「新春新派公演」波乃久里子、市川月乃助、大和悠河 取材会レポート
(左から)大和悠河、波乃久里子、市川月乃助
芸者姿の女優と黒紋付の男優による踊り初めや幹部俳優挨拶など、初春らしい華やぎに彩られる「新春新派公演」が、1月2日から三越劇場で幕を開ける。(25日まで)
演目の1本目『糸桜─黙阿弥家の人々─』は、『白波五人男』をはじめ『三人吉三廓初買』や『天衣粉上野初花』など、世話物の傑作を数多く生み出した狂言作者・河竹黙阿弥の生誕200年を記念した新作で、黙阿弥の作品を守った娘とその養子夫婦の物語を描いている。
演目の1本目『糸桜─黙阿弥家の人々─』は、『白波五人男』をはじめ『三人吉三廓初買』や『天衣粉上野初花』など、世話物の傑作を数多く生み出した狂言作者・河竹黙阿弥の生誕200年を記念した新作で、黙阿弥の作品を守った娘とその養子夫婦の物語を描いている。
原作は黙阿弥の曾孫である歌舞伎研究家の河竹登志夫著『作者の家』で脚本・演出は齋藤雅文。演じるのは新派の看板女優として演技にますます磨きがかかる波乃久里子、歌舞伎界から新派へ入団した市川月乃助、元宝塚宙組トップで新派初出演の大和悠河という魅力あふれる顔ぶれが揃った。格式のある厳しい家で血の繋がらない生真面目な親子3人の、ある意味では滑稽な生活ぶりを描き出すという。
公演の冒頭には、月乃助の新派入団挨拶があり、もう1本の演目『新年踊り初め』では波乃、月乃助、大和それぞれに場面があり、お正月らしい華やかさを見せてくれる公演となる。
その公演の取材会が12月初旬に行われ、歌舞伎座屋上庭園に寄贈されている黙阿弥家に代々伝わる石灯籠前の撮影会に続いて、脚本・演出の齋藤雅文、波乃久里子、市川月乃助、大和悠河を囲んで質疑応答が行われ、和やかな中にもそれぞれの意欲が伝わる取材会となった。
齋藤雅文(脚本・演出)
原作は登志夫先生のたいへん興味深いノンフィクションです。ドラマは黙阿弥が亡くなってから18年後くらいから始まります。黙阿弥は現代と同じように歌舞伎の中でも上演回数の多い作家だったことに変わりはなく、並み居る狂言作者のなかででも黙阿弥さんの後に続く人がいなかったんです。主人公の糸女は黙阿弥のその膨大な著作を守りながら、狂言作者部屋を最後まで束ねていった人です。凛としたちょっと怖いくらいでの素敵な生き方を貫いた方だと思います。
それを久里子さんに演じていただくというのは、僕のなかで「作者の家」ということと久里子さんの生まれた「役者の家」と自然に重なってくるんですね。そしてここに並んでいらっしゃるお三方は、ともに演劇に半生を捧げているわけですよね。そのことと登場人物たちが深く重なり合っていくところが非常に面白いし書き甲斐がありました。
月乃助さんは今、たいへん大きなターニングポイントに立っていらして、その決断をすることと河竹繁俊先生の人生が僕の中では深く重なってっております。繁俊先生は新劇を志して信州から出てきて、文芸協会にお入りになって、たった4年でイプセンの『海の夫人』を訳せと言われるようなバリバリの新劇人で、その人が黙阿弥家の養子になるのは、今でいうと前衛演劇の人間がいきなり歌舞伎に行くようなもので、たいへんな決断がいったといえます。おそらく師の坪内逍遥の厳命に近かったのだと思います。繁俊先生は最終的には歌舞伎の作者部屋を継ぐというかたちではなく、演劇を学問とする演劇博物館をはじめ新しい世界を開拓なさった方で、そこまでには大きな葛藤があったはずです。それを今の月乃助君に重ねて書いてみました。
大和さんは宝塚の男役から女優になって、和物で新派に乗り込んでくるというのは勇気がいることだと思いました。お嫁入りの初夜の晩の初々しいところから、臨月の妊娠姿も書きました。いまの大和さんの勇気と挑戦と重なっていくんじゃないかと思います。面白いキャスティングなので面白がって書かせていただきました。
波乃久里子
黙阿弥の芝居は大好きです。その陰に糸という人がいて黙阿弥の戯曲360本を守られたというのを、今回初めて知ったんです。黙阿弥というのは皆様方も観ていることはあっても、事情はご存じないですよね。原作もこんなに厚くて堅い本です。父がよく井上ひさし先生の「難しい芝居を易しく、易しい芝居は深く」と言っていました。齋藤さんは本当に難しい本をよくここまでコミカルに素敵に面白く書いてくださったと思います。隅々まで新派を分かっていらして、私を全部知ってくださっているから、私らしい糸女を書いてくださってます。
共通しているのは結婚してないところ、子どもを産んでいないところ、親子関係は勘三郎と波乃久里子をそのまま語っているようなところがあります。これは私のことを書いてくださったのだと思いますし、父を思い出して泣けるところがあります。勘三郎役の柳田(豊)先輩が勘三郎に見えちゃうんです。
それから、糸女の「あんまり溺愛されたからこんな奴になっちゃったんだよ」という台詞があるんですが、いつも私がお墓の前で父に言っている言葉をよく見抜いてくださってます。まあ見れば分かるんでしょうけどね(笑)。
面白い本です。歌舞伎の本読みを教えている場面で、弁天小僧の台詞を言うのは楽しいですよ。60年女優をやっていますが歌舞伎の台詞をいうのは初めてです。幸四郎兄さんや吉右衛門兄さんの家に行って、お芝居ごっこをしていたのを思い出します。
月乃助さんは、5年前の『日本橋』の時に葛木晋三をやってくださって。歌舞伎からいらしているから相当の覚悟がいりますよね。リアリズムですからメスなんか持つの初めてでしょうし。その晋三役がゾッとするほど素敵でした。それから毎日のように「あなた新派に来ない」ってラブコールですよ。そのうちに(水谷)八重子お姉さまがみえて「あなた、ちょっと月乃助口説かない?」「前から口説いているのよ」って気が合っちゃった。
芸は人なりっていうけど人間性がすごいですね。だから素晴らしい方で大好きです。この方に頼って、齋藤先生と一緒に新派の新しい魅力を出してくれたらと思います。200年近い新派を背負っていってください。重いでしょうけど(笑)。
市川月乃助
市川月之助(河竹繁俊役)
当公演から新派に入らせていただきます。この入団のお芝居への思い入れは一生涯続くものだと思っています。
繁俊先生と僕の人生も重なるところがあります。僕は16歳で新潟から出てきたのですが、先生は信州・長野県から出ていらっしゃって、ご自分の描いている人生行路とはまったく違うことになり、でもその時どきに状況を受け止められた。僕も歌舞伎に入ったのがまったく自分の意志ではなく、もともと時代劇をやりたかったのが、無類の歌舞伎好きの母が時代劇をやるんだったら歌舞伎をやってみたらと。母が亡くなるちょっと前に聞いたのですが、ファンである松島屋の現・仁左衛門さんに会いたいがために僕を歌舞伎の世界に入れたそうです(笑)。そんなに長くはなやらないだろうなというところに師匠の猿翁に会いまして、それから21年歌舞伎の世界で頑張らせてもらいました。
この度、波乃久里子さん、八重子さん、皆さんのご縁をいただきまして新派に入団させていただきました。これは僕の心から湧き出る意志でありますので、生涯新派の世界に骨を埋めて精一杯精進していきたいと思います。その第一弾として素敵なこのお芝居に出演させていただけるのは 非常に光栄ですしたいへん嬉しく思っております。
この度、波乃久里子さん、八重子さん、皆さんのご縁をいただきまして新派に入団させていただきました。これは僕の心から湧き出る意志でありますので、生涯新派の世界に骨を埋めて精一杯精進していきたいと思います。その第一弾として素敵なこのお芝居に出演させていただけるのは 非常に光栄ですしたいへん嬉しく思っております。
大和悠河
大和悠河(みつ役)
私は初めて新派に出させていただくのですが、そう知ってから初めて新派を観させていただきました。小さいときから宝塚が好きで宝塚を目指してきて、新派の舞台は知らなかったのですが、初めて観たとき空気感というか世界観がすごくて「あっ好きだな」と思いました。こういう世界でお芝居をさせいていただく機会を与えていただけて、本当にありがたく思っています。
台本や原作を読ませていただくと、日本人ですし歴史は習っているはずなのですが、大正時代はちょっと前のことなのに、生活様式やその時代の考え方をまったく知らないと思いました。さらに読んでいくうちにこういう生活感なのだという、初歩の初歩なのですが、そういうこところに興味を持ち、もっともっと勉強したいと思いました。久里子さんはじめ新派の皆さんはこの時代この世界観が身に入っていらっしゃる。それを教えていただきながら、自分でも楽しみながらこの時代に生きた人というものを感じて身に入れていきたいと思います。
齋藤先生は私のことをあまりご存じないはずなのに、みつという役は私と重なる部分が沢山あります。みつは日本橋の大店のお嬢さんですが、ただ家庭の事情が少し複雑な環境で育って、歌舞伎大好きな女の子なので、歌舞伎作者の家に嫁ぐわけなんです。私も宝塚が好きで長く男役をやらせていただいてから、こうして女優になりました。そして今回、新派という格式ある舞台に出させていただけるというところは、挑むというみつの気持ちと重なります。
みつは結婚して子どもが生まれて、でも亡くしてしまってと、色々な体験をするわけです。そこは私も経験したことのない感情ですし、お姑さんとのやりとりなども初めてですので、久里子さんはじめ新派の皆さんに付いていって、丁寧に色々なものを吸収できるように、最終的には楽しみながら演じられたらいいなと思っております。
みつは結婚して子どもが生まれて、でも亡くしてしまってと、色々な体験をするわけです。そこは私も経験したことのない感情ですし、お姑さんとのやりとりなども初めてですので、久里子さんはじめ新派の皆さんに付いていって、丁寧に色々なものを吸収できるように、最終的には楽しみながら演じられたらいいなと思っております。
──黙阿弥の演目について何かエピソードがありましたら。
月乃助 師匠の三代目猿之助(現・猿翁)は「僕は黙阿弥は得意じゃないんだよ。どちらかといえば南北かな」とおっしゃっていました。90年代に春秋会という公演で、みんなが苦手なものに取り組んでいったのですが、黙阿弥物が多くて。『髪結新三』をやる時に、猿翁の旦那は17代目(勘三郎)が大好きで「新三だったら中村屋だよね」といって当時の勘九郎さん(18代目勘三郎)に「教えてくれ」とみてもらっていました。その時、うちの師匠の「教わるのは先輩も後輩も関係ない」という、本当の新しさを見ました。
久里子 弟(18代目勘三郎)が帰ってきて興奮して言っていましたよ。あんな先輩が僕に手をついて何度も、髪を結うところを何度も、「もう一回やってください」とおっしゃった。ああでなくてはいけないなあって。偉い方って関係ないんですね。すごい稽古だったそうです。
【取材・文/佐藤栄里子 写真提供/松竹】
【取材・文/佐藤栄里子 写真提供/松竹】
公演情報