サカリ・オラモが東響定期に初登場。「鳥」でつながる大自然の調べ
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Sakari Oramo(C)Benjamin Ealovega
4月、フィンランドから2人のアーティストが東京交響楽団の定期演奏会に登場する。
1人は、指揮者のサカリ・オラモ。東響とは初共演になるが、世界で活躍する彼についてはさほど説明は必要ないはずだ。
優秀な指揮者を数多く輩出していることで知られるフィンランドを代表するマエストロの一人。サイモン・ラトルの後継者としてバーミンガム市響の音楽監督を務め、フィンランド放送交響楽団、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を歴任、現在はBBC交響楽団の首席指揮者を務めている。
そしてもう1人は、やはりフィンランドを代表するソプラノ歌手アヌ・コムシだ。オペラとコンサートの両輪をこなし、ジャズまで幅広いレパートリーを誇る。オラモのほかに、エサ・ペッカ・サロネンやハンヌ・リントゥなどの共演も多く、とりわけ北欧の現代曲を積極的に取り上げてきた。超絶技巧と力強い声の持ち主で、ロジャー・ノリントン指揮シュトゥットガルト放送響とのマーラーの交響曲第4番の録音でのノン・ヴィブラートによる晴れやかな歌唱も印象的だった。オラモとともに創設したウェスト・コースト・コッコラ・オペラの芸術監督も務めている。
Anu Komsi (c) Ville Paasimaa
今回のプログラムは、北欧のレアなレパートリーのあとに、最後は一転してスタンダードなドヴォルザークの交響曲第8番を披露する。サカリ・オラモの音楽への取り組みが一夜にして堪能できる演奏会になるといっていい。
オラモは、シベリウスやニールセン、マーラー、エルガーなどを主要レパートリーにしつつ、あまり演奏されないものの、魅力にあふれた作品を積極的に取り上げてきた。なかでも、ヨーナス・コッコネンやマグヌス・リンドベルイなどの北欧の作品。とくに、ルーズ・ランゴーの交響曲をベルリン・フィル、ペア・ノアゴーの交響曲をウィーン・フィルと録音、その水際立った演奏により、作品のすばらしさを広めた功績は大きい。
また、グラジナ・バツェヴィチ、エセル・スマイスなどの女性作曲家の管弦楽曲も精力的にレコーディングしている。2018年にロイヤル・ストックホルム・フィルを率いて来日したときは、スウェーデン人女性作曲家ヘレーナ・ムンクテルの「砕ける波」をプログラムに載せていた。
今回のプログラムにも、そんなオラモの持ち味が存分に生かされている。
最初に演奏されるのは、ラウタヴァーラの代表作「カントゥス・アルクティクス」。この曲は、鳥とオーケストラのための協奏曲というサブ・タイトルをもつ。作曲家が録音した鳥の鳴き声をソリストにした、3楽章からなる協奏曲だ。鳥の声とオーケストラが響きを交わし合い、さらに両者が一体となって一斉に飛び立つ様子は鳥肌が立つほどの興奮をもたらすに違いない。
東京交響楽団(C)T.Tairadate
次に、昨年亡くなったサーリアホの「サーリコスキ歌曲集」が演奏される。ペンティ・サーリコスキは、戦後のフィンランドでもっとも重要な詩人。偶像破壊的な詩や評論で知られ、その先鋭的な言語感覚により、北欧のビート詩人とも喩えられた。この歌曲集は、彼の1973年の詩集「アリュー(区域)」によるもの。自分の子供の死と開発による森の消滅が重ねられ、自然と人間との関わりも色濃く投影されている。そして、この曲も、ソプラノが鳥の声を模したトリルで開始される。
アヌ・コムシは、この歌曲の初演者でもあった。彼女は、文学や哲学からインスピレーションを得た作品によるリサイタルを開いてきた。この曲もその一つとして、コムシが作曲家に提案することで生まれたという(最初はソプラノとピアノによる歌曲として書かれたが、アンドレアス・ネルソンスとゲヴァントハウス管弦楽団およびボストン交響楽団の委嘱によってオーケストラ版も作られた)。ここでサーリアホが目指したのは、声をオーケストラのなかに引き入れ、溶け込ませること。まさにコムシの表現力があってこその音楽なのだ。
シベリウスの「ルオンノタル」は、この作曲家の数多い交響詩のなかでは、演奏される機会に恵まれない作品かもしれない。というのも、ソプラノ独唱とオーケストラのための作品で、その歌唱にはハイレベルのテクニックが要求されるから。コムシの幅広い声域がこの曲でも生かされることだろう。
その歌詞はフィンランドの英雄叙事詩「カレワラ」の冒頭による。創世記的な内容をもち、鳥(カモメ)が重要な役割を果たしている。つまり、これまでの3曲からは、鳥を介して、自然と人間との関わりという共通のテーマも浮かび上がってくるわけだ。じつに練り上げられたプログラムではないか。
そして、最後はドヴォルザークの交響曲第8番。きっちり明晰に縁取られた響きのなかに、ユニークな感性をきらめかせるオラモの個性がより浮き彫りになる作品だ。ボヘミアの民族性をほのかに香らせつつ、強弱のコントラストも鮮やかに、キレキレのドヴォルザークをホール全体に響かせてくれるに違いない。
文=鈴木淳史(音楽評論家)