和田雅成が挑む、土田英生による会話劇『燕のいる駅-ツバメノイルエキ-』インタビュー 「僕の人生の色を変えてくれる作品になる」
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『燕のいる駅-ツバメノイルエキ-』キービジュアル
――この作品では、和田さんが演じる高島をはじめとした登場人物たちが、世界最後の日にどこに行き着くのかを描いています。そうしたストーリーについてはどう感じましたか?
世界が終わる日がきても実際には何もできないんだろうなと思いました。そう考えると、高島は(劇中で)「のんびり屋」と言われていますが、実は全てを知っていたんじゃないかとも思えます。僕自身、「今日、世界が終わります」と言われても、きっとのんびりしていると思うんですよ。だって、何もできないから。何をしても後悔するし、何をしても後悔しないと思うんです。その共存がすごく面白く描かれていると思います。何かをしようとする人もいるし、何もしない人もいる。お客さまに与える余白が多い作品だと思うので、きっと観る方によって感じ方が違うと思います。最後までご覧いただくと、実は何気ない会話の中にもたくさんのヒントが散りばめられているかが分かり、もう1回観たいと思うのではないかなと思います。
――高島に共感を覚えたり、自分と似ているなと思うところはありましたか?
カレーが好きというのが共通点かな。高島は、カレーパンですが(笑)。それ以外の内面的な部分は、稽古に入って、(演出の)土田さんと話してみないとまだ分からないというのが正直なところです。高島が何を考えているかがまだ掴みきれていないんですよ。表面に見えている部分が本当の高島なのか、それともその真意はさらに深いところにあるのか分からないので、まだ簡単に似ているとも言えないです。それに、劇団公演の映像を観させていただいたら、自分の考えていたプランとは全く違う高島だったんですよ。そうしたこともあって、今は劇団公演の高島に寄せて演じるべきなのか、それとも自分の色に寄せていいのかも分からなくなっています。なので、これからのお稽古で、土田さんと他の共演者の皆さんと一緒に作っていこうと思っています。
――なるほど。では、 いわゆる2.5次元作品とオリジナル作品では、役作りや役を演じる上での意識に違いはありますか?
僕自身は、どんな作品でも「役を生きる」という意味では区別はしていません。ただ、2.5次元作品はヒントや正解がある中で、自分の要素を掛け合わせながら作っていくので、ストレートプレイの舞台とは全く違うとは思います。今回は、先ほどお話したように再演なので、また一概には言えないところで、どこまで以前の公演を踏襲すればいいのか、稽古をしていく中で作り上げていきたいと思っています。
――先ほど、高島は全てを知っていたのではないかというお話もされていましたが、それはある意味では、事なかれ主義の日本人らしい人物像なのかなとも思いました。それが、この物語の結末を導いたのかなと考えると、高島は苛立ちを覚えるようなキャラクターなのかもしれません。和田さんは高島に対して、そうした苛立ちは感じませんか?
台本を読んだ時に苛立ちは感じませんでしたが、確かに自分が実際にこの世界に入った時にはイライラするかもしれません。本当にこの状況になってみないと分かりませんが、色々な可能性は考えてしまいます。僕は、『名探偵コナン』が大好きなんですが、そのコナンの中で「起こったことが事実でも、それは真実じゃないかもしれない」という大好きなセリフがあるんですよ。例えば明るく振舞っていても心に深い悲しみを抱えている人はいると思います。そうやって、心の奥にある真実を考えるようになったり、いけないことをした人を見た時にどうしてしてしまったのか理由を考えたりすることが多くなりました。それは『ダブル』の影響も大きいと思いますが、そう考えるようになっていろいろなことが許せるようになったように思います。
――その人にはその人の事情があったのかなとか?
そうです。その人の正義でそれをやっているんだろうと思うと、苛立ちはないですね。ただ、その人の正義を探したいと思うようになりました。そう考えると、僕はまだ高島の正義を台本から見つけられていないんですよ。なので、曖昧なことしか今はまだ言えないのですが。
>(NEXT)作・演出の土田英生とは初タッグ。「答え合わせをしたくなる、余白ある作品」