上村松園・松篁・淳之、三代にわたる画業を紹介 展覧会『文化勲章 三代の系譜 上村松園・松篁・淳之』京都・東京での開催が決定
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展覧会『文化勲章 三代の系譜 上村松園・松篁・淳之』
展覧会『文化勲章 三代の系譜 上村松園・松篁・淳之』が3月6日(水)より京都・京都髙島屋S.C.にて、4月17日(水)より東京・日本橋髙島屋S.C.にて開催されることがわかった。
『文化勲章 三代の系譜 上村松園・松篁・淳之』は、親・子・孫の三代にわたって日本画の美をそれぞれに追い求め、その功績で文化勲章を受章した上村松園・松篁・淳之ら三名の画業を紹介する展覧会。松園は、格調高い美人画で1948年に女性として初となる栄誉に輝いた。松篁は、自然を描く新たな日本画表現を追究し、1984年に同章を受章。2022年には、鳥の姿を通じて自然の神秘を描写し続けてきた淳之が受章している。
上村 松園(うえむら しょうえん)
上村松園 京都間之町の自宅にて(松伯美術館提供)
上村松園(1875年-1949年)は、明治・大正・昭和という激動の時代に生き、美人画の第一人者として女性で初めて文化勲章を受章した日本画家。美術とは縁がない商家に生まれた松園は誕生前に父を亡くし、母の手一つで育てられた。松園は子供の頃から絵を描くことが好きで、母は親戚の反対を押し切って娘を京都府画学校(現在の京都市立芸術大学)に入学させ、自らの選ぶ道を歩むよう、その背中を押した。京都画壇には円山応挙以来の美人画の伝統が続き、また町衆が好むような美人画も存在していたが、劇的な物語の登場人物や市井の女性像も「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」を念願とした松園の美人画は、気高い品格を備えている。松園の文化勲章受章は1948年。そして翌年、74歳で、息子の松篁の画室でもあった奈良・平城の「唳禽荘(れいきんそう)※」で生涯を閉じた。※唳の表記は=唳に点あり、以下同じ
本展では、主人公が恋する人を慕い花筐を持って狂人の舞を舞う世阿弥の謡曲「花筐」をテーマに、精神科病院で患者を繰り返し写生し描き上げたという「花がたみ」(1915年)や 湯浴み後の楊貴妃を描いた「楊貴妃」(1922年)、自らも稽古していた鼓を打つ女性像「鼓の音」(1940年)をはじめとする作品を展示する。
【展示作品】京都会場26点、日本橋会場22点(予定)
「花がたみ」(1915年 松伯美術館蔵)
「楊貴妃」(1922年 松伯美術館蔵)
「鼓の音」(1940年 松伯美術館蔵)
上村 松篁(うえむら しょうこう)
上村松篁 京都間之町の自宅にて(松伯美術館提供)
松園の息子、上村松篁(1902年-2001年)もまた、幼い頃から絵を描くことが好きで、母から買い与えられた木版画の花鳥画譜を飽かず眺めて過ごす少年だった。松篁はのちに「母は私に絵を教えようとしたことは一度もなかった」と回想しているが、自宅の画室に籠って絵を描いている母の背を見て育ち、長じてもたゆまぬ精進を続け、画業の道に入る。
子供の頃から金魚や鳥が好きだった松篁は動植物にまなざしを注ぎ、自然豊かな奈良・平城に画室「唳禽荘」を構えた。「私は自然からいつも教えられて来た。自然は私が少しずつ成長すればそれに従っていくらでも美の扉を開いてくれる」と語っている。
松篁はまた、東洋の古典絵画と西洋の立体表現の双方を学び、中国やインド、東南アジア、ヨーロッパなど海外諸国を訪ねて現地の美術や気候風土に触れ、伝統を踏まえながら現代的な感覚を取り入れた日本画の創作に邁進した。描く対象は母とは異なったが、生活の中で「『格調』とか『品の良さ』についての感覚を小さいときからみにつけることができた」と語っている。1984年、文化勲章を受章した。
夕立の後の緑を捉えた「青柿」(1947年)、熱帯地方で眼にした強烈な色彩をとりいれ描いた「熱帯花鳥」(1963年)、枯れていく椿と鳥と若葉の色で近づく春を表現した「水温む」(1988年)ほかを展示。
【展示作品】 京都会場15点、日本橋会場13点(予定)
「青柿」(1947年 松伯美術館蔵)
「熱帯花鳥」(1963年 松伯美術館蔵)
「水温む」(1988年 松伯美術館蔵)
上村 淳之(うえむら あつし)
上村淳之(松伯美術館提供)
松篁の息子、上村淳之(1933年-)は、勉学では理数系の分野を得意としていた。祖母の松園も父の松篁も当初、淳之が画家の道に進むことに強く反対していたが、大学受験を前にして絵を描きたいという思いを抑えきれず、京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)に進学。松園の没後、荒廃していた「唳禽荘」に移り住んだ。松篁が飼っていた動物たちに子供の頃から親しんでいた淳之は、「唳禽荘」で様々な鳥を野生に近い状態で飼い始め、共に暮らし、その生態を観察し、生命力に満ちた姿を写生し始める。淳之が飼う鳥の数は現在、約700羽にもなる。
余白を重視する象徴的な空間表現を極め、自然に生きる鳥を描くことで自然そのものを描こうとする淳之の花鳥画は松篁のものとは異なる様相をみせる。「父・松篁が松園から教えられたことがなかったように、私も父から何かを教えられたことはなかったように思う。絵描きは『型』を受け継ぐものではなく、それぞれが絵の道を極めるものだろう。しかし、家族の中の『これは品がええなぁ』というような会話を通じて、自然と私の中に『品位品格』というものが叩きこまれたように思う」と淳之は語る。祖母、父に続き、2022年に文化勲章を受章した淳之の作品から、親子のブラックバック(カモシカの一種)を描いた「夕日に」(1981年)、大阪新歌舞伎座緞帳原画の「四季花鳥図」(2010年)などを紹介する。
【展示作品】京都会場23点、日本橋会場20点(予定)
「夕日に」(1981年 松伯美術館蔵)
「花の水辺Ⅱ」(2007年 松伯美術館蔵)
「四季花鳥図」(大阪新歌舞伎座緞帳原画) (2010年 近鉄グループホールディングス株式会社蔵 松伯美術館管理)