《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 9 豊竹芳穂太夫(文楽太夫)

2024.8.16
インタビュー
舞台

歌舞伎のワークショップで口上、にらみも!

「オーディションでは歌舞伎の『待てえええ』という台詞を、当時の市川右近さん、今の市川右團次さんが見本でなさって『はい、やって』。全員、『ええっ!』となりながら、見様見真似で声を出しました(笑)。合格したのは20人くらいでしょうか。この時の仲間のうち、落語家の林家染二さん、林家染雀さん、さっぽろ人形浄瑠璃あしり座の東華子さんといった方々とは、今でも交流があります。一ヶ月ほど京都での稽古に通い、今は無き中座(なかざ)で発表会をしました」

発表会で芳穂太夫さんがやったのは、口上。

「使用する鬘は、澤瀉屋の方々がワークショップやイベントで使っているもので、鬘が頭に合うかどうかで役が決まりました。僕は最初、『伽羅先代萩』の荒獅子男之助の鬘をつけたのですが合わず、じゃあ口上で、と。男之助は総被りだからサイズがぴったりでなければならないのですが、口上の鬘は月代(さかやき)の部分がないので比較的入りやすいんです。なんと、本来は成田屋にしか許されない“にらみ”までやったんですよ! 『これから発表会をやらせていただきます』という口上のあと、『一つ、にらんでご覧にいれます』と、肩肌抜いて三宝持って」

この経験ですっかり歌舞伎にのめり込んだ芳穂太夫さんは、歌舞伎俳優を志す。

「右近さんから『松竹座で芝居をする時、何日か付き人が来られない日があるから代わりに来てくれないか』と言われ、そこから楽屋に入ったりお食事に連れて行ってもらって色々なお話を聞かせてもらったりするうちに面白い世界だなと思い、弟子入りしたいとお願いしたのですが、『急に弟子が増えてしまったから、まずは研修生に』と勧められ、国立劇場の歌舞伎俳優の養成研修コースに入ることにしました。実は直前になって『一人辞めたから直接入ってもいいよ』と言われたのですが、『基礎から学びたいので研修生になります』と答えました」

これが運命の分かれ道となった。
 

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