髙木竜馬が音で紡ぐ、ピアニストの「成長」「苦悩」「復活」の物語 3年目の『ピアノの森』コンサートツアーがスタート
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ピアニストの髙木竜馬は、『ピアノの森』ピアノコンサートツアーを始めて今年で3回目を迎える。
2022年夏から活動の主軸を日本に置き、今年度からは名門の京都市立芸術大学の専任講師に就任。多彩な演奏活動を展開している髙木であるが、この『ピアノの森』ピアノコンサートツアーは、自身のなかでとても大切な活動であることをインタビューで語っている。
終演後にはサイン会が行われ、ファン一人ひとりに感謝と笑顔を向けた
一色まことの漫画『ピアノの森』は、映画やアニメでも広く愛され、そのなかで演奏される音楽も注目されている作品だ。アニメ『ピアノの森』で、髙木は雨宮修平の演奏を担当した。今回のツアーでは、阿字野壮介や一ノ瀬海らの演奏した作品も演奏。「漫画『ピアノの森』名シーンと振り返る演奏曲」によるプログラムは、一ノ瀬の「成長」、雨宮の「苦悩」、阿字野の「復活」をテーマとしている。
今年は、7月21日(金)の神奈川・鎌倉芸術館を皮切りに、10月20日(金)の東京・浜離宮朝日ホールまで、17のホールで19公演が開催される。8月3日(木)千葉・J:COM浦安音楽ホールにて開催された夜公演を聴いた。
一色まこと描きおろしビジュアルが各地のロビーに飾られる
プログラムの冒頭は、ベートーヴェン「エリーゼのために」。髙木は、メロディをじっくりとつづっていく。低音部の分散和音に微細な緩急をほどこし、絶妙なペダリングによってうっすらと音の混濁を作り出し、淡い憂いを静かに引き立てる。イ短調の左手による連打の場面でも、右手のため息にも似た表情を醸し出し、どこか諦観すら感じさせる。作曲家のデリケートな心情を反映したかのような演奏であった。
曲間で、時おりトークも交えつつ、続いて、ショパンの3曲の舞曲が続けて演奏された。
まずは、ワルツから2曲。「ワルツ 第6番《子犬のワルツ》」では、髙木の指先のコントロールが冴えわたり、転がるように奏される音の珠は実に美しい。中間部では、音の強弱を大きく示し、メロディをゆったりと歌い上げる。続いて「ワルツ 第4番」。序奏で打ち鳴らされる和音や主部のワルツのリズムは、鮮やかな音楽の脈動をもたらし、同時にフレーズや音程間を巧みな表現は、自然な音楽の流れを創出する。また、中間部の息の長いメロディの伸びやかな情趣も心に残る。
「3つのマズルカ 作品59」は、1845年の作品。ショパンとサンド(ジョルジュ・サンド)の関係に陰りが出てきた時期の創作。髙木は繊細に情感を表わし、自然なルバートによって、ショパンの複雑な心情を演奏に見事に映し出していた。第1番におけるモノローグのようにつづられるメロディや、中間部から主部への回帰における悲しくも美しい転調の妙、生き生きと奏でられる第2番、そして第3番では感情の綾を細やかに紡ぎ上げる。髙木の深い解釈が示されたすぐれた演奏であった。
そして、前半最後の曲は、ショパン「バラード 第1番」。表面的で劇的な表現をむしろ抑制し、左手の作り出す音楽の流れを際立たせることによって、さまざまな情景を丁寧に織り上げ、緻密にドラマを語り尽した。
休憩をはさみ、後半はショパン「24の前奏曲」より第15番「雨だれ」に始まる。ひと筋の音楽の流れのなかで、さまざまな心象風景を描き上げていく。したたり落ちる変イ音と嬰ト音が生み出す心の光と影が、静謐な佇まいのなかできめ細やかに描き出される。
続くショパン「スケルツォ 第2番」は、本来、諧謔を意味する”スケルツォ”であるが、髙木はむしろこの作品のドラマ性を引き立てる。髙木が繰り広げるこの第2番は、湧き上がるような情感を丁寧に表現し、その演奏は聴く者を深く惹きつける。さまざまな音楽の表情を克明に描き分ける髙木の高度な演奏のテクニックと綿密な音楽の構成は、よく知られたこの作品にまったく新しい世界を開示してくれた。
リストのエチュードからは2曲を披露した。
パガニーニによる大練習曲 第3番「ラ・カンパネラ」では、光沢のある繊細な音の響きから、メロディを美しく浮かび上がらせる。フレーズの描き方も実に丁寧で、余裕の演奏であった。そして、リスト「超絶技巧練習曲集」より第11番「夕べの調べ」。重みを帯びた音と響きの遠近は、黄昏ゆく情景を描き上げ、聴く者を瞑想的な世界へと静かにいざなっていく。
プログラムの最後を飾るのは、ショパン「ポロネーズ 第6番《英雄ポロネーズ》」。上行する半音階のフレーズを滑らかに奏で、音楽は徐々に熱を帯びていく。最初は感情を抑制し、作曲家の心の裡で響く祖国への思いを誇らしげに歌い上げるような表現が印象的である。コーダに入ると、あふれんばかりの情熱を迸らせ、音楽を高揚させてプログラムを結ぶ。
当日は、いわゆる名曲ぞろいであったが、研ぎ澄まされた感性を通して作品を深く見つめ、卓越した指の技術によって実にデリケートで、それでいて妥協を許さない髙木の演奏に魅せられた。
夜の公演であったが、ホールにはこどもたちも多くみられた。食い入るように舞台を見つめるこどもや、音のシャワーを浴びながらくつろぐこども、演奏後に母親と語り合うこどもなど、それぞれの聴き方でコンサートを楽しんでいたようだ。誠実な髙木の音楽は、彼らの心の奥底に深く刻み込まれたに違いない。
ロビーに飾られたビジュアルは撮影OK。記念撮影する来場者も多く見られた(昼公演にて)
昼公演にて。耳馴染み深いプログラムに、子どもも多く訪れ、髙木の音に聞き惚れていた
取材・文=道下京子 撮影=福岡諒祠