに加えて、そもそも書こうと思っていたことに、私自身が“楽曲提供者である自分”に染まり始めていて、危ないなと思う瞬間があったんですよね。
――シンガーソングライター草野華余子が、作家草野華余子に侵食される。
歌詞を読んだら分かってくれると思うんですけど、求められることでそこを居場所に感じてしまう、ということかな。丁度昨日がライブだったんですけど、凄いアウェイで私の曲を知らない方が1~2千人という状態で、でも歌っている間に凄い空気が変わっていったんです。それを見た時に、社会的に必要とされている場所と、自分が生きるために必要な場所は本当に違うと思ったんです。「カメレオンの憂鬱」はそういう内容になってますね。
――「歌は草野華余子にとって自分の切り売りなのか?」みたいな事を聴いていて思いましたね。これを表題曲にもってくるっていうのは、草野華余子の根底にあるロック姉ちゃん感が出ていていいなと。
今回の歌詞をマネージャーに送った時にも言われたんですけど、反骨心が凄い(笑)。
――本当に忙しいと思いますけど、流石に最近疲れてます?
そうですね、私ちょっと最近働き過ぎだわ!(笑)。
――オーバーワーク気味ですよね。
Twitterも告知しかできなくなってきちゃってて、本当に働くことしかしてない。でも、いつかの自分が望んでた未来ではあるんだよね。
――最近のインタビューは必ずそのテーマになるというか、望んでいたことではあるんだけどさ、っていう(笑)。
注目していただいて嬉しいんですけど、草野華余子ってアーティストの方が真骨頂だから。短いライブの中で5~6曲やって、MCでぎゅっと心を掴んで、圧倒的な演奏力と歌唱力をちゃんと見せる。これを本当にちゃんとやらないといけなかったんだなっていうのを、あらためて思ったんです。マネージャーも「華余子さんはアーティストだからライブしなくちゃいけないんですよ」って熱弁してくれて(笑)。
――凄くいいマネージャーさんじゃないですか(笑)。
私が作家仕事を凄い受けて、詰めまくっちゃってたのはあるんですけどね。もともとアーティスト活動をやるための命を繋ぐためにやり始めた楽曲提供、作家活動なのに、それのせいでアーティスト活動の時間がなくなるっていう状態って、健康的だけど超不健康だなって(笑)。
――健康的だけど超不健康(笑)。
ありがたい悲鳴ですけどね。こんな事言っていたら求められた事を十分にやれよって言う方もいると思うし。
――アーティストとしての自分の時間の確保や、どう人に聴かせるかとかは草野華余子の今のテーマのひとつなのかもしれないですね。では2曲目「無意味の意味」。個人的に1曲目と2曲目、3曲目と4曲目は対なのかなっていう印象があって。
まさにそうですね。急にぶったぎった7曲が連続するより、ちょっとした世界感、連動というか流れがあったほうがいいと思って。1曲目と2曲目はテーマが似通ったところはあります。
――「カメレオンの憂鬱」より少しこっちの方が力が抜けていて、流れとしての聴き心地の良さを感じました。
1曲目はヒリヒリしてて。胸にきますもんね。2曲目はレコーディングのミックスを20テイクくらいやり直してもらったんですよ。岸田さんのミックスはアコギがドラムみたいな音になるから(笑)。
――岸田教団自体が爆音バンドですからね。
アコギアルバムの作り方の流儀というか。例えば秦基博さんのアコースティックのアルバムとか、ジェイソン・ムラーズ(アメリカのシンガーソングライター)とかはこういう感じで、ジェイムス・ブラウン(アメリカのソウル歌手)はこうです、とかっていうのを24時間遠隔でお伝えしてミックスしてたんですけど、説明しても岸田さん「まだつかめん、自分でもいいと思えないからやり直す」って言ってくれてて(笑)。
――そんな苦労した部分があったんですね。確かに凄くバランスいいなって思いました。
「カメレオンの憂鬱」はミックスに2時間半しかかかってないんですよ。D-18を岸田さんは「いつもやってるバンドの勝手でミックスできる!楽勝!」って言ってて。これはD-35で弾いているから、そういう違いがあったかもな。この曲のほうが音も多いしハモも多くて繊細なので、ミックスをこだわってもらったから、時間がかかったところはありました。
――歌詞に関しても、曲のメロの抜けのよさに近い、感情的な抜けもあって。この音で、この歌詞で、この内容だったら、この抜けのよさがわかるっていうのが感覚として納得できるというか。
自然に音と歌詞と歌い方のバランスが取れてるかどうかを肌で感じながら作ったんだなって思いますね。あと、この曲がこのアルバムで一番最初に歌詞を書いて、一番最初に歌ったんです。最初が「無意味の意味」で最後から2番目に書いたのが「カメレオンの憂鬱」なので、テーマは一緒なんですけど、捉え方がウェットかドライかっていうところがありますね。
――全体の調和の取り方の良さは草野華余子っぽいって凄く感じましたね。
よかった。「無意味の意味」って言っているけど、1行だけ英語の歌詞入ってるんです。「"Nothing is wasteful for our lives."」これは「我々が生きる上で無駄なものなど1つもない」って意味なんですけど、意味が無い事を嫌う、怯える人が凄く多い気がしていて。「それはなんで書いたんですか?」とか「それはなんで買ったんですか?」とか聞かれることも多いし。
――確かに……何にでも意味を求めるというか。
いやいや、ただマズイお酒飲んでライブハウスで踊り散らかしたい時もあるだろ!?って(笑)。それは好きか嫌いか、必要かそうじゃないかだから、意味があるかないかじゃないんだよ、っていう。そういうのを書けてよかったなって思いましたね。
――無駄のない世界はただのディストピア(反理想郷、『ユートピア』の対義語として扱われる世界観)でつまらないですからね。
そうですよ。私たちの真価はどれだけ無駄を愛してるかですよ(笑)。「カーテンコール」って曲でも歌っていますけど「ガラクタ集めるからキラキラするんだぞ」って事をずっと歌っていきたい。
■やっと自分で「作詞家」って名乗っていいスタートラインに立てた
――この2曲でアルバムのコンセプトも見えやすいし、今の草野華余子が抱えている個人に対しても社会に対しても憂いみたいなものが色濃く見えました。では3曲目「白いリコリスの咲く頃に」。
アコースティックアルバムは前回、前々回はアコースティックギターだけで構成したんですけど、ちょっとどうしてもピアノを入れたい曲っていうのが出てきたので、今回はその楽器の制限は取り払おうと。そういう一曲ですね。
――一聴すると爽やかな印象の楽曲ですが……。
って思うじゃん(笑)。リコリスって彼岸花のことなんですけど、白いリコリスの花言葉は「いつかまた会いましょう」なんですよ。歌詞を読んだらわかってもらえると思うんですけど、タイトルにもある「憂鬱」って私からみたら、今凄く幸せなのに失っていく事が怖いとか、自分がそもそも持っていた感情が消えてしまうことへの畏怖とか恐怖なんです。私は執着心が強いし、情も深いから、だからこそ失うのが本当に本当に怖い。そういうものを創作に充てるとどうなるかっていうのが改めてのテーマだったと思いますね。
――そういう部分がこの曲には現れている。
この曲はそういう大事な人を失ってしまった後の、凪のような日々をどういうふうに捉えていくんだろうっていうのを、想像して泣きながら書いた曲です。
――でもサビのメロディが凄く気持ちよかったです。
この曲のレコーディングから歌い方が変わったんですよ。ひとりで閉じこもって自分の歌と向かいあってたら急に自分の歌に飽きた瞬間があって。
――制作中に飽きた、ですか(笑)。
そう、なんで飽きるんだろうと思ったら、ずっと同じ声色で歌う場所が多くて。だから環境から変えてみようと思って、照明変えたりとか、違う室温にしたりとか、本当に色んな事を試したんですね。暗めの間接照明で、自分の好きなお香をたいてレコーディングした時のテイクを使っているんですけど、凄いリラックスした声で歌っている。全く喉を閉めてないですね。「カメレオンの憂鬱」は全部喉を閉めて歌っていたのに。
――あれは草野華余子の歌唱って感じですもんね。
そうそう、従来の自分の状態を更に突き詰めたのが「カメレオンの憂鬱」だとしたら、個性を削った没個性でシンプルに内容だけ聞こえたり、音階だけが聞こえる歌にしたい、と思ったのがこれだったので、聞きやすくはなったのかな。無理やり「聴いて!」って思って歌っていた曲が昔は多かったと改めて思いましたね。加東さんも演者やっているからその気持ちはわかってくれるはず(笑)。
――わかりますよ(笑)。単純にメロディも凄い気持ちいいのは、日本人が気持ちよく感じるラインを踏んでるからなのかな?
たぶんMr.Childrenさんやスピッツさん、BUMP OF CHICKENさんみたいなシンプルで美しいストレートな展開なんですよ。ちゃんとポップスをやろうという意識で、ライティングもしてコーラスも組んで、コーラスもオートメーションで音のバランスを取ってもらう時に、岸田さんが「そういう繊細な部分はわからないから全部言ってくれ」って言うから20項目ぐらい注文したんです。そうしたら「日本人のこの四季折々の清い心がわからん」って言いながらも、死ぬ気で良いミックスしてくれた(笑)。
――作家としてポップスを書いてきてる経験が効いてきてる感じはしましたね。
この曲を書く直前に親友とコーヒーを飲みに行ったんですよ。そうしたら「夏って全ての終わりの季節だから」って言ったんですね。私はそんな事考えた事もなかったからちょっと驚きで。「夏って次の始まりに向けての終わりだけど、その瞬間は世界の全部が終わるような季節に感じる」って言っていたんですよ。私の中では終わりの季節は秋なんだけど、夏を終わりの季節と捉えたらどういう曲になるんだろうって思って書いたので、そういう喪失の歌ですね。
――SF好きな人は夏が世界の終わりって人多いと思うので、僕はちょっと理解できちゃうな……(笑)。
そうそう。そうかも(笑)。
――では次「夏と肉じゃが」は。
アルバムの中で一番フォークな一曲ですね。
――僕はアルバムでこの曲が一番好きです。今の草野華余子がこの四畳半フォークを書くことに意味があると思うというか。
以前、スーパーからの帰り道に、凄い元気そうなおっちゃんがチャリンコで「じゃがいも買うのを忘れた〜」って歌ってたんですよ。おっちゃん、めっちゃいいメロディ歌うな、それパクらせてってレベルで歌い上げてて(笑)。これおっちゃんだから可愛くて笑ったけど、じゃがいも買うのを忘れてなんで急いで戻るんだろうって、私の悪い癖でそこから妄想が始まっちゃって(笑)。ひとりの男の子がじゃがいもを買い忘れてスーパーに戻っているところから物語を始めてみようと思って書いたんです。
――この情感というか相手が見える感じは、素晴らしいですね。
この感じは楽曲提供では書いた事はないですね。サビが無いパターンの曲だし、どっちかって言うとメロディの良さ云々よりも内容じゃないですか。流れていく世界観というか。
――ミニマムな情景がここまで浮かぶ曲って実は今まで無いと思ったんです。例えばアパートで西日が差し込む窓の前で、肉じゃがを作ってる彼女が曲から見えてくる、うんちく語ってる時も西日で顔が見えないような印象を受けたり。
その子が作ってるのを思い出しながら、男の子が作っているっていう感じなんですよね。私のイメージは。
――この男の情けないメランコリックを描いているのは最高にいいなと。
私の友達に多いんですよ、そういう男が(笑)。私はひとつ恋愛が終わってしまうと、「最後のページは開かずに」じゃないけど、絶対に振り返らないですから。男の子っていちいち本棚からその本を持ち出して読み直すじゃないですか。
――男の失恋は別ファイル、女の失恋は上書き保存って言うのを聞いたことありますね。
何冊も何冊も違う女の読み返すじゃん、何してんのよ馬鹿!(笑)。って思うんだけど、女々しいって男の子のためにある言葉だなって、愛情を込めて思うんですよね。女に女々しいって言わないじゃないですか。その男の風情ある女々しさって書いたことないなと思って。
――「白いリコリスの咲く頃に」とこれは共に別れの曲で、もちろん次元もレベルも違う別れだけど、あえて並びとして後ろの方にこの曲をもってくるっていう。
「白いリコリスの咲く頃に」の方が内容は重たかったけど、メロディの力でライトに聞こえると思うんです。あれは達観してるっていうか、受け入れなくちゃいけない所に立てた人の歌なんですけど、こっちの男の子は受け入れきれてないから。
――肉じゃがって秋とか冬とかいう雰囲気があるけど、夏に肉じゃが作ってるって、お前いつ思い出してるんだよ! って思っちゃいましたもん(笑)。
そう! そこまでわかる!? すごい(笑)。
――この情けないセンチメンタリズムを売れっ子作家の草野華余子が自分で歌うってのは、たまらない所がありますね。
ありがとうございます。主人公の設定は一応したけれど、私にとって過去の恋愛の時に感じた、自分の感情を、女性側として描いたのはちょっとあるかもしれないですね。それに今までの私の曲ってカロリーが高いと思うんですけど、今回はパッと思いついた時に聴きたいアルバムにしたかったんですよね。思いや考えを押し付けてないっていうところは今回一貫しているかもしれない。
――単純に歌詞を書く能力のレベルの高さを感じましたね。
これは今こそ私を発掘してくれた前のマネージャーに褒められたいですね。ずっと怒られてきたから(笑)。やっと本当に自分でも作詞家って名乗っていいなっていうスタートラインに立てたかなと思います。