新国立劇場 2025/2026シーズン 演劇ラインアップ説明会レポート~小川絵梨子芸術監督ラストシーズンは8年間の集大成
新国立劇場 2025/2026シーズン 演劇ラインアップ説明会 小川絵梨子演劇芸術監督 (撮影:久田絢子)
新国立劇場 2025/2026シーズン 演劇ラインアップ説明会が2025年2月26日(水)に開催され、小川絵梨子演劇芸術監督が登壇した。
シーズンの幕開け(2025年10月)は、日韓国交正常化60周年記念公演として『焼肉ドラゴン』(作・演出:鄭義信)が上演される。
『焼肉ドラゴン』2011年上演舞台写真 撮影:谷古宇正彦
2008年の初演以降、11年、16年と再演を重ね、今回が約10年ぶり4度目の上演となる本作は、大阪万博が開催された1970年を舞台に、関西に暮らす在日コリアン一家と、彼らが営む焼肉屋に集う人々を描いている。小川は「奇しくも今年は大阪・関西万博が開催される年でもある。この作品の魅力に加え、今の時代ならではの新しい視点をもたらしてくれると思う」と述べた。また「キャスト1名については公募オーディションを行った。韓国の若手劇作家によるリーディング公演も行う。日本での公演後は韓国の芸術の殿堂でも公演を予定している」と付け加えた。
『焼肉ドラゴン』出演者(上段 左から)千葉哲也、村川絵梨、智順、松永玲子 (下段 左から)イ・ヨンソク、コ・スヒ、パク・スヨン、キム・ムンシク
11月には招聘公演『鼻血―The Nosebleed―』が上演される。小川から「ニューヨーク・ブルックリンを拠点に活躍している、劇作家・演出家・俳優のアヤ・オガワさんの作品。アヤさんは日本をルーツに持っており、ご自身の半生の歴史を元に書かれた作品で、異文化の中で生きる喜びや難しさ、家族の愛やそこでの葛藤が描かれ、正直で非常に温かな視点でご自身と今の世相が反映されている。自分が成しえず後悔したこと、その先にあるものをテーマに、他者への思いやり、他者の赦し、共に生きることへの希望を描いている作品になっている」と紹介された。
海外招聘公演『鼻血-The Nosebleed-』舞台写真 “The Nosebleed” ワシントンD.C.公演 ©DJ Corey Photography
12月は、日本初演となる『スリー・キングダムス Three Kingdoms』が上演される。イギリスの劇作家サイモン・スティーヴンスの戯曲で、2012年に初演され、賛否両論が巻き起こった話題作だ。演出は、これまでサイモンの戯曲は『ポルノグラフィ』と『千に砕け散る空の星』(デヴィッド・エルドリッジ、ロバート・ホルマンとの共作)の2作品を手掛けたことのある上村聡史。小川は「本作は、サスペンス・ミステリーの体を取りながら、資本主義の裏に潜む影や現代の闇を探求していく物語。リアリズムの枠を超えた、詩情性あふれる作品となっている」と述べた。
2026年4月は、イギリスの劇作家デニス・ケリーの作品で2018年にロイヤルコート劇場にてキャリー・マリガン主演で初演された『ガールズ&ボーイズ』の日本初演となる。小川は「2020年に上演を予定していたが、コロナ禍で中止となり、今回新たなチームを結集した。演出は、私の演劇芸術監督就任第一作目となる『誤解』を演出し、その後『私の一ヶ月』も演出された稲葉賀恵さんをお迎えした。本作は女性の一人芝居で、ある女性の視点から人生における愛と仕事、そこに突如訪れた喪失が描かれていく。今回の日本初演では女性の役を年代の異なる2人の女性のダブルキャストにすることによって、今の女性のより広い視野と視点を描ければと思っている」と語った。
5月はフルオーディション企画による、サミュエル・ベケットの『エンドゲーム』が上演される。演出は小川が務める。「本作は『ゴドーを待ちながら』と比較されることが多い作品。『ゴドー』で描かれていた世界より荒廃していて、人間同士の繋がりが希薄で、鬱々とした空気が漂い、一見すると世界の終わりを描いているようにも見える。しかし実は、終わりを描いているのではなく、終わらないために私たちはどう生きていったらいいかを考えるための作品だととらえている。ベケットの人間への愛が描かれており、私たちがよりよい世界、よりよい未来を考えていくことこそが希望の一つなのであるということを表現できればと願っている」と作品について述べた。また、フルオーディション企画の演出を自身が担当するのは初であることにも言及した。
新国立劇場 2025/2026シーズン 演劇ラインアップ説明会 小川絵梨子演劇芸術監督 (撮影:久田絢子)
6月は、ノゾエ征爾による新作戯曲を、青年座の金澤菜乃英が演出する。小川は「現代の我々一人ひとりが日常に抱える痛みや苦しさ、人に言えない不安や弱み、それに寄り添ったような作品になると思う。強くあること、間違えないことを求められる現代社会で、一人ひとりが抱えてきた弱さやある種の生きづらさをノゾエさんらしい温かな視点で描き出していく作品」と説明。演出の金澤は、これが新国立劇場に初登場となる。小川は「芸術監督の仕事をいただいて以降、出来る限り若手の演出家、そしてその中でも特に女性の演出家にこの劇場で作品を作っていただきたいと考えてきた」と、金澤の起用について説明した。
なお、『ガールズ&ボーイズ』『エンドゲーム』「ノゾエ征爾 新作」の3作品はシリーズ三部作となるが、現段階でシリーズタイトルは未定となっている。
ラインアップ最後を飾るのは、『11の物語ー短編・中編(仮)』だ。小川は「古今東西の古典から現代劇まで数多くの短編・中編の戯曲を集めて作品集としてお届けする予定。11というのは仮の数字で、実際の上演の作品数に合わせてこの数は変わるかもしれない。劇作家として蓬莱竜太さん、岩井秀人さんらの作品も登場予定となっている。演出には、これまでこつこつプロジェクトやラインアップに登場してくださった演出家の方々のほか、山田由梨さんら新しい方々もお迎えする。大人も子どもも楽しめる作品も入っているし、日本初演の作品も含まれていく予定」と語り、また「特別編として、新国立劇場で長年に渡ってシェイクスピアの歴史劇シリーズを立ち上げてきた鵜山さんと俳優チームによる、新しい作品のリーディング公演も行う予定となっている」と付け加えた。
こつこつプロジェクトは第三期の試演会が予定されており、ギャラリープロジェクト、中高生ワークショップ、プレビュー公演、視聴覚障がい者への観劇サポート、過去の公演のデジタル配信等も引き続き行っていく予定であることを表明した。
ラインアップについて説明を終えた後、小川は「このシーズンをもって私の任期は終わる。本劇場に参加してくださったすべての作り手の皆様、そしてなにより本劇場に興味を持ってくださった皆様、作品を見てくださった観客の皆様に心より御礼を申し上げたい。8年間ありがとうございました」と挨拶し、感極まる様子を見せた。
質疑応答にて、ノゾエを作家として起用した経緯を問われた小川は「今の生きづらさや社会的な情勢も苦しいところへ向かっていく中で、弱さや痛みを抱えながらもどうやって希望を失わずに前に進んで行くのかを考えていくシリーズ三部作にしたい、という中で作品を選んでいった。やはり温かな視点ということ、そして社会的に弱い立場であったり、もしくは見た目が大丈夫でも心の中でとてもつらい思いをしていたり、理由なく生きづらさを感じていたり、そういうところに寄り添った作品を描いていただける方ということでノゾエさんが浮かんだ」と回答した。
シーズン全体の演目を選定するにあたり考えたことを聞かれ、小川は「こつこつプロジェクトやフルオーディションなど、今までやってきたことを着実に続けていくということは考えていた。あと、出来る限り若手の演出家、できれば女性の演出家に作品を作ってもらいたいと思っていた。シリーズ三部作については、自分がどんな人間なのか、正直に今の日本でみんなと語りたい物語は何かということを考えた」と答えた。
自分がやりたいことはすべてやれたと思うか、という質問には、「正直できなかったこともたくさんあるが、今できることは精一杯やらせていただいたと思っている。コロナ禍を経た時代でもあったし、世界的には戦争や、震災なども続いた。時代が変遷していく中で、演劇が時代に沿った作品として何ができるかを考えてきて、その中でできることを精一杯やったと思っている」と振り返った。
記者懇談会にて、くまのぬいぐるみを手に笑顔を見せる小川絵梨子演劇芸術監督 (撮影:久田絢子)
説明会終了後、小川を囲んでの記者懇談会が行われた。
懇談会の会場では、小川の席の後ろに任期中に上演された作品のチラシが並べて展示されていた。記者から「これまでを振り返って特に忘れられない思い出は」と質問されると、小川の口から最初に挙がったのは、就任後第一作となった2018年10月上演の『誤解』(アルベール・カミュ作、稲葉賀恵演出)だった。「一番最初なので思い入れも深い。それと、私の代からチラシのあり方を変えさせてもらった。デザインを重視して、お客様がビジュアルを見たときに何かワクワクするなとか、手に取りたくなるようにするためには、少し文字情報を制限した方がよいと思った。新しい試みで四苦八苦したところはあったが、皆さんにご協力いただけてこの形でずっとやってこれたことの喜びがある」と振り返った。
また『願いがかなうぐつぐつカクテル』(ミヒャエル・エンデ原作・上演台本、小山ゆうな演出、2020年7月上演)も挙げ、「コロナ禍に入ってから最初に上演できた作品。上演できたことがとても嬉しかったし、作品の中にマスクを組み込んだ小山さんの演出に敬意を抱いた。個人的には『アンチポデス』(アニー・べイカー作、小川絵梨子演出、2022年4月上演)という作品が挑戦的で好きだったり、一つひとつの作品にドラマがあって、これだけやらせていただけてありがたいことだと思う」と感慨深げに述べた。
次に、「説明会の中で嬉しかったことも悔しかったこともあった、と言っていたが、具体的にどのようなことがあったのか教えて欲しい」という質問には、「就任時に3つの柱を掲げていて、1つ目はより広い観客層に演劇を届けること、2つ目は新しい演劇の作り方の実験と開拓、3つ目は横のつながり。これを振り返って、2つ目に関しては割と積極的にできたと思う。3つ目に関しては、世界中の国立劇場との繋がりが強化されたと思うし、公共劇場同士、劇作家協会や演出者協会といったところとの繋がりが生まれたのでよかった。反省しているのは、1つ目に関して、全国公演、地方公演というものを、地方の劇場との交流ということも含めてやれたらよかったと思っている」と語った。
新国立劇場の果たすべき役割について、また芸術監督の役割についてどう考えているか、と問われると、「国立の劇場の芸術監督であるということについては8年間毎日ずっと考え続けていた。演劇を通して日本の文化に貢献しなくてはいけないし、演劇の力を伝えていくことが私の役割だと思っていた。そのやり方は人それぞれで、だからこそ芸術監督がいるのであって、方向性を決めていく責任が私にはあると思う。多様であるということが非常に重要で、1人が長くやるよりは、新しい視点で新しい芸術の方向性を見出した芸術監督が引き受けて、その歴史を深めていく、もしくはより改善していくということはとても大事なことではないかと思っている」と、芸術監督のあり方について持論を述べた。
また、就任当時より取り組んできたこつこつプロジェクトについて、「理解していただくまでに時間がかかった。上演もしないのになんで稽古するんだ、と言われて、いやそういうことじゃないんだ、と。一つの作品を生み出すためには、何人もの人が失敗や遠回りをしながら、最後にみんなで信じるものを出していくのだと思う。時間をかけていくということは、作品の強度を上げ、たくさんのお客様に楽しんでいただける可能性に満ちたものが出来上がるのではないか、と考えて立ち上げた。こつこつプロジェクトをやりたいがために芸術監督の職を引き受けたというのが正直な気持ち。公演に対してではなく、作っているということに対価を払うということ、公演を打つから作品を作るのではなく、作品が生まれてきているから公演を打ちたい、という流れを新たなオプションとして増やしていきたいと思った」と熱く語った。
まだまだ話し足りない様子の小川だったが、最後は時間切れのような形で懇談会は終了。名残惜しさも少しのぞかせながら、「残りの約1年半も引き続きよろしくお願いします」と笑顔で締めくくった。
2018/2019シーズンより演劇芸術監督を務めた小川は、当時歴代最年少の抜擢ということもあり大きな注目を集めてのスタートだった。その船出となった最初の作品『誤解』が記憶に強く刻まれていることからも、担ったものの大きさや、そこに感じたプレッシャーが伝わってくるようだ。しかし年数を重ねるにつれ、小川の語る言葉に自信が備わっていくことが感じられた。就任当時から続けて来たフルオーディション、こつこつプロジェクトなどを8年間やり通した信念には拍手を送りたい。コロナ禍がありながらも、公共劇場として劇場の火を絶やさぬよう工夫や努力を続けたことも大きな功績である。
小川演劇芸術監督最後のシーズンは、新国立劇場の財産とも言うべき演目『焼肉ドラゴン』から始まり、海外招聘公演や日本初演作品、フルオーディション企画、新作書き下ろしと、小川演劇芸術監督の集大成であると同時に、新国立劇場の現在地を示すラインアップでもあると感じた。『11の物語ー短編・中編(仮)』では様々な作家・演出家が登場し、賑やかにシーズンを締めくくることだろう。次期芸術監督はもちろん、次世代へとバトンをつなぐシーズンとなることを期待したい。
記者懇談会にて、小川絵梨子演劇芸術監督 (撮影:久田絢子)
取材・文=久田絢子
公演情報
日韓国交正常化60周年記念公演『焼肉ドラゴン』
作・演出:鄭義信
[海外招聘公演]『鼻血-The Nosebleed-』
作・演出:アヤ・オガワ
字幕翻訳:広田敦郎
『スリー・キングダムス Three Kingdoms』
作:サイモン・スティーヴンス
翻訳:小田島創志
演出:上村聡史
『ガールズ&ボーイズ』
作:デニス・ケリー
翻訳:小田島創志
演出:稲葉賀恵
フルオーディションVol.8『エンドゲーム』
作:サミュエル・ベケット
翻訳:岡室美奈子
演出:小川絵梨子
ノゾエ征爾 新作
作:ノゾエ征爾
演出:金澤菜乃英
『11の物語-短編・中編(仮)』
演出:鵜山仁、大澤遊、小山ゆうな、須貝英、鈴木アツト、西沢栄治、宮田慶子、山田由梨、小川絵梨子ほか
新国立劇場WEBサイト http://www.nntt.jac.go.jp/