ウィーン国立バレエ団専属ピアニストが奏でる、「バレエ音楽」のみの珠玉のコンサート 滝澤志野インタビュー
©Ballet Channel
◆カウントをとるイギリス系に対し、ウィーンでは……
「ヨーロッパのバレエ・ピアニストは、基本的に専属です。そして、歌劇場には必ずバレエ団がある。ドレスデン、ベルリン、リンツ……いろいろな歌劇場のバレエ団を見学してまわりました。ですが、圧倒的第一希望だったのがウィーン国立歌劇場のバレエ団です。私は、6歳の時に家族旅行でウィーンへ来たことがあり、その時から自分のなかの原風景のようなイメージを、ずっと持っていました。就職活動の前の年に再度訪れて見学に入った瞬間、ビビッとくるものを感じ、“ここで働きたい”と思ったのです」
翌日、ピアニストのひとりからカフェに呼び出され、ちょうどピアニストが1人やめるところだと告げられた。自らのキャリアと希望を話すと、さっそくオーディションとなり、採用が決まった。
新国立劇場での採用といい、まさに滝澤さんには、運と才能の両方が備わっていたとしか思えない。
「ところが、実際に働き始めてみると、そう簡単にはいきませんでした。正直なところ、最初の数年間は、たいへんつらかったです」
世界最高の歌劇場、そのバレエ団の仕事は、さすがに日本とは内容がちがった。
「私は、日本ではイギリス系、ロシア系メソッドのものを多く弾いていました。新国立劇場では、特にロイヤル・バレエのフレデリック・アシュトンやケネス・マクミランの振付け作品が多かったです。イギリス系はきちんとカウントをとるので、伴奏もしやすい。ところがウィーンは、芸術監督マニュエル・ルグリがパリ・オペラ座出身で、ピエール・ラコットやルドルフ・ヌレエフの系統だったため、振付けがフランス系なのです。カウントなどとらない。なんというか……ポエムのような振付けなんです。そのため、なかなか慣れることができず、ダンサーから『そうじゃない』と、何度もいわれました」
おなじ作品なら、使用される楽譜もおなじだ。ところが、誰が振付けるかによって踊りが変わるので、当然ながら演奏のニュアンスも変わる。そこを理解し、すぐに対応するのが、プロのバレエ・ピアニストだ。楽譜どおりに弾いていればいいわけではないのである。
しかもウィーン国立バレエの専属ともなると、単なる伴奏だけではなく、スタッフの一員としてすべてをまかされるような面もある。
「本番でピアノを弾く仕事もあるんです。たとえばジョージ・バランシン振付けの《アレグロ・ブリランテ》では、チャイコフスキーの未完のピアノ協奏曲第3番第1楽章が使われています。そういうときは、ウィーン国立歌劇場管弦楽団と一緒にピットに入って、コンチェルトを弾きます。こうした仕事を続けるうちに、次第に周囲との信頼関係が生まれ、ようやく緊張がほどけてきたのが、2016年ころだったでしょうか」
それにしても、普段の仕事は、本番前のトレーニングやリハーサルにおけるピアノ伴奏が中心だ。
だが本番で演奏するのは、指揮者が振るオーケストラである。つまり本番では“別人”が伴奏するわけで、それによって生じる齟齬はないのだろうか。
「たしかに事前のピアノと、本番のオーケストラは、まったくおなじではありません。でもダンサーも指揮者もその点はもう慣れていて、小さな誤差を認めあいながら修正して、まとめています。オーケストラのコンサートだって、本番になると、細かい点がリハーサル通りではないことがありますよね。あれとおなじです。そもそも私の仕事は、本番でのオーケストラの響きを想定していなければなりません。管楽器ではこれ以上は息を伸ばせないだろう、大人数のオーケストラではこんなに速く演奏できないだろう……それらを考えながら伴奏しているので、本番でも、おおむねその通りにいっていると思います」
現在、ウィーン国立バレエは、シュターツ・オーパー(国立歌劇場)とフォルクス・オーパーの2か所で、年間に計100公演近くを上演している。人気があるのは、やはり《白鳥の湖》や《ドン・キホーテ》といった名作だ。
「この2作は、1961年に旧ソ連からフランスへ亡命したルドルフ・ヌレエフがウィーンで完成させた振付けなので、特に人気があります」
◆コンサートの“隠し玉”とは?
ところで、7月の日本でのリサイタルだが、おそらく、このようなコンサートは見たことも聞いたこともない方がほとんどのはずだ。
「バレエで使われる音楽のみをピアノで演奏するコンサートです。たしかに私自身も初めての経験です。でもすべて、ウィーン国立バレエの十八番〔おはこ〕で、長年ウィーンのお客様に愛されている曲ばかりなんですよ。たとえば、ショパンの《マズルカ第13番》と《ワルツ第14番》は、『ウエスト・サイド・ストーリー』などで知られるジェローム・ロビンズ振付けの舞台作品で使用されている曲です」
本来は観賞用ではないバレエ音楽を「コンサート」で演奏する——どこからこのような発想が生まれたのだろうか。
「長年、バレエ音楽を弾いているうちに、バレエの世界だけに留めておくのはもったいないと思うようになりました。バレエの世界には、こんなに美しい音楽があるのだということを、一般の音楽ファンにも知っていただきたい……さらに、できればクラシック・ファンとバレエ・ファンのかけ橋になるような、そんなコンサートができないかと思うようになったんです」
ゆえに今回は、チャイコフスキー《くるみ割り人形》のような人気曲もある一方、滝澤さんならではの“隠し玉”も用意されているのだという。
「プロコフィエフ《ロミオとジュリエット》の〈バルコニーのパ・ド・ドゥ〉です。第1幕の最後の部分で、10分近い演奏時間を要します。私はこの部分が大好きで、CD第1集の最後にボーナス・トラックとしてノーカットで収録したほど、思い入れのある曲です。
それがリサイタルで演奏されるというのだが、いったい、そのどこが“隠し玉”なのだろうか。
「プロコフィエフは、このバレエから10曲構成のピアノ組曲をつくっていますが、残念ながら〈バルコニーのパ・ド・ドゥ〉は、入っていないんです。ですから、この部分をピアノで聴いたことのある方は、あまりいらっしゃらないと思います。序曲も含めて、新しい音楽体験をして頂けるのではと思っています」
東京会場は、銀座のど真ん中「王子ホール」。世界トップレベルのアーティストが名演を繰り広げている、室内楽の名門ホールだ。
そして大阪会場は生まれ故郷、堺市の「フェニーチェ堺小ホール」。
「実は1990年、第1回堺ピアノ・コンクールで金賞をいただいた、それが私のピアニスト人生の最初の”賞”なんです。それだけに、地元・堺市や家族への恩返しになればとの思いもあります」
今後は、バレエ・ピアニストとしてはもちろんだが、バレエ全幕をピアノで演奏するようなコンサートにも関心があり、バレエ音楽の美しさを広く伝えていきたいという。
また、いままでのキャリアを生かした、劇場文化の振興にも興味をもっているようだ。
「バレエとピアノには、たいへん深い親和性があります。特に、チャイコフスキーとプロコフィエフのバレエ曲はとてもピアノ向きだと思います。そんな新しいピアノ音楽の魅力を、多くの皆様に知っていただきたいと願っています」
もしかしたら、今回のコンサートは、ピアノ・リサイタルの歴史を変えるような、そんな一夜になるかもしれない。
取材・文=富樫鉄火(音楽ライター)
公演情報
フェニーチェ堺 (堺市民芸術文化ホール)小ホール
大阪府堺市堺区翁橋町2-1-1[南海高野線 堺東駅より徒歩8分]
2023年7月21日(金)19時開演(開場:18時30分)
銀座 王子ホール
東京都中央区銀座4-7-5[地下鉄 銀座駅A12出口より徒歩1分]
<料金>
U25券:3,500円(税込)
※全席自由/未就学児童入場不可
『眠れる森の美女』よりプロローグ リラの精のテーマ
マズルカ13番『アザー・ダンス』(ロビンズ振付)より
ワルツ14番 遺作『コンサート』(ロビンズ振付)より
バラード1番『椿姫』(ノイマイヤー振付)より 黒のパ・ド・ドゥ
『ロミオとジュリエット』より
序曲
1幕 朝の情景
少女ジュリエット
仮面
バルコニーのパ・ド・ドゥ
(バルコニーの情景、ロミオのヴァリアシオン、愛の踊り)
『マノン』(マクミラン振付)より
寝室のパ・ド・ドゥ
沼地のパ・ド・ドゥ
『くるみ割り人形』より
1幕 情景(松林の踊り)
2幕 葦笛の踊り
花のワルツ
グラン・パ・ド・ドゥよりアダージオ