人生や運命、複雑な人間の心情を超えたその先へ~二都市リサイタルを控えるピアニスト・髙木竜馬にロングインタビュー

2022.11.14
インタビュー
クラシック

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ウィーンでの学生生活を終え、本格的に日本を拠点としての演奏活動を開始したピアニストの髙木竜馬。2023年3月に東京、大阪の二都市でリサイタルを開催する。夏の間、約一か月半にわたって開催された『「ピアノの森」ピアノコンサート』のラインナップとは一味違う深淵なる世界観を音に託す。二都市開催リサイタルにかける思いをたっぷり聴いた。

いま惹かれるのは「深い精神世界に沈める曲」

――今回の二都市ツアーでは、今夏、髙木さんが一か月半以上も携わっていた『「ピアノの森」ピアノコンサート』のプログラムとはカラーが違い、驚くほど渋い内容です。

今の僕の心境としては、精神的に深い世界に沈める曲や、演奏していて天国とつながる気持ちになれるなど、ショパンの作品やポピュラーな作品とはまた一味違う意味での深さや輝きを持った作品に触れたいというのがあります。自分自身の中で音楽的なバランス、あるいは心のバランスを求めた時に自然と「渋く内面的な作品を選びたい」という思いに至ったのだと思います。

ただ、多くの巨匠たちもそうしていたように、ポピュラーな作品群を演奏するのは演奏家としての使命であるとも思っていますし、それらのレパートリーからも学ぶことは多くあり、その辺りのバランス感覚が今後のキャリアを築いていく上でとても大切だと感じています。

今回のリサイタルにも少なからず『ピアノの森』のファンのお客様も来て下さると思いますので、尚更こういったお聴き馴染みのない作品であっても「こんなにも素晴らしい作品があるんだ」ということを感じて頂けたらという気持ちがあります。

――現時点で発表されているシューマン、ブラームス、ラフマニノフ、プロコフィエフの作品の他にも、さらに幅広いレパートリーも期待できそうでしょうか?

現時点で発表されている曲目以外にもフランスものからドビュッシー「月の光」と「喜びの島」、後半ではラフマニノフの小曲をいくつか演奏しようと考えています。それらを加えて全体を俯瞰すると、少しだけ “超渋さ” が和らいで感じられるのではと思います(笑)。全体的にもあまり演奏時間を長くしないでコンパクトにまとめたいと考えています。

「アラベスク」に映された人生の流れ

――髙木さんはいつも演奏曲目の1曲目は ≪聴衆を非日常的な世界に誘うための導入の曲≫ と位置付けていますが、今回の1曲目はシューマン「アラベスク」です。

曲想的にはとても簡潔で分かりやすい構成で、6~7分ほどの曲ながらシューマンらしさに満ちています。最初から最後までファンタジーにあふれ、彼の描く空想世界をのぞき込むような感じすらします。加えて、この作品は構成的にまったく同じ主題部分が三回提示され、その間にそれぞれ異なるエピソードが挿入されるという形になっているのですが、この形式自体が僕には人生の流れのようにも感じられるんです。

――人生とは、繰り返しがあって、そのたびにさらに飛躍してゆくものであると?

それもそうなのですが、結局、人生の大部分を占める時間は、日々の生活のルーティンの繰り返しではないか、と最近感じることがあるのです。僕の場合を考えてみても、朝起きて練習して、そのまま練習して夜を迎えてご飯食べて終わり、というのが基本的な毎日の過ごし方で、とても地味なんですよね。もちろん、演奏会があったり遊びに行ったり旅に出たりという特別な日もありますが、基本的にはそのルーティンの繰り返しです。ただ、その中でも日々の気持ちや感情というのは違う。感情面での紆余曲折はもちろん、練習している曲の内容や天候、人間関係などによっても左右されたりもします。

そんな気持ちをこの作品にあてはめてみると、主題の部分は一切バリエーションもなく、まったく同じ形で三回現れる。でもその間に挟まれたエピソードの部分では、まったく異なる感情が花開くというのが、一見同じような日々を歩んでいても、感情の面では日々違う経験を生きている人間の営みをギュっと凝縮しているように思えるんです。加えて、最後の最後に一気に天上の世界に突入する感覚もあって、その後に続く曲目の伏線といったらおおげさですが、プログラム全体の流れを暗示するという意味でも “プロローグ” にもなるのかなと感じています。

「人間の抗えない運命」ブラームスの老境の思い

――前半の演奏をブラームス「4つの小品 Op.119」全曲で締めるのもまた髙木さんらしいですね。

この作品はブラームス最晩年の曲と言っても良いと思うのですが、当時のブラームスの境遇というのは、周囲の友人知人の多くが亡くなってしまって、肉体的にも精神的にも、そして芸術的な意味においても枯渇しているところがあったのだと思います。

作品119の1曲目はクララ・シューマンが “灰色の曲”、“黒い魂が見える” というような言葉で評した程の作品です。2曲目も憂いを含んだ同様な空気感が流れて、3曲目は生きる気力はほとんど失われているけれども、甦ってくる過去の良き思い出とともに、たとえ一瞬であっても生命力を得たような感があります。終曲の4曲目も、3曲目の延長線上にあるかのように生命力にあふれた重厚な和声に裏付けられたマーチのような始まりです。このように3~4曲目は、そんな晩年の境遇の中でも、ブラームス自身、一条の光を見出して創作に意欲を燃やしていたのだと感じさせるものです。ただ、残念ながらそれも束の間で、4曲目の最後の1ページでは一気に短調に変わり、陰鬱な世界に突き落とされていくような悲劇的な終結で全体が閉じられます。

そのくだりが、僕にとっては、人間にとって抗えない運命を暗示しているようにも思え、死を間近にして、たとえ一条の光を見出したとしても ≪人間は絶対に死を迎えるという運命からは逃れられない≫ という非情な現実を突きつけられたブラームスの老境の思いが表現されているのでは、と強く感じています。

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