syrup16g、宮本浩次、YEN TOWN BAND、Chara、椎名林檎、コーネリアス、ピチカート・ファイヴ……約30年もの間、活躍を続けるベーシスト・キタダマキ。初めてキャリアを訊いた【インタビュー後編/連載・匠の人】

2022.11.3
インタビュー
音楽

キタダマキ

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前後編に分けてアップしている「匠の人」のベーシスト・キタダマキ編、前編は楽器を初めて持った頃の話から渋谷系のムーヴメントの中でプロのセッション・ベーシストになっていった当時の話までを訊きました。
そして今回=後編は、ファンからの認識や、実際の音楽的な貢献度等を考えると、どう見ても「メンバー」である、syrup16gへの参加→レギュラー化→解散→再始動→現在、までの話と、2021年から2022年にかけての大きな仕事だった、宮本浩次の全都道府県ツアーについての話を中心に訊いています。
なお、syrup16gは11月、12月と、5年ぶりのニューアルバム『Les Misé blue』のリリース&ライブを控えています。

──syrup16gは最初はサポートで、途中からメンバーになりましよね。

そうですね。……最初は、コロムビアのディレクターに、新人のバンドをうちでやることになって、すごくいいんだけど、ベースがケガをして、トラ(エキストラ/代打)を探してるから、ちょっと顔合わせに来ないか、って言われて。ちょうど、ホフディランが休止するタイミングだったから。……それでsyrup16gの『coup d’Etat』を聴いて「これのトラか…」と思った。話をよく聞くと、レコーディング時に作り込んだ結果、今の状態…腱を痛めた、のかな? で、ライブで再現するのは難しい、ということで。…独特のベースライン、ほとんどが五十嵐(隆)君がギターで作ったアイデアなので、ベースに置き換える時ちょっと工夫が要る。

──のちに五十嵐君にインタビューした時にきいたのは、ベースの佐藤(元章)君は腰が悪くて、リズムを取るのが難しかった、ということでした。

スタジオに行ってみたら、テキパキ動く感じのいい人がいて、「今日はよろしくお願いします」って。それが佐藤君で。その奥で(中畑)大樹ちゃんがぶんむくれてて、スタジオの中には、サングラスかけてマスクした不審者が(笑)。

──(笑)当時から五十嵐隆。

思えば、3人とも「メジャーデビュー後初ライブ」がサポートのベースってことがショックだったんでしょう。三様に拒絶されてたと思う。「…ダメそうかな」と思ったけど、結局ライブの代打が始まって。佐藤君は病欠ということで、代わりに自分。おいおい彼が戻る、という話に。「演奏のアドバイスもしてくれないか」みたいな話にもなって、一緒に練習したり、そういうコミュニケーションもあったんだけど。…売出し中の新人だから、いいライブの話がいっぱい来る。ライブがどんどん増えて、それは俺が弾きながら、彼と練習しながら、っていう感じでやっていたんだけど……どこかで佐藤君、心が決まったのかな。…「キタダさんはこのライブまで」みたいな話に一回まとまって。で、もらったスケジュールに大阪と名古屋連続の日があって、大阪OK、名古屋は別件でNG。じゃあ大阪キタダ、名古屋は佐藤君が、となった。その大阪、すごくいい演奏ができて。で、帰京。メンバーは翌日名古屋でライブ。…その名古屋を最後に、佐藤君は脱退を選んだ。

──キタダさん的には「ええっ?」と。

「そういうわけで、以降もライブ頼める?」と連絡が来て。そこから、サポートだけど、ベースいないから、実質メンバー。準メンバー(笑)。…で、いい感じの時期から悪い感じの時期へ(笑)。

──前半は、半年にアルバム一枚とかのすさまじいペースでリリースしていて、後半はパタッと止まって、4年くらい空いて、ユニバーサルに移籍して、アルバム1枚出して、初の日本武道館をやって解散、という。

そうでしたね。

──いっぱいリリースしていた時期は?

事務所もメーカーも精力的で。バンドも、曲を次々作って、リリースが間断なくあって。…『delayed』。15曲入りシングル(笑)『HELL-SEE』。『Mouth to Mouse』。UKプロジェクトから出した『delayedead』。このツアーはサポートでギターにアッキー(藤田顕)が入って。ファイナルの(日比谷)野音、すごくいいライブだったけど。この後だんだん状況が変わって……。厳しくなってくる。

──熱狂的な支持は集めていたけど、次はホール、次は日本武道館、っていう感じではなかったですよね。

……『delayedead』で心機一転、みたいな感じで。

──コロムビアとユニバーサルの間の時期に、初期の楽曲を新録で出したアルバム。

「翌日」のMVを撮って、いいリスタートをしたと思ったけど、ツアーが終わってみたら、燃え尽きた、みたいな感じになってたような。事務所とバンドとの関係性が少しクールダウンして、そこから新曲のCDが全然出せなくなったんじゃなかったかな。…後半はどんどん、曲出しはするけどOKは出ない、だからレコーディングはしない、っていうモードに。ライブで新曲を次々とやるんだけど、録らないので完成形がないまま、なんとなくやらなくなって、別の新曲をやる、っていう感じだった。良い曲あったと思うんだけど。…ただ、(青木)裕君がライブに参加してた頃で。彼が癒し系だったな(笑)。あのギター。人柄。

──で、ライブの本数も減っていって、アルバム『delayedead』から3年ぐらい経ったところで、レーベルを移籍して新しいアルバムが出る、と発表になるんですが。あの段階ではもう解散が決まっていた?

そうだったと思いますよ。

──解散は誰から告げられたんですか?

最初は中畑君から聞いたんだと思う。「俺、やめます」と。それで(事務所の)社長から、だから解散する、アルバムを一枚作って最後に武道館をやる、という流れをきいて。

──syrup16gの音楽自体は、キタダさんはどのように捉えていたんですか?

貴重な存在。…五十嵐君の声、楽曲。のコードワークとボイシング。ギターバンドとしてのサウンド、アンサンブル。その独自性、多様性。存在感。が、良いと思ってます。やる側としても、3ピースのバンドなので、ライブでベースの担う役割も多様でやり応えもある。…初めて音源を聴いた時から「面白いな」と、今もそう思ってますよ。

■バンドって3年ぐらいが限界では、と個人的には思っている

──で、移籍して、『syrup16g』を出して、武道館で解散するわけですが。それを知った時、キタダさんが思ったことは?

肩の荷が下りるな、と。

──はははは!

「仕事減るなあ」というのもあったけど、それよりもね。Salyuとか他の現場もあったし。…もちろん複雑な気持ちもあったけど、とにかくこれで一区切りだという達成感。

──むしろ、再始動の時、よくもう一度やろうと思ったな、という方が不思議です。

よくもう一度やろうと思いましたよね、中畑君(笑)。

──いや、キタダさんも。

いや、最初、断りましたよ。あれ、「五十嵐隆が、休止期間を経てNHKホールでライブをやるってだけ発表して、当日行ったらドラム中畑。ベースキタダ」っていうことだった。……遠藤さん(UKプロジェクト社長)から連絡があって。「五十嵐君、ライブをやろうと思うんですけど、どうですかね?」「え、俺じゃない方がいいと思いますよ。五十嵐君の新しいプロジェクトなんだから、新しい人の方がいいですよ」と。でも、また連絡あって「中畑君はやるって言ってますよ」って言われて。「え?」と。

──はははは。

中畑君は、解散後、活動の場を拡げていて。「ドラマーとしての依頼は、線引をした上で、どんな仕事でも断らないから、受けます」っていう話で。「…。」と思って。

──「俺が断りにくいじゃねえか!」と(笑)。

まあ(笑)。で、五十嵐君から直接話をしたいっていう連絡が来て。渋ったんだけど。

──キタダさん、相当懲りてたんですね。

懲りてたというか、終わったことだと思ってた。長いことやって離れたわけだし。バンドってけっこう生々しいので、3年ぐらいが限界なんじゃないかな、と個人的には思っていて。「こうした方がいい」とか「これだとダサい」とか「なんでできねえんだ」とか。……ならないバンドもあるんだろうけど、自分の実感として、そういうものがある。……で、渋ってたんだけど、五十嵐君、うちの近所まで来て。……飲んでるうちに丸め込まれた(笑)。

──その時は、一回、五十嵐隆のNHKホールでバックをやる、という話ですよね。

そうです。そこからsyrup16gが再始動する、とまでは思ってなかったんですけど。

──そのNHKホールのライブは、キタダさんとしては、手応えは?

うーん、五十嵐君が「ちゃんと見てるな」っていうのを、初めて感じました。バンドとしてやっていた昔の方が、ソロっぽかったような。そのNHKホールはバンドっぽいものを感じた。……気のせいかな(笑)。

──うまくいったわけですね。

そうですね。バンドが解散して、何年も経ってから、そのボーカルがソロ名義でライブをやる。そこに行ったら3ピース編成で、元のメンバーが弾いている、というのは、流石に反応がすごかった。

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