《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 9 豊竹芳穂太夫(文楽太夫)

2024.8.16
インタビュー
舞台

豊竹芳穂太夫(文楽太夫)

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美声を生かしたダイナミックな語りが魅力の豊竹芳穂太夫(47)。近年は、ベテランの三味線弾き、野澤錦糸と組むことで、その表現に繊細な抑揚も加わっている。国立劇場第十六期歌舞伎俳優研修生から文楽入りするという異色の経歴の持ち主である彼は、どのように文楽にたどり着き、この道を歩んでいるのだろうか?

文楽と無縁の家庭で育つ

大阪の芸能である文楽の世界の標準語は、大阪弁。このため、大阪以外の出身者は苦労すると言われる。そんな中、芳穂太夫さんは本場、大阪の東淀川区に生まれ育った。ただし、父は東大阪の会社に勤めるサラリーマン、母は専業主婦という一般家庭で、文楽とは無縁の生活を送っていたという。

「両親は義太夫にもお芝居にも特に興味はなく、僕自身も、例えば時代劇が好きな子供だったというようなこともありませんでした。姉二人はピアノを習っていたけれど僕は拒否したそうで習わず。こう見えて体が弱く喘息持ちだったので、体力をつけるためにスイミングスクールに通わせてもらいました。少年野球にも参加していましたし、中学では水泳部、高校では柔道部と、運動は色々とやっていましたね。今に繋がることがあるとすれば、アニメオタクだったこと。『ドラゴンボール』などのアニメを見て声優に憧れ、カセットテープに自分の声を吹き込んで聴いてみて、『なんて変な声なんだ!』などと思っていました」

舞台との出会いは、学校で見に行った演劇。

「僕が通った高槻市の高校は社会問題に対する啓発活動が盛んで、差別を扱った韓国系の女性の一人芝居や、劇団の人がやっている精神病院が舞台の『カッコーの巣の上で』などを観ました。『カッコーの巣の上で』はいわゆる健常者が障害のある人の演技をするのがすごいな、と。大人の人が真剣にお芝居をやっている姿は、それまで見たことがなかったので新鮮でしたね」

高校卒業後は、倉本聰の富良野塾を受けるが合格ならず、テレビ・映像制作・俳優の学校である放送芸術学院専門学校へ。

「バレエ、ジャズダンス、ヒップホップ、日本舞踊など一通り学びました。何が自分の道として合うのか、あれこれ模索していた時期です。卒業後に日本舞踊の世界へ行った同級生もいたけれど、僕はそこまでではなくて。ハマったのはパントマイム。先生から『筋がいい』と言われました。そのパントマイムの経験は、結構今に生きている気がするんですよ。というのも、パントマイムに必要なのは、想像力。物を持っていないのに持っているように見せるには、その重さ、大きさ、形などをイメージする必要がある。物事や登場人物の感情や仕草などを言葉で説明する太夫も、具体的なイメージなしに語ったら中身のないものになってしまうので、そういう意味では通じるものがあるのではないかと考えています」

先生からパントマイムの道に誘われたが、演劇に惹かれていたのでそちらの道には進まず。専門学校の卒業生が入っていた小さな事務所に入り浸っていたところ、事務所の人に「古典も知っておくべきだから、大阪市主催の歌舞伎のワークショップに行ってみてはどうか」と勧められ、「どうせ落ちるだろう」と思いながら臨んだオーディションに、合格。夏の間、京都での稽古に通うことになった。
 

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