宮本浩次、斉藤和義、いきものがかり、星野 源、椎名林檎、ポルノグラフィティ……日本を代表するドラマー・玉田豊夢の知られざるキャリアと信念に迫った【インタビュー連載・匠の人】
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■高野寛さんが中村一義くんに僕を紹介してくれて『ERA』に参加することになりました
──高校の時はライブハウスでやったりしていたんですよね。東京では?
全然なかったです。葛西って都心からちょっと遠いじゃないですか。学校で演奏していて2年間終わった感じでしたね。
──そうすると、卒業する時に困りますよね。
そうですね。なんにもなくなったんですけど、まったく焦る気持ちもなくて(笑)。「なんとかなるだろう」みたいな楽観的な考え方でバイトしながら生活してました。一個上のベースの先輩から電話がかかって来て……南こうせつさんとかとセッション活動をしていたピアノコウジさんという鍵盤の方がいるんですけど、その方がベースの先輩とつながっていて、「すごい鍵盤の人とゴスペルやるんだけど、一緒にやらない?」って誘ってくれて。そこに行ったのが、人生でいちばん重要な出会いでしたね。それで、渋谷のクロコダイルでやったり、いろんな教会でやったり、地方に行ったりしたんです。ピアノコウジさんが当時、森脇松平さんっていうシンガーソングライターのアルバムをプロデュースする時に、そのレコーディングに誘ってくれて。その森脇さんが、オフィス・インテンツィオの所属で──。
──ああ、高橋幸宏さんの事務所。
そうです。インテンツィオ主催のイベント・ライブが毎月原宿RUIDOであったんですけど。その時に僕らは松平さんのバンドで出て、高野寛さんとかも出ていて。
──なるほど、高野さんは元インテンツィオで、その後中村一義と同じファイブ・ディーに所属してましたね。
そうなんです。それで、僕のプレイを高野さんが観てくれて、中村一義くんが高野さんに「同世代でドラムいないですかね?」って言った時に、僕を紹介してくれました。それで中村くんのアルバム『ERA』のレコーディングに参加することになったのが、25歳とかでしたね。
──で、デビューしてもライブをやらなかった中村一義が、一回目のROCK IN JAPAN FES.(2000年)のトリで初ライブをやるはずが台風でできなかった。その時のバックメンバーとして玉田さんはもういたんですよね。
そうです。後に100sに参加するメンバーでは、僕と池ちゃん(池田貴史/レキシ)がいて。あのROCK IN JAPANが中止になった時の光景も、一生忘れないですね。土砂降りの中、イエモン(THE YELLOW MONKEY)がやっている時に、強風でステージの天井がバーン!と剥がれて中止になっちゃった。昨日のことのように思い出されますねえ。
──翌年のROCK IN JAPAN FES.に出たメンバーで、100sというバンドになるわけですが、100sでの活動はいかがでした?
中村くんの曲はデモがもうすごすぎて。それを生音に変換して再現して、というのを必死にやるだけみたいな感覚でしたね。
■斉藤和義さんには、楽器好き、音楽好きっていう点で近いものを感じました
──それ以降、スタジオや人のバックでの仕事も増えていくわけですよね。
そうですね。中村くん以降、レコーディングとかライブとかに呼んでいただけるようになりました。それで、26歳か27歳の時に、100sの「セブンスター」のMVの撮影日に池ちゃんから「小谷美紗子っていうシンガーがいて、バンドをやりたいんだけど」っていう相談を受けて。で、帰り道、池ちゃんを車に乗っけて帰っていたら、小谷美紗子のCDを持ってて、一緒に聴いて「こういう人なんだけど」「おお、なんかすごいね」という話をして。その次の日に、GRAPEVINEとかをやってる高野勲さんから電話がかかって来て。「レコーディングのプリプロ的なことをやるから、来てほしい」「誰なんですか?」「まあ、いいから」みたいな感じで。それで行ったら小谷美紗子だったんです。同じ時期に、そのふたりから話が来て、小谷美紗子の現場が始まりましたね。
──後にバンド(小谷美紗子Trio)に発展しましたよね。
あれはちょっと後ですね。小谷美紗子のアルバムが出て、バンド編成のツアーに参加したんですけど、それをやって僕が提案したんです。少ない編成でピアノ・トリオでやってみたらおもしろいんじゃない?って。
──その次の経験として大きかった仕事は?
斉藤和義さんですね。あと、いきものがかり。ちょうど同じぐらいの時期でした。斉藤さんが2008年ぐらいで、いきものがかりは前からレコーディングはやってたんですけど、ツアーは2009年からですね。
──斉藤和義の現場はどのような経験でした?
斉藤さんの曲は好きで昔から聴いていたんです。だから一緒にやることになった時は本当に嬉しかったですね。斉藤さんはロックンロールのスウィング感やロールする感覚を、歌やギターやドラムで示してくれるロックンロール先生みたいな存在ですね。そして、あの人間性というか……あの飄々とした感じは、どこに行って、誰と話してても変わらない。それがすごいなと思いました。あと、ツアーを回ってて、一緒に飲んだり、地方でセッションする中で、楽器好き、音楽好きっていう点で近いものを感じました。「あ、かっこいい」っていう感覚が似ている気がします。
──いきものがかりはどうですか?
いきものがかりで、初めて全都道府県をツアーすることができたんですよね。30代前半から半ばぐらいで見た全県行った景色とか、空気感とか、匂いとかをいまだに思い出します。あと、バンマスの本間(昭光)さんは「すごいプロのバンマスだな」って思いました。そういう方とも初めてお仕事したので。全部のパズルのピースがガッガッガッてはまってるような進め方っていうか、曖昧なところがない。それでみんなが安心してリハーサルできて、リラックスした気持ちで現場が回っていくというプロとしての仕事の仕方はすごく勉強になりました。メンバーから得たものももちろん大きかったです。
──あと、椎名林檎、絢香、星野 源とか、ビッグネームの仕事、多いですよね。
ああ、林檎ちゃんもすごいですね。レコーディングの時、仮歌がもう……なんだろう、脳味噌に雷が落ちるような声というか。かなり刺激的な歌声ですね。そしてレコーディングでもライブのリハーサルでもミュージシャンが良い演奏をすると全力で褒めて自信を持たせて、どんどん良いプレイを引き出す。すごい人です。絢香ちゃんは歌がうますぎて。仮歌で「え、もうこれでいいんじゃない?」っていうクオリティを100%出してくる。Superflyの(越智)志帆ちゃんもそうだし、いきものがかりの(吉岡)聖恵ちゃんもそう。共通したストイックさを感じるし、研ぎ澄まされ方にアスリートを感じますね。
──星野 源はレコーディングはあったけど、ライブへの参加は今年になってからですよね(1月に開催された”Reassembly”)。
そうですね。以前からお声がけはして頂いてたんですけど、なかなかスケジュールが合わなくて参加できてなかったので、今回ようやく一緒にライブができて本当に嬉しかったです。最終日は源くんの誕生日で、しかもお客さんの声出しが解禁になった日だったので、そのあまりにもすごい歓声に源くんも泣いていたし、僕にとっても夢にまで観た3年ぶりのお客さんの大歓声だったので感動して涙が出ました。曲については、源くんの曲ってすごくポップだしグルーヴしているからノれるし聴きやすいんだけど、実は曲をおもしろくする音楽的な仕掛けみたいなものがふんだんにちりばめられていて、それが演奏者からするとすごく難しいことだったりするので、一筋縄ではいかない曲ばかりなんです。僕がレコーディングに参加した「創造」や「サピエンス」もめちゃくちゃ難しくて、録音しながらあまりにも叩けなくてちょっと涙出ました(笑)。今回のライブのセットリストにはその2曲が入ってなかったので、いつかライブでやれたらいいなあと思ってます。源くんもある意味ストイックというか、すごいミュージシャンだなと思います。テレビでも毎回生演奏にこだわっているし、アレンジやバンド編成も変えたりして、ミュージシャンの見せ所みたいな部分もすごく考えてくれてる人だなあと感じて嬉しくなります。
■宮本(浩次)さんはどの場面でも全力でぶつかり合う感覚になる。それがたまらない
──2022年には、宮本浩次とポルノグラフティのツアーがありましたよね。
はい。宮本さんは、「P.S. I love you」のレコーディングから呼ばれました。そこからレコーディングを何曲かやって、そのあと全都道府県ツアーがあって。
──どんなもんでした? 宮本さんと全都道府県回るというのは。
宮本さんって、独自の緊張感があるというか。めちゃくちゃ紳士的で、にこやかで、スタジオでのリハとかもすごいスムーズなんですけど、たまに急にはりつめたりすることもあるので気を抜けないというか。全県ツアーもそんな感じで、リハも本番も穏やかに進んではいつつも、独自の緊張感がずっとありました。それが僕はすごく好きなんです。歌もほんとスタジオリハから100%で、ちょっと軽く流すっていう感覚がない。どの場面でも全力でぶつかり合う感覚になるというか。それがたまらないですね。
──その全都道府県ツアー、ポルノグラフィティのツアーと同時進行でしたよね。かなりむちゃなスケジュールで。
(笑)そうですね。ポルノは何本か田中駿汰くんが叩いてくれたりしつつ、宮本さんのツアーと並行してやりました。(岡野)昭仁くんもアスリート・タイプな感じがしますね。体力作りとかも含めて。絶対に歌のクオリティを保って進化するんだ!という強い意志を感じます。僕はポルノの二人の広島弁が大好きで、MCですごくほっこりして、曲になるとビッ!とカッコいい二人になる。このバランスが素晴らしいといつも思います。
──プロになって以降で、好きなドラマーとか憧れのドラマーって、います?
たくさんいますねえ……あと僕、21歳の時に、LAに3ヵ月行って、ジェームス・ギャドソンのところにちょっといたことがあるんです。
──え、弟子入りしたんですか?
いや、日本人のギタリストの友達がギャドソンと知り合いになっていて。「絶対来た方がいい」って言われて、その人のアパートに住まわしてもらって、3ヵ月間毎晩、ギャドソンがギグをやるのにくっついて行って、真隣で見させてもらったんです。その影響も大きいですね。
──仕事を始めて以降で、自分のプレイに煮詰まったりとか、悩んでしまったりとか、そういうスランプの時期はなかったですか?
もうむちゃくちゃあります。ずっとそうかもしれないです。「あ、解き放たれた、今日もうめちゃくちゃ良い感じのライブができた」とかいう瞬間って全然ないっていうか。そこから解き放たれたいんで、叩く前にたくさんウォーミングアップしたりとか、地道にストレッチをして。「ああ、調子悪い」とか、そういう自分のマイナスな要素をなるべく減らしたいという思いがありますね。だから、怖くてライブ映像とか一切見れないです。もちろんいつも全力を尽くしてはいるんですけど。
──頭の中には、もっと上の理想がある?
そうなんだと思います。到達点というか。
──その「あ、解き放たれた!」と思えたライブって、たとえば47都道府県を回ったら、そのうち何本ぐらいあります?
そういう感覚になるのは……4本とか。
──少ない(笑)。それは大変ですね。
そうですね。その時って、自分の調子ももちろんですけど、全部の具合がいいっていうか。歌も、楽器も、お客さんの感じも、会場の鳴りとかも、すべてが合致して、もう超自由みたいな感覚になることが、本当たまにあります。常にそうなるのは絶対無理なんですけど、なるべくその感覚になれたらなって思いながらやってる感じですかね。
──宮本さんが、「玉田豊夢は職人のように合わせないところが良い」というようなことを言っていたと聞いたことがあって。今の話でそれを思い出しました。
ああ、でもそれは、もうめちゃくちゃうれしいですね。そうありたいと思ってるので。宮本さんは本当に歌がぶっとくてうまいというベーシックがありながら、型にはまらないというか、はみ出すところにすごく魅力を感じますし、命を削りながら歌う姿は一緒にやっていても圧倒されて感動します。だから僕も「きっちり守ってますよ」じゃなくて、もっと一緒に爆発したい、一緒に泣きたい、みたいな風に思ってます。どのアーティストとやっていても、そうなれたらいいなと思いながらやっていますね。仕事としてやってるけど、仕事でやっている感じじゃない感覚にバンドがなれたらいいな、っていうか。
──いかにもバック・バンドみたいな、整然とした感じは好きじゃない?
そうなんです。そういうタイプの人は上手だなとは思うんですけど、「かっこいいな」とか、「おもしろいな」とは思えないんですよね。あと、お客さんは楽器をやってる人が多いわけじゃないので、そういう人たちにより伝わるようにしたいなとはいつも思ってるかもしれないですね。すごいテクニカルなことをやるっていうことより伝わる表現を、っていうか。「おっ、いい!」っていう感覚になってもらえたらいいなと思いながら、ライブもレコーディングもしているかもしれないですね。
取材・文=兵庫慎司