MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』さだまさしと見つめる音楽人生ーー「生きるってことは暗いことなんだよね」トリビュート収録の「新約「償い」」を語る
MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』ゲスト:さだまさし
MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』第四十一回目のゲストは、さだまさし。今年10月25日(水)にレコードデビュー50周年を迎えるさだのオフィシャル・アニバーサリー企画として、自身のデビュー日にトリビュートアルバム『みんなのさだ』がリリースされる。プロデューサーを務めるのは寺岡呼人。参加アーティストには折坂悠太、上白石萌音、木村カエラ、琴音、高橋優、T字路s、葉加瀬太郎、福山雅治、槇原敬之、三浦大知、MISIA、ゆず、wacciに加え、MOROHAも名前を連ねた。トリビュートと言えば、原曲をカバーするのが定石だが、MOROHAは1982年に発表された「償い」にインスパイアを受けた「新約「償い」」という、まさかの新曲を作り上げた。10月18日(水)にアルバムから先行配信となった、同楽曲制作の経緯はもちろん、さだが長い音楽生活の中で大事にしてきたこと、アフロに向けての金言など重厚な対談となった。
MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』
「精霊流し」で暗いって言われて、「関白宣言」で女性蔑視って言われて……
その都度ボロカス言われてきたからね
アフロ:よろしくお願いいたします!
さだまさし(以下、さだ):こちらこそよろしくお願いします。今回のトリビュートアルバム、本当にありがとう。大変だっただろ?
アフロ:楽しかったですね!
さだ:嬉しいな、それはよかった。
アフロ:曲を作る時はいつもゼロイチじゃないですか。でも、今回はさださんが既にゼロイチをやってくれていた感じがして。1番があった上で、時を超えて2番を書いてるような気持ちになれたのは、すごく楽しかったです。
さだ:そういう感覚か。(「新約「償い」」は)大事なおじいちゃんの“死”と“家族の責任”にフォーカスしていたじゃない? あぁ、分かりやすいかもしれないと思ったね。そういう意味では、もはやオリジナルだよね。
アフロ:志のカバーと言いますか。
さだ:そういうことだよね。見事に成立していたね。
アフロ:嬉しいです。「新約「償い」」を作った時は、相方のUKと2人で「こんなにしっちゃかめっちゃかにしたら怒られるんじゃねえかな」とは言いつつ「でも、さださんならきっと大丈夫。分かってくれるよね」って。
さだ:ハハハ、全く大丈夫だよ。
アフロ:実は過去にトリビュートに参加するはずが、やり過ぎて流れたことがあったんです。だからオッケーを貰ったときはすごくホッとしました。歌詞を書く時はさださんが「償い」を作った時のことを想像しつつ、現代に映し絵するつもりで書きました。「新約「償い」」は、ミュージシャンが家にコロナを持ち帰っちゃう曲なんです。激動のコロナ禍でニュースにならない出来事として、世の中で起こっていただろう話。自分の身近なライブシーンにおいて、どこかの街で起こり得ただろうなって。
さだ:同じ経験をした人はいっぱいいると思うよ。若い人の中にはね、自分が無症状だったからコロナに感染しているとは知らずに、大事な家族にうつしてしまって、それで大事になってしまった人はたくさんいると思う。そういう病気だったからね。だから、目の付け所が面白かったよね。きちんと今を切り取れている。元々僕が書いた「償い」は、知人が交通事故の被害者になった実話が元になっていて。“許す”というのがテーマなんだけど、被害者が加害者を許すというのは大変なことでね。なかなかありえないことなんだよね。でも、そういう人が実在したんだ。だけど「あなたを許します」という歌を許した側から描こうとすると、すごく高慢になるんだよ。「私が許されました」も、あまりにも切なすぎるから、親友が交通事故の加害者になり、償い続けて被害者に許されるという形にしたんだ。ただ、なかなか……歌にできなくてね。やっぱり重たいテーマじゃない? 命に関わることだし、暗いしね。でも、どうせ暗いって言われるんだったら、暗い歌をいっぱい集めたアルバムにしようと思って、1982年に『夢の轍』を作った。「さだは暗い暗い」と言われていた時だったから、少しからかうような感じがあったね。お前らが言ってる暗いっていうのは全く暗くねえんだよ、って。本当の暗いっていうのはこういうのだよ、って。それぐらい挑戦的な態度で作ったアルバムだったね。
アフロ:面白いなと思うのが、俺らは今チキンラーメンのテレビCMに出ているんです。ひよこの着ぐるみを着て、結構コミカルなことをやっているんですね。そしたら「MOROHAは硬派で暗い音楽をやっていたのが好きだったのに、チキンラーメンとか、テレビのバラエティ番組にも出て」と言われることも多くなって。
さだ:「アイドル的になっちゃって」とかね。
アフロ:そういう声に対して「じゃあ見せてやるよ、本当に暗いやつを」と思って、今回の「新約「償い」」を書き始めたところがあったんですよ。だから、ちょっとリンクしているのが今嬉しく思いました。
さだまさし、MOROHA アフロ
さだ:だからさ、表面だけ暗がってんじゃねえよ、ってことだよね。哲学というのは暗いものだし、生きるってことは暗いことなんだよね。明るく生きてるっていうのはね、それは意地がそう言わせるんであって、生きることはそんなに簡単じゃないし、みんなが悩みを持って生きている。それをただ(表面上の)「明るさ」って言葉でごまかそうとするのは、俺は絶対に反対なのね。重たいことは重く考えて、それを乗り越えていかないと、本当の意味で乗り越えたことにならないと思う。本当の明るさは苦しさを乗り越えた所にある筈なんだ。だから、僕はあえて正面を切って命を歌うようにしてきた。
アフロ:「哲学は暗いものだ」「生きるのは暗いものだ」というのは、俺がさださんに電話をして、「自分も緩めることを覚えたい」と話したら「緩さ覚えても、鋭さなくすなよ」と返してくださった言葉に通じますね。
さだ:そうそう。「頑張っていると思わせない頑張り方」を学ぶのは、僕は大賛成なんだよ。でも、心の中の尖ってる部分をなくしたら、MOROHAではなくなるだろうなと思ったから、そう言ったんだね。MOROHA(諸刃)の名前が示すように、相手を切るだけじゃなくて自分も切らないといけないっていう辛さが、MOROHAの宿命としてあると思うんだよ。自分にも痛いことを言わないといけない。僕も自分で痛いことを歌うようにしてきたから、それをなくしちゃダメだよね。ただ、それをバン!って突き刺すのがカッコいいかと言ったら、僕は違うと思うんだ。尖ってることだけを、みんなはカッコいいって思っているかもしれないけど、尖り過ぎると開く穴は小さいんだよね。針みたいなのでプツって穴を開くのと、ダンって大きな穴を開けるのとは全然違う。どこが違うかっていうと、比重だよね。そして比重とは覚悟でもある。比重が高ければ高いほど、大きな穴が開く。大きな穴を開けようと思ったならば、覚悟がないと開かない。自分が穴を開けようと思ったことは、日本中を敵に回してもやらなくちゃいけない、と僕は思う。それこそ10年近く前に、(森山)直太朗くんが世間に色々言われたことがあったんだよ。
アフロ:「いっそ小さく死ねばいい」(「生きてることが辛いなら」)ですね。
さだ:あの曲で騒がれている時、直太朗に「お前は間違ったことを言ってないんだから、堂々とやっていけ」と伝えたんだよね。間違ったこと言って叩かれるのはしょうがないけど、気に入らないから叩くっていう風潮が今はある。ちゃんとしたことをやって、正当なこと言ってるのに叩くっていうのは、「意見が違うからこいつを潰そう」という話に他ならない。そういうのは、僕は嫌いだね。
アフロ:さださん自身が、活動の中でそういう叩かれ方をした経験ってあるんですか?
さだ:いっぱいあるよ。僕は「精霊流し」で暗いって言われて、「無縁坂」でマザコンって言われて、「雨やどり」で軟弱男って言われて、「関白宣言」で女性蔑視って言われて、「防人の詩」は戦争映画(『二百三高地』)の主題歌だから右翼って言われて。その都度、ボロカス言われてきたからね。テレビでもそうだよ。「あんなものを聴いてるのは、ろくなやつじゃない」みたいな言われ方をされてきた。自分はともかく、お客さんが可哀想だなと思ったな。
アフロ:あぁ……そうですね。
さだ:そのネガティブキャンペーンによって、実際にお客さんも減ったしね。だけど「10年後に勝負しようや」と思っていたから。今はあんたの勝ちでも10年後は盛り返してみせるから、みたいな。どう盛り返すかの根拠はないんだけど、間違ったことやってると思っていなかったから。今は誤解が誤解を呼んで、こういう風潮になっているんだけども「さあ、あなたの言ってることが正しいかどうかは、10年後に決着つけよう」みたいな勢いはあったな。30代に入ったくらいだったし、生きている自信があったから言うんだろうな。今だったら言わないね(キッパリ)。もう10年後にいないかもわかんないもんな。
喋りもせずに、哲学的な歌を黙々と歌っていたら、多分俺は神がかって受け取られた
さだまさし
アフロ:その頃って、今みたいにお客さんをリラックスさせるようなMCはやっていたんですか?
さだ:最初からやっていたよ。僕の歌はね、結構自分を削って書いてるところがあるから、1曲1曲のテーマが重いのよ。それを淡々と3、4曲続けていくとね、お客さんの眉間にだんだんシワが寄って、腕を組んで険しい顔になってくるんだよ。そうするとね「あ、嫌われてる」と思うんだ。
アフロ:ハハハ、笑ってほしいんですね。
さだ:最初は笑わすだけの話をしていたんだよね。ところがライブは、自分たちを伝えていかないといけないわけでさ。グレープ(※さだまさし・吉田政美によるフォーク・デュオ)って2人組だったんだけど、吉田が喋らなかったから俺だけ喋っていたの。ただ、俺のことだけを伝えても意味がなくて、2人のことを伝えなきゃいけないっていうことで、少しずつ変わっていった。エンターテインメントというのは、音楽の中身だけじゃなくて、見栄えもエンターテイメントの仕事のうちだろう、と思い始めてね。1977年に「雨やどり」が売れた翌年の3月、ソロになって初めてフェスティバルホールで2日間のライブをやることになってさ、そこで大道具というのをステージに持ち込んだのよ。それまで歌い手は、黒とか赤の幕の前で歌うのが当たり前だった。そこにホリゾントに色を入れるだとか、道具を持ち込んで雰囲気を出すのは、誰もやったことがなかった。当時は「檸檬」を歌ってる時だったから、大きなバルーンを用意してね。照明で黄色に染めればレモンになるし、橙に染めればオレンジになるし、もっと赤を濃くすればリンゴになるし、真っ白に染めれば風船や雲になり、青く染めれば地球になる。それでバルーンを持ち込んで、それから自転車を持ち込んで。これは面白いと思って、さらに凝っていったんだよね。あ、複葉機を持ち込んだこともあったね。
アフロ:複葉機ってなんですか?
さだ:要するに昔の二枚羽の飛行機。それをステージに吊るしたこともあった。
アフロ:すべてさださんのアイデアですか?
さだ:もちろん。「風に立つライオン」を初めて歌った時には、僕のアイデアで紗幕の向こう側に崖を作って、三方向からドライアイスの煙をバーと滝に見せるようにして歌うとかね。そういう舞台美術は僕が考えていたよ。
アフロ:昔からそういうことが好きだったとか?
さだ:というか、歌うだけだからね。お客さんが退屈かなと思ったんだよ。それに、あんまり俺をじっと見て欲しくないんだ。
アフロ:ハハハ、そうなんですか?
さだ:そうなんだよ。見せるもんじゃないから、俺なんか(照笑)。バンドにカッコいい奴がいたら、そいつが前に立ってほしいわけよ。楽曲の中でそいつが立っていると、みんなそっちを見るじゃん? 俺はすごく楽なわけよ。道具を使ってみんながそっちを見てくれると楽。なんか恥ずかしいんだよね。
アフロ:へぇ! 俺は俺のことを見てほしいと思ってラップしてるんですよ。
さだ:ラップはそうじゃないと意味がないだろ? キャラじゃなくて、パーソナリティなんだから。とはいえね、今はキャラの時代じゃない? いろんな「何十幾つ坂」の子達もキャラであって、その人の実像って見えてこないよね? 見せちゃいけないみたいだし。俺もパーソナリティでやってきてるから「私です」って言う。それを喋りもせずに、哲学的な歌を黙々と歌っていたら、多分俺は神がかって受け取られたと思うよ。
アフロ:うん、そう思います。
さだ:そういうのが一番嫌。だって実際は普通以下の人間だもの。崇められて、伝説に追い込まれていって、「もう持たないや」と思って辞めちゃっていたかもしれない。でも俺は「それはあなた方が勝手に感じる虚像ですよ。私の実像はこうですよ」というのを、明確に伝えるためにトークをしてる。「この間こんなことがあってね」というのは別に言わなくてもいいことなんだけど、面白い体験を話すとドッカンドッカンウケるから気持ちいいんだよね。“笑いを交えたトーク”と“哲学的な歌”という対極の手のひら返しが、さだまさしコンサートの1つのカラー。それを理解しているお客さんも割と多くて、トークになるとダラ~としてるけど、イントロが始まった瞬間にみんなクッと真剣な表情になるのね。
アフロ:俺もライブを観て、それを感じました。
さだ:腹を抱えて笑っていた人が、次の曲の歌い出しで泣くなんて、尋常じゃないよね? ちょっとおかしな世界だよね。
アフロ:だからこそっていう見方もしてました。メリハリに対してお客さんが順応してることが、不自然じゃなかったですね。さださんが面白い話をしていても、基本的には人の話をずっとしてるじゃないですか。
さだ:まあ、そうだね。
アフロ:そこに歌の要素も見えているような気がして。だから歌とトークが途切れない気がするんですね。
さだ:生きるという意味で、生活感というのが好きなんだよね。「お前が日常生活で普通にやっていること、それってすごく尊いことなんだよ」と気づいてもらう。それが、さだまさし的なエールっていう気がするよ。
どこかの描写が正しければ嘘ではない。仮に全部嘘でも伝えたいこの一点が本当だったら嘘じゃない
MOROHA アフロ
アフロ:すごく仲のいい漫画家さんがいまして。今40巻ぐらいまで出ている人気漫画を描いているんですけど、実家に帰ったら本棚に10巻までしかなかったらしいんですよ。
さだ:ハハハ、いいねぇ。
アフロ:「親なんだから買い続けろよ、と思った」って話を俺にしてくれたんですけど、でも10巻が出たのって、その漫画が有名なテレビ番組で取り上げられた時だったんですよ。きっと親はその番組を観て「もう私たちが買わなくても、この子は大丈夫だ」と思ったんじゃないか、って話に着地した時に、なんか歌みたいだなと思って。
さだ:それはいい話だ。そういう話を探しに歩かなきゃ駄目だよ。俺は若い頃から、旅が好きなのね。鉄路を利用せざるを得ない時代だったから、松本でコンサートが終わった後、わざわざ信濃大町まで出て行って、糸魚川の親知らず子知らずを歩いて、金沢まで出て帰ってくるみたいな。ツアーの終わりは旅をすると決めていたから、今度は長野県の諏訪でライブがあったら、岡谷から豊橋へ出る飯田線に乗って佐久間ダムの辺りでうろうろするとか、そういうことをしていると、必ず知り合いができるんだよ。仲良くなるにつれて「学生?」「いえ、仕事をしてます」「何やってんの?」「いやぁ、まあまあ」とか言ってね。だんだん素性が分かるようになると、面白がって「お前こんなの知ってるか」と言って、ネタをくれるようになるんだよね。それが歌になったりする。
諏訪の近くに辰野という町があってさ。たまたま電車を降りたら「本日は、ほたる祭り」と書いてある看板を見つけて「どこに行ったら見られるんだろうな」と歩いていたら、さだまさしを知ってる高校生が「何してんですか?」と声をかけてくれて。「ほたるを見に来たんだよ」「そうなんですか! 俺、ほたる部ですよ」って。話を聞いたら、その子の通う辰野高校の生物部でほたるを育てているらしくて、案内してくれたんだ。それで「お前、飯食ったか?」と聞いたら「いえ、腹減ってます」「じゃあ、これ食え!」とか言って、一緒にご飯を食べながら日が暮れるの待ってさ。「あ、ほたるが出たぞ! これはすげえな!」とか言いながら、やがて人がどんどん集まってきた。それで「風の篝火」という歌を書いたりするわけよ。そうして一つの出来事からストーリーを自分で作っていくんだけど、俺は旅人としての曲が書けないもんでさ。
アフロ:じゃあ、そこに住んでいる人の目線で?
さだ:そう。そこに住んでいる人間はどう思っているんだろうか? みたいな視点で書く。あとは奈良と京都も好きでさ、俺は中学から1人で東京に出たから夏休みとか冬休みになると、地元の長崎へ帰るわけだ。「あ、京都だ」と思いつつ何回か通り過ぎていたんだけど、ある日、思い立って夜中に京都で降りてさ。当時はまだ穏やかな時代だから、待合室で泊まれたんだよね。翌朝になって京都を一日歩いて、東山をずーと進んであっちを見たりこっちを見たりして、ヘトヘトになって夜に京都駅にたどり着いて。待合室で待っていると夜中に昨日降りた急行が来るんだよ。それに乗ると、翌朝長崎に着くんだよね。それで毎回、長崎への行き帰りのたびに京都に寄って「あのお寺に行ってみよう、このお寺に行ってみよう」としているうちに、ふと奈良に興味を引かれて。ここで曲作りをしようと思って、3日間ぐらい泊まりに行くわけよ。観光旅行なら奈良ホテルみたいな立派なところに泊まるんだけど、今回はそういうのとは違うなと思ったら、わざといい加減なホテルを探して泊まるわけだよね。いい加減なホテルは、すごくいい加減なんだよ(笑)。ご飯は出てこない、素泊まりでも部屋はちゃんとしてるんだけど、表通りがうるさい。そこで夜に街へ出て、ご飯食べをようと商店街が歩いたらば僕に気づいた人がいて「何してるんですか?」「いやぁ、遊びに来てるんだよ」「よかったら紹介しますよ!」って案内してもらうの。そしたら「そういうものの見方があるんだな」って地元の人の気持ちが、だんだん分かってくる。そうすると、そこに住んでいるかのような歌が書けるんだよな。ところが旅人の目線ってね、ちょっと冷たいんだよね。都合がいいし。
さだまさし
アフロ:いいところばっかり書くからですか?
さだ:そうそう。だけど、ちょっと毒が欲しいじゃん。それは何かと言うと、さして綺麗でないものを綺麗に歌う。そこには見事な毒があるわけだよね。
アフロ:あぁ、そういうことか!
さだ:「歌っていた土地に行ってみたら、さだの歌ほど綺麗なところじゃなかったよ」とかね。こんなにひどい毒はないんだけどさ、そう言わせたいわけだよね。「あの歌に憧れて行ってみたら、あの歌以上にいい街があったよ」っていう場所もいっぱいあるんだよ。そういうところを歌にしていかなきゃいけないな、と思っていて。まだ歌っていない隠し球が何箇所かあるね。
アフロ:行くところ行くところで景色は変わるじゃないですか。景色が変わるということは、描写だけじゃなくて心も変わるということですか?
さだ:テーマ自体が変わるでしょ。例えば、奈良の十津川村が好きでよく行くんだけど、十津川中学校の校歌(「千年の祈り」)を俺が書いているんだよ。長年通っているから村長とも仲良くて「あんたしか書けるやつはおらん」と言われて「そうだな! じゃあ書くわ」ってね。今や村の歌みたいになっているんだけどね。その曲を書く時にも思ったんだけど、ここに来てない奴には書けないなって思うのと、谷汲(たにぐみ)村から「村の歌を書いてくれ」と言われて、そこへ行かずに書いたことがあるの。要は行ったら書けないわ、って歌もあるんだよ。
アフロ:余白があって書けたな、という感覚ですか?
さだ:“想像で書く”場合と“自分の足を使って書く”場合があって。僕は両方を経験してきているから「ここは行かないで書いた方がいい」「ここは行って書かなきゃダメだ」って分かるんだよ。パリの歌(「異邦人」)はね、行ったらダメなんだよ。
アフロ:行ったほうがいいのと、行かない方がいい場合は、どうやって判断するんですか?
さだ:いいところだけを小出しにすればいいんだよ。想像する土地のいいとこだけ。そのいいところっていうのは、名所が出てくるとかじゃないんだよ。古錆びたアパートがある。それを<アパルトマン>って書くだけで「ちょっとエキゾチックな街かな?」と想像できる。<洗濯物の万国旗>だけで「あ、狭い路地なんだな」、<マロニエ通り>だけで「ということはパリだ」みたいな。パリとは直接言ってないし、あくまで日本語の歌を書いてるんだけど、聴いた人はパリだと思い込んでる。現に僕もパリに憧れて書いた。「異邦人」を書いた後、実際にパリへ行ってみた。もう2度と書けないと思ったよ。逆にその場へ行って書くなら、よっぽど通わないとダメ。行かないんだったら、もう全然見ずに書かないと。例えば「まほろば」という歌を書くのに、奈良に4回通ったね。1回目はテーマ探し、2回目は歌い出し探し。で、萬葉植物園のぬばたまという植物の脇に「居明かして君をば待たむぬばたまのわが黒髪に霜はふるとも」という仁徳天皇の奥様である、磐姫皇后(いわのひめのおおきさき)の歌が書いてあったんだよ。直訳すると「朝になってもあなたを待っているわよ。私の髪に霜が降っても」って歌なんだよな。この女性は怖い、と思ったわけだよ。
アフロ:アハハハ。
MOROHA アフロ
さだ:「私の髪に霜が降っても、寝ないであなたを待ってるわ」って言われるとさ、「うわ、辛いな」と思うんだけど、それを口の中で何度も繰り返してるうちに、“霜が降る”というのは「白髪になってもあなたが好きよ」って読めるじゃん、と気づいたんだ。「私が白髪になっても、あなたのことが大好きだよ」と言われたら、これはたまらんなって。そうやって考えるうちに、このテーマで行こうと決まった。そして萬葉植物園の近くを歩いていたら、“飛火野”といういい地名を見つけたんだよ。「よし! 歌詞のきっかけは<居明かして君をば待たむぬばたまのわが黒髪に霜はふるとも>で行こう。タイトルは「飛火野」だ」と決めて、念のために万葉集で探すんだけど、何度読んでも「飛火野」という歌が出てこなくて、これは途方に暮れたね。で、たまたま僕の恩師が国語科の先生だったんだよ。「先生、飛火野って歌を作ろうと思うんだけど、万葉集に出てこないんだ。なぜだろう?」と聞いたら「初出は古今集だから、万葉にはないわ。お前、『続日本紀』を持ってるな? 和銅5年か6年を繰ってみろ。そこにヒントがあるから。多分、聖武天皇以後の時代になってからできた地名だから、万葉集の頃にはなかったんだな」と教わった。その先生に勧められて、岩波の『日本古典文学体系』を最初の印税で買って持っていたから、古今集の春の歌18番に、「春日野の飛火(とぶひ)の野守いでてみよ今いくかありて若菜摘みてむ」を見つけた。それで『続日本紀』を開いて、和銅5年か6年に、春日野の一角に飛火の野守(のろしの番人)を設置したと書いてあった。それで「わが黒髪に霜はふるとも」の歌は「飛火野」というタイトルを使ったら(時代的に)間違いなるから諦めようって。悩んで悩んで、結局もっと古い時代に日本書紀で出てきた(日本武尊の歌)「倭は国のまほろば」から、面白みはないけど「まほろば」で行くかと出来上がった。それで奈良の映像を頭に焼き付けて、どこかの描写が正しければ嘘ではないからね。仮に全部嘘でも伝えたいこの一点が本当だったら嘘じゃないわけで、そうやって作った歌もあるね。
アフロ:ちなみに、パリへ4回行こうと思わなかったのはどうしてですか?
さだ:その前に作っちゃったからね。
アフロ:なるほどなるほど。じゃあ、どっちのパターンでも作れるけれども、できる曲が全く違うよって話ですね。
さだ:全く違うし、深みが違うね。
アフロ:深ければいいってこととは違いますか?
さだ:「異邦人」という歌はね、これは結構深いんだよ。要するに男と暮らしてた女が、別れてから長い時間が経って「男が死んだ」と知らされて「形見は写真のアルバムしかないんだけど、それを取りに来い」と言われるんだ。行ったら、別の若い女がそこで泣いてて「私は異邦人だ」って分かってさ。形見とはいえ、「前の男のアルバムなんか今さらいらない」と言いながらも持って帰るーーそれだけの歌なんだけどね。ここの毒っていうのは、今さらアルバムなんて欲しくはないんだけど、って歌を出しておいて、やっぱりその男の部屋まで行ってみたら、若い女が泣いていて、そこにあつまった仲間たちみんな(かつては自分の友達)がすごくしらっとした目で自分を見てる。「あ、私はここで異邦人になってしまったんだ」っていう歌なんだ。そこに描かれてるのがアパルトマンだったり、洗濯物だったり古い錆だらけの自転車だったり、というのがパリの映像として置いてあるのよ。でも、歌ってる舞台は別に新宿でも渋谷でもどこでも構わない話なんだけど、パリを想起させるために曲調をちょっとシャンソン風に仕上げた。そこで「なんか台詞が欲しい」と言われて、嫌々言った台詞がもう大後悔で(笑)。ライブで一度も台詞を言ったことはない。その後に「異邦人」の続編として「主人公」を書いて、ちょっと綺麗すぎたなと思って反省していたんだけど、その綺麗な所が一般的だったんだろうな。
アフロ:今もみんなから愛されていますよね。
さだ:あの歌は斜に構えたような毒がないからね。
宵越しの銭は持たない体質なので、未だに金にはあまり興味がない
さだまさし
アフロ:「俺の場合はどうやって歌詞を書いてるかな」と考えながらずっと話を聞いていたんですけど、俺は自分の育った田舎との共通点を探しちゃうんですね。自分が生活していた青木村と、この町って何が一緒なんだろうって。
さだ:青木村もいいところだよな。俺は長野が好きでさ、諏訪に家があるんだよ。軽井沢も一瞬考えたんだけど、あそこは後でできた街だから歴史がない。掘っても何も出てこないんだよ。諏訪はさ、織田信長も来ていれば、徳川家康も来てるし、赤穂浪士で殺された吉良の息子(吉良義周)が流されたところでもある。ましてや、武田信玄の墓があるという噂があるぐらいの湖じゃない? 面白いなと思って暮らしてみようと。基本、僕は1950年代から60年代にかけての長崎の子で、田舎の港町で育ったから山に憧れていたんだよ。小学校1年生の時に、6年生が学芸会の芝居で『舌切り雀』をやっていて<信州信濃の山奥の田んぼの中の一軒家>という歌詞があってさ、当時の自分は「そこに行ったら田んぼの中の一軒家があるんだ。相当山の中で田舎だろうな」と思っていた。長野に初めて行った時、想像通りの相当な田舎だなと思ったと同時に、大きな感動があったね。だから、よくわかるよ。確かに、長野から見れば日本中が都会だよ。
アフロ:本当にそうで。どこの街に行っても、この街に住んでるやつは、あの田舎町に住んでた頃の俺とどこが共有できるんだろうみたいな。そこをぎゅっと掴んで、例えば島とかに行っても、俺は四方の山に囲まれて育って「山は安心する」って言うやつもいたけど、俺はあの山々に「お前はどこにも行けないからな」って脅され続けた10代だったんですよね。
さだ:うんうん、わかる。
アフロ:だから島とかに行くと、海があっていいなと思うんだけど、でもここに住んでるやつはきっとこの海に「お前はどこにも行けないんだからな」って言われてるんだろうなって思うと同時に、今は山と海で全然情報量が違うんだなって思うんです。山って細々としていて色彩もあるけど、海の方が開けてて色の数もグラデーションはありますけど、幅で言うとそこまで広くない印象があって。
さだ:表はね。海の裏はすごいんだよ。長崎には俺の島があるからさ、今度行ってみな。
アフロ:さださんの島? 島を持ってるんですか?
さだ:持ってるよ。
アフロ:島って、どうやって自分のモノにするんですか?
さだ:持ってる人から買うんだよ。
アフロ:土地を買う、みたいな感じですかね?
さだ:土地を買うのと一緒だね。1坪1万円で、2000坪だったから2000万。その頃、東京にマンションを買ったら3000万とか4000万するから、無人島を1つ買って、そこに住処を立てるのに2億円くらいかかってるんじゃないかな? もう老朽化しちゃったんで、俺も借金していたし金もなかったんでほったらかしたんだけど、つい5年ぐらい前にリフォームして。綺麗になったから、またみんな泊まれるようになった。いいところだよ。
アフロ:聞いてみたいんですけど、めちゃくちゃ金がない時期ってありました?
さだ:子供の頃から、金はずっとなかったよ。
アフロ:そこから、自分の音楽がみんなに愛されてお金を得るようになるじゃないですか。その時の感覚って覚えていますか?
さだ:もちろん。昔から「金があると人間が悪くなる」と言われて育ってきてるから、早く使おうと思ってた。宵越しの銭は持たない体質なので、未だに金にはあまり興味がない。そうは言っても、金は欲しいよ。でも欲しいって言うのは、使いたいから欲しいんであって、金額を貯めていくことには全然興味がないんだよね。だから「精霊流し」の印税がたくさん入ってきた時、親父に借金があったもんで「とりあえず、借金を返そうや!」って親父の借金を俺が全額返済して。あとは祖母が亡くなって、納骨堂に預けっぱなしだったんで、長崎に墓を立てようと。ウチの親父は次男坊の家系だったんで、墓がないから長崎に墓を建てて、それで「精霊流し」の印税はパー。そこから『無縁坂』とか『グレープ・ライブ 三年坂』とかのアルバムで、びっくりするぐらいお金が入ってきた時にソロになったんで、独立して事務所借りて電話を引いて、雇う奴を雇って、またしてもお金はパー。『雨やどり』でもびっくりするぐらい金が入ってきたんで、その時に「島を買わんか?」と電話がかかってきたから「買います買います!」「本当か。2000万だぞ?」「まあ、大丈夫でしょ!」って。
アフロ:アハハハハ。
さだ:翌日に経理が100万を持って、手つけ金を払ったんだよね。当時はウチの親父がまだ元気な頃で、ロッジを立てたりするのにバカみたいに金をかけてさ。俺の金を使い放題なんだよ。別に、金が惜しいと思わなかったから、そこで家を建ててお金はパー。電源を引いたんだから、水道と電気は自費で。
アフロ:『北の国から』の自費バージョンですね。
さだ:ハハハ、金があったバージョン。
アフロ:ハハハ、『南の島から』の金があったバージョン。
さだ:それを言うなら『西の国から』だよ。倉本(聰)先生が1回俺の島へ遊びに来て「こんなにいいところを隠していたなんて、貴様はずるい」って言うから「先生、ここに籠って『西の国から』を書いてくれ」って言ったんだよ(笑)。そのあと『関白宣言』でバカみたいにお金入ってきて、中国へ映画を撮りに行ったんだけど、全然足りなかったの(爆笑)。
すごくいいところに気がついた! そこがスタンダードの基本なんだよね
MOROHA アフロ
アフロ:この前、市原のコンサートで「ようやく、あの時の借金を返し終えた」って。
さだ:うん、30年かかったよ。おそらく年間1億5000万円以上は返してたね。
アフロ:総額いくらだったんですか?
さだ:計算してないけど、35億ぐらいじゃないかな?
アフロ:印税がバンと入ってきたこと対して、どう使ったのか覚えているのは、めちゃめちゃいいですね。
さだ:だって、元々ない物だから。例えば金が入ってきても、使える額なんてたかが知れてるぜ。どこに住むか、何を食うか…そんなもんじゃない? あと何かいる? 俺は楽器とか、スタジオとか欲しい物はあったけど、スタジオは作れなかったなあ。映画に行っちゃったから。今になると、スタジオを作っておけば良かったな。
アフロ:それを言えるのがいいですね。さださん、俺はね貯金してる!
さだ:偉いじゃん。何か使いたいものがあるから貯金してるんだろ?
アフロ:そうじゃないんですよ。
さだ:バカじゃないの?
アフロ:俺はね、戻りたくない場所があるの。どうしても戻りたくない場所が。子供の頃に「やっぱりウチはお金がないんじゃないか」と思っていた少年時代の記憶が強くあって。
さだ:わかるわかる。そんなものはさ、みんなそうだったんだから。俺だってそうだよ。ウチのお袋の財布の中に、金がいくら入っているのか分かんないんだけど、絶対に金がないなって分かると「今日は何が食べたい?」と聞かれて「うどんが食べたい!」と言ったんだよ。そしたら弟が「うどんばっかり……」と言うけど、それでも「うどんがいい!」って。お袋が「そんなんでいいの?」と心配して聞いたけど、頑なに「うどんが一番美味しい」って。俺、基本的に食べることに欲がないから、美食家じゃないんだよ。あれ食べたい、これ食べたいがないんだよ。酒も酒だったらいいんで、高い酒を飲みたいわけじゃない。だからアレをしたいから金を貯めようっていう、貯めた先に目的があれば貯金しただろうね。
アフロ:俺は安心したくて貯めちゃうんですよね。
さだ:それはそれでいいじゃん。
アフロ:安心を買ってるんですかね。
さだ:だけど安心しすぎると、絶対に切先は鈍るからな。間違いなく鈍るよ。「来月の生活費を心配しなくてもいいな」と思った瞬間に、生きる必死さがなくなる。そうするとただのパフォーマンスになってくるから、そこに相当負荷をかけていかないとパフォーマンスが鈍る。俺の場合は自分に相当な負荷をかけているから、さだまさしのステージをやるってものすごく大変。そのために何をやるか? 何に対して、どれだけ負荷をかけていくか? そうやって自分にものすごくプレッシャーをかけないといけない。暮らしの心配をしないで済むようになったら大切になるのはそこだな。だってさ、お客さんに何を還元するの? 金さえ持てば君のやりたいことは終わり? それで終わってしまった歌い手はいっぱいいる。金を持った瞬間に切先も鈍り、伝えたいことも怪しくなり、カッコつけ始め、急にマッチョになってみたり。「お前、最初と違うじゃん」みたいなのがいっぱい出てくるけど、俺はもう最初から同じことずっとやってきてるから、別に恥ずかしくもない。そうだなあ、お金が出来たら使い道を考えるといいよ。
アフロ:そうっすね。ステージに還元するっていうのは、すごくしっくりきます。
さだ:俺は旅をしていたから、金が入ったら全部旅行代に使っていたからね。旅行代っていうのはね、人と出会うための勉強代なんだよね。
アフロ:最後にいいですか? 俺が「新約「償い」」で一番気に入ってるのは「元々調子が悪かったんだから、あんただけのせいじゃないよ」ってお爺ちゃんが亡くなった後に、お母さんが言うところ。やっぱり、あそこで“だけ”っていうのが出てきたのが、俺にとっては大きな収穫だったんです。
さだ:うん、素晴らしいね。
アフロ:最初は「あんたのせいじゃないよ」って書いてたんですけど、それこそさださんが言っていた毒みたいな要素を足したいなと思って。さださんの「償い」は被害者の奥さんと加害者っていう構図で、俺のはおじいちゃん、お母さん、孫って構図だったんですけど、お母さんが奥さんの立ち位置になると思ったんですね。元々の「償い」はもう一つあったよなって。なんかこの人にも役目というか、毒というか、人間らしさを一つ入れたいと思って。「あんただけの」ってフレーズが出てきた時に、やっぱりお母さんもちょっとは息子のせいもあるって感じているところを加えられたと思ったんです。
さだ:すごくいいところに気がついたね! そこがスタンダードの基本なんだよね。自分の歌をスタンダードにしていく基本は、みんながはっとする「お前のせいだ」じゃなくて、あんたの責任はもちろん少しはあるけど「あんただけのせいじゃないじゃないの」って俯瞰で見る瞬間が、スタンダードに共通するものなんだよ。スタンダードになっていくものというのは、その気づきがあればいくらでもできるよ。それは面白いところに気がついたね。
アフロ:(思わず口角を上げて、満面の笑みを浮かべる)。
さだ:ハハハ、ちょっと胸張ってるじゃん。
アフロ:はい、嬉しい。
さだ:鼻高々になってない?
アフロ:ハハハ。これで鋭さが鈍っちゃいます。
さだ:いつか(鼻を)ペシって折りに行ってやるよ(笑)。でも、その視点は素晴らしいよ。これからも頑張ってな。
文=真貝 聡 撮影=高田 梓
リリース情報
アルバム / VICL-65891
¥3,850(税込) Colourful Records
02. 槇原敬之 / 案山子
03. 上白石萌音 / 秋桜
04. 三浦大知 / 風に立つライオン
05. 福山雅治 / 雨やどり
06. 高橋優 / 精霊流し
07. 折坂悠太 / 主人公
08. 木村カエラ / 修二会
09. MOROHA / 新約「償い」
10. T字路s / まほろば
11. 葉加瀬太郎 / 北の国から~遙かなる大地より~
12. wacci / 関白宣言
13. 琴音 / 防人の詩
14. MISIA / 虹~ヒーロー~
ツアー情報
詳細はこちら:https://masasingtown.com/
2024年1月29日(月)東京都 東京国際フォーラム ホールA
2024年1月30日(火)東京都 東京国際フォーラム ホールA
2024年2月13日(火)大阪府 フェスティバルホール
2024年2月19日(月)大阪府 フェスティバルホール
2024年2月27日(火)東京都 東京国際フォーラム ホールA
2024年2月28日(水)東京都 東京国際フォーラム ホールA
2024年3月12日(火)大阪府 フェスティバルホール
2024年3月13日(水)大阪府 フェスティバルホール
上映情報
映画『さよなら ほやマン』
主演:アフロ(MOROHA)
製作:シグロ/オフィス・シロウズ/Rooftop/ロングライド 制作プロダクション:シグロ/オフィス・シロウズ
宣伝:ロングライド 配給:ロングライド/シグロ
2023年/カラー/5.1ch/106分
https://longride.jp/sayonara-hoyaman